『…あんたもしつこいな…また来たのか』
『あ、中川さん!いらっしゃいませ』
家から歩いて数分、高架下の人通りが少ない道沿いに見えたのは、ま、ま さ か の
屋台ラーメン屋さん
えええぇえ中川さんの御用達のお店ってここなの?!ラーメンってだけでちょっとビックリしてたのに!何かこう…似合ってなくはないけど意外というか…ああいや別にそれは失礼な意味ではなくっっっ「どうしました?そんなとこで突っ立って」「ぎゃあぁっ!」
心の声が聞こえたのかと思って物凄い間抜けな悲鳴上げたらハッハッハって笑われちゃった…手招きされたのでおずおずと暖簾をくぐってみる。
私がそうするのと同時にお店の方らしき声が聞こえてきた。
『いらっしゃいませ、じゃねーよ。何度言われようと俺の答えは変わらねー…帰ってもらおうか』
『ちょっと…そんな言い方しなくてもいいじゃん、お客さんなんだから』
『世間知らずのお嬢ちゃんは黙って皿拭いてな』
『はぁ?何それ!』
大きなお鍋の前で機嫌が悪そうに立ってるのは恐らくここの店主さん。その横に、どんぶりを拭いてる大学生くらいの可愛らしい女の人。
何だかちょっと不思議な組み合わせ…?
というか″帰ってもらおうか″ってもしかしなくても中川さんに言ったのかな…な、なな何て恐ろしいことを…あれか?対常連さんならではのジョークか??何か事情があるにしても、商売っ気のない人だ。
…うぅ、当たり前だけど視線が痛い。
「ハハッ、安心しとくれや。今日はその話しに来たんやない。そのまずぅラーメン食いに来ただけや」
『あの…その子は?』
「おお?珍しいやろ、今日のわしのお付きや」
『……………』
ひぃぃぃい店主さん怖いよ怖すぎる!
睨まれてる。観察されてるよーな気分だ。
改めてよく見るとその風貌…身に纏ってるオーラがただのラーメン屋さんじゃない。むしろ何でラーメン屋さんやってるんですか?!って聞きたくなる。
中川さんと同じ匂い…って何も知らない私に匂いなんて嗅ぎ分けられたくないですよねっああもう何て言うか、身の程知らずでごめんなさ「ホラッ!さっきからボーッとしてどないしたんでっか?座っておくんなはれや」
…きっと私のビビり具合は不審に思われてるんだろうけど、一般ピーポーの気持ちも分かって欲しい。切なる願い。アーメン。
「っちゅーことでラーメン二つな!」
『…食ったらとっとと帰ってくれ』
「言われなくてもそうするわい」
私の緊張なんて露知らず、中川さんはあしらわれる様な態度に慣れてるのかさも気にすることなく相変わらずの調子だ。
アルバイトらしき女の人は、中川さんの誤魔化しが気になったのか私の方を不思議そうな顔でチラチラと見る。
へ、変な汗出てきた…
ほんの数秒の沈黙が物凄く長く感じられる。
私のことを気に掛けて外に連れ出してくれたんだとは思う。…思うけど、何だってよりによってここに連れて来たんだ!!
「ここはコイツが店やり出してからの付き合いでしてのう。食ってみりゃ分かるが美味くもねぇモンで見ての通り客は来ねぇんですがね、ハッハッハ」
「ハ、ハハ…そ、そんな…」
追 い 打 ち を か け ら れ た ぞ ?
誰か教えて??この場合の模範解答を早急に誰か教えてくれぇぇえ
『藤木さんの実の孫、だろ』
ゴトッと音を立ててどんぶりを目の前に置かれるのと、店主さんが静かな声でそう言ったのはほぼ同時だった。その言葉に中川さんは一瞬眉をひそめる。
『…息子が死んで、何の事情かは知らねぇが藤木さんの元に引き取られた』
「ほぅ…ハッ、貧乏屋台の店主の情報網は怖いのう」
『それくらいは耳に入るんだよ、こんな薄汚ねぇ街で店やってるとな』
そんなやり取りを横で聞いてると、いつの間にかどんぶりが二つテーブルに並んでいた。モワッと湯気が上がってきて、この微妙な雰囲気に似つかない気持ちになる。い、いい匂い…いっちょ前にお腹減ってたんだなぁ。
この人…葦津さんというらしいけど、話しぶりからすると私の第一印象はあながち間違ってないっぽい。中川さんの対応を見ててもただのラーメン屋さんじゃなさそうだ。
…ん?藤木さんの実の孫、引き取られた…ってもしかして私の話?
なな、何で??
ちらっと横の中川さんの顔を盗み見ると、何となくいつもと違う、少し厳しい表情をしてるような気がした。何かを考え込んでるような。
『…ま、用心するに越したことはねぇと思うぜ』
「…フッ、やっぱアンタはラーメン屋って器じゃねぇよ。葦津」
『……………』
『なーんだ、そういうことだったんだ!ねねっ、学生さん?おいくつなの?』
その場の妙にピリピリした雰囲気を打ち消すような明るい声が横から入る。興味津々といった顔でずいっと前に出てきたのは、アルバイトの女の人だった。
「あ…え、ええと…15です」
『ええ!若ーいっ!じゃあ春から高校生?いいなぁー』
『由美、お前は無駄口叩いてねぇで黙って仕事しろ』
『いいじゃないチョットくらい…葦津さんのケチッ!』
『口が減らねぇヤツだな…だいたいお前はいつ親元に帰るつもりだ?いつまでも居られっと騒がしくてしょうがねぇ』
『あーまたその話?もうそれ聞き飽きた〜』
『…ったく』
ラーメンを食しながら二人のやり取りを見てハッハッハと笑う中川さん。張り詰めた空気はどこへら、いつの間にか彼の表情も元に戻っていた。
何で私の話が出たのか、確かに少し気になったけど…考えても分からないし中川さんに聞いても何となく答えてくれない気がした。なにより、私があの雰囲気に首を突っ込むなんて恐れ多いことは出来なかった。
触らぬ神に祟りなし、とはよく言ったものだ。
葦津さんと由美さんの言い合いに中川さんのチャチャを入れる様子を見てたらちょっと面白くて、バレないように小さく笑った。もちろんこの場に馴染むことなんて出来てないけど、居心地の悪さはほんの少しだけ薄れていた。
熱々のラーメンをすすってるうちに、そんなことも忘れてしまったのだった。(中川さんはああいうけど優しい味がして私は好きだ)
『…チッ、またしつけぇヤローが…』
幾分か経っただろうか。
葦津さんは私の後方、道の先を一瞥した途端、眉間に皺を寄せてあからさまに難色を示した。
何故か由美さんは嬉しそうにそちらに向かって手を振ってる。か、可愛い!なんか可愛さ倍増してるぞ!
葦津さんの様子に中川さんがチラッと彼の顔を見やり、後ろを振り返るのと。
「どもっス!!」
ほぼ同時に、真後ろで聞き慣れない威勢の良い声がした。し、心臓に悪い…!
『こんばんは、鉄生くん!』
どこか特別視してる感じはするけど、この明るい声を聞いてると由美さんって接客業向いてるよなぁ…なんて全く関係ないことを思う。
というかこの後ろの方、すみませんけどあの…
「おお由美さん!どもっス!」
同じように明るく返すのは大変結構ですが。真後ろに立ってらっしゃって恐らく、というか何故か、何故か!私の存在に気付いてないらしい。
体がぶつかってますよお兄さん
今、由美さんに向かって挨拶した時に挙げたんでしょう手が頭に当たるわ、たぶん膝が私の座ってる椅子に引っかかってガタガタするわで。
…いや、悪気は無いだろうし構わないんだけど。
そ、そんなに存在感無いかな…いと悲し。
『今日はもう終いだ、悪いが帰ってくれ』
『ちょっと葦津さん!鉄生くんだって常連さんなのよ?あと一杯くらい作ってあげればいいじゃない』
「ああいいっスよ由美さん!たまたま近く通りかかったから寄らせてもらっただけなんで」
『…とりあえずお前そこどけ。困ってんだろ』
「へ?……っ?!わっ、す、すんません!気づかなかった!」
葦津さん…気付いてくれてたんだ。
うわぁ、怖い人だと思ってたから何か、何だろう…!ぶっきら棒だけどやっぱり大人の人だなぁ。ちょっとじんわりくるものがある。
背中にあった気配が消えて、慌てて離れたらしい後ろの人には一応軽く会釈をしておいた。
「ハッハッハ、いつもの小僧かい」
『…中川さんよ、そこのお嬢さん守らなきゃならねぇのはアンタだろ。コイツだったから良かったもののみすみす笑ってられねぇぜ』
「そんなモン分かっとるわい。わしも伊達に生きてねぇ、近寄ってきたら匂いで分かるようになっとるんだわ」
『…鼻が効くうちは良いがな』
「…ハハッ、これだからアンタんとこに熱心に来ちまうんだわなぁ。のう?葦津」
『…食ったならさっさと帰んな』
「へぇへぇ。言われなくともそうする言うたやろが、せからしい奴じゃのう」
そう言ってゆっくりと席を立つ中川さん。私が食べ終わってるのも目で確認してたらしく、こちらを見て笑った。それに頷き返して私も同じように立ち上がる。
「あ、ちょ、すんません!」
「…は、はい?」
声がした方を見れば、いつの間にか私と一つ間隔を空けた席にさっきの男の人が居て、慌てて立ち上がったところだった。膝に手をついて中腰でこちらを見てる。
「…さっきはすんませんでした。よくよく考えたら俺、肘打ちとかしてたっぽいし…何か失礼なことしたっスよね」
『何か、じゃねぇだろうが』
「め、面目ないっス…」
「いっいえ!全然!謝ってもらう程のことじゃないですし…き、気にしないでください…」
わぁ、なんて低姿勢なんだ。こっちが申し訳なくなってくる。こういうの苦手なのに…!
後ろで中川さんは何が面白いのか笑ってるし。さっきから葦津さんの言葉の端々に感じる、私に気を遣ってくれてるような優しさはちょっぴり嬉しいけど…
というかよく見ればこの男の人、若いっぽいけどあれだ。なんつーコワモテさん…その顔の十字の傷跡は何なんですか…
今の環境のせいもあって、この街に来てから怖い人しか見てないような気がするけどここら辺一帯はどーなってるんでしょう???
ああ、そんなことより今はとにかく。
「なっ、中川さん!行きましょう!長居してしまってすみません!ご、ご馳走さまでしたっ」
中川さんに向かってきっと失礼であろう態度をとりながら、謝る気持ちで何度も頭を下げて彼のがっしりした腕を外にグイグイと押す。そして葦津さんにも同じように頭を下げて、由美さんと、そこで中腰で立ってらっしゃる方と、もう訳が分からない勢いで頭を下げまくる!
元よりお暇するつもりだった中川さんは私の思い通りに暖簾の外へと出てくれた。
よしっ帰ろうっっ
「どうもな!また来るわ」
『……まいど』
『あ、ありがとうございました!』
「……………」
うん。どうもどうも。とっとと帰ろう。
苦手なのよ!謙られるのとか、そーいうの!
…あっそうだ!
「あ、ああ、葦津さん!ラーメン美味しかったです!また…食べに、来ても…」
私が再びひょこっと顔を出してボソボソ言うと、一瞬目を見開いてすぐにまた無愛想な表情に戻る。チラッとこちらを見てから目を逸らされてしまったけど。
呟くように言ったその言葉は。
『…アンタはただの客だろ、好きな時に来りゃいい』
やっぱりちゃんと言って良かった、と思わせてくれるのに充分なものだった。
優しい味が、何となく私を元気づけてくれた気がしたから。それはどうしても言いたかったんだ。
「わしもそんくらいお手柔らかにお願いしたいモンやのう」
『…とっとと帰んな』
小さく会釈をして、暖簾の外で相変わらず楽しそうに笑いをこぼす中川さんの後を追った。
…ん??
あっ!そういえば私は外にお付きの方を待たせてたんでした…そこに居た大島さんって方は私に気付くとすぐに頭を下げてくださいまして。屋台にいる間、ずっと立ったまま待たせてたんだよね…うぅ、こんなの慣れるわけがない!
背を向けたまま片手をヒラヒラと振る中川さんに一言お礼を言って、私も踵を返すことにした。
「………………」
砂羽たちが後にした屋台ラーメン屋。
ひとまず椅子に座り直した鉄生は、彼女が去って行った方向をぼんやりと見ていた。
中川との組み合わせ、葦津に対する態度。あの挙動不審な動きは単に怯えていただけだとは思うが…何を不思議に思うかって、その原因は彼女自身にある。
彼女は″普通″なのだ。
言葉は悪いが一見して何ら特徴の無い外見。特別幼いわけでも大人びてるわけでもない。年齢こそ知らないが、きっと想像と大差ないだろう。
だからこそ妙な違和感を感じたのだ。
ここに居たこと自体に。
『鉄生くん、せっかくだから食べて行ってよね!』
「えっ?けど…」
『大丈夫、何だかんだ文句言いながら意外と優しいんだから!ねぇ?葦津さん』
『…ちょうどあと一杯分スープが余ってただけだ。由美、うるせぇから先に帰れ』
『いーえっ!ちゃんと自分の仕事終わらせてから帰りますぅ』
「い、一杯分って…そんなに客来たんスか!今日!」
『………………』
『…それでこの店で見習いやらせてくれって言うんだもんねぇ…鉄生くんってホント面白いよね〜』
「へっ?な、何がスか?」
『…ほら、3秒で食って帰れよ』
「むっ無茶言わないでくださいよ!」
無造作に出されたラーメンを食べ始める。
鉄生もここの味が好きなのだ。パンチはないが、どこか癖になる飽きのこない昔ながらの醤油味。
元々ラーメン屋でバイトをしている鉄生は、偶然この店に出会って感銘を受け、見習いで働かせてくれと申し出て以来熱心に通いつめている。葦津はその度に断っているが、諦めの悪さは中川に引けを取らないらしい。
『そういえばさっきの子…砂羽ちゃんだっけ。鉄生くんと同い年くらいなんだってね!』
「えっ、あーそうなんスか。確かにちょい下くらいに見えたけど…ってそうそう何なんスかあの子!葦津さんに惚れてんスか?」
二人と話しているうちに彼女のことは忘れていたが、由美が話題に出したことによって再び思い出す。ふと、葦津本人に尋ねてみようと思った鉄生は何の悪気もなくそう口にした。
『アハハッ!さすがにそれは無いでしょ!だって葦津さんもういい年だしねぇ』
『由美は黙れ。でもってお前は無駄口叩いてねぇでとっとと食って帰れ』
『まぁ葦津さん独身だし案外いいかも!あんな若い子ゲットなんて、またと無いチャンスじゃない?』
冗談半分ながらノリノリで話を進める由美。
葦津が否定するのは目に見えていたが、彼が厳しい表情すら見せたのは鉄生からすると意外だった。というより、″この人冗談通じなさそうだもんなぁ″と内心呆れていたのだ。
『…そもそもお前、話聞いてたんじゃねぇのか。あのお嬢さんがどんな立場か考えたらな、冗談でもそんなふざけたこと言うモンじゃねぇよ』
『え?ちゃんと聞いてたよ?藤木さんってことはアレでしょ、辰野』『由美っ!!』
由美が何かまずいことを言いかけたのか、葦津は普段なかなか見せない剣幕でその場の空気を制した。一瞬、重苦しい沈黙が流れる。鉄生も押し黙るに他なかった。
葦津が元々何者なのかは、以前由美にこっそり教えてもらっていた。
いくら街で名を馳せている鉄生とは言え、己の実力と器量で飯を食う世界に生きる、そして生きた男の気迫には身震いすら覚えるものだ。
それが本物だと思う相手だと、尚更だった。
「………………」
その時点で、先ほどの彼女に対する疑問は吹き飛んでしまっていた。今はとにかくこの場の空気をどうにか変える策を考えなければ、と。
『わ、分かってるってば…そんな大きな声出すことないでしょ』
『二度と余計なこと言うな』
『…う、うん』
「…あ、あー…そうだ!この機会だから聞くんスけど、さっきの、いつも居るオッサン…は…」
場の雰囲気を和まそうと話題を変えてみた鉄生だったが、更に火に油を注ぐようなミスチョイスだったのか。″その話はもっとダメ!″と言わんばかりに、無言で勢いよく首を横に振る由美を見てフリーズした。
こ、この空気どうしてくれよう…!?
どう足掻いても、絶対零度。
(お前みてぇなアホでもよ、お天道さんの下ァ胸張って歩けんだ。女も幸せにできんだ。今ある全てに感謝するんだな)
(あ、葦津さん?!どうしちまったんスか!)
(この人が良いこと言うと…それはそれで空気凍りつくなぁ)
prev next
top