お父さんが交通事故でこの世を去った。
それは突然の出来事だった。
あの時、卒業間近で残り少ない授業を受けてる最中だった私が、学年主任の先生に呼び出されて職員室で保留音を小さく鳴らす電話を取ったあの時。頭に一つ殴られたような強い衝撃が走ったものの、それを理解するにはあまりにも唐突で、あまりにも人の死とは呆気ないものだと他人事のように思ってー…
きっと一般的に見てごく普通に生活してきた私。強いて言えば、という言葉で片付けることでもないけど、多少複雑な…いや、パズルのピースが一欠片二欠片くらい足りないような穴の空いた寂しさはあった。
それでも、お父さんは明るく気丈に振る舞い、私はその温かさに支えられて悲しみに打ちひしがられることを忘れたかのように、そう。要するに平穏だったのだ。
欠けていても尚保ってきたそれは、いとも簡単に崩された。バラバラと音を立てるかのように。誰かの手で削ぎ落とされるかのように。
その中で、バラバラに壊れてしまった中で、唯一残った私はー…
お父さんの死を実感する暇もなく、こうならなければ知ることのなかった驚愕の事実を目の当たりにした。
悲しいことに…未成年であり経済力も生活していく術もアテもない私には、嘆く隙も与えられず、周りの大人に突き動かされるがまま流れに身を任せるしかなかった。…なかったのだが。
転機、という言葉では生温いと思う。
全く以って危機感なんて持ってなかった、そんな無防備な気持ちのままで対峙するにはあまりにも酷だ。あんまりだ。ひどい仕打ちだ、だって。
今の私に似合う言葉はまさに。
絶 望
「おお!お嬢、元気でやっとりますか?」
私の生活に大きすぎる変化が訪れて一週間。
すべては春休み直前に起きたこと、故に今はそのまま休みに入り学校へ行く必要がない。
それ以前に私は三年間お世話になった学び舎を早々に去らなければならない事態となった。それは何となく予想してたけど、卒業式にはちゃんと出るつもりだったというのに。その変化を知らされて私は大パニックを起こして…そのせいか高熱を出して寝込むハメになった。卒業証書は事前に貰ってたから無事門出を迎えることはできたわけなんだ、が。
私の混乱など露知らず、事は流れるようにトントン拍子で進んでしまって…ま、所詮子どもの私は意見する立場にない。もはや決定事項だったのだ。
いや、だけどさ。
「…あ、な、中川さん…こんばんはっ」
「あーそんなかしこまらんでええですって。足崩しておくんなされや」
畳の香りがするだだっ広い和室。荷物こそほとんどないその場所で、壁中央の窓に向かって正座をしてた私。空は藍色に染められて夜の訪れを表してる。音一つない静かな空間。
これだけ見れば与えられたものは充分すぎる。
ーでも。
当たり前だけど、慣れない。慣れるわけがない。自分の部屋となったこの場所でも私の心は落ち着かなかった。
「お嬢、休暇中なんですけぇもっとくつろいでおくんなされやぁ」
ど こ ぞ の 姫 だ よ
いつから私は敬われるようになったんですか
「あ、あのっ…えと、その…その呼び方なんですけど…やっぱりちょっと慣れないというか…」
「んん?呼び方ですかい?」
私の決死の申し出に、中川さんは顔色一つ変えない。むしろちょっと面白そうにこちらを見てる。年の功なのか元々なのか…この人は何となく″喰えない人″だと思う。…子どもの私が言うことじゃないけどさ。
要するに分かってて面白がってる!
ああ心臓が痛い。ただでさえしょうもない事にしろ意見しちゃったっていうのに…!
「…お嬢」
やっぱ絶対ワザトだろこんちくしょおおぉお
「若が亡くなって身の周りのことがガラリと変わりましたな。弱音を吐く暇も無く、この状況に納得せざるを得ない。ご心中お察しします、なんちゅー言葉じゃ足りねぇくらい…お辛い思いしとると思いますわ」
一変してどこか憂いを含んだ優しげな表情で私を見下ろす彼。何だかんだここの方は気を遣ってくれてるんだなぁ…なんて思って少し胸が熱くなる。
しかしそもそも私が感謝すべきところ。
どんな状況下にしろ、お世話になってるんだもの。悲しかな生きてく術は一つ。
ここでガラスのハートを鍛えるしか私に選択肢はないのだ。ああまだ心臓痛い
「…ありがとう、ございます。あのっそ、そこで立ちっぱなしも疲れるでしょうし、も、もし良かったら中へ…どうぞ」
私が無駄に頭をぺこぺこしながら申し出ると、彼は一瞬目を丸くしてまたヘラッと笑った。
うん、そりゃあ現実を受け入れてみれば悲しくないと言ったら嘘になる。お父さんの葬儀が終わったあと数日間はこれでもかってくらい泣いた。泣きながら、めまぐるしく激動する環境についていかなきゃと自分なりに必死だった。まだまだ…いや、この先慣れる時が来るとは思えない。
ーだけど。
辛気臭いのは苦手だ。私のために誰かが心労するのはもっと苦手。恐れ多くて耐えられない。
「そのお心遣い痛み入ります」
「い、いえ…あ、でも忙しいですよねっ出過ぎたこと言ってすみません!」
「とんでもない。ああそうだお嬢、飯は済んどりますか?」
「え?…ま、まだですけど…」
襖の先に立ったまま笑顔でそう尋ねてくる中川さん。
ここに来た当初から何かと気に掛けてくれる彼は、お父さんよりもひと回りくらい年上で、目元の皺や少しくたびれたカーキ色のコートの下の質の良さそうな背広は、この環境に身を置いてるからこそ私が想像できない様な場数を踏んできたのであろう貫禄を纏ってて…
「ならちょうど良いですわ。ラーメン食い行きましょ、ラーメン!」
「ええっ?!」
話を聞けば、お父さんは仕事の関係でここの方々と日頃から関わりがあったらしい。そしてただそれだけの繋がりではないことも知った。その事実によって今、私はここに居る。
お父さんの死を悲しむのは私だけじゃない。
中川さんも、ここの方々もきっと胸を痛めたはず。詳しいことは私には分からないけど、きっと誰よりも辛い思いをしたであろう人も知ってる。
「別段美味くはないんですがねぇ、ここに来た時は大概寄る店なんですわ!気晴らしにどうでっか?」
「で、でも…」
「安心しておくんなはれ!元々お声掛けさせてもらうつもりでしたんでな、当番の人間には言ってありますさかいの」
「はぁ…」
「ん、もしかしてラーメン嫌いですかの?」
「い、いえ!ラーメンは…えと、はい。好きです」
その言葉待ってました、と言わんばかりに満足気にニッと笑って″そうと決まったら早速行きましょ!″と声高らかに。既にそこに姿は無くドタドタと聞こえる足音が遠くなってく。
中川さんとのやり取りは最初からこんな感じだ。
ペースに巻き込まれて困りつつも、話してると自然と笑うことができて、心細さや不安を少し溶かしてくれる。
一見、元気なオジサンって雰囲気なんだけど…(あっあれ?これって失礼!?)
「…慣れるわけがないよね、やっぱり…」
この家には常識的に考えたら異常な数の人がいる。それによって守られてる。例えるなら鉄壁みたいなもの、だろうか。…あはは。
平 穏 っ て ど こ に い っ た の
開いたままになった襖の方をぼんやり見てると、奥から野太い声がいくつも聞こえてくる。ここの方々の常識。短い挨拶。それに応じた中川さんの明るい声も耳に届く。
この大所帯にて、ある一人を除いて彼の顔を見れば全ての人が頭を下げる。ここに来て数日だけどその程度の常識は何となく理解した。組織の中はもっと複雑なんだろうけど。
ついてけないけど、ついてくしかない現実。
「お嬢!手ぶらで結構ですさかい、 はよ行きまっせ!」
私はしがないガキんちょ。春から高校生。キャピキャピルンルンで別に難しいことなんて何も考えてないような頭の中お花畑状態なお年頃。巷で言われるJKですよJK
「すっすみません!今行きます…!!」
そんな私にも頭を垂れる、泣く子も黙るコワモテの方々の前を逃げるようにすり抜けて。
私はここの常識に対峙していかなければならないそんな現実ってやっぱり
………うん。
言 葉 に な ら な い
何か上手いこと言おうとしたけどキャパオーバーっす。神様お願い私を見て。
「腹減ったでしょう?まぁこっからすぐなんでね!ささ、出ましょ!」
難しいことはよく分からないけど、何をどうひっくり返してもこの人がここの、所謂大物であることに間違いない。
そんな人と私は今からラーメンを食べに行く。ちゃんちゃらおかしい!!!
『っス!行ってらっしゃいませ!』
『お嬢、大島つけとくんで帰りの案内はコイツにお任せ下さい』
「おお、頼むで!」
だからどこぞの悪党の姫だよ私は。
「あ…は、はい…よろしく、お願いします」
力なくそう言って頭を下げた私を見て、中川さんはまた満足気に笑う。その表情は優しくて、何だかお父さんに見守られてるような気持ちになって。
そんな風に笑うから、心の中で渦巻く不安が薄れるような気がするんだ。
…しかしこれからどーなるのよ私??
姫なんて似合いません!
(そういえば中川さんってご家族は?)
(実家の近くに住まわしとります、娘も一人)
(なるほど…やっぱりお父さんなんですね)
((…やっぱり?))
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