▼ /→徐庶と立ち話
「まだかなぁ〜」
食堂の扉の前にある窓から少し顔を出して、私は空を眺めていた。
張苞と関興が食糧調達をしてきてくれるというので、私は食堂の外で待っていた。
三人一緒に行っても、また揉めそうだし、さっき意志とは関係なく全速力で走らされたせいか…脚が面白いぐらいに躍っている。
四角い箱か何かに食材を詰めるのがお弁当って言うんだよ…とは説明したけれど、不安だ。
まぁ、でも二人とも揃ってるのだから大丈夫だろう。
何となく感じる不安を打ち消していると、後ろ背で遠慮がちに私を呼ぶ声がした。
振り向くと、少しはにかんだ様子の徐庶が書簡を持って立っていた。
「あ、徐庶じゃない。
こんにちは」
「あ…。
こんにちは」
彼が少し気まずそうに視線を外しながら挨拶をした後、暫し沈黙が流れる。
だけど、私と対面したまま動かない。それに、一向に去っていく様子もない。
どうしたんだろう。
行動が意味不明だ。
「徐庶は書簡を届けに行くの?」
「あ、法正殿に渡しに行く途中なんだけど…」
私の一言で再び視線が戻るけれど、また話しながら彼の視線は右往左往している。
「そうなんだ…」
「うん…」
また再び訪れる沈黙。
何だかな。
関興もあまり喋る方じゃないけれど、彼は割かし自分の意見はハッキリと伝えてくれるので、わかりやすい性格をしていると思うのだけど…徐庶は思っていることをはっきりと伝えてくれないから、彼の考えが少しわかりにくい。
だけど、何かを伝えようと努力をしてくれているのが見ていて理解出来るから、放っておけないというか…憎めない性格の人だ。
「私はね、これからピクニックに行こうと思って」
「ぴくにっく?」
「うん、ご飯とか持って行って、外で楽しむ事なんだ。
ほら。
私、車を運転出来るから」
「そうなんだ。
愉しそうだね」
私の言葉に徐庶はホッと安心したようにふわりと微笑んだ。
どうやら私から話題を振ったことが良かったらしい。
私と接することに少し慣れてくれたのかもしれない。
「うん、今は張苞と関興が食堂でご飯調達して来てくれるのを待ってるの」
「…二人と行くの?」
「うーん、他の人も誘おうと思ってるんだけど急に私が提案しちゃったから。
前に旅行した子達を誘おうかなって思ってる」
「ああ、そう言えば以前その乗り物で出掛けてたね」
「みんな楽しそうだったからね〜」
「…萌がいるからじゃないかな?」
「え?」
「みんなが楽しいのは萌がいるからじゃないかな。…俺はそう思うよ」
真っ直ぐに私を捉えて話す。
その真剣な瞳に思わずどきりとする。
「…そう、かな?」
「うん。
俺も君と話していたらとても温かい気持ちになるんだ。
だから、きっと皆もそうだと思うよ」
真剣な瞳が今度は優しく細められる。
彼の表情を見ていると不思議と私の心がぽかぽかと暖まっていく。
それに、私の事をそんな風に思っていてくれているなんて考えもしなかった。
話をしてくれないから、嫌われているのかもしれないと感じていたから。
だから、彼の想っている事が今日聴けて、余計に嬉しい。
「あ、俺、何言ってるんだろう…。
すまない」
自分で話した言葉に照れた様子の徐庶はポリポリと頭を掻きながら、ほんのりと顔を赤らめている。
きっと素直に出た言葉だったのだろう。
そんな様子が可愛らしい。
「ううん。
ありがとう、徐庶」
「いや、俺は、何も…」
「徐庶の言葉で私は元気が出たし…今、とても嬉しいから。
だから、ありがと」
萌、一言私の名を呟いた彼の長い指が伸びてきて、指先がそっと頬に触れた。
「…徐庶?」
突然のことに少し驚いて視線を挙げると、綺麗な瞳と交わる。
「俺は…俺は君が…」
少し触れている指が熱を持ち、そこから私の頬に伝わる。
胸の鼓動がとくとくと速くなる。
「べんとー完成したぞ!」
「…徐庶殿?」
彼の瞳から視線を反らせられずにいた私の耳に、突如大きな声が響いて、体がビクリと跳ねる。
声のした方に素早く視線を向けると、食堂から出てきた張苞と関興が不思議そうに私達を見ていた。
「あ…、それじゃ俺は急ぐから!
また…ね」
「う、うん」
徐庶は私の頬に伸ばしていた手を握り締めて、足早に去っていった。
触れられていた頬に手を伸ばすと、まだ仄かに熱を帯びている。
胸の鼓動も未だ、鳴り止まぬまま。
「なぁ、萌。
こんな感じでいいのか?」
「え?
ああ、うん。
それで大丈夫!」
張苞は四角い箱に綺麗に詰められた食材を私に見せながら確認をとってきたけれど、さっきの余韻がまだ心に残っていて、頭が弁当の方に回らない。
『うーん、良いんじゃない』何て、動揺を隠すかのごとく、少し適当な対応になってしまいそうになるのを誤魔化しながら返事をする。
「じゃあ、行こうぜ」
「あ、張苞!
またこの前の皆を誘ってきてくれない?」
「また、誘うのか?」
「うん。
こうなったら人数が多い方が楽しいじゃない?」
「まぁ、そうだけど…」
「ね?
お願いっ!」
パンっと手を合わせる私に、少し呆れた表情をした彼だったが、またふっと端正な顔が緩んだ。
「わかったよ。
行ってくる!
関興、荷物持ってやれよ?」
「言われなくても…わかってる」
関興にお兄ちゃん風を吹かせた張苞は元気に走っていく。
張苞の後ろ背を見送った後、関興を振り向くと、彼はじっと私を見つめていた。
「どうしたの?」
「何を…」
「え?」
「…何を話していたんだ?
徐庶殿と…」
「何をって…べ、別に何も…」
「さっきから、萌の様子がおかしい。
…何かされた?」
私の表情を探るような彼の碧の瞳が突き刺さる。
真っ直ぐすぎるぐらいの純粋な視線に胸がざわざわと音をたてる。
先程の出来事が一瞬蘇り、また鼓動が打ち出す私の心臓だが、私でさえ理解できていない状況を彼に説明出来る筈もないし、説明するのも何か…恥ずかしい。
「な、何もされてないよっ!何言ってるの?
ほら、行こう!」
とりあえず誤魔化しておこうと、彼の真っ直ぐな瞳から視線を離し、それ以上追求されたくなかった私が荷物を握りしめる手から、そっと取手を奪われる。
「…荷物は私が持つから」
「う、うん。
ありがとう」
私の気持ちを察してくれたのか、それ以上踏み込んで聞いて来なくなった関興は私の一歩前をゆっくりと歩き出す。
自分でも思い出すと戸惑ってしまう。
あの時…徐庶は、何を言いかけていたんだろう…。
何故かはわからないけれど、また彼とゆっくり話をしてみたい…そう思った。
法正殿に書簡を届ける最中、食堂の前で彼女を見かけた。
窓から空を眺めているその横顔に早鐘が打つ。
彼女は異世界の人間らしい。
いつも会うと、屈託のない無邪気な笑顔を向けてくれる。
明るい太陽の陽射しのような温かい笑顔。
俺にはないもの。
だからかな。
その笑顔に俺はいつしか心を奪われていた。
だけど、俺には彼女が眩しすぎて…笑顔を向けられる度にいつも戸惑ってしまう。
『ありがとう』と俺の大好きな笑顔で微笑む彼女。
その笑顔に触れたい。
気がついたら、指が伸びていた。
驚く彼女の瞳に俺が見えた。
今、彼女の目には俺しか見えていない。
その事実に胸に淡く喜びが通う。
法正殿の部屋へ足早に向かう間、気が浮き立ち頬が緩む。
また彼女と話をしたい。
今度は二人で、ゆっくり。
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