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「秀吉様の命令だ。
俺とお前は、これから小早川隆景の元へ向かう」
吉継は、全てを解っているかのようにこくりと頷いた。
察しの良い男だ。
いちいち説明する面倒もなく、事細かく尋ねてくることも無い。
気が付くと、何故か傍に控えているが、迷惑だと感じたことはない。
寧ろ、少ない口数の言葉に、時々深く考えさせられる事があるくらいだ。
「……清正は、問題なかったか?」
「何を言っている?」
「心配して様子を見てきたのだろう?」
「……!
心配など……していない……。
ただ、のろのろと戻るのが遅かったため、見に行ったまでだ!」
「確かに、最近清正の様子がおかしい。
お前が気を揉むのも無理はない」
「だから、俺は心配などしておらぬ!」
吉継は、特に反論するわけでもなく、ふっと目元を細めた。
何でもお見通しと言うわけか。
面倒な。
この察しの良さが裏目に出ることもある。
そして、こいつは涼やかで冷静な見かけによらず、妙にお節介な性分をしている。
俺と清正と正則で方々に別れ、敵方の偵察をしていた。
時が来たら、集まる手筈になっていたにもかかわらず、清正が現れなかった。
煩く喚く正則を宥め、手分けして清正を探していた。
やらなければならない事が山積みになっていると言うのに迷惑な……そう思いながら探していた時のこと、倒れている清正を見付けた。
手傷でも負ったのかと思い、急いで近寄ると、苦しそうに息をしている。
生きている。
見たところ手傷も負っていなさそうだった。
その事実に安堵し、声をかけようと肩に伸ばそうとしていた手を唐突に捕まれた。
突然の事に驚いて、暫く静止していると、清正は名を呼んだ。
誰かは知らない。
同じ名だ。
何度も何度も呼んだ。
まるで、その名に縋り付くように。
求めるように。
何度も何度も。
萌。
そう呼んでいた。
「三成」
「……何だ」
「お前は素直ではないが……優しいな」
「…!
フン、くだらぬことを……」
頭巾から垣間見える青い瞳は、相変わらず細められている。
誰かをあのように求めた事など、俺にはない。
切に誰かを想ったことも。
下らぬ。
この戦乱の時代。
多くの人間が命を落とす時代。
今日生きていた人間が明日いなくなるような時代。
その様な想いなど無駄だ。
馬に乗ると、目の前に広がる漆黒の闇。
小早川隆景は、智将と言われ、賢人の誉れ高いと噂されている男だと聞く。
交渉は難しいものになるだろう。
馬に乗り、腹を締めると一声嘶いた。
「吉継。
行くぞ」
「ああ」
馬が駆ける。
風が頬を切るように吹き抜けて行く。
闇が後から後から追いかけてくる。
失敗すれば死。
成功すれば生。
二つに一つ。
このような難局を何度も乗り越えてきた。
そして、これからもきっと何度も乗り越えて行かねばならぬのだろう。
秀吉様の望む世、俺の望む世。
皆が笑って暮らせる世をつくる為に。
俺に出来ること。
俺がすべき事。
今はただそれをするだけだ。
***
アメシストは、愛の守護石。
大切な人との心の絆を深め、真実の愛を守り抜く力がある。
大切な人。
俺にとって大切な人。
秀吉様、お寧々様、三成、正則……、俺の家。
今でも大切に思っている。
けれど、いつも真っ先に浮かんでくるのは。
真っ先に浮かんでくるのは……。
彼女、だ。
「清正ー!
お、き、ろ!」
「……!
正、則……?」
目を開けると、正則が覗き込んでいた。
「いつまで寝てるんだよ!
もう、出発するぞ!」
「あ、あぁ……。
解った」
周りを見渡すと、一時の休憩を終えた兵達が出発しようとしている。
夢を見ていたようだ。
彼女の夢。
まるで、俺がその場にいるかのようにはっきりとした夢だった。
夢……なのか?
現実なのか?
あの男と会話をしていた。
『うん。好き。
大好き』
迷いもなく俺への想いを打ち明ける彼女。
俺がいなくなっても尚、俺を思ってくれている。
その事実は、彼女にとって良いことではないことは解っている。
俺のことなど忘れて、彼女の人生を歩むことこそ、彼女の幸せに繋がる。
それなのにこんなに。
こんなに心が満たされ、嬉しいのは、俺がまだ彼女を想っているのと同じように、彼女も俺を想ってくれていることが嬉しいからなのか。
今にも泣きそうな顔で、無理して笑っていた。
本当に馬鹿だ。
俺もお前も。
もう、会うことなど出来ないのに。
解っているのに、会いたくて、触れたくて……。
どうにも出来ない。
どうしようもない。
何故俺が彼女の世界で生まれなかったのか、何故彼女が俺の世界で生まれなかったのか…。
何故。
そう、何度も考えた。
然し、そうだとしても今の彼女には巡り会えていなかったかのかもしれない。
巡り合わせとは不思議なものだ。
巡り会えたことも運命なら、離れることもまた運命だったのか……。
「清正!」
「……っ!」
正則が怪訝な表情を向けている。
「何かおかしいぞ?」
「……別に。
何もない」
「そ、そうかぁ?」
「ああ。
ほら、急げ。
行くぞ」
「あ、おい!
清正っ!」
明智光秀をうつ。
今、俺がすべき事はそれだけ。
秀吉様の世をつくるため。
俺達家族のため。
誰よりも何よりも先に本能寺へ。
暗がりの中走り出すと、彼女との時間が蘇る。
幸せに満たされた時間。
これから戦に向かう、生きるか死ぬかの状態であると言うのに。
自分の滑稽さに思わず笑いが漏れる。
けれど、脳裏から離れない。
彼女の顔も。
温もりも。
全てが。
不思議と、今でもずっと近くに感じる。
……萌。
萌。
走る先にお前がいるような気がする。
今でも繋がっているような気がする。
この暗闇の先に、お前が。
後ろ背で正則の声がする。
胸元のアメシストを握りしめ、俺は走り続けた。
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