小説 | ナノ

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【花は心にあらず】トリップ十日目



部屋中に広がる豊潤な香り。
香りに誘われるように目を覚ます。
体を起こし、暫くその幸せの余韻に浸る。
良い香り。
珈琲は、同じブレンドでも作る人によって香りも味も少し違う。
蒸らす時間とか、お湯の量とか、少しの配分で全く違うものになる。
大好きな人が入れる珈琲の香り。
もう覚えてしまった。



清正、今日はちゃんと起きれたんだ。
熱は下がったのかな。



この香りを感じて目が覚める朝を後何回迎えることが出来るのだろう。
後、何回……。



どこか心寂しい想いを抱きつつ、少し重い足取りでリビングへ向かう。
キッチンに立つ大きな逞しい背中。
その背中が愛しくて、思わず抱き付きたくなる衝動を堪える。
『おはよう』と声をかけると、振り返った彼は、くしゃりと微笑んだ。




「おはよう、萌」

「もう大丈夫なの?」

「ああ。
大丈夫だ」

「まだゆっくりしてたほうが……。
一応、体温測ろうか?」

「先刻、測った。
そこに書き映しておいた」




机の上に置いてある紙に視線を送ると、36.4と書かれてあった。




「あ、本当だ。
熱、下がってる。
良かった」




ほっと胸を撫で下ろしていると、不意にふっと短い笑い声が頭上から聞こえた。
声のする方を見上げると、清正がクスクスと笑っている。




「何?」

「……いや。
髪が跳ねてるぞ」




『ええっ!』と慌てて頭に手をやる私を見て、『お前らしいな』と微笑んだままの清正は、徐に大きな温かい掌でゆっくりと私の頭を撫でた。



髪の上を滑る優しい手。
柔らかな感情が心を満たしていく。
この手に恋をしてしまうのは当たり前だと思う。
無意識にこういうことをしてしまう彼が少し憎らしくもある。





「心配をかけたな」

「……ううん。
元気になって良かった」




私が笑うと、徐にクイ、と引き寄せられる後頭部。
コツンとおでこが当たった先は彼の胸。
じわり、と額に感じる温もりに、ドクドクと響きだす私の心臓。




「……ありがとう」




そう、頭の上で息を吐くように穏やかで柔らかな声が聴こえた。
何だか照れ臭くて。
恥ずかしくて。
清正の顔が見れない私は、『うん』とだけ呟いた。




「珈琲飲むか?」

「……もちろん!」




彼に抱き締められたまま、顔を見上げ笑う私に、揺れるような微笑みで返してくれる。



あぁ、好きだな。
こう言う瞬間。



ふとした触れあいに、私の胸はときめくのだ。



このまま、ずっとこんな朝を迎えれたら良いのに。
ずっと。
このまま。



清正がカップに珈琲を注いでくれているのを見つめながら私は、そう思っていた。





***




「萌、花が枯れているが……」




朝食後、二人で部屋の掃除をしている最中に投げ掛けられた言葉。
清正が見ている花瓶には、ほとんど枯れかかっているカーネーション。




「あ、本当だね。
また買いに行かなきゃ」

「花が好きなのか?」

「うん。
お花があると、何だかパッと部屋が明るくなるでしょ?
だから、好きなの。
清正の世界にも生け花とかなかった?」

「そうだな。
確かに華やかになるな」

「でしょ?
今日夜ご飯の買い物ついでに行こうかな。
いつも行ってる花屋があるの」




季節の花を部屋に飾ることは私の趣味でもある。
仕事から疲れて帰ってきても部屋の花を見るだけで、心が落ち着くような気がした。
朝、目覚めるのが面倒くさい日でも花を眺めると目が覚める気がした。
花を飾ることは、独り暮らしの女のささやかな癒しになっていた。
だけど、どんなに仕事が忙しくても、花が枯れてしまうことに気づいていたのに。
加藤清正が現れたという不足の事態があったのだから、今の今まで、気づかなかった事は、ある意味しょうがないことのように思える。



花瓶の中のカーネーションをそっととろうとしていると、何やら物思いに耽っている清正の表情が視界に入る。



もしかして、花に興味があるのかな?




「……清正も一緒にいく?」

「いいのか?」

「うん、勿論良いよ」




私がそう言うと、清正は、パッと分かりやすく顔を明るくした。





***




「これは、部屋に飾っていた……」

「うん。
カーネーションだね」




『沢山の色合いがあるんだな』、清正はそう言って、まじまじと花を眺めながら、口元に笑みを浮かべている。



掃除を終えた私達は、昼食を終え、家の近くの花屋へ歩いて向かった。
小さな花屋だが、世話が行き届いているせいか、どの花も生き生きと輝いてみえる。


男の人が花に興味があることに対して、偏見はないけれど、あの無双の加藤清正が花に興味があったなんて、かなりレアな情報かもしれない。
だけど、同じ感性を持っているような気がして……何となく、嬉しい。




「お前は、この花が好きなのか?」




花を見つめる彼の横に寄り添うと、カーネーションを指差して、清正が話した。




「そうだね。
可愛らしくて、好きだけど。
私は、やっぱり薔薇が好きかな」

「ばら?」

「これだよ」




カーネーションの横に並べてある薔薇を指差すと、興味をそそられたのか薔薇に顔を近付けた。




「何か、薔薇って心惹かれるんだよね。
ほら、こうして近づくと良い香がするでしょ?」

「本当だ。
とても良い香りがするな」




私も薔薇の花に顔を寄せ、息を吸い込む。
甘くて、どこかフルーティーな香り。
ずっと傍においておきたくなるような。


薔薇の匂い成分には、女性の美容効果を高める作用があると聞いたことがある。
古くから女性が薔薇の花に魅了されているのはそのせいもあるのかもしれない。


そんなことを考えながら、『ん〜、良い香り』と独り言を呟いていると、至近距離で視線を感じた。
顔を挙げると、薔薇を挟んで、香りを楽しんでいた清正が何故か微笑みながら、私をじっと凝視していた。




「何?」

「……いや。
とても幸せそうな表情をしているから……つい、な。
すまない」

「そう見えた?」




『ああ』と言葉を紡いだ清正は、いっそう笑顔を深くして私を見つめた。



その笑顔はまるで恋人に向けられているみたいに優しみが滲んでいて、とても魅力的に映る。
胸が轟くように躍りだし、高鳴る自分の心臓の音がはっきりと聞き取れる。



な、何だろう……。
こんなに見つめられると、ドキドキしてくるんですけど。



どんどん顔が紅潮してくることにいたたまれなくなった私は、近くにあったガーベラをひとふさ手でつかみ、清正からフッと目をそらす。




「あ、あー……えっと。
今日はガーベラにしようかな!
この花も可愛いんだよね。
ちょっと買ってくる!」

「……」




逃げるようにレジに向かった私は、流行る胸を抑えながら、呼吸を整えていた。



店主のお姉さんにガーベラを包んでもらっている間に、清正の方をちらりと振り返ると、また興味深そうに他の花を眺めていた。



はぁ。
好きな人に翻弄されるってこんな感じなのかな。
清正の場合、無意識的に行っているから、たちが悪い。
まだ鼓動は、鳴り止む気配がない。




「いつもありがとうね」




溜め息をひとつ吐いた私に、花を渡し、店主のお姉さんは綺麗な笑顔を向けてくれた。
この店主の方は、花の知識も豊富で、アレンジも出来て、それにとても綺麗な人。
屈託なく話しかけてくれるので、私もいつの間にかこのお店の常連になってしまった。




「ところで、あの人は誰?
彼氏?」



か、彼氏!?




「違います!」




全力で否定してしまったので、お姉さんが驚いて目を丸くしている。



まずい。




「あ、いえ……えっと……従弟……なんです」

「まぁ、そうなの。
とても素敵な方ね〜!
私、驚いちゃった」




そう言って、盛り上がるお姉さんに愛想笑いで返す。
まぁ、確かに格好いいし、目立つので、目がいくのは仕方ないと思う。




「でも、良いわねぇ。
あんな素敵な従弟なら」

「えっ?」

「だから。
従弟同士なら、ほら、結婚出来るじゃない!」

「結婚……!?」

「実はさっき、ちらりと二人の様子を伺ってたんだけど、何だか良い雰囲気だったじゃない?」

「……そ、そうですかね?」

「応援してるから。
頑張ってね!」




お姉さんの笑顔に見送られ、無事に花を購入した私達は、並んで家へ帰る。




「感じの良い店主だな」

「うん。
すごく気さくに話してくれるし、お花のことも色々知ってて、すごく頼りにしてるのよ」




お姉さんの無邪気な笑顔が、ふと脳裏に浮かぶ。



結婚……か。

本当に従弟なら、私も人並みには恋することを頑張れたのかな。
確かに、頑張って何とかなることも世の中には沢山ある。
でも、同時に頑張ってもどうにもならないことだって、世の中にはあるのだ。


そう言えば、ガーベラの花言葉は、確か。




「希望……」




慌ててとった花だけど、今の私の心情にぴったり当てはまる。



少しでも希望が持てるとしたら。
私は、この恋を頑張れるのだろうか。




「希望?」




突然呟いた私の言葉を聞いて、清正は、きょとんとしていた。




「花には、花言葉って言うのがあって。
それぞれの花に意味を持たせてるの。
このガーベラの花は希望って意味。
色によって、また意味が変わったりはするんだけどね……」




『成る程』と、神妙な顔つきで呟く清正にクスリと笑いがもれる。



人間って本当に欲深い生き物なのかもしれない。
最初は、清正を見るだけで幸せだったのに。
今は、もっと先を求めてしまう。
もっと先の二人を。




「ちなみにカーネーションは無垢で深い愛だったかな?」

「ばらは?」

「え?」

「ばらにも花言葉があるんだろう?」

「う〜ん、勿論あるけど……」




暫く無言の時が過ぎる。
私の次の言葉を清正は、黙って待っている。




「忘れた!」

「は?」

「家に帰って、パソコンで調べたら出てくるんじゃない?
さっ、夜ご飯の材料買って帰ろう!」




笑える気分じゃなかったけど、何とはなしに張り付けた笑顔で、そう言って彼の一つ先を歩く。
清正は『何だ、それ』と、不満声を漏らしていたが、徐に私の手から、ガーベラをとり、そのまま空いた手を握った。



まるで恋人同士の様に、自然と繋いだ掌に、お互いの温かさが伝わる。



教えなかった理由は。
何となく、恥ずかしかったから。
薔薇の花言葉を紡ぐことが。



古くから想い人に気持ちを伝える花としてもちいられ、花言葉のほとんどが恋愛に関するもの。



朝の珈琲はいつもこの人と飲みたい。
見上げた視線の先に見えるのは、いつもこの人であってほしい。
手に感じる温かさはいつもこのぬくもりを感じていたい。



そう願ってしまうのは、ダメですか?



ダメなことですか?
清正。



見上げて暫く見つめていると、ほら。
また、こうして、視線が絡む。
私を包み込む優しい微笑みに、嬉しい心と切ない心がゆらゆらと揺れる。



口元に軽く笑みを浮かべ、私は、清正の手をしっかりと握った。

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