ニューお試し部屋 | ナノ






「父さん、これなに?」

たしかそれが始まり。父さんと雪男、それから修道院のみんなと別れてこんなところに閉じ込められてる原因。みんな今頃なにしてるんだろう。ご飯ちゃんと食べてるかな。雪男、泣いてないといいけど。
心配なことをあげるとキリがない。

「貴女はいつもそうだ。いい加減ご自分の心配をしたらどうです?」

目の前にある窓に胡散臭い男──メフィストが私に近付いてくる姿が映る。椅子から立ち上がり、メフィストの方へ向き直ると奴は手を差し出してきた。

「なに?」

キョトンとしているのであろう私の顔を見てメフィストは笑う。言葉上は丁寧な言動にそぐわないゲラゲラとした笑い声はいつだって私をイラつかせた。腹を抱え壁を叩き、ひとしきり笑った後ようやく奴は話せるくらいにまで落ち着いた。一度ツボに入ると長いのも厄介なところだとここ一週間で嫌という程わかった。

「あぁ、可笑しい。いや失礼、貴女が余りにも可笑しな顔をしていたものですから」
「変で悪かったな」
「いやいや、可愛らしいですよ。手元に置いて眺めておきたいくらいにはね」

寒気のする台詞を吐いたメフィストに引いたことがわかったのか、奴はオホン、と咳払いをして改めて手を差し出した。

「ディナーのお誘いですよ、レディ」

なんでこうこいつはいちいちこっぱずかしい物言いをするのだろうか。メフィストの手を無視して部屋から出る。後ろから「おやおや、つれないですねぇ」なんて声がするけど無視だ。相手にするだけ無駄だ。屋敷の中はほぼ把握したから迷子にはならない。どうせ先に出てもメフィストの奴の方が先に座っているんだから先に出たっていいでしょ。


「で? 何の用なんだ?」

食事もひと段落した頃に話を切り出す。メフィストは食後のデザートである和菓子に夢中で、私に目もくれない。

「貴女も食べますか? りんご飴というものは素晴らしい。まるで大粒のルビーのようだ」
「いらない」
「そうですか」

断られてもたいして気にした風もなく、メフィストは再びりんご飴を眺め始める。
そろそろイライラしてきた。私は短気だ。それをわかった上で奴はこういうことをする。本当に相性が悪い。

「おい!」
「短気は損気と日本の諺にもありますよ。……そうですねぇ、貴女、ここに連れてこられた日に私に聞きましたよね。なぜ自分はこんなところに連れてこられたのか、と」
「そうだよ」

突然、父さんが無理やり私をここに連れてきたのだ。私一人だけ。なぜなのか、雪男は一緒じゃないのか。色々なことを聞いたけれど、父さんは答えてくれなかった。
だから連れてこられた先の主人であるというこの男に聞いたのだ。目の前にいる、ピエロみたいな格好のとおり、飄々としていて捉えどころがない厄介な男に。

「貴女もここでの生活に慣れてきたことですし、その問いに答えて差し上げようかと思いましてね」
「本当か!」

期待していなかっただけに思わず顔がほころぶのが自分でもわかった。

「貴女は本当に素直ですね。少し心配です」
「ほっとけ! いいから早く教えろ」

やれやれ、と外国人のように肩をすくめるメフィスト。妙に似合っていてさらにむかつく。こいつといたらいつか髪がハゲるんじゃないかと思う。

「貴女と貴女の弟は悪魔と人の間に生まれた子供です。つまり、悪魔のハーフですね」
「…………は?」

さらりと、まるで何でもないことのように、メフィストは言った。それこそ、こんにちはと挨拶をするかの様に。

「……な、なに、言ってんの。私と雪男が、悪魔と人のハーフ?」
「こんなことで驚いていてはキリがないですよ? 何と言っても貴女方の父親は魔神サタン。虚無界ゲヘナの王ですから」

聞き覚えのない言葉の羅列は、私の耳を右から左へ流れていく。まるで漫画のような話に頭が真っ白になる。
メフィストは、そんな私に構うことなくつらつらと話し続けている。

「……で、ここからが肝心なところですが、女性の悪魔──まぁ、ハーフでもいいのですが──は悪魔にとって格別な存在なのです。存在自体がご馳走のようなもので、その香りは悪魔を惹きつけ、例えどんなに醜くとも悪魔を魅了してやまない。そんな力があるのです。しかも貴女はあのサタンの落胤。そんな貴女を喰らえばどれほどの力が手に入ることか……などと考える輩がいるのです。そんな不逞の輩から貴女を守るというのが、貴女がここに閉じ込められている理由です」
「ちょっと、待って……わけわかんない。悪魔? サタン? ゲヘナ? なにそれ……」

頭がクラクラする。嫌な汗が背中を流れた。
この話を聞いちゃダメだ、信じるな、という理性とメフィストが言っていることは本当のことなのだという本能とが頭の中でごちゃごちゃになる。気持ち悪い。

「おや? 貴女は悪魔を払う父親の姿を見たことがありませんか?」
「だってあれは……気休めだろ?」

こんなこと言いたくない。でも、そうでもしないと自分を保っていられる気がしなかった。

「もう分かっているくせにそんなことを言って逃げるのですか?」
「し、知らない」
「認めなさい、貴女は悪魔の子供。これは変わりようのない事実なんです」
「違う! 私の父さんは人間だ!」
「違いません。貴女の父親は魔神サタンだ」

ふっ、と視界が真っ白になった。父さんは人間だ。魔神なんて大層なものじゃない。グウタラな神父で、優しくて、温かくて、私の大好きな父さん。でも、こいつが言っていることは正しい。私の父親はサタン。悪魔。
じゃあ、それじゃあ……。

「とうさんは、私の本当の父さんじゃ、ない…………?」
「そういうことになりますね」

そこからの記憶はない。気がついたらいつものベッドで寝ていた。