リクエスト | ナノ




変わらない呼び名

 シリウスは家の中に入ってから、夕食を作るハリーをソファからぼーっと見る。可愛らしいエプロンをつけて一生懸命料理を作る姿はまるで新妻の様だ。

「リーマスがね……」

と、ハリーは今日リーマスと話したことをシリウスに伝えようとしたが、再びあの不快感が胸の内を覆い尽くしてきたシリウスがハリーを抱きしめたことにより、続きを話すことができなかった。

「ハリー」

 ハリーの肩がビクッと震える。
思いのほか不機嫌な声になってしまったが、シリウスはもともとあまり気が長い方ではないので、このままこの言いようのない感情に身を任せてみることにした。

「ハリー……」

「ひゃっ」

 もう一度呼んでみる。
今度はもっと強く抱きしめてハリーの耳元で言ったので、くすぐったかったようだ。耳まで赤くなっている。
その可愛らしい様子に少しの満足感をおぼえ、シリウスはハリーの肩に顔をうずめた。

「おじさん?」
「……」

「今日は遅くなったから早く夕食の準備をしないと……」

まただ。また私をおじさんと呼ぶ。
それではハリーを育てたあのマグルと同じではないか。
自惚れているわけではないが、シリウスはあのマグルの男よりもハリーに好かれていると自負している。
それなのにあんな奴と同じ呼び方だとは。プライドがもともと高いだけあって、もともとの不機嫌さにさらに拍車がかかって、シリウスはとにかくハリーを強く抱きしめた。

かれこれ数分が過ぎた頃。

「ハリー。リーマスのことは好きか?」

呻くような声でシリウスがハリーに質問すると、いきなりのことで驚いたようだったが、ハリーはすぐに答えた。

「うん。好きだよ」

(わかってはいたことだが、やはり不愉快だな)

「では私のことは嫌いか?」

心の内の不安が漏れ出るように、シリウスの声は不安気だった。

「そんなわけないよ! おじさんは私のたった一人の家族だもん」

「じゃあ、なぜ私のことは名前で呼んでくれないんだ?」

腕の中のハリーの体が固くなるのがわかった。ハリーはリリーに似て優しいからはっきり嫌いと言えないのかもしれない。
だが、そろそろ我慢の限界だったシリウスは、ハリーを自分の方へ向かせ、逃げ道を塞ぐように壁に手をついた。

「ハリー」

シリウスが、いやに甘い声で名前を呼ぶ。
しかしハリーいつもと違うシリウスに戸惑いつつも、なかなか口を割ろうとしなかった。

「ハリー。私はあまり気が長い方ではないんだよ」

シリウスが最後の一押しとばかりにそう言うと、ハリーは諦めたようだ。顔を赤くしてシリウスの方を見ずに理由を話した。

「…………だ、だって……名前で呼ぶの、恥ずかしい、から」

「…………」

聞いてみればなんとまあ可愛らしい理由だろうか。理由が判明したことで心に余裕ができたシリウスは、自分の名前をハリーになんとしてでも呼んでもらいたくなった。

「ハリー、私の名前を呼んでくれないか?」

「…………っ!?」

シリウスがハリーの耳元でそう囁くと、ハリーはさらに顔を赤くして首を横に振った。
なかなか強情だな。こんなところはジェームズに似てしまったのか。
どうしたものかとシリウスが考えている時、ふと思いついたことがあった。

(そういえばジェームズがリリーに名前を呼んでもらえるようになったときには確か……)

試してみるか。
シリウスは記憶を頼りに行動した。

「ハリー」

できる限り優しく。ハリーが断ることなんでできないように。

「名前を呼んでくれ」

ハリーはこれ以上ないくらいに顔を赤くしている。やがて、観念したのかシリウスの耳にかろうじて届く声で言った。

「…………シ、シリウス」

「もう少し大きな声で」

「………」

固まってしまったハリーを見て、少しいじめすぎたか? とシリウスが焦り出した頃。

「シリウス」

顔は赤く、声は震え、目に涙をためてシリウスの方を向くハリー。
名前を呼ばれた瞬間に、スーッと心が満たされていく心地がした。
ハリーが愛おしくてたまらない。
そんな想いが今まで以上に強くなり、シリウスはハリーを抱きしめた。

(これは危ないな)

今まで心に残っていた不満やイラつきが全て消え、まるであのフェリックス・フェリシスを飲んだかのような気持ちになる。

「やっぱり恥ずかしいよぅ」

そういってシリウスのシャツに顔をうずめるのがいじらしくて、愛しくて、幸せすぎてどうにかなりそうだった。

「ハリー、これからもおじさんと呼んでくれ。意地悪をしてすまなかった」

そう言ってシリウスが謝ると、ハリーはあからさまにホッとしたような顔をしたので、ちょっとからかってやった。

「ただし。たまには呼んでもらうからな。 覚悟しておくんだぞ?」

「えっ!」

驚いているハリーの頭を小突く。驚いていても嫌とは言わないハリーはやはり優しいなと、その優しさに甘えてみるのも悪くないと思ったシリウスだった。



(結局あの胸のイライラは何だったのだろうか)
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