07

 −−見つけた。

 誰をって、なまえをだ。トラに何か礼をしてやれと言われたあの日から、朝の時間ギリギリいっぱいまでコンビニの前で彼女のことを探していたが、時間が合わないのか会うことができなかった。
 今日は一週間まるまる詰め込まれたスケジュールがやっと終わって久しぶりのオフ。珍しく四人揃ってのオフ。「たまにはみんなでどっか遊びに行くか!?」と言ったが「なんで久しぶりの休みなのにオフの日まで顔合わせなきゃなんないの」「同感です」「同感だな」と誰の同意も得られず全員がフリーのオフの日となった今日。張り込みのように朝からコンビニの前でなまえのことを探していた。これって、ストーカーなんじゃねぇか?不審者に思われていたらどうしよう……。
 そんなことを考えながら数時間待ってなまえの姿を見つけた。時刻は10時30分。今日はコンビニに用はないのか、反対側の道路を大きな荷物を抱えながら歩いている。

「なまえ!」
「っ、え、あ……」
「やっと見つけた……」

 車二台がスレスレですれ違えるほどの道路を渡ってなまえを引き留める。近くで見て気付くが抱えているでかい手提げ袋から見える飛び出た角のある板はアレだ、キャンバスってやつだ。高校の頃の美術の授業で使ったことがあったし、当時授業で作った作品の展示会をやるからって、美術の先生に無理矢理運び出すのを手伝わされたアレだ。見るからに美大生だな。

「お久しぶりです」
「ああ、久しぶり。……重そうだな」
「あ、これは……あの、もう慣れてるので」
「持ってやろうか?」
「えっ」

 なまえは目を見開いて驚いたようにこちらを見上げている。「大丈夫です」と言われたが、ずれ落ちそうになった袋を慌てるように持ち直そうとしている姿を見てそれに手を伸ばした。想像通りやっぱり重かったけど、これはちょっと積極すぎただろうか。

「……結構重いな。これ、いつも運んでんのか?」
「たまに、なんですけれど……」
「へぇ。課題かなんか?」
「そうです。家で描いてて……」
「これから授業があんのか?」
「はい。11時過ぎに講評会があるので、それまでにフィキサチーフをかけないといけなくて」
「フィ、フィキ……? なんか、大変そうだな」
「でも、もう慣れました」

 聞いたことがない単語が飛び出してきたが、歩き出してしまったらその単語は秒で忘れてしまった。美大生の専門用語か?それに講評会ってなんだ。作品の発表会みたいなもんか?さっき言ってた単語は色を塗りなおす仕上げとは違うもんなんだろうか。やべえ、全然わかんねぇ。
 さりげなくこの後予定はあるかどうかを聞いたが、今日は授業があるらしい。この間のお礼をどのタイミングですべきか迷う。あと、トラから水族館のチケットを貰っちまったんだ、誘わねぇと……。

「……あの」
「ん?」
「どこまで持って行ってくれるんでしょう……私、あの、アトリエがもうちょっと先の方にあって」
「あ、ああ、そっか。こっからなら持って行ける……んだよな」

 先のことを考えすぎていたせいで会話という会話がなく、気付いたら大学の敷地に到着していた。本館の入口に辿り着いたところでなまえは申し訳なさそうに口を開く。アトリエ、はさすがに大学関係者以外は入れないだろう。

「トウマさん、わざわざこんなところまでありがとうございました」

 キャンバスの入った袋を受け取り、頭を下げられる。どうする俺。こりゃここまで送りながらお開きのパターンだ、それは早すぎる。俺が待っていた時間の割に合わないし、今日を逃させば今度はいつ会えるのかもわかんねぇ。かと言って、ここで連絡先を聞くのが妥当か?授業という名の講評会が始まり、それまでに何かやらないといけないらしい彼女をここで引き留めているわけにもいかない。

「あのさ」
「はい?」
「今日、授業が終わってから予定って空いてるか?」
「空いて、ますけど」
「……んならさ、飯食いに行かないか?」
「え……」

 これもまた積極すぎたか。だったらどこで連絡先を聞いたらいいんだ俺は。トラにもっと具体的な流れとか確認しておくべきだった、クソ。

「……いいんですか?」
「よくなかったら誘ってない。前も言っただろ」
「でも私、13時まで空いてないですよ」
「そのへんで時間潰しとく。ここって食堂とかなら関係者以外も入れるよな?」
「あ、はい、大丈夫です。えっと、終わったら……」

 ……ここだ!

「学食に行きますね!」
「あ、うん……」

 今、これ俺の連絡先だから終わったら連絡してくれって言えそうなタイミングだったよな。会話下手の彼女がそんなこと言い出してくるとは思わなくて、思わず気の抜けた返事をして頷いてしまった。
 「それではまた後で、よろしくお願いします」再び頭を下げられて、なまえは回れ右をして荷物を抱えたまま行ってしまった。学食に来るって行ってたし、大人しく学食で待ってるか。



「……あのぉ」
「……はい?」
「人違いだったらすみません、ŹOOĻの……」
「えっ」
「い、狗丸トウマさん……じゃ、ないですよね?」

 とくに何もすることもなく、人がほとんどいないがら空きの学食の席に着いて携帯を弄っていると、近くを通り過ぎた三人組の輪から外れた一人の女の子が声を掛けてきた。とても緊張したように、俺の顔をじっと見つめて、俺のことを聞いてきた。バレた。

「いえ、人違いです。そんなこと初めて言われました」
「そーですよね、すみません!」

 どきりと心臓が宙に浮いた感覚を覚えたが、平然を装って首を振った。彼女はですよねぇ、と申し訳なさそうに息を吐いて先ほどまで一緒に歩いていた友達の輪に戻って行く。「こんなところにいるわけないじゃん」「だよねぇ。でも格好良かったよーどこの学部の人だろう」……っていう声が聞こえてくる。やべ、心臓の音がうるさい。バレかけたけど、バレてはいない。バレるところだった……つか、なんでバレたくないんだ。
 そうだここは大学だし、なまえと約束して待っている身である。余計な騒ぎは起こしたくない。つーかあいつはまだ気付いてないんだよな?

 食堂にいるのはちょっと危険なような気がする。今みたいに他人の振りをすることを続けていたら難は逃れられそうだが、もしまた声を掛けられて嘘を吐いて、それをし続けるのもな。かといって、移動することもできない。どうする。

>今、大学の食堂にいんだけどさ。
>俺だってバレそうになったんだけど、どうしたらバレないでいられると思う?

>訊ねられても「別人です」と白を切っておけば問題ないだろ。

>トウマなんで大学の食堂になんていんの?


 ここで頼れるのはメンバーしかいない。ŹOOĻのグループチャットに二文の文字を送信すれば、すぐに二つの既読が付いてトラとハルが秒で返信してくる。こいつらは今なにやってんだ。暇なのか。どうやらミナは見ていないらしい。
 やはり、話しかけられても先ほどのように別人だと言っておくのが無難な方法なのかもしれない。

>だけど、嘘吐いてんのも気が引けるんだよ。

>じゃあ帰れよ。

>帰るしかないじゃん。
>なんで大学にいんの?


 ああ……これは俺が悪かった。そう送ってしまえば返ってくるのは帰れコールだ。それは無理なんだよ。二回送られてきたハルの内容には「まぁちょっといろいろな」くらいしか返信できなかった。察してほしい。と思ったが、ハルには言ってなかったんだった。今度会った時に話しておこう、話す気になれたら。

「−−−10分からの日本画の講評会行く?」
「コースだけのやつでしょ? 芸術学部のだったら行ってたけど、今日は行かないかなー。行くの?」
「最後の方だけ見ようと思ってて。みょうじさんの−−」

 ……ん? みょうじさん?
 メンバーとのラビチャと睨めっこをしていたら、不意に"みょうじ"という言葉が耳に入ってきた。どうやら背後のテーブルを挟んだ後ろの席で二人組の女子がこれから始まる日本画の講評会についての話をしている。でも、聞き間違いか人違いかと思ってしまった「みょうじさん」の話はその一言だけで終わってしまった。聞いときゃよかった。……いや、なんで。別に聞かなくてもいいことだろ。ていうか、他人の話題に挙げられるほどなまえって結構凄い奴だったりすんのかな。人違いかもしれないけど。



「トウマさん、お待たせしてすみません……!」

 約二時間後、13時まで空いていないと言っていたなまえは時間ぴったりに学食に現れた。昼時は学食は混み混みで肩身の狭い思いをしていたが、午後の授業はこれくらいの時間から始まるんだろう。彼女が来たときにはだいぶ人が掃けていた。

「いや。待つって言ったのは俺の方だったし。講評会、どうだった?」
「はい、無事に終わりました」
「そりゃよかった。飯食いに行くか」
「はい!」

 正面の席も片側の席も空いていたがなまえは座ることもなく、傍に突っ立っていた。朝に抱えていた大きなキャンバスは持っていなくて、いつも持ち歩いている鞄ひとつだけを肩に抱えている。だいぶ軽そうだ。

「なんか食いてぇもんはあるか?」
「いえ、特には……」
「定食屋とか、ファミレスとか、小洒落たカフェとか。希望は?」
「えっと……特には……」
「……じゃあ、ファミレスにすっか」

 誘ったのは俺の方なんだし、俺が決めなきゃいけないよな。そこは無難にファミレスを選択だ。ファミレスなら和食も洋食も揃ってるし、食べたいもんくらいあるだろ。



「−−おい。ちゃんと残さず卵を食え!」
「こういうのはちょっと……」
「ただの好き嫌いだろ」
「味ついてないですし……」
「ドレッシングかかってるだろ」
「口の中がパサパサしちゃうし……」
「水を飲め。なくなったら汲んできてやるから」

 窓際の壁際の席を陣取って、まず通された注文の品はなまえが注文していたセットのサラダだった。小皿の一人前のやつ。そこにはスライスされた半分のゆで卵が乗せられていたが、彼女は綺麗にそれだけを残してフォークを置いていた。卵を食え、勿体ないだろ。意地でも彼女はそれを口にしたくはないのか、小刻みに首を横に振り続けて頑なに卵を食べようとはしない。ここまでして拒む理由はなんだ、ただの好き嫌いでしかない。

「はぁ……。俺が食べる」
「あ……ありがとう、ございます」

 食べられないまま、残されたままっていうのはそれこそ勿体ない。彼女は既に食事を口に運んでいたが、俺はここまで腹を空かせているのに水しか飲んでいなかった。食べないならもらう。丁寧に斜めに揃えられたスライスされたゆで卵をフォークで刺すと、それは形が崩れることなくフォークに刺さった。それを口に入れるとわかりやすく食道を通る感覚が確かにあって、胃に落ちる。なまえは自分が食べられないものを難なく飲み込んだ俺を驚いたように見ていた。

「トウマさんって、優しい人ですね」
「腹が減ってたんだ。別に優しくはねぇよ」
「コンビニでも助けてくれましたし」
「そういう気分だっただけだ」
「突然約束したのに、来てくれて」
「大遅刻したけどな」
「それでも今日、トウマさんの方から声を掛けてくれて、嬉しかったです」
「そ、そうかよ」
「はい」

 あ、笑った。ちょっと照れ臭いな。改めてそんなことを言われるのは。

「この間、絵を貰っただろ。その礼をしたかったんだ」
「……え?」
「なんだその、世界に一つしかない……いやこれはちょっとクサイな……。まぁなんだ、手間暇かけて書いた絵をタダで貰っちまったし、悪ィと思って」
「あ、いえ。一時間くらいしか掛けていないので……」
「一時間も!?」
「え、え、は、はい。大したことは……ないので」
「あ、いや、そんなに時間掛けてるとは思わなかったからさ。驚いちまって!」

 絵を描かないから、そんなに時間を掛けて描いてるなんて全然考えていなかった。これ、さっきの反応、大丈夫か。一時間も掛けて描いてくれた絵を貰っちまったことに驚いただけなんだけど、変な意味で捉えられてないよな。ていうか一時間も掛けてんのか。マジか。トラの言っていたそれを描くために作った時間とか労力って意味が今更になってわかってしまった。

「あー、だから、その、さ」
「はい……?」
「よかったら今度、一緒に遊びに行かないか!? 水族館。ダチにチケット貰ったんだ!」
「え、あ……」

 さっきの衝撃で焦ってしまったけど言えた。水族館。友達なら気軽に誘えるけど、知り合ったばかりのましてや女の子。気紛らわしに軽いノリで伝えようとも考えたが思考と行動が一致せず、焦り口調になってしまったけど。

「……いいんですか」
「いいに決まってんだろ」
「い、行きます。ありがとうございます」
「なら次にいつ会うかの予定を決めようぜ」
「えっと、私はいつでも。週末とかでも、全然」
「……いや、違うだろ……」
「え」
「いや別に……そうだ。連絡先、交換しよう。その方が早いな。待ち合わせ場所とか時間とか、具体的な話はそっちで決めた方が早いだろ?」
「……そうなんでしょうか?」
「……そうだろ? ……あ。 や、教えたくないならいい」
「いえ、そんなことはないです!」

 強引すぎたし、無理があっただろうか。トラみたいにドストレートに連絡先を教えろと言った方がよかったか。Re:valeの百さんみたいに連絡してくれってメモに書いた紙を渡せばよかったのか?今更後悔したところでどうにもできないが、連絡先の交換にも行き着けた。これで一先ず安心だ。

 「わかりました」となまえは鞄を漁って携帯を取り出した。携帯電話。今まで携帯を弄っている姿は見たことなくて、今ここでだってそうだった。ガラケー。しかもめっちゃ古いやつ。俺が小学校の頃ダンス教室に通っていた時に親に持たされていた古い携帯。電話番号のメッセージ機能すら搭載されていないようなやつ。今どきの大学生のくせして、こんな古いもんを携帯してるのか……。


















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