01

「あ、あれっ……!?」

 彼女との出会いは突然だった。こちらに背を向けて目の前に立っている小柄な女の子は、肩にかけている鞄を漁りながら突然声を上げた。それは焦りそのものの声だ。あたふたと動いている背中や、耳に入ってくる焦った声を聞いてしまえば視線は自然と彼女の後ろ姿に向いてしまう。

「あ、あのー、どうかしました?」

 間もなく自分、というよりも彼女の番が回ってくる。コンビニのレジの話だ。ここまで説明すれば彼女が焦っている理由もわかるだろう。何かを買おうとしてレジに並んだけど、財布がない。だからこの子は焦っている。

「さ、財布を、忘れてきちゃったみたいで……」
「……」
「す、すみません、あ、私、ここ、あの、次、大丈夫なので!」

 ほらやっぱり。俺が思った通りだ。彼女にはとにかくあたふたという言葉が本当によく似合っていた。まぁそうなるわな。俺だって直前になって財布がないと気付けば慌ててしまうんだろうけど、いくら慌てている合間にも時間は待ってはくれないし探し物も出てくることもなく、ついにレジは彼女に回ってくる。途端、彼女はそう言ってさっと俺の目の前から避けてくれたが、ここで全く見知らぬ赤に他人に対する無難な行動と言えば、彼女が言うように順番を譲ってもらって会計をする……なのかもしれない。

「会計、一緒で」
「え!?」

 が、明らかに忘れてきたか無くしたという、一向に鞄の中に財布が入っていなさそうな気配を察してしまい、初対面であるというのに見捨てることなんてできなかった俺は、ついつい彼女を指差しながら店員に告げてしまった。彼女が何を買おうとしていたのかは知らないが、レジが空いた状態のまま一向に会計に来ない俺たちを怪訝そうに見ていた店員にそう一声掛け、カウンターの上に籠を置く。楽屋に向かうまでの、お遣いと言えば良いのかパシリと言えばいいのかわからないが、メンバーに頼まれた商品。ジュースとか、お菓子とか。楽屋には水やお茶の用意しかされないからジュースを頼まれるのはわかるが、差し入れでも貰えるはずのお菓子までを遣いにされるだなんて。甘い菓子と駄菓子が主だ。甘い菓子はまぁいいとして、駄菓子って。一つ一つの単価が低いから、予算に到達するまでに何十個も籠に入れなきゃいけない。良い歳した大人が、男が、駄菓子を大量に籠に入れてるって、なかなか恥ずかしい。全ては、今まで庶民の駄菓子たる味を知らなかった御曹司に頼まれたのが始まりだ。飽きを知らないのか、共に活動を始めて味を占めてからは、ずっとそうだ。

「あ。それだけ、袋は別で」

 この店員は新人か何かだったのだろうか。単価の低い同じ駄菓子を十数単位で籠に入れているんだから、かける打ちしてやった方が早いだろうに、この人は一つ一つ丁寧にバーコードを読み取っている。それを申し訳ないとか、面倒臭そうだとか、終わるのをじいっと眺めていると、籠に入れた覚えのない商品を店員が手に取った。籠ではなくカウンターの上にあげられたままの商品。500mlパックのカフェオレとグミの菓子。お金がないと知れば、たったこの量だ。500円玉一枚の金を渡せばそれだけで済む話だったのかもしれない。

「す、すみません……」

 じいっと店員の手先を眺めていると、突然斜め下から声が聞こえてきた。顔を上げないまま、続けて「ありがとうございます」と下を向いている顔を更に下げる。側から見たら笑われる光景だっただろう。特にいつも一緒に行動しているメンバーがこの場にいたのなら尚更だ。「何やってんの、赤の他人じゃん」「善意でしたことかもしれませんけど、相手の気持ちも考えた方がいいと思いますよ」「俺が相手の立場だったらとにかく不愉快だ」なんて言葉が綺麗に脳内再生されてしまう。けど俺は、そういう人間を放ってはおけないし、もし俺がそんなことをされたら申し訳ないと思うが、嬉しい。これはただの自分のエゴでしかないんだけど。

「あの、本当に、すみません……ありがとうございました」

 袋を分けてもらい無事に会計を済ませ店を出てから、後に着いてきた彼女にお礼を言われた。良いことした。こう何度も頭を下げられて礼を言われるとちょっと背中が擽ったい。「本当に本当にありがとうございます」一向に顔を上げなかった彼女は深々と頭を下げた後、やっと顔を上げる。焦っていた背中と一向に顔を上げてくれなかった彼女だったから、こちらに顔を上げてきた瞬間は、それが合わさって目に焼き付いてしまった。こんな目に遭って恥ずかしかったんだろうとは思うけど、不思議なくらい、ずっと下を向いてばかりだったから。顔を上げて見ることのできた彼女の顔は、括り分けして単純な言葉で言ってしまえば、可愛かった。

「あっ……」

 顔を上げた矢先、俺の顔を見た彼女は驚いたように細い声を上げていた。やばい、バレたか。黒いマスクに特徴的な赤髪を隠すように帽子を被って一般人に偽装していたが、言うなれば俺も芸能人。生憎、この変装で一人街中を歩いていたところでバレたことは一度もないが、やっぱ、こんな間近で見たら気付くよな。

「あ、ああ、あの、何かお礼を、させていただけませんか!?」
「へっ!?」
「あっ、お礼、といいますか、お金、返さないと……」
「礼なんていい。そんなでかい金でもないし」
「でも!」

 いきなり飛び付いてくるように一歩前進、距離を詰めてきた彼女に思わず後退りをする。とてもさっきまで下を向いていた彼女からは想像も付かない。必死な顔を向けて、縋るように近付いてくる彼女に必死に首を振った。
 たった500円にも満たないものをついでに買ってやっただけで、そんなふうに礼をさせてくれと言われてしまうのも気が引けた。俺が勝手にやったことなんだけどな。あと、顔バレしてから飛びついてくるように言われてしまったんだ。ファンの子なのかもしれない。焦る。ああ、こういうことを想定してメンバーの奴らは一般人に余計なことはしない方がいいと言ってくるんだろうなぁ。こういうことをした後のことを考えないところ……。

「あの、お願いします! お返しかお礼、させてください!」
「いやだから、そういうのは」
「明日、お時間はありませんか!?」
「あ、明日!?は、夜なら……」
「夜……何時くらいに」
「19時には仕事も終わって……」
「なら、明日の19時くらいに、私、あそこの広場で待っているので!」
「え!?」
「今日は本当にありがとうございました!」
「おい、ちょっと待っ……」

 ……行ってしまった。
 質問されたことに素直に答えてしまったせいで、明日彼女と会うことが決まってしまった。ヤベェ、どうしよう。あそこの広場、というのはコンビニを出た先にある広場なわけだけど、あのテンションだと絶対待っているはずだ。仕事が終わる時間に嘘はないが、ここは俺が住んでいるマンションの近くで、事務所や撮影現場からも離れている。19時くらいに待つと言ったって、その時間丁度にここに来れるはずがなかった。どうすれば……。



「……馬鹿じゃないの?」
「彼女ができないあまり、ついにファンに手を出すってか」
「そんなんじゃねえよ!?」

 数十分前に起こった出来事を当然黙っているわけにもいかなかった。正確に言えば、あの出来事を引き摺って頭を掻いていた俺の様子に気付いて、周りが気にしてくれて訊ねられた。「お腹痛いですか?」様子がおかしい時に真っ先に体調不良を心配してくれるミナの言葉は決め台詞みたいなもんだ。そこで「実はここに来る途中……」と大人しく口を割れば、三人は一斉によろしくない表情を浮かべる。

「なんかさ、すげえ必死にせがまれて、断れなくて」
「それで、見ず知らずの女性と会う約束を?」
「女にはよくある話だよな。せがまれて、断れなくてって。そのうち壺でも買わされそうだな」

 俺は女じゃないし壺も買わないがぐうの音も出ない。三人同時に溜息を吐かれ呆れられてしまう始末だ。見ず知らずの女の子と会う約束をしてしまってただでさえ焦っているというのに、追い打ちを掛けるように批判的な声を浴びせられる。

「無視しといていいんじゃない」
「無視って、だけど」
「先方はおまえがŹOOĻの狗丸トウマだって知ってて、あえて執拗に礼をせがんできたのかもしれないだろ」
「狗丸さん、あまり誤解を招く行動はやめてくださいよ。そういうのは御堂さんだけで十分なんですから」
「なんでそこで俺が出てくる?」
「ただお礼をしたいだけかもしれないだろ!?」

 こいつらに慈悲の心は無いのか? 俺がやってしまったことは取り返しのつかないことでそれを責められるならまだしも、流石に無視するなんてことできるはずもない。あんな必死な態度を取ってきたんだ、絶対明日あの場所にいるだろうし、それなのに姿を現さなければ彼女は悲しむだろう。俺が情に厚いだけかもしれないが、約束を破るだなんてそれだけは絶対に許されないことだ。

「そういうの、オレだって警戒するけど」
「狗丸さんって、感覚が鈍いお人なんですよ」
「だけどさ……」
「……」
「……なんだよ」
「……」

 なんでお前ら、俺のことをそんな哀れんだ目で見てくるんだよ。何か言いたいことがあるならはっきり言え。かと言って、約束を破れなんてことを言われたって大人しく答えられるはずもないんだけど。この沈黙が痛いし、刺さってくる視線も痛い。

「……いいよ。じゃあ、オレがトウマの後をつける。それでいい?」
「それでいい、とは?」
「どうせおまえらトウマを知らない女と二人きりにさせるのが心配なんだろ。なら、オレがトウマのことを近いところで監視しとくから、それでいい?って話」
「監視って……」

 この痛い空気を破ってくれたのはハルだったけど、何を考えているのか面倒臭そうな表情はなく、どこか楽しげに笑っていた。「だから明日、トウマの家に泊まっていい?」ハルがどこか楽しげにしている理由は、ただそれを望んでいただけみたいだけど。つーか、そんな話を逆手にとって嬉しそうに泊まっていいかって、なんだこいつ。泊まりに来たいなら素直に正直に泊まらせてくれって言ってくれりゃあいいのに。
 そんなハルの可愛らしい部分を見せられて肝心な部分を落としそうになってしまったが、ちょっと待て。監視って、一体何を心配されてるんだ俺は。ただ金を返してもらって終わりな話だろうに。そうだ、俺が焦っている理由っていうのは威圧に押されて知らない子と約束してしまったことと、時間に間に合わないかもしれないってだけで、会うことに関してはそれほど問題ではない。もしかしたらファンの子だったのかもしれないけど……かと言って、おかしなことになるとは考えられなかった。俺はトラみたいにいろんな女の子を手に掛けてどうこうしようなんてこと一切考えていないんだから。

「いい加減、自覚しろ。おまえも一応アイドルなんだよ。日本を代表するレベルのな」
「トラ。おまえにだけは絶対言われたくねぇよ」


















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