「百くんって、なまえのこと好きだよね」

 さっきまで話していた百くんが友達の輪の中に消えていく後ろ姿を見ていた友達がぼんやり吐きだした言葉に、飲んでいたミルクティーがおかしな器官に入って思わず咽せた。ゲホゲホと咳き込んで苦しがっている私に心配の一言もかけてくれない友達は、この様子を眺めながら百くんの後ろ姿と交互に見合わせている。

「はっ、な、なに、急に!?」
「いや、だって、そうでしょ」

 胸元を叩きながら身体を落ち着かせるけれど彼女の話は続いていた。「見りゃわかるって」と口にされた言葉に反応が困る。見りゃわかるって、自意識過剰かもしれないけど、私もそんな気がすることがあるのだ。

「よく一緒に帰ってるの、知ってるんだぞぉ。付き合ってないの?」
「付き合ってないです。 一緒に帰ってるのは、百くんが気を利かせて送ってくれてるだけだし」
「でも百くん、通いじゃないよね?」
「そうだけど……」

 一緒に帰っていることはサッカー部員にはとっくに知られているけれど、それが噂になってることに気付いたのは最近で、近いうちに友達の耳にも入るかもしれないとは思っていた。実際それを言われて、また反応に困って言葉を濁らせてしまった。

 先に言わせていただくと、サッカー部のマネージャーをしている私が、はじめて夜練に残った日「誰か一年のマネージャーのこと家まで送ってってやれよ」と誰かが気を利かせて言ってくれていたのがきっかけで、百くんと一緒に帰るようになったのだ。
 百くんと一緒に帰っているのは、サッカー部の夜練がある日だけだ。通常の時間で終わる日は他の部活をしている中学の友達が一緒に帰ってくれるけど、夜練がある日は一緒に帰る相手がいなくて、部活が終わる時間も疎らだから誰かを誘うにも誘えず一人なのである。

 うちの学校は俗にいうスポーツ強豪校で、サッカー部は全国大会の常連校だ。全国各地から入部してくる人も多く、もちろん寮だって備えられている。サッカー部寮。遠方から来た人たちは当たり前のように寮暮らしをしているけれど、スポーツ推薦で入ってきた部員もここで生活している。百くんは市のはずれに家があるそうで、頑張れば通える範囲だそうだけど、スポーツ推薦で入ったそうなので他の部員と一緒に寮で生活していた。
 夜練が終わったら私は家に帰るけど、部員たちはそれぞれ部屋に戻ったり自主練をしたり。「送っていってやれよ」と言い出してくれたのは寮で暮らしている誰かで、最初は通いの人に向けた言葉だった。だけど私は、わずかな通い組や他のマネージャー達とは帰る方向が真逆で、みんなは学校前のバス停とその方角にある駅を利用して家路につくけれど、グラウンドの裏口から徒歩で帰っているのは私だけだった。

 私の家は反対方向にあって、近くに駅もない。思いきり遠回りになる。こんな時間まで残ってみんなクタクタだろうし、早く家に帰りたいだろう。口には出さないけど「なぁ誰か送っていってやれよ……」という空気が流れる中、大丈夫ですと断ろうとした私を前に名乗り出てくれたのが百くんだった。

「え、や、百くん帰宅組じゃないでしょ。一人で帰れるから大丈夫……」
「ひゅうー、やるじゃん百瀬ー」
「うるさいなー、一人で帰らせんの可哀想じゃん! 行こ行こ」
「え、うん……」

 断ろうとしたけど、冷やかしの声に早く行こうと歩き出してしまった百くんに、断ることもできなくて流されるまま一緒に帰ることになってしまった。それから百くんは、夜練がある日は私のことを家まで送り届けてくれるようになった。

 私って、百くんに好かれているのかな……と思いはじめたのは、一緒に帰るようになって、それ以降、学校でも部活でもやたら話しかけてくるようになったことだろうか。サッカー部のマネージャーであり同じクラスの百くんとはいくらでも接点があるし、最初こそはただ話しかけてくれているだけだと思って気にはしていなかった。だけど、自意識過剰にも程があるとは思うけど、なんだろう、やたら目が合う。

 授業中。教室では一列はさんだ前の席に座っている百くんにふと視線を向けると、前に座っている百くんは手に顎を乗せながらぼんやり授業の音を聞いている。けど、ふっと視線をこちらに向けてくるのだ。そして目が合うとさっと逸らされてしまう……ということがよくある。それはいつしか教室の中だけに留まらず、部活の時もそうだった。なんだかやたら目が合って、そしてすぐに逸らされる。
 けれど、目が合うということは私も百くんのことを見ているということになる。たまに見る程度だったのに毎回のように目が合ってしまえば、あまり見ないようにしようと思うけれど、見られている視線は無意識に感じ取られてしまうし、もしかしたらまた目が合うのではないかと考えてしまえば、私も気になって視線を向けてしまうのだった。

 私の考えすぎだろうと思ってなるべく気にしないようにしていたけれど、私の気持ちとは反対に部員の冷やかしなどが日に日にエスカレートしていくようになった。やたら彼氏はいるのかとか好きな人はいるのかと聞かれるようになったし、部活終わりのグラウンドの片付けの時間や、土日の昼食の時間とか、何故かみんな急に用事を思い出して百くんと無理矢理二人きりにさせられることだってあるし、最近ついに「百瀬、マネージャーのこと気になってんだって」とそれを面白がる同級生の部員に言われてしまった。
 そのせいで、私は自意識過剰にも本当に好かれているのでは……と思ってしまうことが最近になって増していた。

「なまえって百くんのこと、好きでしょ?」

 学校生活の中でも最近の友達の話は百くんのことばっかりだ。きっと面白がっている節があるのだと思うけれど、内心はまたその話か……と思っていた。

 百くんのことはそれなりに好きではいる。クラスも部活も一緒だし、よく話しているし一緒に帰っている。ライクかラブかと言われたら、それはこれといって深い意味はないライクな意味合いでの感情だけど、逆に嫌いになる要素って一つもない。だから、私は彼女に言った。

「うん、まぁ、百くんのことは好きだけど」
「−−え」
「……え?」

 私は友達の言葉に対して特に深い意味もない言葉を投げかけたけれど、私の耳に入ってきたのは、友達の声ではなかった。はっとしたように顔を上げると百くんがいた。こんな話をしている最中に、気付かないうちに百くんは傍に寄ってきていたようで、その言葉を聞かれてしまった。咄嗟にやばいと思った私は「あっ……」と不意に零してしまう。

「聞いた? なまえ、百くんのこと好きなんだって!」

 絵に描いたような「=」の目を描きつつも、あろうことか友達は百本人にそんなことさえも告げていた。いや、違うんだ。私は友達として嫌いではない意味で好きだと告げていたのに、まるで異なる意味のように言われてしまった声に頭が真っ白になる。そういう意味じゃなくて……!と伝えようとしたけれど、予鈴のチャイムが鳴ったことで、とても何かを言いたげな様子の百くんはさっと席に戻ってくれたことが不幸中の幸いだった。いや、不幸中の幸いだったのはこの瞬間だけだ。

 あんなふうに会話が終わってしまったせいで、授業の話は一切頭に入ってこなかった。やばい、どうしよう。あの誤解を招いてしまう発言をどう撤回しよう。「あれ、普通に友達としての好きって意味だから気にしないで!」と何度も脳内シミュレーションをして授業終わりに百くんに伝えようと思った。けれど授業中に何度か百くんと目が合ってしまえば、必死に脳内で練習している映像が一瞬で真っ白に切り替わる。『どうしよう』『やばい』書き換えられたように浮かび上がるのは、それだけだ。

 おまけに今日の部活は夜練があった。無論、百くんと一緒に帰ることになると思うけれど、そこまでこんな状態を引き延ばしにできるはずもなく、部活前に百くんを呼び止めようとした。が、そそくさ部活に走っていってしまう百くんを引き止めることができなかった。もちろん、真面目に部活に取り組んでいる時間にこんな話ができるはずもなく。

「あのさ! オレも、なまえちゃんのことが好きなんだけど……!」
「え!?」

 ほらみろ言わんこっちゃない。どうしてあの発言をはやく撤回しなかったのだと、告げるタイミングを見計らっていた私よりも先に、二人きりになった途端に百くんが告白をしてきてしまった。
 でもこれは、百くんの実行が早すぎた。グラウンドからの裏口を出た先で告げようとしていた私とは違い、百くんは二人きりで歩き始めた途端にそのようなことを口にしてきたのだ。後ろにはまだ部員たちがいるし、疲れているはずなのにわあわあぎゃあぎゃあと賑々しい。

「だから、その、付き合って……ほしいなって……」
「う、うん……」
「え、ほんとに!?」
「はい……」

 いやぁ、なんでこんなことになってしまったんだ。この状況に混乱を招いて動揺のあまり告げてしまった言葉に、もう後戻りなんてできるはずもなかった。
 告白してきてしまった百くんに「オレ"も"」と言われてしまった時点で、今さら違うんですと撤回することもできない。薄々感じていた百くんの好意的な態度を思い返したり、暗闇でもわかるほど顔を真っ赤に染めあげている姿を見てしまえば、裏切ってはいけないという気持ちが前面に出てきて、別の意味で緊迫した空気に囚われていた私は首を縦に振ってしまっていた。

 高校一年生の春の終わり、こうして百くんと付き合う関係に発展してしまった。



「聞いたよなまえー、百くんと付き合い始めたんだって!?」
「な、な、なんでそれ知ってんの!?」
「さっき百くんが廊下で他のクラスの男子に冷やかされてるの聞いたー。昨日から同じクラスのマネージャーと付き合い始めたんだぜコイツって。いやぁ、めでたいですわー」
「さっそく付き合ってるの知れ渡ってるの!? 全然、めでたくもないんだけど……どうしよう」

 昨日の帰り道のことを思い出して、あれは私の夢やら妄想やらでいてほしいと思ったけれど、残念ながらこれは現実だ。めでたくないとか残念ながらと言ったら、それは百くんに対してとても失礼なことだけれど、この「どうしよう」としか思えない私にとって、昨日のことは大事件以外に言葉が出てこない。

「でも、百くんのこと好きなんでしょ?」
「友達としての意味ではね!」
「大丈夫、付き合っているうちに好きになるって。かっこいいし、笑った顔かわいいじゃん、頑張り屋さんだし、リーダーシップあるし、コミュ力高いし、友達多いし、先生にも気に入られてるし、運動神経もいいし、サッカー上手いし……あれ、百くんって悪いところ一つもなくない? 完璧すぎる彼氏とか、羨ましいわ」
「ただし勉強はできない」
「さっすが、彼女は見てるところが違うね」
「いや、でも確かに、探せば探すほど良いところしかないんだよね、百くんって」
「ほらほら」

 実際、彼氏になってしまった百くんの悪いところを探してみるけれど、吃驚するほど何も思い浮かばないのだ。小学生の頃からフットボールクラブに身を置いてこの学校に入学したのだからサッカー優先状態。部活動に励む他の人たちと同じようにそこまで勉強はできないけれど、赤点を採って補習を受けているわけでもない。平均よりも下ということくらいで、交友関係も幅広いし、部活動の成績だって一年生の中では群を抜いている。夏のインターハイではさっそくチームに使うと、コーチと監督が話しているのを聞いた。裏表のない明るい性格をしているから周囲の人間にもとても好かれていて、もちろん先輩にだって一目置かれている。実力も認められていて、申し分ない。悪いところは本当に何もなかった。

「それにもうキスしたんでしょ? 知ってるんだから!」
「は!? な、なな、なんで知っ……」
「さっき男子たちに冷やかされてたっつったじゃん」
「悪いところ見つけた、彼は口が軽い」
「嬉しいんだって。それは仕方ない」

 忘れていたわけではないけれど、封印していた昨日のことを脳裏に蘇らせた。ふたりきりになってすぐに付き合うことになった、裏口を出ると人がいない静まり返った夜道を手を繋いで帰った。どうしようという思いはあったけど、はじめて触れた百くんの指先に緊張を覚えていたし、いつの間にやら、やばいどうしようという意味合い以外での恥ずかしさを抱いていたことは自白する。
 いつも送り届けてくれる自宅までの一本道の一角で、急に距離が縮まったかと思ったらキスをされた。ファーストキスはレモン味と言われてるけど、それはよくわからなかった。でも、触れた唇の感触ははっきり覚えている。

「好きでもない男にキスされたら、あたしなら張っ倒すね」
「私だって、張っ倒しはしないけれど、大泣きする自信はある」
「でもしなかったんだ?」
「……うん」

 突然された百くんからのキスは嫌な気一つせずに受け入れられてしまった。思い返してしまえばまだ少しドキドキした感情が後を引いているけれど、それよりも、嬉しくて仕方ないのかペラペラ私のことを喋っているらしい百くんを早く口止めしなければ。

15歳、春















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