最近の記憶ははっきりしている、了さんのことも覚えている。彼が私の恋人であることもしっかり覚えているのだが、肝心の彼との出会いは遠い昔のことのように霧がかって見えていた。彼と出会ったのはほんの2ヶ月前だ。初対面だったというのにやたら私に付き纏う。だが彼と過ごした日々はトントンと進み今では交際までに至っている。彼と知り合ったのは2ヶ月前なのだ。なのに、私は彼と初めて会った日のことを遠い昔のように覚えている。そして私が見てしまったものは、私の記憶には無いものなのに過去の私が了さんと寄り添っている姿が写り込んでいた。

 とても大事なことを思い出せないでいる。そういえば私は、とても大事なことを忘れているような気がしていた。だけどそれが思い出せず、なんだったっけ?と思い出そうとすればするほど頭が痛くなるので思い出すことを止めた、ということをたまに思い出す。恐らくそれは私の記憶にない忘れ去られてしまった了さんとの過去の話で、それに気付いてしまえば私は彼に対してとても酷い行いをしていることも同時に気付いてしまった。

「名前先輩、ランチ行かないですかぁ?」
「後藤さんが前に言ってたところ?」
「そうです! 覚えててくれたんですね!」

 昨夜は了さんの目の前で泣いて初めて彼に向かって本音をぶつけ心が救われすっきりとした朝を迎えられたのだが、そのすぐ後に過去に何かがあったこと匂わせるような写真を目撃してしまい、かといってこれはなんなのだと了さんに聞く暇もないまま私は一度自宅へ戻り会社に出勤した。
 休憩時間に背伸びを一つ終わらせた後輩の言葉に数日前に彼女が行きたいと口にしていた場所をふと思い出し口にすれば、彼女は覚えていてくれたのかとやたら嬉しげに笑ってみせた。それに対し私は自分が覚えていたことに安堵していた。

「ねぇ、ねぇ、先輩。先輩、カレシいるんですよね? 見せて下さいよぉ」
「またその話?」
「いつになったら見せてくれるんですかー」

 お洒落な喫茶店でのランチはラビスタグラム映えするんですよねぇ、と洒落た木材皿に盛り付けられたサラダやチキングリルを何度も写真に収めている後輩は写真を撮りながら問いかけた。彼氏の写真の話、だが生憎今日も了さんの姿は私の携帯に収められておらずそれを返せば後輩はつまらなそうに溜息を吐いた。

「あ、先輩。 腕、写させてもらっていいです?」
「いいけど……どうして?」
「女の子と一緒にランチしてるってアピんないと」

 男って、女友達が多い子ほど安心するんですよぉ、と相変わらず男受けしたいと思っている後輩は口にする。お洒落な写真を撮って、洒落た女をキメつつちゃんとランチに出向ける女友達もいるアピールをしっかりする彼女に私は使われてる気しかしないのだが、彼女は仕事の後輩でありプライベートのことまでわざわざ口出しすることなどできずに私は彼女を待たずに目の前に置かれたサラダにフォークを突き刺した。

「どこで知り合ったんです?」
「……」
「教えて下さいよぉ、気になるじゃないですかぁ」
「後藤さんって、どうして私のことをそんなに気にするの?」
「ええー? 先輩ですもん、こうやってランチしてくれるし、お世話になってくれる人のこと、もっと知りたいなーって思うでしょ」

 もしかして彼女は私と了さんのことを何か知っているのだろうか、とやけにしつこく訊ねてくる姿にそのようなことを考えるのだが、一ヶ月ほど前にキスマークを付けられた時に言われた言葉や、先日のパーティーの席で了さんを見かけた時の彼女の反応を思い出すとその可能性は少なく、ただ好奇心で私のことを知ろうとしているのだろうと思うのだが、私は彼女の言葉に思わず本音を吐き出してしまいそうになった。

「なんで教えてくれないんですかぁ」
「だって」
「だって?」
「……ううん、なんでもない」
「ええー!?」

 だって、とつい吐き出してしまいそうになった言葉をぐっと押し込めた。最低だな、私。いくら後輩であるとはいえ、同性として見てしまえば考えたくもない言葉が出てきてしまいそうになった。彼女は既婚者であろうとも御構い無しに声を掛けに行ってしまうような子なのだ。了さんのことを社長だから声を掛けられないと言いつつも、格好良いとかタイプだとか口にしていたことを思い出すと、絶対に彼女は親会社の社長であろうとも先輩の恋人だと知れば容赦なく了さんにちょっかいを出してしまう姿が容易に想像できてしまった。

 ……だって、奪おうとするでしょ。 きっと了さんは相手にしないだろうと思えるものの、もしかしたら、と信用しきれていない不安が蘇り喉の奥がヒュッと音を立てた。それを正直に告げた昨夜、彼の口から愛しているのは私だけだと満たされる言葉を貰ったはずなのに、それでも他の女性に近付いて欲しくないという周囲の同性に対する嫉妬心が拭いきれなかった。あとは、

−−名前、もう少し、了くんに釣り合うような女になりなさい……心配だよ。

 昨夜頭に響いた誰かの声と同じようにまた誰かの声が頭に響いた。私はただのOLであって、了さんのような人には手の届かない存在なはずなのに。それすら知られでもしてしまったら、目の前にいる彼女はどんな反応を見せてしまうのだろう。それが心残りだった。また、頭の奥に鈍痛が走る。




 仕事を終えて事務所から出てすぐに目の前に停車した車にクラクションを鳴らされた。はっとしたように顔を上げた先には運転席の窓を開け顔を覗かせた百くんが「やっほー名前、迎えに来たよ!」と約束した覚えがないのに迎えを待ってくれていた。

「なにか約束してた?」
「飯食いに行こうと思って! 暇でしょ?」

 暇でしょと言われ返す言葉が見つからない。了さんは今夜は彼が手掛けているアイドルグループに付きっ切りらしい話を昼過ぎに聞かされ、これからの予定は何も無く夜ご飯も家に帰って一人で食べるのだが、一緒に夕ご飯を食べられる人を見つけてしまえば私は頷いた。

 百くんは私の恋人のことを知っていると口にしていた。だから彼は私が思い出せない恋人は了さんであることを知っているはずなのだ。しかしそのことを彼は隠している。訊ねればデタラメですら何でも信じ込むだろうと先日言われた言葉を思い返し、何を言っても彼は口を開いて大人しく正直に私たちのことを話そうとはしないだろう。その理由が何故なのかわからない。

「今日は寿司食べに行こ!」
「回転寿司?」
「回転しない方の寿司! 一見さんお断りの、オレがよく世話になってる大将の店なんだけど」

 コンビニ、ファストフード、ファミレス……アイドルをやっていてお金もあるだろうに庶民的なご飯をすることの方が多い百くんだが、彼はたまに私のことをそこそこ値段のする場所に連れて行ってくれることがある。先日も高めの焼肉屋に連れて行ってもらった。こういうのは奢ってくれるのでラッキー精神で着いて行ってしまうのだが今日は回らない寿司屋、おまけに今回も一見さんお断りの良いお店に連れて行ってくれるそうだ。理由を尋ねると「めちゃくちゃ寿司が食いたかったんだけど、ユキは魚食えないし、後輩は予定合わなかったから」と予定が合いそうな私を誘ってくれたといった様子だった。

「了さん、どう?」

 何も話してはくれないが過去を知っているはずの彼は、傍らで差し出されたばかりの大トロを箸でつまんで口に放り込みながら私に訊ねた。了さんどう?、それは昨日のことがあったから心配して訊ねてきた言葉なのだろうけど、過去を忘れてしまった私を相手にしている了さんの為に訊いている問いかけなのかもしれないと、知ったばかりのことが深入りのように思考に混ざり合った。

「煙たがられるかと思ったけど、昨日あれから、思っていたこと全部言ってきちゃった。もう大丈夫だよ、仲直りはできたから」
「そりゃ良かったじゃん」

 お皿に顔を近づけたまま横目で私を見上げそう言ってきた百くんはどこか関心したような声色をしていた。お世辞にもお行儀が良いとは言えない男らしい食べ方をする百くんを見ながら、彼が頼んでくれた一人前の盛り皿を引き寄せる。

「大人になるとさ、素直にごめんなさいも出来なくなっちゃうけど、そういうのはすごく大事なことだなって、オレ思うんだよ」

 次に何を取ったのかはわからないが、何かをまた口に放り込んだ彼は口を動かしながら言った。まるで怒られた後に肩を萎ませた子供に、何が悪かったのかと言い聞かせるような口ぶりのように思え、私は静かに頷く。
 箸を進めると百くんとの間には少しの間静かな沈黙が流れた。次に何を話そうかと考える前に、この沈黙を破ったのは無意識に口を開いた私だった。「あのね」と口を開けば百くんは私を見た、彼の視線にそれを絡ませて私はもう一度口を開く。

「百くんは、私が了さんのことを好きで居続けることと、思い出せない恋人のことを思い出すこと、どっちが大事だと思う?」

 吐き出した内容は悩みを打ち明けるもので、指先の力の籠め方を忘れた私は箸を置いていた。行き場のない腕を引いてカウンターの端を掴み、力の入らない指先の代わりに手の平を押し付ける。

「日に日に、了さんと過ごしていくと、思い出せなくなりそうだなって思うんだよね」
「名前は、もし前に付き合っていた人のこと思い出しちゃったら、どうする?」
「……、どうしようかな……」

 百くんからの返事は逆に私の答えが詰まってしまうものだった。今ここで、私が付き合っていた人は最初から了さんだったのかと訊ねるべきかどうなのか、この短い時間ではどれが正解なのかがわからなかった。「どうしようかな」と曖昧な返事をしてしまうものの、頭の奥にキーンとした痛みとは別の違和感を感じこめかみを抑えた。頭が変だ、と彼に異変を伝えようとし口を開くと、私はそれとは違う言葉を告げてしまったようだった。

「……了さんは、どうして私と結婚してくれなかったんだろ」
「−−へ?」
「え……あ、え、私、今なんか言った?」
「言った、けど……」

 自分が何を口にしたのか覚えていないが、頭の中には呟いてしまったらしき言葉が文字となって浮かび上がっていた。百くんは驚いた表情を浮かべたままぱちくりと瞬きを繰り返し、距離を詰めて私の顔を覗き込み様子を伺ってくる。思わず身を引こうと試みるのだがうまく身体が動いてくれない。彼から逃げるように顔を逸らして、一先ず現状を理解できていない頭の中を整理した。

 まるで昨夜脳裏に響いた誰かの声と今頭の中に浮かび上がっていた文字がリンクし、ぼんやりとしていた頭が晴れ渡るように曖昧な記憶を呼び起こした。私は了さんの存在を覚えていないが、誰かとその手の言い合いを巻き起こしていた過去があったことを思い返す。酷く焦燥し苛立っていた自分を思い出すのだが、どうしてそのようなことを起こしていたのかまでは思い出せない。

「……名前? なんか、思い出したの?」
「思い出したって言うか……あれ?」
「どうかした?」

 記憶というよりは脳みその中身がぐちゃぐちゃになっている感覚を抱き息が上がりそうになる。二重人格の如くもう一人の自分を抑え込むように静かに呼吸を繰り返すと「大丈夫?」と不安げに私を見ていた彼は声を掛けてきてくれて何度か頷いた。

「……了さん」
「え?」
「……との、写真を、見て」
「え……。 う、うん、それで?」
「でも、なにも思い出せなくて」

 少し前までよくわからない頭痛を引き起こしていたのだが、よくよく思い返せばあれは何かを思い出そうとした時だった。しかし今回ばかりはその痛みが生じず、それに甘えるように必死で何かを思い出そうとするのだが何も思い出せない。思い出せないという事実に不安が募り心拍数が上がる一方で、落ち着かない呼吸を繰り返していると百くんはガッと私の肩を掴んで口を開いた。

「名前! この話は止めよう!」
「思い出したくないわけじゃないの、本当は思い出したくて……」
「そうじゃなくて! 無理に思い出す必要なんてないんだよ。ちょっとずつ思い出してこ! 焦ることなんてなんもないんだから」
「だって、それじゃあ、っ」
「なっ、な、泣かないでよ!?」

 不安、恐怖、焦燥、寂寞等々、様々な感情に飲み込まれそれが極限に達すると何も制御することもできないまま涙が溢れてしまった。百くんの前でこんな姿を曝け出す気など更々無いというのに抑えきれず泣いてしまう姿に彼は一段と焦った様子で「大将!」と声を張り上げていた。
 「百ちゃん、女の子泣かすのはどうかと思うなー」「そういうのじゃないよ!人生相談!」そのやり取りを耳に入れながら差し出された熱いおしぼりで目元を拭い、勘違いされ掛けている百くんを庇うように「勝手に泣いちゃっただけなので」と無理矢理にでも笑ってみせると大将は困ったように「人生いろいろあるもんね」と笑っていた。



「落ち着いた?」

 そう口にされて座り込んだ場所は、恋人の顔が思い出せないと慌てた私が百くんを呼び付けたベンチの上だった。最寄りの自販機で百くんが買ってくれた温かいお茶を一飲み終え、少しずつ気持ちを落ち着かせながら静かに頷く。

「ごめんね、本当に。 なんだか、思い出せないことに焦っちゃって」
「そうなっちゃうから、無理に思い出すこともないって言ったの」
「そうなんだけど……百くん、私って」

 心配して焦っている彼の口ぶりは呆れた様子に取れてしまって苦笑いを零した。静寂な空気の中、それでも私が今日一番に聞きたかったことを吐き出そうとわかりやすく息を吸い込む。

「了さんと付き合ってたんだよね?」
「……うん」

 疑問を覚えずっと知りたかったことがここに来て漸く彼の口から溢れ落ちた。はっきりと思い出したわけではないが証拠を見てしまったのならこれ以上隠す必要もないと判断したのだろう、百くんは間を開けて答えを出してくれたのだが、私は案の定そうなのかと納得し満足感を抱くことはできなかった。

「私が覚えていないことって、了さんのことだけ?」
「今のところは、そう」
「どうして了さんのことだけ忘れてるの? 普通、付き合ってる人のことなんて忘れないと思うんだけど」
「それは……」

 うーん、と百くんは腕組みをして悩み始める。いくら事故で記憶を落としたとしても好きな人のことだけを忘れてしまうなんてこと普通あるのだろうか、と私は思うのだが、わからないよと口にせず忘れてしまったことに何か原因があることを知っていそうな百くんの態度に私は背筋を伸ばして彼からの言葉を待った。

「名前は、了さんのことは好き?」
「好きだけど……」
「どんぐらい?」
「え!? いきなりそう言われても……」
「じゃあ、どこが好き?」
「どこ? ええ……優しいところ? 一緒にいると安心するし……」

 了さんのことは好きなのだがいきなりこのようなことを問われても明確な答えが浮かび上がらない。一緒にいると安心することは本当のことであるが、どこを好きになったのかを改めて考え直せば、付き合ったのは勢いに押されてしまったものの、気付いたら嫉妬を覚えるほど好きになっていたことくらいである。愛おしいと思うことは何度かあったが、それは忘れている自分自身の心にあった何かだろう。しかしそれを抜きにして考えてみれば、面倒な嫉妬心を抱きながらもそれを受け入れてくれる包容力と、そんな私を好きでいてくれる彼の優しさで私の心は満たされていた。私のことを好きになってくれたから好き、という感情が拍車を掛けたのかもしれないが、それはこの問いかけの答えになるのだろうか。

「どうしてそんなこと訊いたの?」
「ずっと気になってたから」
「……もしかして私、了さんのこと嫌いだったの?」
「んんー。嫌いっていうか、なんていうか……仲はあんま良くなかったかも」
「そ、そうだったんだ……」

 自分の気持ちははっきりしているのだが百くんから口にされる言葉は真逆のことのようで、心当たりなどあるはずもなく、彼が口にしている話は果たして本当に私のことなのだろうかと疑問が生じる。それこそデタラメを話してくれているのではないかと思うものの、百くんの様子を見る限りそうであると断言することもできなかった。

「でも! 名前が今好きでいてくれてることは安心する!」

 さっきまで腕組みをして唸りながら話していたというのに、突然その腕を解き私に向かって身を乗り出して声を張り上げた百くんの姿に驚いた。反動で無意識に力強く握ってしまったペットボトルから暑い熱が伝わって来るのだが、それを受けてすぐに力を緩め私は問いかける。

「そういえば、私は別れたがってたって言ってたよね」
「うん」
「どうして?」
「……名前は、了さんと一緒になりたがってたから。 だけど、了さんはそれ嫌がってて……」
「えっ、どうして!?」
「それは、言えないけど……」
「なんで言えないの!?」

 自分の記憶の中には無いのだが、了さんと過去の私のあまり仲が良くなかった原因を話され困惑してしまいそうになる。だが私の中には誰かと揉めて言い合いを繰り広げていたことを寿司屋に居る最中に思い出していた。そこは辻褄が合うには合うのだが現状を見る限り首を傾げてしまうことがある。何がと問われれば、了さんは私のことを好きでいてくれているのだ。私は彼を忘れてしまい思い出せないでいる、彼に対して酷い行いをしているというのに彼は諦めずに私に近付いて来てくれた。そこまでしてくれながら、過去の私と一緒になることを嫌がっていたなど容易に想像することもできなかった。

 唯一理由を知っている百くんが口を割らない為、私こそ身を乗り出して訊ねてしまうが彼から返ってくる言葉は「オレが話すことじゃないと思うから」だ。それは一理ある。恐らく彼は今の私と了さんを均等に保ってくれている仲人のような位置に存在しており、彼の口ぶりからするにお互いのことはお互いでどうにかしろと言うことなのだろう。そこまでを察し、それ以上のことを訊ねずに自ら解決しようと試みるものの、考えれば考えるほど頭の中に思い浮かぶのは、一緒になることをせがんで言い合いを巻き起こしていた自分のことだった。

「私、そんなに了さんのことが好きだったんだ……」

 酷く焦燥し苛立っていた自分が存在していたことはぼんやりとだが覚えている。それを求めていたであろう理由は頭にぼんやりと浮かび上がった後に自然と口から溢れ落ちた。

「それはわかんないけど……」
「え、どうして?」
「や、だって……やたら焦ってるみたいだったし……」
「焦ってるって?」
「はやく結婚したい的な……」
「好きだったからじゃないの?」
「それはわかんないけど……」

 しかし私の考えとは裏腹に百くんは苦いものを噛んだような表情を浮かべ言い辛そうに言葉を落とした。

「名前、なんも話してくれなかったから。なんでそんなに焦ってんの?って思ってたし」
「それこそ、好きだったからだと思うけど……」
「や、なんつーか、周りの友達がみんなそうなっちゃってたから、私も早くしたい!的な風にオレは感じ取れてた」
「……」
「正直、了さんが好きというより、とにかく結婚したがってた」

 そこまでだったのか、と彼の言動から酷く荒れていたのだろうということを察するのだが、それもあってか悲しいことに百くんは私の考えに乗ってはくれなかった。了さんに対する想いよりもそうしたいという感情が勝り、彼に食い入ってそれを願っていたのだとするならば了さんが嫌がっていた理由は簡単に想像できてしまう。だが、彼は私を好きで居続けてくれている。そう思えば過去の私に全ての原因があったと思い込んでしまうのだが、それをまた思い出そうとすればするほど目眩が襲いパニックになることは目に見えていたので、また泣き始めてしまう前にその思考を絶った。

「でもきっと、好きだったと思うよ」
「……そう?」
「そんな、疑わないでよ。 なんだかそんな気がしているだけだけど。たぶん私、了さんが誰かにとられるのが嫌だったからだと思うよ」

 はっきり断言は出来ないのだが、昨夜引き起こした感情を思い出せばそんな気がしていた。今日だってそうだった。口には決して出せないのだが、彼を誰かにとられてしまったらどうしようとか、私だけを見ていてほしいとか、私のものだというどす黒く重たい感情が心の中に住み着いているのは確かだった。だがそれを口にすることは許されない。あまりの束縛心や嫉妬心は、イコール彼を信じきれていない自分の弱さに繋がってしまう、という感情が私の中に眠っている。

「私が別れたいって思っていたのはそれだけだった?」
「オレはそれしか知らないよ」
「そっか……」

 私は頑なに口を閉ざしたままだったようだが、百くんにだけでも本音をぶつけてしまえていたらこんな面倒な事にはならなかったのかもしれない。だけど、現に今抱いている感情すら吐き出せないまま心の中に仕舞い込んでいる。

 それを今ここで正直に吐き出してしまえば少しは楽になるだろうか。私の心は酷くどす黒いことになっていて、過去を思い出しもう一度全てに飲み込まれてしまう前にそれを止めてくれる保険として彼に告げるべきなのだろうか。短時間の間にそれを悩んでいれば百くんは呟いた。「でも、了さんも……」と私ではなく了さんの話をする百くんに向かって顔を上げた。

「多分だけど、それ以外にも何があったんじゃないかなっては思う。オレの勘だから当てにならないと思うけど」

 百くんは自分の勘を当てにならないと言うが、彼は勘が鋭い子だ。私と同様に了さんの気持ちや考えを知らないでいたらしい百くんは顔を顰めながらそう言っていたのだが、どうやら私と了さんの間には他にも何かがあったかもしれない、らしい。

「了さんは、私の記憶が戻ったら、喜んでくれると思う?」

 愚問だっただろうか。了さんは、私のことをずっと好きだったと言ってくれていた。それだけを信じていたいのだが、何かがあったらしいが具体的な話を知らないでいるものの私と了さんを一番近くで見ていてくれたのは他でもない彼だった。だから私は百くんに訊ねたのだが、何故か彼は言い辛そうに口を開いた。

「……、なんとも言えない……」







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