意識



 春原くんを再び意識してしまったのは、11月の中旬だった。


 好きでもない興味すらない人を、好きになんてなるのか?と、私は思った。だけど実際はその逆で、好きになってはいけない人を、意識しはじめてしまった私がいる。春原くんはクラスメイトで、今じゃ結構仲の良い男友達だし、それに春原くんには彼女がいる。彼女がいることはとっくに知っていたことだ。クラスメイトの男友達として接していた頃は、ちょっとだけ勘違いしかけたこともあったけど、彼女がいるってことはそれから特に何も思わなかった。なのに、意識しはじめてしまえば、その存在があるっていうだけで心の中にもやもやが残った。

「春原ー、明後日、日曜日、ヒマ?」

 だけどまだ、好きっていう気持ちがあるわけじゃない、と思う。ただ意識してしまっているだけだ。別に付き合いたいとかそういうことを思っているわけじゃない。
 初恋とはいえないけど、今まで経験した覚えのない異性の存在が気になりだしたことを自覚した翌朝、私は学校に来るなり机に伏せていた。生理痛でお腹が痛くなるのと同じように、胸の奥から響く不快な痛みが抜けなかった。それに追い打ちをかけるように、洋太の陽気な声が耳に入る。

「日曜は、ごめん、予定がある……」
「あー、はいはい。 カノジョね」
「そんな感じ!」
「どんな感じだよ。 日曜日さー、イオンで仮面ライダーショーあるんだって。一緒行こうと思ってた」
「え!? 仮面ライダー来んの!?」

 今までだったら、そんな会話どうってことなかったのに。仲が良いんだな程度で済まされてたのに。話が脱線して仮面ライダーの話で盛り上がり始めた2人の会話を盗み聞きしながら、最初の方で耳に刺さった言葉が、胸の痛み同様に抜けおちなかった。

「なまえ? どした? 具合悪い?」
「うん……今日は元気ない……」
「大丈夫? 生理?」
「違うけど、そんな感じ」
「それ、どんな感じ?」

 ガヤガヤとうるさくなった教室で、SHRの時間ギリギリに登校してくる舞子が席に着いた。すぐに私の異変に気付いてくれたのか、よしよしと頭を撫でて慰めてくれる。舞子の優しさに触れながら、だけど、友達の中で一番信頼を置いている舞子にすら私が何で悩んでいるのかを言い出せなかった。言い出せない理由は、思いの外たくさんあった。



 春原くんは、人気者だ。春原くんのことを好きな子はきっと多い。それを春原くんが今までどれだけ受けてきたのかわかんないけど、私もその中の一人になってしまうのかもしれないと思えば頭を抱えた。それに、気付かれないようになんとなく春原くんを視線で追いかけてみれば、春原くんは洋太以外の男子ともとても仲良くしているし、洋太抜きに出歩いていることもちらほら。女子にだって話しかけてるし、一緒に輪の中で話し込んでいたり、たまに女の子と2人だけで話している姿も見受けられる。春原くんは優しい子だから、誰にだって積極的に接しているのだ。
 文化祭の時から仲良くしていて、私にとっては洋太並みに仲の良い男友達になったけど、春原くんにとっては他のクラスメイトと同じような感覚で接せられている。ということを、意識してから、まるで負の連鎖のごとく再度認識するように気付いてしまった。

「みょうじさん、今日も碓井さんのこと待ってんの?」
「え? あー、今日は……」
「あっ、そっか、なるほど、わかった!」
「え、なるほどって何。 今日は、具合悪いから帰る」
「具合悪いの!? 大丈夫!?」
「うん、平気」

 あれから土日を跨いだけど気分は落ち込んでいるばかりだった。金曜日に起こったある出来事を振り返ってしまえば、風邪を引いたみたいに、自分ではどうしようもできない悩みを一つ抱えてしまうと何をしたって気分が晴れなかった。そのせいか、春原くんに声を掛けられたっていうことが素直に喜べない。なんとなく、待ってるって言ったら、きっと部活が終わった後に教室に顔を出してくれる気配を感じつつ、それがどうしてか嫌に思って、私は言葉を濁らせてしまった。
 なるほどねって、なんだ。首を傾げそうになりながら、体調が悪いのも本当のことだから部活へ行く準備を始めた舞子に「ごめん、今日は帰るね」と告げて私も帰り支度を始めた。

「わかった、さては菅根くんとデートだな」
「それ、オレも思ってた」
「だよねー、思うよねー」
「は!? 何言ってんの、そんなんじゃないから!」

 思わず声を上げてしまった。その名前はもうタブーにしてもらいたいくらいなんだけど、春原くんの言葉がさっきの「なるほどね」に繋がって私は言葉に詰まった。

「またまたー。この前も今日は早く帰るねって言いながら、菅根くんと一緒に帰ってんの知ってんだから」
「え、そうなの?」
「え!? なんでそれ知ってんの!?」
「後輩が見たって言ってた」

 はぁぁーーっと大きなため息を吐いてしまいそうになる。どうやら先日部活で足を痛めて病院に通っていた舞子の後輩が、私たちの歩いている姿を車の中から見ていたらしく「先輩の友達が男の子と歩いてるの見ました!」と言ったらしい。名前も顔もわからないからどこで誰に見られたのかわからないんだけど、そうなると落ち着いて外も出歩けなくなりそうだ。

「今日は、本当に違うから! 家に帰って、そっこー寝る!」

 じゃあね、さよなら!と、私は教室を飛び出した。「早く元気になってよ!」って春原くんの声が聞こえたけど、私はそれに反応を見せることをしなかった。


 −−あの日。先週の金曜日。春原くんを再び意識してしまった翌日。私は菅根くんに告白された。
 春原くんに対する閉じていた意識が蓋を開いてしまった時、目の前には菅根くんがいた。それが一番いけなかったんだと思う。それに、少しでも気になってる人ができてしまったのなら、まず一番に菅根くんの好意を断らないといけなかった。「ごめん、やっぱり私、気になってる人がいるから」って、自覚してすぐに言えばよかったんだけど、あの時、春原くんとのことで動揺を隠しきれなかった私はそれが言えなかった。自分のことに必死で、菅根くんのことを考えられなかった。金曜日もそうだった。

 菅根くんとはこれから放課後に話をしようとなったので、昼休みの間は会わなかった。放課後だって、できるならばあの日も気分が優れなかったので早く家に帰って頭を冷やしたかった。舞子に「今日は早く帰るから一緒に帰れない」って伝えて一人で下校しようと思ったら、校門を抜けた先で菅根くんに声をかけられた。

「おれ、今日、部活出ないことにしたから、一緒に帰ろ」

 って言われて、断る方法があるなら誰かに教えてもらいたかった。気分が沈んでいくばかりで、そのせいか菅根くんの存在を嫌だな、なんて無視したいほどに思ってしまった自分が一番嫌だった。あの時の私、ずいぶんと素っ気ない態度をとってしまっていたんだろうなと今になって思う。

「−−みょうじさん、あの」

 やたら長く感じた帰り道を一緒に歩いて、じゃ、私こっち方向だから、と丁字路の分かれ道で手を振って別れたら、背後から呼ばれて足を止めた。

「おれ、みょうじさんのことが好きです。だから、おれと付き合ってほしいです」

 まさか、このタイミングで!?と私は思った。この気分の中でっていうのももちろんなんだけど、生まれて初めてされた告白が寂れた住宅街の丁字路のど真ん中って。夢を見ていたわけじゃないけど、誰もいない教室とか、体育館裏とか、そういう告白の場所ってあると思うんだけど。

「……ごめんなさい。 私、菅根くんとは付き合えないや」

 それでも、私は答えた。もし一昨日だったら、もし昨日の放課後話をする前だったら、きっと考えさせてって先延ばしする答えを出していたと思う。それで誰かに相談して、きっと乗り気ではないけど、いつか好きになるからっていう約束を交わして、数日後にそれを受け入れていたのかもしれない。
 だけど、気になっている存在ができてしまった私には、もう菅根くんの気持ちを受け入れることが、たとえ叶わない恋をしてしまうことになるかもしれなくても、できなかった。

「あの、みょうじさん」
「うん?」

 ……それで終わればよかったのに。

「みょうじさんって、好きな人、いるんですよね」
「え? いや……」
「彼女がいるって、聞きました」

 何を言われているのか理解が追いつかなかった。好きな人がいるんですよねって、それはまだ自分にだってわからないことなのに。それに、誰にも告げてないはずの、昨日できたばかりのことを咄嗟に口に出されるなんて思ってもいなくて、混乱した。

「え、何言ってんの」
「おれ、その人の代わりでもいいから」

 いや、ちょっと待ってよ。何を言ってるんだこの人は。まるで私の心を覗くように言われた発言に、身の毛もよだつほど嫌悪を抱いてしまった。

「ごめん、私、そういうの無理だから」

 世の中にはこんな最低なことを考える人間も存在するんだなって思った。誰かの代わりでもいいから、なんてそんな馬鹿げたことを考える人が本当にいるだなんて。それって、虚しくないの?

 最初から合わなかったんだ、菅根くんって人は。誰かに好きだって言ってもらえることは確かに嬉しいことだった。でも、言われて嬉しい言葉と、嬉しくない言葉っていうのが私の中には存在していた。それがたとえ好意の延長線から生じた言葉でも、だ。
 菅根くんの好意から訪れたその発言に不愉快さを抱いた私は、それっきり、菅根くんとはもう二度と関わりたくないと思って、彼との友達という関係ですら絶った。