意識



 3組の菅根哲明くんを紹介されたのは、11月に入ったばかりの頃だった。


 中間テストは無事に終わった。あんなに勉強ができなかった春原くんは私の教えもあったお陰で、良い点とまではいかないけれどなんとか赤点は免れたらしい。どうやら、10月の終わりから11月上旬までサッカー部の遠征合宿があったらしく、補修参加者は参加できないと言われたそうで、それで必死だったようだ。無事に遠征合宿に行けた春原くんは、1週間もの間、公欠という扱いで席を空けていた。

「なまえちゃーん、テスト何点だった?」
「秘密」
「そういうなって! ……わ、さすがなまえ。やるじゃんかー」
「もー、人のテスト勝手に……」

 私のテスト結果と、黒板に書かれたクラスの最高得点の化学を交互に見ながら舞子は私の頭を撫でてきた。私の結果は、そんなところだった。だけど、休憩時間になって私と舞子の元に近付いてきた祐未とこゆきが視界に入るとさっとテスト用紙を机に押し込めた。
 なんで私、こんな後ろめたい気持ちを持ってるんだろうって、毎回のことながらため息を吐きたくなる。

「ねー、なまえー」
「なに?」
「なまえのことをさー、紹介してほしいって言ってる男子がいるわけ」

 携帯を片手に、祐未が私の名前を呼んだ。その言葉に私は一瞬眉を顰めるものの「ええー、誰だろ」なんて先ほどの行動を誤魔化すように私も携帯を取り出した。

「3組の、菅根くん! 美術部で、おとなし目の子なんだけどー」
「名前、聞いたことないんだけど」
「あたしも初めて聞いたんだけど、なまえと友達って言ったら、彼氏がなまえのこと気になってる奴がいるんだって教えてくれてさー」

 紹介してほしいって、それって、付き合うことを前提にってことだよね。そんなことを祐未に聞こうとしたけど、祐未は先に教えてくれた。私のことが気になってるって、きっぱりと。ていうか、彼氏?またこの子は、新しい彼氏ができたというのか。だけどそこにはあえて触れなかった。

「私、紹介とかはちょっと……」
「いつまでも少女漫画みたいな恋愛期待してないで、さっさと彼氏作ればいいじゃん」
「ちょっと話すくらいならいいんじゃない? いい子だよって、祐未の彼氏が言ってるみたいだし」
「なまえに初彼ができるってんなら、私も応援しちゃおっと」

 私はやんわりと断ってるんだけど、祐未、こゆき、舞子が続けざまに言葉を投げかけてくる。3人一斉の押しを受けてしまえば、私が断れるはずがない。


 その日の昼休みに菅根くんを紹介された。3組の美術部員で、部活でデッサンを勉強しながら美大を目指しているっていう、高校2年生にして進路先のことをちゃんと考えている、真面目で、頭の良さそうな、だけど地味な男子だった。
 教室の出入口で挨拶を交わしたけれど、邪魔になるので廊下に出て、窓際の壁に寄りかかりながら菅根くんと話をしてみる。「急に呼び出してごめんね」とか「ずっと前から話をしてみたくて」とか、正直に話してくれる菅根くんには好感が持てたけど、初対面だし、全く知らない人だしで私はイマイチ気分が乗らなかった。

 私は、一番後ろの空席状態の春原くんの机を見ながら、菅根くんには悪いけど、早く休み時間が終わらないかなと思ってしまうほど、興味が持てなかった。こういうところ、春原くんが見たらなんて言うんだろう。最近良い感じの子がいるんだって、1年生の女の子と屋上にお昼ご飯を食べに言ったっきり戻ってこない洋太が見たらなんて言うんだろう。洋太は、どうせ冷やかしてくるだろうから居ないことに安心を半分交えながら、県外でサッカーに励んでいる春原くんのことを考えた。きっと春原くんもいいんじゃないって言ってくれる気がするけど、言われたい気持ちと言われたくない気持ちが半々で、複雑な気分だった。

「菅根くん、どうだったー?」
「はぁ……やっぱ、紹介っていうのは嫌だな」
「ええー。お似合いだと思うけど! ね?」
「うん。話してみて、友達からでも、好きになったりするんじゃない?」
「菅根くん、優しい人らしいし、地味だし、モテなそうだし、他所の女の心配もいらないし」
「それって……」

 やっぱり祐未って、私のこと馬鹿にしてるんだよね−−って、鼻で笑いそうになったのを必死に抑えた。祐未って友達だけど私のことはそこまで好きじゃないか、目下の人間として見てるんだってことを再度認識しつつ、付き合うことを前提に紹介されて、私が上手く行くとは到底思えないという話をして、首を横に振った。

「なまえ、彼氏ほしいって思ったことないの?」
「うん。 私、付き合うなら、紹介っていう形じゃなくて、好きになった人と付き合いたいかなって思ってる」
「でもさ、好きな人ができたって、その人と付き合えるとは限らなくない?」
「それもそうだけど……」
「なら、自分のことを気になってくれてる人と向き合って、恋の駆け引きとかしちゃって、ちょっとでも、あ、やっぱりこの人いいかもしれない、って思って、カレカノになっていく方が楽しいよ、絶対」
「恋の駆け引きってなに。 舞子ちゃん、少女漫画の読みすぎだよ」

 授業が始まる5分前のチャイムが鳴れば、みんなが席に戻っていく。前の席に座っている舞子はさっきの話がまだ気になっているようで、こっちを向いて両手を必死に動かしながら説得をしようと説明をする。

「こう、あるじゃん、私のこと好きなんでしょ? じゃいつ告白してくれるの? してくれないの? じゃこっちは他の男のところに行っちゃうよ? いいの? っていう、駆け引きとか……」
「……ごめん、全然わかんない」
「はぁ……」
「ため息吐きたいのはこっちの方だよ」

 ガラガラっと教室の扉が開いた。はい、前向いてくださいねって舞子に前を向かせる。好きでもない興味すらない人を、好きになんてなるのか?と授業中ぼんやりと考えた。



 菅根くんとは、紹介されたことを機に昼休みの時間に話をするようになった。初めて話した時と同じように、廊下の壁に2人で寄りかかって、今日あったこととか、授業の話とか、昨夜みたドラマの話とか、趣味の話とか。必死に話しかけてくれる菅根くんに対して嫌だ、なんてこと言えるわけもなく、相槌を繰り返しながら私もそれ相応の話をした。

「ヒュー、なまえー」
「冷かさなくていいから! どっか行くの?」
「購買行ってくる」
「みょうじさん、なんか買ってこよっか? 菅根くんも!」
「あ、おれは大丈夫です」
「私もいいかなー。 いってらっしゃい」

 案の定、こういう姿を洋太に見られると洋太は冷やかした。本心はめちゃくちゃ嫌だった。遠征合宿から帰ってきた春原くんは気を利かせてくれる面を見せたけど、苦笑いしか返せなかった。
 菅根くんとこうも人目につく場所で何度も話をしていれば、クラスメイトだって何かを察しているのか教室の中から興味を示してくる視線が居心地悪く感じる。それは、菅根くんを紹介されたってことを知らないでいた春原くんがここに戻ってきて、2人で話している姿をはっきりと見られてしまっている影響が大きいのかもしれない。

 どうしてか、春原くんにはこの姿を見られたくないと思っていた。見られるのが嫌だって思った。購買に向かって廊下を歩いていく洋太と春原くんの姿を不意に見てしまった。そうしたら−−後ろを振り返った春原くんと目が合った。

「みょうじさん。 放課後って、時間あったりしないですか」

 はっとしたように菅根くんの方を向く。これは春原くんと目が合ってしまったせいなんだけど、同時に訪れた菅根くんの言葉に私は思いっきり苦い顔を見せてしまった。放課後……って。

「あ、いや……その。 ここでずっと話してるのも、周りの目が気になるっていうか」
「うん、うん……そうだね」
「おれ美術部だけど結構フリーな感じだから。放課後は時間あるというか」

 自意識過剰な面を見せてしまっただろうかと思ったけど、どうやら菅根くんは気を利かせてくれようとしたらしい。確かにここでずっと話をしていることは周りが気になって仕方ないので、その話には安心してしまった。


 放課後、校舎の裏の非常階段で菅根くんと話をしていた。遠いけどグラウンドで陸上部やサッカー部が活動している光景が視界に入り込む。きっと傍から見たらリア充爆発しろって言われるような光景かもしれないけど、人気の少ない静かな校内で話しているより、こうやって賑やかな音を遠目に聞きながら空の下で時間を過ごすことは窮屈さが感じられないからいい。

「あ……春原くんだ」

 グラウンドを見入っていると、見慣れた春原くんの姿があった。どうやらゴールの練習をしているらしく、一人一人ゴール目掛けてボールを蹴っていく。全身を使ってゴールを守るゴールキーパーを見事躱してゴールを決めた春原くんにちょっとだけ感動した。あんなふうに、部活をしているのか。

 ゴールを決めた春原くんは、順々に並んでボールを蹴っ飛ばしている列の後ろへと、手前を回って戻っていく。その時、ちらっとこちらを見たような、そんな気がした。
 そんな気がしただけなのに、私はなんとなく手を振ってみた。気付かれなかったら「気付いてないね」って菅根くんに言う気でいた。「部活中だから当たり前だよね」「そうだね」っていう菅根くんとの会話を期待した。

 なのに、春原くんは小走りの足を止めて、私に手を振り返してきた。気付いてもらえた。気付かれてた。見られていた。見てくれてた。私の存在が春原くんの意識の中にあるということが、嬉しくて仕方がなかった。


 この時、蓋をしていたはずの春原くんへの意識が、蓋が外れて溢れ出してしまったことに気付いてしまった。