意識



 春原くんに彼女がいることを知ったのは、中間テストの1週間前だった。


 私には早間洋太っていう、小学校一年生の頃から今までずっと同じクラスの腐れ縁っていう感じの友達がいる。だけど幼馴染といったら過剰な言葉すぎる。ただの小学生の頃からの付き合いの男子なんだけど、体育会系の洋太は小学生の頃からいろんなスポーツを経験して、中学に入ってから今までバスケ部に所属していた。そんな洋太は春原くんと仲が良かった。

「百瀬くん、好きな子がいるんだってー」

 数ヶ月前に春原くんが気になっていると零した祐未は、あれからまた新しい彼氏ができて春原くんとは何もなかったようだ。だけど、また彼氏と別れた祐未は春原くんへの熱をぶり返したらしく、机に伏せてがっかりした口調で吐き出した。

「ドンマイ!」
「誰かなー。 あたしが知ってる人だったらイヤだなー」
「クラスメイトとか?」
「それ、もっとイヤだから!」

 人の恋バナで盛り上がることは珍しいことじゃないけど、今日の昼休みの話題はそれになった。人気者の春原くんトーク。私は恋愛事には縁がないので一歩引いた場所でジュースを啜りながらその話を聞いていたけど、たまたま通りかかった洋太を呼び止めた。

「ねぇ、洋太。 春原くんの好きな子って知ってる?」

 教えてくれたらご褒美にポッキー1本あげるから、とおやつで食べようと思っていた机の上に置いたままの未開封ポッキーの口を開けながらそれを1本差し出した。

「あいつ、彼女いるよ」

 差し出したポッキーを手に取った洋太は平然と口にして、ポッキーさえも口に放り込んだ。「もう1本くれ」って私の手からポッキーの袋を取り上げて、1本どころか2、3本抜き取った洋太に対して、人のお菓子をなんだと思ってるんだと思っていると、彼女がいるという話を聞いた祐未がうわあぁ、と嘆きの声を上げた。

「え、何、祐未ちゃん、狙ってたの?」
「はい! じゃ、今日は祐未の失恋慰め会開こっか!」
「ねー洋太くん、彼女ってうちの高校の子!?」
「いや、違うよ。 他校のコ」

 よしよしと祐未の背中を励ましてる舞子が言ったことを機に今日は放課後、祐未の慰め会ならぬ遊びの予定ができあがった。テストが来週に迫っていることもあって、今日からテストが終わるまでの間は部活動は停止されている期間だった。だから、久しぶりに放課後、明るい時間にいつものメンツで遊びに行くことができるのは嬉しい。さすがにテストが近付けば赤点を避けるためにみんな真面目に勉強に取り組むんだけど、初日の今日くらいはしかたがない。彼女がいると聞いて嘆いていた祐未は、他校の子という言葉に救われたらしくすぐに元気になってくれていた。

 −−へぇ、春原くんって、彼女いるんだ。
 洋太を呼び止めたのは私だけど、それはあくまで祐未の為であって自分が知りたくて聞いたわけじゃない。だけど、心の中ではそんな言葉が浮かんでしまった。

 春原くんのことを、私も少しだけ意識していた時期があった。だけどそれに蓋をした。今はただのクラスメイトの一人として、何の気なしに話せる仲になった。放課後、舞子を待っているほんの少しの時間を春原くんと過ごすことがよくある。だけどその春原くんの態度に、ちょっとだけ期待していた自分がいたことを知ってしまった。
 私がクラスメイトの一人として春原くんに接しているのと同じように、春原くんだって、私のことを一人のクラスメイトとして接してくれているのだ。あいにく、男子とは洋太以外に仲良くしている男子とか、恋愛を経験したことがなかったから勘違いをしかけていた。



「みょうじさんっ、数学教えて欲しいんだけど!」

 春原くんに彼女がいると知った翌朝、昇降口で靴を履き替えていると春原くんが焦った様子で私に声をかけてきた。おはようっていう挨拶よりも先に飛び出した言葉に私は驚いた。

「え、なに、急に」
「みょうじさん、頭良いって洋太に聞いた! お願い、教えて!」
「いや、人に教えられるほど私、頭良くないし……」
「嘘だ! 一年の時の成績、学年トップだったって洋太が、うががっ」
「わー! それはストップ!」

 興奮のあまり容赦なく大声を上げる春原くんを黙らせるように、持っていた鞄を春原くんの顔に押し付けた。焦って周りを見渡すも、知り合いの顔がなかったのを確認するとほっとしたように鞄を下ろして春原くんに謝った。

 春原くんが口にしたことは、私が学校生活の中で隠していることだった。実は、私は成績が良い。勉強は好きじゃないけど、結果を残すことが好きだった。昔はテストの総合点とか、上位者の名前がテスト明けに廊下に張り出される習慣があったそうだけど、保護者からのクレームでそれが取り下げになったらしい。部活に励む子は勉強できる子が少ないから、デリケートな問題になりかねないという理由からだそうだ。それでも、公にはされていないものの毎回配られるテストの点数表とか、学期や学年の成績表には律儀に成績だけでなくテストの順位まで記されていた。私はいつも1番か2番のどちらかだった。

 隠している理由といえば、煽てられたりすることが嫌だから……という理由を前面に出しているけど、本心は友達の目が一番気になった。祐未は、私のことを勉強ができない自分と同等の立場の子として認識しているようだし、彼女と仲の良いいつメンの4人のうち一人の布村こゆきは勉強の成果が結果に表れないと、いつもテスト後に溜息を零している。
 女子って面倒臭いから、そのあたりは慎重にしないと絶対仲が悪くなるってことは簡単に想像できる。舞子には1年生の時に勝手に点数を見られた過去があるのでそれがバレているんだけど、舞子は赤点を逃れられたらそれでいいって思っているし、舞子も舞子で私の思っていることに勘付いてくれているから黙ってくれている。たまに、冷やかされるんだけど。あとは、小学校の頃からの付き合いである洋太くらいしか知らない。

「今日の放課後、洋太と舞子と勉強会する約束してるんだけど、その時でよかったら……」

 そして私は、私の弱みを握った2人に勉強を教える立場でもあった。洋太に口止めしとかないといけないなと思いながら、放課後に春原くんを含めた4人で勉強会を開くことになった。


 春原くんって、本当にサッカーしか好きじゃない運動バカなんだなって知ったのは、一緒に勉強会をしていたときだった。
 ごめん、いつ勉強した話をしてるの?って本音を零してしまうほど、春原くんは勉強ができなかった。特に数学の公式とか、英語の基本とかはまるで理解していない。辛うじて国語は読解力があるのか口出しする部分はなかったし、化学なんかは実験して経験したことをちゃんと覚えているようだったので理解はできているみたいだけど、それ以外の、黒板に書かれてそれをノートに写しただけのものは理解が追いついていなかった。特に数学。英語は正直ワークを丸暗記していれば難を逃れられるけど、数学は問題がいつも先生が考えた問題がテストに出てくるから暗記どころの話ではなかった。

「……春原くんの彼女って、どういう子?」

 頑張って問題文を解いている春原くんに、私は訊ねた。勉強会が終わりかけの頃に、今日のまとめをテストしますといった形で問題文を提示したのだ。一緒に勉強していた洋太はそれを見て笑って「俺は終わったから購買に行ってこよー」と勉強道具を片付けて席を立った。舞子だって「私も行くー」なんて教室を出て行ってしまったから、この教室には春原くんと私の2人だけになっていた。

 春原くんがそのことを隠しているのかはわからなかったけど、あまり知られていない話にてっきり隠しているのかなって思っていた。「え!? なんで知ってんの!?」って、そういう反応を期待したんだけど。

「商業の、バスケ部の子」
「へぇ、同じ運動部なんだ」

 春原くんはあっさりと、区内の商業高校に通っているバスケ部の子だということを教えてくれた。

「他校って、あんまり会えなくない?」
「うーん、まぁ、そうだね。 部活やってるし、高校入ってからは中学ほど頻繁には会えてないかも」
「なんで、その子と同じ高校行かなかったの?」
「サッカー強い公立って、ここしかなかったし。それにオレ、商業系って柄じゃないし」
「ふーん。 私立に行こうって思わなかったの? そっちの方が強かったりするよね」
「推薦来て考えてたけど……でも、元々強い高校で、当たり前みたいに全国行くよりだったら、強敵相手に戦って、勝ち取って全国行く方が燃えるでしょ」

 シャーペンをなぞりながら春原くんは私と質問に答えてくれる。確かに、部活重視で入った実力者ばかりが集う学校で当たり前のように全国や全国優勝を狙うよりだったら、都内の強豪校相手に優勝を勝ち取って全国出場を決めた方がとてつもない喜びっていうものを感じられるんだろう。そういう話を、野球漫画で読んだ覚えがある。

「運動部って、そういうもんなんだ」
「そういうもんだよ。 ……できた!」

 まるで母の日にお母さんの似顔絵をプレゼントするような顔で、春原くんは私が作った問題用紙を提出した。

「すごい、ほとんど間違ってるけど……」

 春原くんは、勉強ができない人だった。いつだってサッカーのことばかりを考えている。日頃からサッカーに夢中になって、部活動じゃ本当に、ひたすらに勝利の道を目指し続けていたってことを知ったのは、テスト明けにサッカー部が全国高等学校サッカー選手権大会の全国大会出場権を握りしめた時だった。