意識



 今年の春原くんの誕生日は、日曜日だった。


 去年はその日を過ぎてから「誕生日だったんだ!」と教えてもらったけど、今年は「もうすぐオレの誕生日なんだ!」と前もって言ってきて、わかりやすくもポッキーの日だと覚えていた私は「知ってるよ」と答えていた。

「だから、オレと遊んでよ! たまにはオレの我儘に付き合って!」

 そう言い出した春原くんは何やら積極的で、私は一応、誕生日を知っていたから予定は空けてたから頷いた。春原くんの我儘に付き合うことは、初めてかもしれない。

「日曜日、朝9時になまえのこと迎えに行くから!」

 別れ際に春原くんにそう言われたけど、迎えに行くからって、一体何で迎えに来ようとしているのかわかんなかったし、どこに行って何で遊ぶのかは聞かされないままだった。でもあの春原くんの様子を見る限り、どこかに行こうとしていることは明確だ。

 春原くんの誕生日プレゼント、どうしよう。去年の誕生日やクリスマスは、まだ付き合っていない時期だったし、付き合って間もなかったからプレゼントを渡すということはしたことがなかった。記念日とかもそうで、祐未やこゆきは毎月彼氏に手紙を書いてたりお揃いのものを買ってるとか言ってたけど、春原くんと私にはそういう縁もなかった。どうしよっかなぁ、そういうことを考えている間に、あっという間に日曜日になる。

「おはよー。 いつもの自転車と違くない?」

 当日、9時ぴったりにうちに訪ねてきた春原くんはママチャリを持ってきていた。また自転車通学が許されるようになって、学校ではマウンテンバイクを使っているけど、今日のはうちにもあるママチャリ。自転車でどこかに出かけようとしてるのかなと思って、私も自転車を引っ張り出すべきかを悩んだけど、春原くんは挨拶を終えるなり、親指で自転車の後ろを指した。

「姉ちゃんから借りた! 後ろ乗って!」
「へ!? 二人乗りするの!?」
「そ! 今日は河川敷に行こ。少年サッカーの試合やってんだ」

 二人乗りをすることにも驚きなんだけど、サッカーの試合を観に行くんだ。言葉に詰まりながらも、嫌だと思うはずなく、鞄を抱えて春原くんと自転車に近付いた。二人乗りとか、友達と一回だけしたことはあるけどそれっきりだし、男の子としたことってない。

「……なんで二人乗り?」
「青春って感じするじゃん!」
「警察に見つかったらどうすんの」
「注意受ける!」

 おかしな緊張みたいなものが走り出して、春原くんの目の前で本当にするの?というニュアンスで声を掛けるものの、春原くんはケロッとした表情を浮かべながら、平然とそういうことを言い出す。

「大丈夫! オレ、3回くらい捕まったことあるけど、なんともないよ!」

 本当に大丈夫かな……そう思いながら自転車の後ろに跨ると、春原くんは自信満々にそんなことを言い出した。自信ありげに言うことじゃないと思うんだけど。ていうか、警察に捕まるくらいやんちゃなことしてたんだ、と春原くんの意外な一面を知るものの、私も跨ってしまったのなら仕方ない。

「私、二人乗りとかほぼ初めてなんだけど」
「大丈夫、わき道走って行くから。ちゃんと捕まってて」
「じゃあ、安全運転でよろしく」
「任せて!」

 重みで自転車の軋む音が聞こえて、ゆらりと視界が動き出した。揺れに驚いて慌てるように片手で荷台を掴んで、もう片方の手で、春原くんの薄着のパーカーの端っこを掴む。体勢を立て直したらすぐに乗ってることに慣れるけど、この間金曜ロードショーでやってた時間跳躍するSFアニメのワンシーンみたいだ−−と、思っていたら、ガツンと段差を乗り上げた衝撃に驚いて、ああいう青春的な場面とは一転して、春原くんの体に抱きつく形でしがみ付いてしまった。


 春原くんに連れられてきた河川敷は、狭くはない川の傍に広がるグラウンドがあって、小学生や中学生がそれぞれ広々としたグラウンドで野球やサッカーの試合をしていた。遠目から見ても、私たちの年代の年下くらいの選手たちがグラウンドを走り回ったりボールを打ったりしている。
 ここは川を挟んだ市の境目に位置する場所だったし、近くには道路橋があるから、車の中からは何度か見たことのある場所だ。

「寒くない?」
「大丈夫」

 サイクリングロードを二人乗りで走った先、サッカーの試合をしてるグラウンド前で自転車を停めて、そこから降りると春原くんは下に続く階段に座り込んだ。そしてその一言を訊ねてきてくれたけど「なまえは寒がりだから」と言ってくれた春原くんは、私のことを気遣ってくれていたらしい。11月上旬のこの時期は肌寒いし、川沿いともあって風が冷たかったけど、大して気になる寒さではなかった。

「ここ、オレが少年団で試合してた場所なんだ」
「あ、そうだったんだ」
「あの4番のユニフォーム着てる子、上手いよ」
「……そうなの?」
「ドリブルも上手いし、躱すのも上手い!」

 なんでこんなところに連れてきて、どうしてサッカーの試合を見にきたのかわからない。どうしたの、と訊ねる前に、サッカーを観戦していた春原くんが先に口を開いていた。

「小学生や中学生って、戦略とかそういうの具体的に教わんないんだよ。だから、相手の動きを読んで動くしかないの。あの子はちゃんと相手のこと見てるし、頭の回転早いんだろうな」
「ふぅん……」
「あと、めちゃくちゃ楽しそうにプレーしてる!」

 相槌を打ちながらその光景を眺めていると、ちょうどシュートを決めて「やったー!」と声を上げている声がここまで届いてくる。その子の表情は遠目から見ても顔をくしゃくしゃにして喜んでいるのが伺えて、こっちまで頬が緩んだ。楽しそうにプレーしてるって言ってた春原くんも、自分のことのように嬉しそうに笑っている。

「相手の動き読んで、それが上手くいってシュート決めた時の嬉しさって半端ないんだよ。それが強い相手なら、なおさら! あと、PK戦も! 緊張が走る中で、その空気を破ってゴール決めた時は、心の底からグワッて、言葉にできない嬉しさとか、喜びとかが湧き上がってくんの!」

 饒舌に話し出した声に、見続けていた少年から視線を逸らして春原くんを見つめた。一つ一つ自分の経験を思い出すように話している春原くんは、幸せそうで、楽しそうに笑っている。春原くんのサッカーに対する情熱はその言葉だけで痛いくらいに伝わってくる。

「−−オレ、手術受けることに決めたんだ」

 そうやって話していた明るい空気の中で、春原くんはそれを突然告げてきた。「え、」と自然と零してしまった先からは、言葉が詰まって何も言い出せなかった。だけど、少しの間を置いて「そうなんだ」とそれだけが口から溢れ落ちた。

「また、みんなお見舞いに来てくれるかもね」
「ううん。 みんなには言わない予定!」
「え?」
「自由登校始まったらすぐ手術するよ。一ヶ月もあれば、リハビリも終えられてるはずだから。卒業式には普通に過ごせてると思う。サッカーできるかまでは、わかんないけど」

 春原くんの手術計画はそのまんま、2月頭から始まる自由登校に入ってすぐに手術をして、卒業式までにリハビリを終わらせる。高校生活最後の時期だからみんなと遊びたいけど、それを我慢して自分の身に専念する。きっとたくさん遊びに誘われるかもしれないけど、なんかあった時はなまえと遊ぶからって裏付けしといてとまでお願いされてしまった。手術して入院すれば、みんなが心配してお見舞いに来てくれるのは分かりきっているから、だからこそそういうことにしておいてって気持ちを訴えられて、私は頷く以外の術がなかった。

「じゃあ、お見舞いには私が行ってあげる」
「んはは、ありがと! 姉ちゃんも喜ぶよ。またなまえと話したいって言ってたし」
「そ、そうなんだ……」

 どうやら私は春原くんのお姉さんに好意的に見られているらしい。それは嬉しいことだったけど、何より嬉しかったことといえば、春原くんのお見舞いに普通に行けるってこと。友達には秘密にすることを、私には教えてくれて、前は居場所がなくて居辛かった場所に平然と通えるってこと。私は、春原くんに特別な存在として見られることが、嬉しかった。

「なまえ、あとさ、あの」
「ん?」
「クリスマスイブとか、クリスマスの予定ってある!?」
「えっ」

 話が飛躍して、まだ1ヶ月以上も先の話をされて、困惑気味に返答する。幸い、そんな先の予定はまだない。何故その日なのかと問われれば、私たちが付き合った日だからだ。春原くんの誘いの意図はわかるけど、そんな先のことをもう考えてくれていたのか。

「付き合って1年経つから、どっか行きたいなって思って! と、とま、泊りがけとか!?」
「泊まり!?」
「あっ、いやっ、泊まらなくてもいいけど! あっ、それともうちに泊まりくる!? みんなでクリスマスパーティーとかやっちゃう!?」
「そっちの方がハードル高くない!?」
「だよねっ!? オレもそう思う!」
「へっ? なに、ふふ、何言ってんの」

 泊まりってワードにも吃驚だけど、春原くんの家族とクリスマスパーティーするってことにも驚いた。関わりたくないわけじゃないけど、そういうことをする準備ってできてない。現に、春原くんのお姉さんと会って話をするだけでもいっぱいいっぱいなんだから。

「遊びに行くだけでもいいんだけど、なんかこう、ハメ外しみたいな!? 卒業したら毎日会えなくなるし、できんなら、今のうちに一緒にいたいなって思って!?」
「……泊まりは、どこ行くの?」
「ええ、夢の国……? あ、でも碓井さんがやめとけって言ってたな……」
「クリスマスシーズンは激混みだと思う」
「やっぱりそう思う?」

 私と一緒に過ごすことは確定だけど、具体的なことはさっぱり考えていないらしい春原くんの言葉をやんわり拒んでしまったら、春原くんはわかりやすくも悩む人のポーズをし始める。夢の国はいつだって混んでいるけど、12月は絶対に混んでいる。友達複数人ならまだしも、カップルで2人きりで激混みの中に紛れ混むのはちょっと勇気がいるような気がした。彼氏と夢の国は一度くらいは行ってみたいけど……。
 それを口にしながら、頭の中では、卒業したら会う時間もめっきり減ってしまうんだろうな−−ということを考える。それはちょっと寂しい。春原くんと卒業旅行は行けるかわかんないし、それもあって、付き合ってちょうど1年目の日を丸々使って遊びに行くことに断る理由がまず見つからなかった。

「春原くん、他にどっか、行きたい場所ってないの?」
「行きたい場所……あっ、鎌倉?」
「鎌倉?」
「り、Re:valeの2人の出身地だって言うから……聖地巡礼、みたいな?」
「聖地巡礼って言い方おかしくない? でも、鎌倉はいいね」

 鎌倉だったら東京駅からなら電車で1時間もあれば行ける。追っかけみたいにRe:valeの出身地に行くのが目的の春原くんだったけど、有名な観光スポットだし、単純に観光地巡りもできる。行きたいと口にすれば、春原くんは「本当に!?」と嬉しそうにしてくれたから、私は頷いた。

「日帰りね、日帰り」

 思わず苦笑いを付け加えてしまったけど、友達の家に泊まりに行くというのなら親も許してくれるけど、さすがに遠い場所で彼氏と2人きりで泊まりというのは許してくれるはずもない。そもそも、それを告げる勇気が今の私にはなくて、結局、本気かどうなのかもわからない泊まりというのには首を横に振ってしまった。
 それでも、クリスマスイブに春原くんと遊びに行けることは嬉しい。最近になって休日も遊べるようになったけど、その日は私たち的にも世間的にも特別な日なのだ。

「鎌倉行って、次はどこに行く?」
「へ?」
「イブとクリスマス、両方遊ぶんでしょ?」
「……両方いいの?」
「いいよ。でも、親がうるさいと思うから、家には帰らないと」
「わ、わかった! もう一日は、考えとく」
「考えといてくれるんだ?」
「念のために……なまえ、どっか行きたい場所ないの?」
「私も考えとこーっと。……行けるかな?」
「行けるって?」
「春原くんとあらかじめ予定立てて行けた試し、あんまないから」
「スパッと決めとかないと、グダグダしちゃいそうだよね、わかる」
「あはは、それもそれで楽しいけど。 楽しみだなー、来月」

 まだ先のことを想像してみると嬉しくなって、自然の空気を吸い込みながら伸びをした。ほんの少しだけ肌寒くはあるけど、気温がちょっとずつ上がってきているお陰で暖かい。伸びを終えた手を降ろした時に、触れて視界に入った鞄を見て、あっと思い出した。

「そうだ、春原くん。お誕生日おめでと。 あのさ、これ」
「ありがと! ……これ、ミサンガ? 作ったの!?」
「うん。下手っぴだけど、何渡したらいいのかわかんなくて」

 この日のために作っておいた春原くんへの誕生日プレゼントを取り出した。プレゼントをどうしたらいいのかわからなくて、インターネットに頼り切って探し出した、彼氏のオススメ誕生日プレゼントの中にあったミサンガ。「スポーツマン 彼氏」っても検索したけど、ダンベルとかトレーニング用品ばかりの、いろんな意味で重たいものしか出てこなかったから、手作りだけど重くないものをチョイスしてみた。ねじり編みしただけの簡単なやつ。地味な色よりも明るい色の方がいいかなと思って、ネオンピンクと白のツーカラー。若干よれてるけど、初めて作ったわりにはいい出来上がりなんじゃないだろうか。

「付けちゃお」
「ミサンガって、切れたら願い事が叶うんだってね」
「利き足の反対は恋愛だっけ?」
「そこまでは知らないけど……恋愛叶えるの?」
「うん。 切れたら、なまえと結婚しよっと」
「え!?」

 んはは、と冗談笑いを零しながら左足にミサンガを巻き付けている春原くんの口から、爆弾発言みたいなのが飛び出した気がするんだけど。ちょっとご機嫌な様子で巻いてる春原くんからさっと目を逸らして、鞄に入れていた携帯を取り出した。不覚にもドキドキとしてしまった胸を抱えながらインターネットのページを開いてみる。

「……恋愛は、利き手の手首って書いてあるけど」
「え!? マジで!? もう結んじゃったよ! 利き足の反対は!?」
「金運だって」
「掠ってもないじゃん!? 切れたら宝くじ買お……」
「あ、でも、ピンクは恋愛なんだって」
「マジ!?」

 どれどれ、と携帯の画面を覗き込んでくる春原くんに、見えやすいように身体を寄せると、身体が密着した。携帯の画面を触りだした春原くんが「ふーん」とか「へー」と呟きながらページを読み進めているけど、薄着越しに体温が伝わってきて、その熱に惹かれるまま肩に頭を落としたら、遠くから子供たちの冷やかしの声が聞こえてきた。