意識



 春原くんと遊びに行った日は、あいにくの雨だった。


 どしゃ降りとまではいかないけど、大粒の雨粒が地面を叩いていた。屋根や塀に落ちた雨粒が跳ね返って冷たい。傘をさしながら雨の中を歩いて待ち合わせの駅まで向かう。そこにたどり着くまでに靴はびしょ濡れになっていて、途中で横殴りの雨に変わったりもしたせいで、傘を握っていた手の甲だって濡れている。これからデートだっていうのに最悪な気分だ。

 駅についたら、JRの切符売り場の前で春原くんは待っていた。私に気付いて「おーい!」と声を掛けてくれて、その声に気付くと顔を上げて春原くんに手を振り返して傍に駆け寄った。
 春原くんは、まだ運動ができるほど元に戻ったわけじゃないけど、一応ギプスは取れて普通に歩けるようにはなっていた。やっと、少しだけだけど遠出ができるくらいに回復していた春原くんは、病院の先生からの許可がおりてすぐに私との約束と取り付けてくれたらしい。春原くんが怪我をした後で一番最初に遊ぶ相手、それに私を選んでくれたことはとても嬉しいことで、春原くんのことで若干傷心していた洋太に遠慮なしに自慢してしまうほどだった。
 「はぁ!? 春原、オレとも遊び行こうぜー!」と言っていた洋太は春原くんが元気に回復してくれたことを素直に喜んでいたけど、春原くんに言われたことは洋太には告げなかった。わざわざ私が口入ることじゃないし、きっと春原くんのことだからいつか遊びに行った先で話してくれると思っていたからだ。

 というか、春原くんって集合時間よりもたいぶ早い時間から待っているようだった。今まで数回だけデートをきたけど、春原くんはいつも先に来ている。今日は雨も降っていたから10分くらい早めに家を出て、約束の時間に10分くらい早く着いたけど、春原くんはそこにいた。「ごめんね、お待たせ」と言うと春原くんは「オレも今来たばっかだから大丈夫!」って言うんだけど、本当なんだろうか。

「雨だとさ、外歩く気にならないんだよね」
「じゃあ、映画でも見に行く?」

 今日の約束を決めた時に、今までみたいに弾丸って形じゃなくあらかじめ行く場所を決めとこうっていう話をしていた。駅から20分くらい歩いた距離にある美術館でガラス展という綺麗な展示会を開いていることを知ったから、今日はそこに行くつもりだったのだ。だけど、雨が降っているからなるべく外を出歩きたくないという気持ちがあって、せっかく決めたっていうのに私の本音がこぼれ落ちた。決めてたくせに面倒臭いヤツって思われただろうか。でも、気を利かせてくれた春原くんは映画を見に行こうと言い出した。確かに映画だったら、駅と直通しているそこそこ大きなプラザの1階にこじんまりとした映画館が入っている。

「なんか見たいのある?」
「うーん……なまえは?」
「私が気になってる映画、恋愛ものだよ」
「全然いいよ! それ見よ」
「……本当にいいの?」

 たぶん春原くんと映画の趣味って全く合わないと思う。アクション映画とか、洋画とか、スポーツをテーマにした流行りの女優や俳優が出演している映画もあって、それは春原くんが興味を持ちそうなものばかりだったけど、私はそのジャンルに対する面白みや興味っていうものがなくて、お金を払ってまで見る気が起きなかった。絶対途中で寝ると思う。
 そのような中で私が興味があったものといえば、祐未に勧められていた恋愛映画だった。タイトルや予告からして最終的に恋人が死んでしまうっていう感動系の恋愛映画なんだけど、祐未好みの作品のようで、それを見に行った祐未が翌日に「みんな見て!」って言ってたから、見に行きたいなとは思ってたんだけど。

 春原くんは「見ようよ」と言って、それを観ることを決めて、チケット売り場に行くなりすぐにその映画のチケットを購入していた。私の分も。……え、私の分も?

「えっ、春原くん、私の分は自分で払うから」
「ずっと遊びに行けなかったお詫びだよ」
「それは仕方なかったことじゃんか。 大丈夫だ、から……」
「オレの気分なの。 ……どうかした?」
「え、いや、なんでもない……あ、ありがと」

 前に水族館に遊びに行った時はお互いの料金しか払わなかったし、お互いにお小遣いでやりくりしてる間柄なら余計なお金は使わせたくない。なんせ千円以上もするお金なんだから、と強引にでも自分の分は自分で払おうとしていた。けど、振り返って、私が取り出そうとした財布を拒んだ春原くんを見て一瞬ドキッと心臓が高鳴ってしまった。あれ、なんだこれ。一瞬だけ感じてしまった胸の高鳴りのせいで、強引にでも払おうとしていたのに、その手をすぐに引いてしまった。


 祐未が勧めてくれた中高生や若い女性に人気だという流行りの恋愛映画は、正直、お世辞にも面白いとは思えなかった。見る前からタイトルや予告でわかっていたような恋人が死ぬ結末は、結局最後まで見てもそれは変わらず、話の大半は恋人が病気を患って死んでしまうまでのストーリーに重点を置いたものだった。それでも確かに、恋人とのほのぼのしいストーリーから少しずつ死に近づいていく2人の関係とか、主人公の心境には感情移入してしまう場面もあって、後半は思わず泣いた。それのおかげでもう一回は見なくてもいいけど、祐未には感動したっていう感想を送ることができる。

「……春原くん、ティッシュいる?」
「っ、ありがと」

 エンディングが終わって会場がほんのり明るくなって、祐未に伝える感想を考えて隣の席に座っている春原くんを見ると、春原くんが号泣していた。映画の最中、私は泣きながらハンカチを目に当ててたりしてたんだけど、春原くんは垂れ流しのまま映画を見続けていたらしい。映画が終わった直後に春原くんの顔を見て、驚きのあまり身体が硬直した。

「オレ、人や動物が死んじゃう話に弱いんだよ」
「そんな気はするけど……」
「死んじゃった後にさ、残されちゃった人のこと考えると、こう、心に来るもんがあるっていうか」

 鼻を2回も3回もかんでやっと立ち上がった春原くんは、空っぽになったジュースとポップコーンの容器を手に持ちながら言った。春原くん、恋愛映画には興味なさそうだなって思ってたけど、こういう感動ものの作品には弱いらしい。結局死ぬのかという気持ちが半分あった私だけど、春原くんはその話の延長のことも考えてしまうタイプの人らしい。春原くんらしいな、と思った。

「中学の頃、じいちゃん死んじゃった時にさ。じいちゃんがいなくなって泣いてたんだけど、残されたばあちゃんがずっと落ち込んでるの見て、オレずっと泣いてたんだよね」
「春原くんって、優しい人だよね」
「そうなのかな。なんか、なまえのことももっと大切にしよって思った!」
「……うん、ありがと」

 映画館を出た頃には元気になっていた春原くんの言葉に私は頷いた。私だって、そりゃ、こんなに近くにいてくれる春原くんのことを大切にしたいって思う。それをはっきり口にしてくれた春原くんを見て、つまらない恋愛映画を見て正解だったなとも思った。

「雨止んでないね」
「これからどうしよっか」

 映画を見て2時間潰したけど、外の景色は映画を見る前とは変わっていなかった。でも、少しだけ雨の強さが弱まっている。これなら美術館に行くのも苦じゃないかもしれないな−−と思って、美術館に行こっか、そう口にしようとしたら、春原くんが先に口を開いた。

「うちに遊びに来る?」
「え、春原くんち?」
「ちょっと歩くけど、美術館よりは近いよ」

 春原くんがうちに遊びに来るかと言い出した。「え、いいの?」と、行ったことのない春原くんの家に興味を示した私は春原くんに訊ねると、春原くんはいいよと言ってくれた。学校で会う春原くんしか知らなくて、デートに行っても出先の春原くんのことしかまだ知れていない。別に、張り合うつもりはないんだけど。春原くんの自宅に行けるってことは、私にとっては嬉しいことでしかなかった。その部分に興味を示してしまったばっかりに「今日、うち、親いないし……」と小さく呟いた春原くんの言葉を聞き取れなかった。