意識



 私にとって洋太は、腐れ縁で、同士のようなものだった。


 洋太と仲良くなったきっかけって覚えていない。小学校に入ってから、家が近いっていうこともあって、遊びまわっていた小学生の頃は他の近所の友達を誘って一緒に遊んでいたもんだ。そもそも、物心がつく前からの付き合いだったから、きっかけなんてもの存在しなかった。
 洋太とは学年を上がっていくにつれて、3年生と5年生で変わるクラス替えでも一緒。だけど、6年間同じクラスの人がいることは珍しくもなんともない。洋太の他にだって、2、3人は6年間同じクラスの人たちがいた。年を重ねるごとに洋太とは遊ばなくなり、気付いたら同性の子とばかり遊ぶようになった。その期間は、洋太とはあんまり話していなかった記憶がある。

 中学に入ってクラスが増える分、6年間一緒だった残りの人たちはみんなバラバラのクラスになった中で、洋太とはまた一緒だった。また洋太と話すようになってから「こんなこともあるんだね」って話してたけど、中学校で一回しかない2年生のクラス替えでもまさかのまた同じクラス。「俺、小1の頃からずっとなまえと同じクラスだから、2年じゃ別のクラスにしてって担任に言ったんだけど」と言われたことは、同時に私も担任に言っていたことだから、お前もかよ!?って気持ちが大きくて記憶に残っている。
 
「なまえって、なんで春原と付き合ってんの?」
「したい話って、それ?」

 志望校をこの学校に決めた理由は、家から徒歩でいける近い距離にあったから以外の理由はなかった。勉強は好きじゃないけど結果を残すことが好きだった私は、中学の頃からそれなりの成績をしていて三者面談で進学校を勧められたけど、進学校の3年間のカリキュラムを見て、勉強尽くしの生活だけは絶対に嫌だと思ってそれを避けた。担任には勿体ないと言われたけど、両親は私が1人っ子ということもあって好きにしたらいいとそこまでの強要はしなかった。共働きだから、近場の学校なら迎えに行かなくて済むっていうのが両親にとっては一番の安心だっただろうし、治安も良かったから夜道を一人で歩かせたって安心だと思ったんだろう。やりたいことも何もないまま、普通に最低限の勉強をして高校を卒業するだけのことを考えて志望した高校は、洋太と被っていた。洋太にしてみたら、この高校は自分のレベルに合った高校だと言われて進学を決めたらしい。

「いやー、好きなのかなーって思って」
「好きだけど。 どうせ、じゃあなんで心配してないんだって言いたいんでしょ」
「なんだお前、まだ根に持ってんのかよ」
「持たないほうがおかしくない!?」

 「高校どこに行くことにした?」っていう話を受験を控えた時期に洋太に尋ねられた。志望校を告げると「マジで?」と言われ「俺もそこに行くことに決めたんだけど」と続けざまに言われて、はぁ!?マジで!?ってお互いに顔を見合わせたのだって記憶に残っている。だけどたかが志望校だ高校受験だ、お互いにお前行くのやめろよなんて言えるはずもなく、まさかなぁ……と思いながら無事合格した後に見た貼られたクラスの表を見て硬直した。また同じクラスだった。この頃には小1から同じクラスの人なんて洋太以外にもおらず、逆もまた然りだった。

「私が一番わかってるよ。なんもしてあげられてないってことくらい。だけどさぁ、春原くんって友達多いじゃんか。昔から仲の良い友達とか、部活仲間とか、私が知らなかっただけで、春原くんの周りには人がいっぱいいるじゃん。付き合ってるけど、たかが2年になって知り合ったばかりの私じゃ、自分の存在が春原くんの周りの人間にとってはめちゃくちゃ影が薄くて、小さい存在だって気付いて、とけ込めないじゃん」
「そのくせアイツは、心配するなよって言ってくるしなー」
「そうだよ、そうなんだよ!? わかる、この気持ち!?」
「その気持ちよーくわかるし、落ち着けって」

 高校2年になってのクラス替えもそうだった。なにも変わらずにまた洋太と同じクラスになる。また同じクラスかよっていうのが今回はなくて、そうなることはわかっていたと言うように2人揃えて溜息を零したのだ。「ま、高校で最後だろうし、仲良くやろうぜー」「そうだねー」っていう会話をして、お互いに気の合う友達と一緒に過ごして、お互いに高校で終わりだからっていう理由で踏ん切りをつけたのだ。

「俺だってそうだって。春原と今一番仲良いのは俺で、怪我してくじけてる時だって俺のこと一番に頼ってきてくれるもんだと思ったんだよ。 でもアイツが頼んのは、アイツを一番に心配してんのは、俺が知らない古馴染みやチームメイト。いくら俺が学校に早く来て春原のこと待ってたって、アイツはいつも俺の知らない誰かと一緒にいんだよ」

 洋太は腐れ縁って感じの男友達で、それ以上でも以下でもない至って普通の友達だ。何年も一緒に過ごしてきたんだからお互いの性格だってよくわかっていて、ぶつかり合いだって生じる。だけどそんな洋太の本音を聞いたのは初めてだった。

「俺もお前に八つ当たりしてたわ。 悪かった」
「うわ、洋太が謝ってきた。 明日は雪でも降んのかな」
「はぁ!?」
「冗談だけど。 でもなんか安心した」
「何がだよ」
「春原くんのそういうところって、誰にも言えないでいたから。舞子にですら、愚痴りたくても愚痴れなかったんだよね。春原くんも心配掛けさせたくないから、大丈夫だよって言ってくれるのわかってんだけど」
「わかるー」
「わかるー?」

 まるで女子のノリで反応してくる洋太に笑ってしまう。私は春原くんの彼女であるからこそ、春原くんに心配を掛けさせてもらえないっていうのと同じように、春原くんも洋太のことを一番の友達だと思ってくれているからこそ、同時に心配掛けないようにしてくれているんだ。そして、同じように過去の人たちからの強い絆に入り込めずに、春原くんの気の利かせようによっては私たちはちっぽけな存在になっていく。それは春原くんが悪いわけではないんだけど、こんなふうに入り込めない立場の人間の存在が他にあるってことは、私の落ち込んでいく心が救われていくような気がした。

「−−洋太、なまえ! なにしてんの、こんなところで?」

 洋太に話があると言われて話せる時間を作ることは放課後くらいしかなかった。校舎の裏側の非常階段に座り込んで話し込んでいたけど、そこに私と洋太の名前を呼ぶ声が響き渡った。春原くんだった。

「うわ、春原だ」
「うわってなんだよ!?」

 たとえ周囲の人間に良くないように言われてしまおうとも、私たちができることって、春原くんの気持ちを尊重することくらいしかない。密かにその結束を結んだところで当人である春原くんがやってきてくれるんだけど、それを春原くんに気付かせてはいけないのだ。

「なぁー、春原ー、相撲しようぜー」
「やめろ! 倒れる! 倒れるから!」
「ははっ、早く足治せよなー。 治ったらアンパンマンショー見に行こうぜー」
「仮面ライダーじゃないの!?」

 座り込んでいた腰をさっと起こして振り返った洋太が、さっそく春原くんにちょっかいをかける。まるで今までの会話を誤魔化すような光景だった。春原くんよりも背の高い洋太が春原くんの真ん前に立って、わざとらしく松葉杖を突いた春原くんの身体を押していた。「危ないことしないでよー」と小声をかけるも、子供が笑ってはしゃぐようなトークを始めた2人を少し離れた場所で見つめていると、洋太がこっちを見た。

「なまえ、お前、さっきの話、絶対誰にも言うなよ」

 と言って、洋太は春原くんの肩をぽんぽんと叩いて、私と春原くんを取り残そうとする。それを読み取って、わかったという返事の代わりに「ばーか」と声を投げかけた。

「なまえ」
「んー?」
「洋太と何話してたの?」
「人生相談」
「そんなのオレにしてよ!?」
「それは洋太に言ってよ」

 座り込んでいた階段から身動きを取らずにいると、春原くんがそこそこ早いペースで近寄ってくる。相変わらず左足にはギプスが装着されてあって、座りづらそうな気配を察すると、洋太が座っていたスペースからもう少しの間隔を空けて座り直して手すりに肩を寄わせると、春原くんが隣に腰を下ろした。

「春原くん、今日は部活の様子見に行くんじゃないの?」

 春原くんが、怪我をしたって毎日部活に顔を出していたことは知っている。キャプテンっていう、大事な責任を背負っていた春原くんが怪我で出られない今、春原くんが今まで見ていたチームの特徴や動きを、自分が試合に参加しないでも他の周りの人に伝えるべく、監督やコーチと一緒に練習の前にミーティングを開いているそうだ。

「今日は、行かないことにした」
「珍しいじゃん」
「碓井さんが、なまえが洋太に用があるって出てったって聞いたから」
「舞子、まだ教室にいる?」
「テニス部の人たちと話してんの見たから、まだいると思うよ」
「舞子は友達が多いからね」

 といった言葉通りに、舞子は友達が多い子だ。一緒に帰ることは日常と化していて、何も約束をせずとも一緒に帰る日が続いている。今日は洋太に用があるからって、SHRが終わった後に教室を出たけど、それでも舞子は教室で待ってくれているらしい。

「……、触っていい?」
「え!? いや、ここ、学校」
「誰も来ないでしょ」
「もしかしたら誰か来るかもしれないし、場所っていうもんがあるじゃんか!?」
「もしかしたら、でしょ」

 普通に座り込んで喋る気でいた。だけど、春原くんは急に距離を詰めてきて、私に密着してきた。突然手を握られて「触っていい?」と言われて驚きのあまり後退りをしようとしたものの、片側には手すりのフェンスがあって、縮まった距離をほんの少し離す程度しかできなかった。

「なに、どうしたの、なに!?」

 狭くて寂れた校内じゃ声が響いてしまうから、できるだけ声を押し殺しながらキョドったように無駄な後退りを続ける。近付いて、身を寄せてくる春原くんに驚きと緊張のあまり頭が真っ白になって、ひたすら春原くんを見つめて首を降ることしかできなかった。

「……キスしたい」
「は、え!?」

 ここ、学校なんだけど!? そう口を開こうとしたけど、春原くんの顔を見たら、それが言えなかった。いいとかだめとか口にする前に、強引に春原くんの唇が触れた。
 ……ファーストキスだったんだけど。一応、夢には見ていたつもりだった。手をつなぐとか、抱き合うっていう初めて異性とした行為の延長線の行為であるキスをいつかする日が訪れてくれると思ってたけど。春原くんと一緒に帰って、キスをされるかもしれないって思って、結局持ち越しだった行為を怪我をしてしまったことでタイミングを見失っていた。だけど、なんで? キスするタイミングおかしくない?

「なに、ほんとに、どうしたの」

 一瞬だけ触れた唇はすぐに離されて、現実をうまく飲み込めない私は、春原くんの顔をまともに見ることもできずに、慌てたように言葉を吐き出した。

「なんか……、あ、やっぱ、なんでもないや」
「なに、いきなりキスしてきて、なんでもないわけなくない!?」

 とても何かを言いたげな春原くんだったけど、わかりやすく言葉を濁していた。心臓の音が速くなっていく。だけど私にとっては、春原くんの様子よりもキスをされたってことが何よりも大きくて、思わず春原くんの腕を掴んでしまった。

「私、ファーストキスだったんだけど!」
「ご、ごめん……」
「タイミングとか、あるじゃんか」
「したくなっちゃって」
「あの、春原く、」

 キスされたことが嫌なわけじゃなかったけど、反発してしまった。「ごめん」そう言って、いつもだったら身を引いてくれるはずの春原くんが、もう一度強引に唇を押し付けてくる。さっきよりも力強く唇を押し当てられて、ただ軽く触れるだけのキスだけを想像していた私にとって、このキスは呼吸のやり方を忘れてしまうくらい、強い衝撃を与えてくれた。

「なまえーー!?」
「−−っ、舞子だ……っ」

 逃げ場を失って、なかなか離れてくれない唇に身体を強張らせて受け止めている中で、やっと頭に響いてきた外の声は、舞子が私の名前を呼んで叫んでいる声だった。咄嗟に唇が離されて、焦った拍子に少し乱れた呼吸の音だけが春原くんとの間に静かに響いた。

「あ、いた! お邪魔だった!?」
「邪魔じゃないけど」

 舞子が私たちの前に現れたのは、キスをしてしまってそれを離したちょっと後のことで、かろうじて現場を見られることなく済んだけど、焦った気持ちを隠すのが精一杯だった。

「早間が、話終わったって言ってたからさー。帰ろって言いに来たけど、春原がいんなら戻る!」
「いや、オレもう帰るよ」
「あ、持つ?」
「大丈夫、ありがと! なまえ、ごめんね」
「あ、うん……」

 立ち上がろうとしていた春原くんに、すぐに気を利かせた舞子が立てかけてあった松葉杖を持って支えていた。舞子に松葉杖を支えられて、階段を立ち上がった春原くんに謝られてしまったけど、私はキスされたって現実をうまく飲み込めない。
 舞子が訪れて先に教室に戻っていく春原くんを2人で見つめながら、舞子は静かに聞いてきた。「……別れ話でもされた?」って、心配されるくらいの空気だったらしい。そうじゃないけど、とは口にしたものの、舞子の言葉で私は気付いた。もしかして、怒っていたんだろうか。だけど仮に怒っていたとして、その理由を、私は知らない。

 ただ一つわかることといえば、初めて春原くんとキスをした。それだけだ。