意識



 年に一度くらい、とてつもない生理痛が襲って来るときがある。


 下腹部に響いた痛みで自然と目が覚めてしまって、あれ、と思って身体を起こして布団を捲り上げるとシーツが赤く染まっていた。昨日、洋太と喧嘩して無性にイライラしてしまって、私は悪くないんだからって思ってはいたけど、思い出せばあれはただの八つ当たりだった。生理が来て昨日のイライラは生理の前兆である情緒不安定な時期によるものだと知れば、生理が来たこと二重に溜息を零してしまった。

「お母さん、ごめん、シーツ汚しちゃった」
「ええー、お母さんこれから仕事だから洗濯できないわよ。シャワー浴びながら水溜めといて……ってアンタ、顔色悪くない!?」

 飛び起きてすぐさまトイレに駆け込むよりだったら、汚れたシーツや寝巻きと下着を抱えたまま向かった方が効率がいい。汚れたもの一式を脱衣所に放り投げて、トイレに駆け込んで綺麗な下着とナプキンを用意する。はぁっと溜息を一つ吐いて、朝食を用意してくれているお母さんの元へと向かった。

「病院行った方がいいんじゃない!?」
「え、そこまでじゃないよ。 でもお腹痛いし、すごく怠い」
「なら、休んだ方がいいんじゃ……」
「そこまででもない」
「ほんとに? お母さん、今日は客先に行かないとだから、迎え行けないからね」
「大丈夫だって」

 ただの生理痛で病院って言われて首を横に振ってしまったし、私はこういうことで学校を休むことはあんまりないけど、学校ではよく聞く話だ。だけど私にしてみたら、腹痛でずっとベッドの上で寝込んでいるよりだったら、友達と話して気を紛らわせて過ごしていた方がずっといい。だから私は生理痛が訪れていたとしても、学校に行く道を選んだ。

 だけど、生理痛の痛みで目を覚ますくらい、今回の生理は重たいものだった。そのことをよく考えずに学校に行くことを選んでしまったことは後悔に繋がる。たまに、というか年に一度くらいのペースでこんな感じの生理が訪れることがある。量も多いし、身体はだるいし、何より激しい腹痛が襲ってくる。普段だって生理の時は軽い生理痛になって、体育の授業を受けられないくらいに影響を及ぼすんだけど、たまに訪れるそれは普段のとは少し違っていた。ジクジクと響いた痛みが、まるで爆発するように下腹部に激痛を催していく。

「あれ。なまえ、体育見学?」
「うん、そう」
「どうかした? 具合悪い?」

 4時間目は体育の授業だったけど、春原くんは2学期に入ってから体育の見学組だった。体育館の隅っこでいつも一人で見学をしてるけど、今日はたった一人だけの見学者の中に私が加わる。男の体育教師に向かって今日は休みますっていうと、先生は察してくれたのか「腹、あっためとけよー」とそれを許可してくれていた。何度か生理が訪れるととても体育の授業を受ける気にもなれなくて、最初こそは恥ずかしさを覚えていたけど、先生に対することはもう慣れた。ほっと息を吐くけど、見学組には春原くんがいて、珍しく体育を見学する私に春原くんは心配そうに声を掛けてくる。私は言葉を濁しながら「ちょっと、いろいろ……」としか言えなかった。

 生理って女特有の生理現象だから、そりゃ女子同士や先生なら少なからず理解はある。だけど同世代の男子にそんなこという機会ってないし、それも重なって、春原くんに向かって生理が来たなんてことはとてもじゃないけど口にできなかった。保健の授業受けてるし、そういうことは察してくれって思うんだけど、春原くんはそれを考えていないのか「食べ過ぎ?」とか「なんか悪いもん食べた?」とか無神経なことを訊ねてくるのだ。いや、ただの生理だから……ってはっきり言うことがどうしてもできずに、私は春原くんに「そんな感じ」と適当な返事だけを返していた。

「−−あ、ボールとって」
「ちゃんとボール見て動いてよ」
「うるせー、サンキュー」

 洋太にいつ謝ろう。っていうか、まだ怒ってんのかな。得意のバスケットボールをしている洋太を見ながらそんなことを考えていたら、トスが外れたバスケットボールが転がってきた。それを手にとって、近付いてきた洋太に余計な一言を付け加えて投げ返す。喧嘩してるんだとは思うけど、サンキュってお礼を言ってくるあたり、洋太の律儀さを感じた。同時に、昨日のこと忘れてるんじゃないか?とも思った。

「……いっ、!」

 途端、下腹部に激痛が走った。子宮の内側から大量の棘が突き刺さって、チクチクとした痛みが勢いを増して襲ってくるというあまりの激痛に、短い声をあげて下腹部を押さえてしまった。

「なまえ、どうかした……?」
「う、うん、ちょっと、お腹、痛くて」
「お腹痛い!? 大丈夫!?」

 ひどい激痛が走ってるけど、春原くんの声に頷きながらも、痛みで上手く発せない言葉を途切れ途切れに吐き出した。春原くんの慌てた声がうるさいくらいに頭に響いてきた。今回の生理はヤバイやつだった。お願い神様、なんでもするからこの痛みだけは勘弁して、って心の中で願ってしまうくらいに、久しぶりに来た激痛は意識が朦朧としそうなくらいだった。

「なまえ、どした?」
「お腹痛いんだってっ」
「マジで? 大丈夫? え、顔色ヤバっ……せんせー! なまえのこと保健室連れてくー!」

 私の異変に真っ先に気付いて声をかけてくれたのは春原くんだったけど、私の異変に気付いて近寄ってきて、声をかけて腕を引っ張り上げてくれたのは舞子だった。救世主かと思った。おかしく倒れ込んでクラス中の注目を浴びる目には遭わずに済んだし、舞子は生徒を遠目に眺めていた先生の元へさっと近寄ってそれを伝えてくれていた。なんだなんだ、という気付いた人たちの視線をちらほら感じたけど、笛を鳴らしてくれた先生に気を取られて最悪な状態は免れた。

「あっ、オレも行くよ!」
「私が行くから大丈夫! 春原は応援枠キープしてて!」
「え、でも……」

 こんなこと春原くんに言えるはずもなく、春原くんに頼ることもできなかった。だけど、お腹が痛くて苦しんだ私を心配して立ち上がろうとして、私に付いて来ようとする。舞子がそんな春原くんを無理矢理座らせて、2人が会話をしていたのが聞こえたけど、正直、激痛のせいで何も頭に入ってこなくなって、気付いたら保健室にいた。


 保健室に連れて行かれて、薬を飲まされて少しだけ痛みが引いた時、「ゆっくり休んでいなさいね」っていう先生の言葉に甘えてベッドで休んでいると、数十分だけ眠ってしまったようだった。目が覚めた頃には、下腹部の重みと少しの痛みがまだ続いていたけど、さっきよりは全然マシになっていた。

「毎回こんな感じなの?」
「ううん、滅多にないです」
「病院とかには通ってる?」
「中学の時、初めてこんな痛みがあった時に親に心配されて行ったくらいで」

 保健室の中には私と保健室の先生しかいなくて、身体が動くようになると事務作業をしている先生の元に寄ってソファに座り込んだ。「調子はどう?」と言われて、休ませてくれたことと薬を処方してくれたお礼を告げると、先生は話を切り出してきた。

 初めてこんな痛みを伴ったのは中学校2年生の時だった。あまりの激痛に大泣きして起きた朝、真っ青な顔をしていたらしい私を見て、同じように真っ青な顔をしたお母さんが私のことを病院に連れていったのだ。死にそうなくらいの痛みを抱えた私に「うちの子、病気かなんかじゃないですよね?」と、不安そうに声を絞り出したお母さんの姿は、痛みを抱えて意識が朦朧としていた中でもはっきりと覚えている。とはいえ、私の身体はまだ成長期の途中で、こんなふうに痛みを伴う子は少なくないし、毎回こんなんじゃなければ成長と共に薄れていくと思いますよ、と医者に平然と言われたことも記憶に残っている。

「危ないって思ったら、無理に学校に来なくてもいいのよ」
「次からはそうします」

 学校でこんな目に遭うことは今までなかったから、今回のことで学習しました。先生の言葉に頷けば、先生は会議で席を外すと言い「午後も無理に授業に出る必要もないからね」と言われて、昼休みが始まる授業の鐘の音を遠くに聞きながらまた頷いた。

 お腹は空いてるけど何かを食べるという食欲が湧かずに、先生がいなくなるのを見届けてもう一度ベッドに潜り込む。ぼうっと天井を見つめていると、ガラッと保健室の扉が開いた音が聞こえた。すぐに「なまえー?」と私を呼ぶ声が聞こえて、それが舞子の声だとわかれば、私は「はーい」と返事をする。身体を起こしたと同時にカーテンが開いて、遮断されていた光が目に入ると目の奥が痛くなった。

「大丈夫?」
「生理痛ひどいんなら、学校休めばよかったじゃん」
「ほんとだよね。さっきよりはだいぶマシになった」

 舞子の隣には祐未がいて、ダメだしみたいなものを受けて苦笑いを浮かべてしまう。ごもっともだった。2人は休んでいた私に「お昼ご飯どうする?」と聞きにきてくれたらしく、食欲がないから大丈夫だしもうちょっとだけ休んでることを伝えると、わかったと言われた。こゆきは混む前に購買に行ったらしく、2人には気を遣わせてしまったことを謝ると、早く元気になりなよって、それだけを言われて保健室から出て行ってしまった。

 静かになった保健室で、もう一度ベッドに身体を身を預けようと思って体勢を変えようとしたら、また扉がガラッと開いた音が聞こえてきた。そして、プライバシーをもろともせずにカーテンがシャッと音を立てて開いた。びっくりして顔を上げると、春原くんがいた。

「だ、大丈夫?」
「え、大丈夫だけど……」
「心配だから、様子見に来た!」
「優しいじゃん、ありがと」

 このベッドにいたのが私じゃなかったら一体どうしてたんだ。「わー!ごめんなさい!」って慌てふためく春原くんの姿が容易に想像できるんだけど、それを想像するだけして、心配してここに来てくれた春原くんに笑って答えた。

「マジで悪いもん食ったの?」
「いや、食べてないけど」

 松葉杖を両脇に挟んで、それにぶら下がるように身を預けて立っている春原くんは、眉を顰めてそんなことを言い出した。「じゃあ、なんで?」ってまた無神経なことを言い出されて、私は言葉に詰まった。なんて察しの悪い男なんだろうって思うんだけど、春原くんって純粋そうな面も持ち合わせているし、これは仕方ないことなんだろうか。

「これは、あれだよ、その……生理痛ってやつ」

 なんで、と言われていくらはぐらかしたって、今の春原くんは心配するあまり絶対理由を聞き出してくるに違いない。だから、私はいくら恥ずかしいデリケートな話とはいえ、それを正直に話すしかできなかった。

「−−え!? えっ、あっ、ごめん!」
「だから、心配しなくても大丈夫だよ」
「そ、そっか……うん、そうなんだ……」

 少し間が空いて、春原くんはその意味がはっきりわかったらしく顔を真っ赤に染め上げて声をあげていた。そして何かを理解するように、俯いて、松葉杖を軸に左足を浮かせたまま身体を揺らしていた。え、なに。と、春原くんの様子を怪訝に見つめた。

「でもっ、体調悪いんなら、オレに言ってくれてもよくない!?」
「心配かけたくなかったんだよ」
「そ、そうだけど、でも、仮にもオレ、彼氏だよ!?」
「え、なに怒ってんの」
「怒ってないけどっ」

 まるで飼いならされていない犬みたいに豹変して噛み付いてきた春原くんに呆気に取られて、ぽろっと本音が溢れてしまった。怒ってないけど、そう言ってもう一度俯いた春原くんは、なにやらもじもじと身体を揺らし続ける。「え、なに」と、さっき思っていたことを不意に口にしてしまった。すると春原くんは言うのだ。

「なまえも、お、女の子なんだなって、思って……」
「はい? 春原くん、私のことなんだと思ってたの」
「いやっ、そういう意味じゃなくて、や、意味じゃないっていうのもおかしな話なんだけど、あの」

 なにを言っているんだ、春原くんは。一人で言葉を探して悶えている春原くんを見つめていると「おい」と、もう一人の声が聞こえてきた。

「俺いんの忘れてねぇ?」
「あ、いたんだ」
「いたよ」

 本当に気付かなかったんだけど、春原くんの後ろからひょいっと顔を覗き込ませてきたのは洋太だった。今の話を丸々聞いてくれていたのか、やたら険しい顔をしている。

「私、生理前だったからめちゃくちゃイライラしてた」
「女ってめんどくさ」
「ほんとそれだよね。 ごめんね、八つ当たりみたいなことしちゃって」

 洋太とは喧嘩していたけど、謝ろうとは思っていた。そのタイミングが掴めないでいたんだけど、こんな状況の中でも春原くんと一緒にここに来てくれている姿を見ていたら、案外あっさりと言葉がこぼれ落ちていた。

「……なんの話?」
「こいつと喧嘩したって話」
「喧嘩してたの!?」
「いろいろあったんだよ」
「あったんだよねー」

 私と洋太の会話を聞いていた春原くんは、不思議そうに私たちを交互に見ていた。その理由をあっさりと話した洋太の言葉を聞くと、今度は勢いよく私たちの顔を見る。「そうだったんだ……」と小さく言葉を零した春原くんだったけど、私も洋太も喧嘩の発端となってしまったのが春原くんのことだったなんて本人の目の前で話すこともできずに、春原くんの目の前ではぐらかすように笑ってみせた。大丈夫、春原くんが気にすようなことじゃないからって、それを考えていたのは洋太も同じだっただろう。

「昼飯食わねぇの? 午後の授業は?」
「食欲ないし、出る気分じゃないし、今日は出ないで帰るよ」
「親父迎えにくるけど、一緒乗ってく?」
「マジで? じゃ、一緒に帰ろうかな」

 洋太とは小学校も同じだから家が近かった。徒歩5分くらいの距離。洋太のお父さんとは何度か顔を合わせている仲だったし、私の親は共働きで迎えには来てくれないだろう。ついでで乗り合わせで帰れるなら、親に迷惑を掛けないし、それが無難だと思って洋太のお言葉に甘えることにした。

「じゃあ、早く元気になってね」
「春原くん、心配かけちゃってごめんね。ありがと」
「どういたしまして!」

 去り際に手を振ってくれた春原くんに軽く手を振り返した。心配かけちゃったし、明日は元気に登校してこなきゃいけないな。そんなことを思いながら洋太のお父さんに送られた帰り道、「話したいことがある」と洋太言われた。