意識



 春原くんのことを好きだと言えたのは、高校3年生になってからだ。


 私の通っている学校では、高校3年生の4月下旬に修学旅行がある。場所は沖縄。4泊5日。自然体験とか平和学習とか歴史文化学習とかを学ぶことを目的に行ったけど、自由に作ってもいいグループで、いつものメンバーで揃って回っていたから、勉強というよりは遊んだ記憶しかない。3年生はクラス替えがないから、2年生のうちに修学旅行の話は何度か出てくるけど、家を離れて友達と長い時間をすごす修学旅行は楽しみで仕方がなかった。でもそれは思ったよりもあっという間にやってきて、あっという間に過ぎていったのだ。

 3年生になってから修学旅行に行くって珍しいね、と中学の頃、短期間だけ通っていた塾でも仲良くしていた中学校の同級生に言われた。他の学校では2年生で行くこともあるらしいけど、SNSを眺めていればそれはわかっていた。だからこそ私だって早く行きたいと思ってたんだけど、離れ離れになった中学の同級生はちらほらと海外に行っている人もいてビックリした。私立は海外に行ってホームステイをするらしい。修学旅行明けに、修学旅行の他愛のない話をしていた中で春原くんが教えてくれた。

「オレの中学の友達、私立に行ったヤツも多いからね!」
「春原くん、中学の修学旅行ってどこに行ったの?」
「京都! みょうじさんは?」
「私は北海道に行ったなー」

 春原くんって他校のことも詳しいんだねと反応を見せたけど、春原くんは高校だけじゃなく中学の輪も広いということを知った。さすが運動部。更には野球やバレーが強かった市内の中学を卒業したこともあって、仲の良かった友達は都内に限らず県外に推薦で行ってしまった人も多いらしく、聞けばいろんなことを教えてくれた。

「北海道いいね! オレ行ったことないや」
「私も関西って行ったことないかな。……あ、子供の頃行ったかな」
「みょうじさんの家は、旅行とか行ったりすんの?」
「毎年、年明けとお盆に温泉旅行に行くくらいだよ」
「うちもそんな感じ!」

 私の家は共働きで、お父さんに至っては土日や祝日だって仕事が入ることがある人だから、そういう時期以外には旅行になんていかない。隣県にちょっと遠出することはあるけど、何日か泊まりがけをすることは、毎年恒例のように決まっている箱根の温泉旅行くらいしかなかった。春原くんも似たような感じだと言っていたけれど、春原くんの場合は春原くんの部活が忙しいから、部活のないお盆休みくらいしか旅行に行かないんだと言っていた。

 春原くんと付き合うようになってから、ほとんど知らなかった春原くんのことを少しずつ知っていった。それは春原くん自身のことだけじゃなく、彼の交友関係とか、今みたいな家族事情とかもそうだ。ほんの1年前に同じクラスになって知り合って、まともに喋ったのは半年くらい前だったんだけど、こんなふうに関係が変わって、知らなかった春原くんのことを知っていける日々が新鮮で、楽しい。

 ちょっと揉めてしまった2年生の終わり。あの日を境に、春原くんとは校内でも今まで以上に話すようになったし、一緒に帰ることだって、珍しいことではなくなった。はっきり言われた「みょうじさんが好き」っていう言葉が、私だって、それを言うことが許された春原くんだって、今までの暗鬼が綺麗に拭い去られたこともあって、今は堂々とやっていけているような気もする。あとは、怖いなって思っていたあの上級生が卒業したから、あんなふうに物理的にも精神的にも受ける恐怖もなくなった。


「百瀬くんって、なんでなまえと付き合っちゃったのー?」
「あ、それは俺も気になってた」
「なんでって、オレが好きになっちゃったから……って、洋太には話したじゃん!?」
「ヒュー! 祐未ちゃん、聞いて。こいつ、俺にさー」
「やめろって!?」

 それは修学旅行の最中だった。ホテルのロビーで待ち合いの時間に、春原くんを囲った祐未と洋太の声が遠い場所から耳に入ってきた。それほど大きな声じゃなかったし、周りの音にかき消されて一部一部しか耳に届かないほど普通の話し声のように思えたけど、私の耳には途切れ途切れになった会話が入り込んでいた。

 修学旅行では、その日1日にあったことや感想を、班でまとめてリーダーが先生に提出しなければいけないらしい。リーダーなんてやりたがる方が少ないから、誰がやる?と、話が決めなければいけない日まで話しが伸びていたんだけど、結局グダグダして誰もやろうとしなかったから「じゃあ、私がやるよ」と半ば折れた形で私は班のリーダーを務めていた。その1日のレポートを他の班のリーダーと待っている時に、春原くんの話し声と、私の話が混ざっていることに敏感に反応してしまったせいで、その会話が耳に入ってきてしまった。

「ええー、じゃあ、百瀬くんが告白したんだー?」
「そうだよ」

 ギャアギャアと騒いでいる声にかき消されて、何を話していたのかはわからない。だけど、落ち着いたところで祐未は春原くんに訊ねていた。その部分だけははっきりと耳に届いてしまって、あの祐未に対して、春原くんがそれをはっきりと告げたのを私は聞いてしまった。


「なまえって、嫉妬とかしないの?」

 ホテルの一室でガールズトークをしている最中に訊かれた言葉は、いくら悩んだところで「しないかなー」という返事しか出てこなかった。誰かの嫉妬を受けたせいで嫉妬の意味はよく理解しているけど、私が春原くんのことで誰かに嫉妬することはなかった。だって、春原くんはあんな性格をしているから誰とも仲良くできるし、仲良くしていられる。クラスメイトに限らず見たことのない女の子と話している姿は何度か見たことはあったけど、それが嫉妬に繋がることなんてなかった。

「元カノとか、気になったりしない!?」
「考えたことないよ」
「こら、舞子。なまえに不安を煽るようなこと言っちゃだめだよ」
「だって気になるんじゃんか!? 」
「あれだよー、SNSとか漁るのはやめた方がいいからね」
「祐未、その話はマジで怖いから勘弁」

 どうしてこんな話になったかといえば、祐未が漏らした「彼氏の元カノにSNS漁られてるんだよねー」っていう話が発端だった。祐未は3年生になって彼氏がまた新しい人に変わったんだけど、今付き合っている彼氏の元カノにネットストーカーをされているらしい。全く知らない人に自分のことを漁られるって、直接嫉妬を受けることよりも怖い気がする。どっちもどっちかもしれないけど、祐未はこのことに慣れているらしくて、自ら笑いながらネタにしていた。前にも、元カレの今カノに学校や部活を特定されたなんてことを言っていたっけ。なんとなく、祐未のそういう自分に自信があるところは尊敬してしまう。

「ねー、もうチューはしたの?」
「チューはしたのー、祐未ー」
「当たり前じゃんかー」
「当たり前だって」
「私が聞きたかった話じゃないんだけど!?」

 唐突に舞子から投げられたボールを、反射的に祐未にトスしてしまった。平然と答えてくれた祐未の言葉をそのまま舞子に投げ返すと、舞子は声をあげて、部屋には笑い声が響き渡った。「 なまえの話が聞きたいんだけど!?」ってはっきり言い出した舞子の言葉に、さっとこゆきの影に隠れてみせると、こゆきは私の代わりに小さく声を出した。「わたしの話でもいい?」って、控えめに声を上げたこゆきにダメって言える人なんてこのグループには存在しない。

「わたし、実は好きな人ができたんだけど……」

 私は生贄にこゆきを差し出したけど、こゆきから零れた言葉は私もビックリしてしまうほど、横にした身体を起き上がらせて他の2人と一緒にこゆきの話に食いついた。

「え!? 何奴!?」
「中学の友達に紹介してもらった、他校の人なんだけど……」
「紹介……」
「あっ、わたしがね、紹介してって言ったの。前遊んだ時に、いいなって思っちゃって……」

 紹介っていう言葉にいい思い出がない私は、釣られるように声を出してしまった。それに気付いたこゆきは私に向かって、違うの、と両手でジェスチャーを交えながらそのことを話してくれていたけど、語尾が小さくなっていくこゆきに身体と耳を傾けた。

「今度、デートの予定立てちゃったんだ」
「やったじゃん!」
「おめでとう! 猛アタックしな!」
「付き合い出したらすぐに教えてよねー」

 春の訪れに、こゆきにも春が訪れたらしい。こゆきは言った。中学の友達と遊んだときに、遊び先でたまたま友達の男友達に出会ったらしい。その場のノリで、男友達の友達と一緒にカラオケに遊びに行ったそうだけど、そこで一目惚れをしたということ。自分のタイプの人だったし、歌も上手くて、お喋りも上手な人だから一緒にいて楽しかったそうだ。そのことを中学の友達に話して、また遊びたい名目で紹介という形を取ってもらったらしい。全く知らない人に紹介されたり紹介したりっていうのは、私の経験からそこまでいい話だとは思えないでいただろうけど、そんな経緯があって紹介してもらったことは、もう初対面というわけでもないし、私がわざわざ口出しすることでもないから、私はこゆきの恋を応援することにした。

「ねー、喉渇かない?」
「わかるー」
「なんか買ってくる?」
「買ってきてくれんの?」
「いいよー」

 こゆきは去年の私と同じで誰とも付き合ったことがない子だった。初めての彼氏ができるかもしれないってことで、舞子のテンションは爆上げで、こゆきの話で大盛り上がりだった。何十分その話で話し込んだのかわからないくらい話していると、祐未が声を上げた。そこに舞子が同意する。私もそうだったから、気を利かせてエレベーターの広場にある自販機に飲み物を買いに行くかと告げた。

「わたしも一緒に買いに行くよ。 何買ってくればいい?」
「自販機に酒あったじゃん」
「バカ! バレたらマジでヤバいからね」
「冗談に決まってんじゃんー。 私、お茶がいいな」
「私はアクエリー」
「わかった。 じゃあ、行ってくるね」
「お願いしまーす!」

 オートロック式の部屋だから、ドアをノックしたら開けてよねってだけ伝えて、私はこゆきと一緒に廊下に出た。廊下に出て2人きりになると、こゆきは「ねぇ、なまえ」と口を開いた。私はそれに、うん?と首を傾げてこゆきを見る。

「なまえって、どうして百くんと付き合い始めたの?」
「え」
「なまえと百くんって、あんまり仲良くしてるの見てなかったから、急に付き合ってるっていうの知って、びっくりしてたんだよね」

 こゆきはきっと、それがずっと訊きたかったんだろうなっていうことは、私のことをじっと見ている眼差しから薄っすらと察した。私と春原くんが付き合っていることを良く思っていなかった祐未のことは知っていたし、こゆきがそれについてどう思っているのかわからなかったけど、祐未に話を合わせるように納得できないっていう話を陰で聞いていた私は、思わず苦笑いを浮かべてしまった。

「やっぱり、私と春原くんが付き合ってるのって意外なのかな」
「そうじゃなくて……なんていうか、百くんから告白したっていうのもびっくりだったし」
「祐未から聞いたの?」
「……うん」

 今日あったことは、さっそくこゆきの耳に行き届いていたらしい。春原くんが祐未に向かって、自分から告白したって言った話のことだ。そのことをどんなふうに祐未がこゆきに伝えたのかはわからないけど、少なからず、また以前のように文句や愚痴混じりに話したのかもしれないと思えば、その可能性が完全にあるわけではないのに、少しでもそう思ってしまう自分が嫌になって、そこまで考えることをやめた。

「わたしの話、してもいい?」
「いいよ」

 こゆきってば、いちいち自分の話をしていいかなんて訊いてくる必要なんてないのに。だけどそこまで伝えられず静かに言葉をこぼすと、こゆきは口を開いた。
 
「わたし、好きな人ができたけど、他校の人だし、頑張って話そうって思っても、あからさまに好きだってバレちゃいそうで恥ずかしいっていうか……」
「あ、ごめん。 私、片想いしてアピるっていうのしたことないから、わかんない……」

 こゆきが話してもいいかと言った内容は恋愛相談だった。急に訪れた恋愛相談に、私は言葉を濁してしまう。そういう経験は、私にはきっとなかった。そりゃ、意識しあって駆け引きじみたことをした覚えはあるけど、好きだから積極的に話しかけるとか、そういう気持ちを抱えて接していた覚えはない。

 たぶん、こゆきにとって恋愛相談相手に一番近いのが私だったんだ。こゆきは祐未と仲が良いけど、祐未は恋愛経験が豊富だから、恋愛経験のないこゆきにとっては聞き辛いのかもしれない。舞子は彼氏がいないけど、恋愛相談に乗ってくれるものの、肉食寄りともあってガツガツ行けって言い出すのが容易に想像できた。だからこそ、最近、初めての彼氏ができた私が一番近い相手だったんだろう。

 私は、こゆきの気持ちはわかるけど、こゆきがどうしたらいいのかというアドバイスじみた話ができなかった。あからさまに肩を落としてしまったこゆきを見て、私はどうしたらいいのかと考えるものの、こゆきは「じゃあ、どうして百くんとお付き合いまで行けたの」と訊ねてくる。

「春原くんとは、よく放課後に話してたんだよね。舞子と洋太と一緒に放課後残って話してたこともあるし……あれ、それくらいしかないや」
「えっ、一緒に遊んだりとかしてなかったの?」
「遊んだのは告白された日くらいしか……一緒に帰ったりはしたけど……」

 春原くんとお付き合いまで行った経緯って、思い出してみるけど、放課後頻繁に話していたくらいしかない。遊んだのは告白されたクリスマスイブくらいで、一緒に帰ったのも2回しかなかったし。こゆきが遊んだりしなかったのに付き合いまで発展しちゃうんだ、と見るからに驚いた表情を浮かべるのを見て、私も軽い唸り声を上げた。放課後に会いに来てくれていた理由って、あの時から既に好意を寄せられていてアピールされていたんだろうか。だけど、その時は春原くんに彼女がいたし、それだといろんな矛盾が生じる。

「なまえは、百くんのこと好きだったの?」
「わかんなかった」

 こゆきの話に耳を傾けながら、私は心の中でまた春原くんのことで悩んだ。春原くんって、いつから私のこと意識してくれてたんだろう。と思っていると、こゆきが私に問うた。どうして付き合ったのかとか、好きだったのかとか、もう訊ねられ飽きたくらいの質問だ。私は即答する。

「でも、いいなって思ってはいたかも。最近までは自分でも好きなのかよくわかんなくて」
「今は?」
「今は−−好きだよ」

 初めて自分の口から、自分の意思で春原くんのことを好きだと言った。私の中で、春原くんに対する気持ちが好きという意識に変化していることは自分でもわかった。好きなのかどうなのかよくわからなかったのは、過去の私だ。

「いいなー! 羨ましい」

 まるで自分のことみたいに頬を抑えてもじもじし始めたこゆきは、恋する乙女って感じで可愛かった。何よりも、羨ましいと純粋な気持ちで思ってくれていることが嬉しかった。私も、誰かに向かって初めて春原くんのことを好きだと言えたことが嬉しい。この気持ちを、春原くんに直接伝えなくてはならない。