意識



 誰かの嫉妬を受けて、初めて春原くんと付き合ったことは間違いなんだと思った。


「ていうか春原、サッカー部のキャプテンになったらしいじゃん! すごいね!?」
「……うん、そうみたいだね」
「どした? 元気ない?」

 祐未に財布を届けて教室に戻った頃には、ちょうど舞子も日誌当番を終えていたらしい。2人の前で頑張っていつも通りに振舞っていたものの、感情を押し殺してまで作った笑顔は体力を消耗してしまって、どっと疲れが押し寄せてきた。春原くんがサッカー部のキャプテンを任された話は春原くんに聞いていたし、洋太だってすげーよなってまだ言っていたからとっくに知っていた。だけど舞子は知らなかったみたいで、それを知ったらしい舞子は私に言った。正直、今は春原くんのことを考えたくなくて、私はため息をついてしまった。

「舞子、終わったんなら帰ろ。 どっか寄ってく?」
「ラウワンでも行く!?」
「いいねー、ダーツしたいかも」

 机の横に掛けたままの鞄を引っ張り上げて、財布の中を確認してから私は頷いた。舞子とは明るい時間に帰れる時はいつもこうだ。まっすぐ家に帰るか、どこかに寄って遊んでいくかの二択。ほぼ90パーセント遊んで帰るけど、今日はラウワンに寄って帰ることに決まった。今日はっていうか、今日もって言った方が正しいんだけど。

「ねぇ、春原くんとの話聞かせてよー」
「なんにもないよ。 手繋いだだけだって言ったじゃん」

 帰り道に、今だっていうタイミングで舞子はこの話を口にした。自分の恋バナより他人の恋バナって感じの舞子は、こういう話には一段と食いついてくるから呆れたように言葉を発してしまった。さっきまでラウワンに行くこと楽しみにしてたのに、いつも通りに振舞いつつ、ため息まじりに返事をする。

「どっちから告ったのとか、なんでそういう関係になったのとか、あるじゃん、そういうの!」
「それは私が聞きたいよ。 この話はやめよう」
「なに、春原と喧嘩中か何かなの? さっき話してたじゃん」
「喧嘩はしてないし、話してたけど、なんか今は話したくない気分だから」
「かーっ! 倦怠期ってやつね!」
「倦怠期……って、なに?」
「あれだよ、付き合ってて、マンネリ化して、飽きるってやつ!」

 ちょっと待ってて、と舞子は携帯を取り出して『倦怠期』という単語を検索し始めた。道路歩いてるのに歩きながら携帯いじるって、危ないからやめてほしいと思いながら、出てきたサイトの文字を読み上げる舞子に釣られて一緒に画面を見入ってしまった。
 一般的に倦怠期とは、刺激や新鮮さがなくなったり、相手に関心がなくなってしまうことを指すらしい。相手にイライラしたり、話したくないって思ったり、面倒だなと思ってしまったり、エトセトラ。付き合って3ヶ月くらいに訪れる時期らしく、私がこのモヤモヤと感じていたものはこれのせいだったんだろうか。と思い始めたら、私は肩の荷が降りたようにほっとしてしまったけど、実際のところ私が思っていることって、それ以前の話なのに。

「今日、ブルズアイ決める度に、なまえに根掘り葉掘り聞いちゃおっと」
「それ、私が当てたらどうすんの。 舞子に聞くことなにもなくない?」
「大丈夫、なまえ、当てたこと一回もないから!」
「そうだけど、ひどくない!?」

 パッと顔を上げて、良い案思いついたって様子で舞子はそんなことを口にする。一人で勝手に楽しみを見つけた舞子は楽しそうに笑っていたから、私も釣られて笑って、私のことを小馬鹿にする舞子の背中を叩いた。


 舞子ってスポーツが好きで得意だから、ラウワンに遊びに行くたび彼女が苦手にしていることってないんだなって毎度のことながら思う。それは球技にしろボーリングにしろビリヤードだってそうで、いつだって慣れない私は舞子に負けっぱなしなんだけど、それはそれで楽しくて好きだった。

 ラウワンに行って、スポッチャのブースに入って、空いていたダーツコーナーを占拠して2人で遊んだ。やっぱりこの時期だからこの場所で遊んでいる高校生が多いんだけど、ダーツってあんまり親しまれていないのか4台あるうちの2台は空いていた。端っこには、男子高生数人が騒ぎながらダーツを楽しんでいる。

「どっちが告ったの!?」
「……春原くん」
「マジで!? いや、でも、そんな気はしてたけど」
「それって、どんな気?」
「だってなまえ、自分から告白するタイプじゃないでしょ」
「うん、まぁ、そうだけどさ……うわ、外れた」

 慣れた手つきでゲームの画面を操作している舞子はいつも通りの01 GAMESを選択した。301の数字が表示されて、先行は舞子。舞子と初めて遊んでからデビューしたダーツだっていうのに、とっくに慣れている舞子は1回目で容赦なくブルズアイを突き刺した。イエーイ!って喜んでいる舞子との1戦目は、かろうじて2回分の得点は稼げたものの、最後の一手はボードに突き刺さることなく床に落ちてしまって、序盤から80点近い点差が開いてしまった。

「なまえ、なんで春原と付き合ったの?」
「それは、私が聞きたいよ」
「は?」
「なんで春原くん、私と付き合ってんだろって、最近思うんだよね」

 落ちたダーツの矢を拾い上げると、席を立った舞子が訊ねた。私がいちいち狙う場所を確認して投げるのに比べて、舞子は足を止めるなりボードに矢を突き刺す。内側のトリプル18点、1点、20点。思いっきり中央を狙って外した高めのポイントが次々と引かれていく画面を見ながら、まぐれか何かで私が高得点を叩き出さなければ、さっそく差が開いた状態でエンドっていうオチが見えるところまで来てしまった。

「だって、春原から告ってきたんでしょ? なまえのことが好きだからに決まってんじゃん」

 私は内心、これ勝つの無理じゃない?って思ってるのに、舞子はそんなことを考えていないのか話を続けた。

「そうなのかな」
「そうだよ。 何、あんた、自信ないの?」
「自信……っていうか、好きとか言われたことないし」
「は!? もう3ヶ月近く付き合ってんのに!?」
「うん」
「手も繋いでんのに!?」
「……うん」

 それでも舞子に勝つことに少しの希望を持っていた私は、片目を瞑って良いポイントを狙おうとしていた。集中している中でポロっと零した本音は、この状況で口にしたのはちょうどいいことだったのかもしれない。余計なことを考えず、素を吐き出した瞬間だった。
 春原くんに好きと言われたことが、まだ一度もない。告白された時だって「付き合ってみませんか」と言われたくらいだ。春原くんはどうして私と付き合っているのかと疑問を抱くようになって、それに気付いてしまったら、自分が気落ちしていく要因の一つなのかもしれないとも思う。私だってまだ好きと言ったことがないのに、そんな自分を棚の上にあげて、春原くんからその言葉が来るのを待っていた。

「春原って、シャイなの?」
「知らないよ」

 今度は当たった。3点の一番端っこ。ダブルのたった6点だけが加算されて引かれていく。一つ前に100点近い数字を出した舞子よりもうんと少ない数字だったけど、さっき矢を落とした私にとってはまぁまぁの出来といったところじゃないか。

「最近、そればっかり考えてて」
「もう一回聞くけど、なまえはなんで付き合ってんの? 春原のこと、好きなの?」
「……」
「黙るな!? 成り行きで付き合っちゃった感じなの!?」

 舞子の言葉に、すぐに返事ができなかった。2回矢を投げて、お世辞にも良いとはいえない数字分が減っていった画面を見ながら刺さった矢を引き抜いて、舞子の番を回した。引き抜いた矢を手に持ちながら、私はあの時のことを思い返した。

「いや、意識は、してたよ」

 付き合う前に春原くんと一緒に過ごしていた時期を思い返して「だけど正直、好きなのかよくわかんなくて」って言葉を付け足しながら、私は舞子の言葉に答えた。春原くんのことを意識していたし、春原くんに意識されて嬉しいって思っていた。春原くんが、私が他の誰かと付き合おうとしていると勘違いされていたと知った時に、そうじゃないと告げてしまうくらい、春原くんに意識されていたことが嬉しかったし、私だって、そうしてもらいたいって思っていたんだけど。

「意識って、どんな?」
「気になるっていうか……付き合おうって言われた時、嬉かったんだよ。だけどさー」
「だけど?」
「誰にも言えなかったんだよね。嬉しかったのにさ、このこと、誰にも報告する気になんなかった。舞子にだってそうだよ。 私に突っかかってきたあの3年生、春原くんのことが好きだったみたいで、だから私に突っかかってきてたみたいなんだけど」
「そんなんただの嫉妬じゃんか。 なまえが気にすることない」
「祐未もこゆきも、きっとこのことよく思ってないんだよねー」
「まぁ、祐未は春原のこと気にしてたみたいだけどさ、あいつ男好きだから仕方ないって。こゆきは、祐未の機嫌伺ってるだけだし」
「……じゃあ、舞子は?」
「あたし? 私は、なまえに初彼ができて嬉しいって感じだよ」
「なんで私が春原くんと付き合ってるのかって、疑問に思ったりしないの?」

 私の番はいつになっても回ってこなかった。舞子がダーツよりもこの話に夢中になっているせいなんだけど。ゲームの途中だというのに席に座ったまま、一向に立ち上がる気配もなく、ガールズトークというよりも私の話を繰り広げることに夢中になっていた。

「思うわけないじゃん!? なまえは私の友達。春原だって、勉強会する仲だったし、友達と友達が付き合うって、疑問に思うことなくない?」
「まぁ、それもそうなんだけど」

 私は舞子の一言一言に軽く頷きながら、鞄を漁って財布を取り出した。話していたせいで喉が渇いてしまった。ダーツコーナーのすぐ側に置かれてた自販機に向かえば、その後ろを舞子は付いてきた。「私も何か飲も」ってポケットから取り出したコインケースを漁る姿を見ながら、自販機にお金を投入する。

「春原くんと付き合ってんのバレた時、ヤバイって思っちゃったんだよね、私」
「そりゃあんな形でバレたら、誰だってヤバイって思うでしょ」

 ガコンッと500mlの天然水が音を鳴らして落ちてくる。それを取り上げて、続けて自販機にお金を投入した舞子にペットボトルの口を開けながら私は訊ねた。

「舞子は、どうしたらいいと思う?」
「あの春原と付き合ってんだから、そうなるのは仕方がない。それをわかって、あんた付き合ってたんじゃないの。 だから隠してたんじゃないの?」
「正直そういうこと、考えてなかったんだけど……やっぱりそうなのかな」
「なまえのことだからそんな気がする」
「なにそれ。 私のことよくわかってるみたい」
「伊達に一年のころから友達やってないからね」
「そっか。 なんか、舞子と友達でよかったなって思うよ」
「そういうわりに、隠し事してんじゃんか。信頼されてないの? 私」
「そういうわけじゃないけど、私だって、どうしたらいいのかわかんないよ」

 プシュッと舞子が炭酸ジュースの口を開けて、それを飲みながら言った。喉が渇いているのに、私はペットボトルの蓋を開ける気になれなくて、それを持ったまま席に戻る。

「じゃあ、聞きなよ。 春原に、なんで告ったの?って」
「聞けるわけないじゃん」
「あんた臆病なの? 私が思うに、なまえはその理由ちゃんと聞かないと、ずっとうじうじぐだぐだ、この状況続けるよ」

 席に座ると、隣に座った舞子が身を乗り出して私に言った。私がこの状況を抜け出す唯一の答えを、舞子は教えてくれたのだ。
 誰かに付き合っていることを言えなかった理由は私の中に存在しているものでしかないんだけど、私が今こんな気持ちになっている根本的な理由って、春原くんの気持ちがわからないからだ。なんで春原くんって私みたいなのと付き合っているんだろうっていう暗鬼が拭えないから、このモヤモヤとした感情は綺麗になくなってはくれない。だからこそ、これを拭い去る方法は、春原くんの本音を聞く以外に存在しない。

「なんとなくとか言われるの嫌だよ」
「春原はそんなこと言わないでしょ。 モテてる奴だし、告白断ってるって話も私は知ってる」
「やっぱそうなの?」
「グラウンドで部活やってるとめちゃくちゃ噂になってんだよ、春原」
「私が知らなかっただけかー……」
「だけどさ、あの春原が、だよ? なまえに告ったってんなら、私はその理由を聞かなくても納得できるけど。でも、それがわかんないなまえは、いつまでも春原の本心を聞かなきゃ納得できないわけじゃんか」
「うん……」
「だから、なまえが聞くんだよ」

 言われたくない言葉を言われて胸に針が刺さるように、舞子の一言一言が痛かった。そうだよね、私が言い出さなきゃいけないことなんだよ。なのに、でも、だって、っていう子供みたいな言い訳をしたい気持ちが湧き上がってしまう。

「そんで、なまえだって今の気持ちを正直に伝えなきゃいけないの。好きなのかわかんないけど、意識はしてるってこと。カレカノでいたいのか、友達のままでいたいのか」

 心臓が痛いくらい、やっぱり舞子から言われる言葉が辛かった。このまま付き合っていたいのか、前みたいに友達として過ごしていきたいのかっていうことが、途端に私にはわからなくなった。

「友達とか周りの人間に受ける嫉妬に耐えられなくて、一緒にいたくないって思う気持ちがあるからっていう気持ちを無しに、なまえが、春原をどう思ってるのかを考えないと、春原と付き合ってくのは、あんたには無理だよ」

 あんなふうに、私のことをいいじゃんって言ってくれていた舞子が最後に言った「無理だよ」って言葉はトドメの一撃みたいな感じだった。付き合うことを否定されたというよりも、私は、ただ自分が否定されたことが悲しかった。
 こんなことまで言われてしまっては、結局私がしなければいけないことは春原くんと話しをすることくらいしか見当たらない。それから逃げてしまえば、訪れるのは友達に戻ることだ。