意識



 春原くんと付き合っていることがバレたのは、突然だった。


 春原くんと付き合ってることって、別に隠していたわけじゃない。だけど、春原くんが私のことを周りに話しているのかもわからないまま過ごしていたこともあって、私が勝手に誰かに告げることは気が引けたというか、聞かれでもしたら言おうと思っていたくらいで、隠しているつもりなんてなかった。
 だけどそれがバレた時、しまった、という気持ちが湧き出てきたのは、私の中で少なからずこのことを隠していたい気持ちがあったせいだと思う。

「先生と目が合ったら、みょうじお前、手伝ってくれるよな?って言い出すの、一種のハラスメントだと思うんだけど」
「そんなお前の横に居て、早間も手伝うよな?って言われんの、ひでぇとばっちりだと思うんだけど」
「じゃ、そんな2人を見てオレも手伝います!って言ったオレは仏みたいなもんだよね!」

 1時間目の授業は担任の授業だった。朝のホームルームが終わるなり「授業の準備を手伝ってくれる人ー?」と担任が声をあげるも、当たり前だけど誰も返事をしなかった。そのまま担任は悲しそうに肩を窄めて教室を出ていくと、待ちに待ったかのようにクラスの数人が席を立つ。洋太が私の傍にやってきて、中学の友達に渡したいものがあるからついでに持ってってよというパシリを受けた瞬間、ガラッと教室の扉が開いてそちらを見ると、顔を覗かせた担任と目が合った。そしてあの発言だ。ついでに隣にいた洋太も巻き添えを食らった。それを席に座って見ていた舞子は大爆笑していたけど、後ろの方から春原くんが「先生! オレも手伝うよ!」って言ってくれて、巻き添えを食らった洋太と立候補した春原くんと職員室に向かうことになった。

「だいたい、なんで女子にやらせるの? 持てるわけないじゃんね」
「だからオレが巻き添え食らったんだろ?」

 担任は授業でプロジェクターを使いたいらしく、それの準備だそうだ。プロジェクターの機材と、それを写すスクリーン。きっと組み立てとかもこの準備を手伝うっていう内に入る。職員室に入って、担任は私たちを見るなり「良い子のお前らにはポイント付けてやるよ」って、意味のわからないポイントを付けられて困惑するも、隣にいた男子2人は喜んでいた。

「−−百瀬くん」

 プロジェクターの器具一式を3人で手分けして抱えて教室への戻り道、階段を登っていて上がよく見えていない中で、階段から掛け降りてきたらしい女子生徒の声が聞こえて顔を上げた。彼女は春原くんの知り合いらしく声を掛けたそうだけど、見上げた先にいたその人の姿を見て思わず足を止めてしまった。

「百瀬くん、春休み入ったら大会あるんでしょ? 頑張ってね」
「ありがとうございます! 頑張ります!」

 視界に入り込んだ女子生徒は、先日肩がぶつかって文句を言われた人だった。若干怖気付いて2人の様子を眺めるけど、あの怖い態度とは一転して、にこやかな笑顔を振りまいている可愛らしい姿がそこにはあって、双子か何かかと思ってしまった。だけど、そう思ったのも一瞬で、これは私の被害妄想なのかもしれないけど、春原くんに挨拶を終えて階段を降りていく去り際、私とすれ違った時にちょっと睨まれたような気がした。

「春原くんって、3年生とも仲が良いんだね」
「うん。 あの人、部活でよく顔合わせてたから」
「サッカー部のマネージャーだった人とか?」
「いや、違うよ」

 きっと、あれは気のせいだ。私の被害妄想である。階段を登って教室に続く廊下を歩きながら、私は前を歩いていた春原くんに声を掛けた。

「野球部のマネージャーだった人」

 春原くんの言葉に、さっきから黙りな隣を歩いていた洋太をパッと見てしまった。洋太と一瞬目が合うも、すぐに逸らされてしまう。1月に洋太に報告された話がフラッシュバックして、じんわりと嫌な汗が流れた。それから、変わらずだんまりな洋太と、それっきり何も言わない春原くんと静かな空気の中で教室に戻った。



 女子って男子の見えないところで案外ドロついてるから、ファンクラブが存在するほど人気者でモテ男な春原くんと付き合ってしまえば、どこからともなく嫌な目で見られる可能性は十分にあった。そのことまで考えずに春原くんと付き合ってしまって、いざそれに直面すれば、付き合いだしたことを後悔してしまいそうな自分に途方に暮れてしまいそうになった。

「−−あたしの方が可愛くない?」

 今までだったら全く知らない赤の他人で、すれ違ってもその人の存在を覚えていないくらいだったのに。好きな人ができてその人のことを目で追ってしまうようになるのと同じように、苦手だとか怖いって思った人を自分の中で認識してしまえば、たとえ向こうが気付いていなかったとしても、逃げたいって思うほどその存在に怖気付いた。初めて彼女の姿を認識して、その人が春原くんと知り合いで、おそらく春原くんに告白したらしい人であると気付いてしまうと、彼女の姿が目に入るだけで心臓が跳ね上がりそうになるほどの恐怖を抱いた。こんなのは初めてだった。

「最近、アイツめっちゃ突っかかってくんじゃん」
「ウザイよねー」

 だけど彼女のことは、私だけでなくいつもの3人にも、私が文句を言われたことをきっかけに認知されたらしい。彼女の姿を見るだけで身体を突かれるくらい、気をつけなよっていう合図が私に入る。きっと他の3人は、態度のでかい3年生が一方的に突っかかってきたと思っているみたいだけど、そこに理由があることを知ってしまった私の心臓はドクドクと嫌な音を立てた。

 今日だって、すれ違い様に文句を言われた。睨まれそうになったらさっと視線を逸らして、わざとぶつかられそうになったら誰かが私の身体を引っ張ってそれを庇ってくれる。

「いいよねぇ。 あんな子でも、百瀬くんと付き合えるんだから」

 だけど今日は、ちょっと違った。すれ違い様に、私が黙っていたことを、彼女はいやらしく声を上げて文句をたれた。やっぱり彼女はそれがあって私に突っかかってきていたことが確信に変わると同時に、私はその言葉に背筋が凍る思いをした。足を止めて私は俯いた。

「……ん? は!?」

 しばらくこの4人の空間だけ、異次元みたいに時間が止まったような感じだった。あの3年生が見えなくなった頃に廊下に立ち尽くしたまま、一気に現実が押し寄せたっていう感じの舞子が我を取り戻したように真っ先に声を上げた。

「付き合ってる!? どういうこと!?」
「え、なまえ、彼氏できたの? 百瀬くん? ホント?」
「……うん」
「ええーっ、おめでとうー!」

 舞子と祐未の質問に静かに頷いた。そうしたら、こゆきの声にちょっとだけ気が緩みそうになる。心臓の音は鳴り止まなかった。バレた。バレてしまった。隠していたつもりはないけど、こんなふうにバレてしまった最悪の展開に、私は俯いた顔を上げられなかった。

「なまえ、なんでそれ黙ってた!?」
「……ごめん」
「いつから付き合ってんの!?」
「去年の、クリスマスイブから……」
「かなり前じゃん!? なんで黙ってた!?」

 顔を上げて、思わず苦笑いをこぼした。誰かと付き合ってから訪れるこういう質問攻めって、恥じらいながら受け答えするものだと思ってたけど、凍った背筋はいつまで経っても暖まらない。やっぱり私にとって、聞かれたら言おうと思っていた気持ちよりもバレたらどうしようっていう気持ちが大きかったのか、この空間が耐えられなかった。それでも、いつもみたいに接してくれる3人に安堵を交えながら、少しずつ立ち直れた私は淡々と起こる質問攻めに答えていく。

「春原とどこまでやったの!?」
「え、やったって、なにを?」
「チューとかエッチとか!」
「手、繋いだくらい……」
「はぁ!? まじで!? おっそ!」
「いや、いやいや、まだ付き合って3ヶ月くらいしか経ってないよ」
「3ヶ月も経ってんじゃんか!?」
「部活が忙しいから、学校以外で会うことってないし……」

 あんまり気乗りしない会話の中で、途絶えない苦笑いをこぼし続けながら、軽く話が脱線しかけたところで止まっていた足を動かした。途中で「祐未は彼氏と2週間で、だもんねー」っていう生々しい友達の恋愛事情が耳に刺さったけど、その手の話題には首を振って、2人きりで過ごす時間が少ないから、ということを正直に告げた。

「あー、そういうの、百瀬くん狙わなくてよかったーって思うなー」

 そう言われて、チラッと祐未を盗み見る。私が初めて春原くんを意識した去年の夏前から、祐未が春原くんに気があるらしいことを知っていたから、付き合っていることを言い出せなかったのはこのせいもあるのかもしれなかった。祐未の発言を耳にしてほっとしてしまったから、そんな気がしてしまった。祐未の隣を歩いていたこゆきが「どうして?」って、私の代わりに首を傾げてみせた。

「だって、デートしたいじゃん。 なまえ、お泊まりとかさ、そういうのないの?」
「ないねー」
「えー、つまんなー」

 祐未は私と違って恋愛経験も豊富な子である。高校生にして、付き合った人は片手では収まりきらない祐未の言葉は、まるで棘のあるような言い方だったけど、同時に興味を持たれていない気がして、この複雑な気分に安心が入り交じった。別に興味を持たれようとは思っていないんだけど。だけど、祐未が私をどんな目で見るようになるのか気になってしまったのは確かだ。

「それよりさ、私の勧めた映画、みんな見てくれた?」
「まだ見てない」
「私もー」

 でもそれは私の考えすぎだった。また話はいつもの日常に戻る。4人で行動している最中にいつの間にかあの不安や恐怖は過ぎ去って、私は笑えるくらいには元気を取り戻せた。


 ……だけど、この複雑な感情がこのまま綺麗に消え去って、いいように無くなっていくことなんてあるはずなかった。

「祐未のやつ、財布忘れてってんだけど!?」

 春原くんと付き合っていることがバレた日。帰りのホームルームが終わって、部活のないこの時期はみんなが一斉に下校していく。私と舞子は、祐未とこゆきとは家が違う方向だから、遊びに行く目的に一緒に帰ったりはしない。先に教室を出ていってしまった祐未とこゆきだったけど、祐未の机の上には財布が置きっぱなしだった。「いいよ、私が持ってくよ」って、日誌当番の舞子の代わりにそれを引き受けた。私が代わりに財布を届けに行く間、はやく日誌当番の仕事を終わらせてもらいたかった。

「−−みょうじさん!」
「春原くん。 どうかした?」
「明日って、空いてる?」
「明日は、……なんで?」
「オレ、明日の夜から埼玉行くんだ。だから、部活出ないで帰るんだけど」
「そうなんだ。 でも、ちょっとまだ、よくわかんないや」
「そっか……ごめんね、引き止めちゃって! じゃあね!」
「うん。 部活頑張ってね」

 教室を出たところで春原くんに引き止められて、嫌な意味でドキッとしてしまった。一緒に帰れるのは手を繋いで帰ったあの日が2年生最後だと思っていたけれど、そうではなくなったらしい。どこの部活動も、終業式や卒業式を控えているだけあって活動していないところがほとんどなんだけど、サッカー部は通常通りに部活があるらしい。そんな春原くんが明日は空いてるっていう話を聞いて、今日のことがなかったら、私はきっと明日も一緒に帰る舞子に言い訳をつけて春原くんと一緒に帰ることを選んだと思う。だけど今の私にはそれが乗り気ではなくて、かといって心の中にあった葛藤のおかげで断りもできずに保留にしてしまった。
 っていうか、舞子に言い訳をつけてって。自分が思ったことを考えると、私ってどうしようもない馬鹿なんだなって自嘲した。

「私、なまえと百瀬くんが付き合い出したの吃驚なんだけど」
「それは正直、わたしも驚いちゃったかも」

 こういうの、漫画とかでよくある。見ちゃいけないものを見てしまった時、咄嗟に姿を隠して近くに身を潜めてしまうっていう、アレだ。祐未とこゆきの後を追って、まだ昇降口で靴を履き替えていた2人を見つけて声を掛けようと思ったら、2人の会話が大きな音で私の耳に入り込んできた。私は咄嗟に下駄箱の側面に逃げ込んだ。心臓が嫌な音を立てて鳴り止まない。あまりよく思われていないんだろうなって薄っすらと感じ取れていたものの、こんなふうに陰口を言われているのを聞いてしまう日が来るだなんて。

「あいつ、部活もやってないし、趣味もなんもないじゃん。百瀬くん、どこがよくて付き合ってんだろ」
「百くん、優しい性格してるもんね」
「どうせ、なまえから告って、断れなかった百瀬くんが仕方なく付き合ったって感じかな?」
「そうかもしれないね」

 っていう会話を丸々聞いてしまって、はぁっと、小さくため息を吐いてしまった。今の2人の会話は、数日前から今日あった嫌なことの積み重なりのせいで心のどこかで芽生えてしまったものが、根っこから掘り出されてしまうような言葉だった。

 なんで春原くんって、私なんかと付き合ってるんだろう。春原くんと話はするけど、趣味だって好きなものだってまるで合わない。祐未とこゆきの発言から、きっとあの3年生だって同じようなことを思っているから、私に突っかかってくるのだろう。少なからず、マネージャーといえど運動部として接点があり、毎日顔を合わせて話をしていただろうあの3年生の姿を脳裏に浮かべると、どうして私なんかが、っていう気持ちが心の底から湧きあがってくる。あの人が私に突っかかってくる理由も、わからなくはないんだ。
 でも、私は春原くんと一緒にいることは楽しい。たとえ話が合わなくたって、それは間違っていないことだし、本当のことだ。じゃあ、春原くんは?と、付き合い出す前に聞いた、春原くんの「オレだって一緒にいて楽しい」という言葉がお世辞だったように聞こえて、果たして本心なのだろうかと思ってしまった。こんなこと、考える必要なんてないのに。嫌なことの積み重ねでブルーになった私は、何もかもを嫌な方向に考えていってしまった。

「祐未ーー!」
「あ、なまえ、どうしたの!?」
「はいこれ、財布忘れてったよ」
「あ! ほんとだ! ありがとー!!」

 2人の会話を最後まで聞いてしまって、昇降口から出ていく2人を確認してから私は靴を履き替えてその背中を追った。今までのことを何も知らなかった振りをして、いつも通りに話しかければ、2人だっていつもと変わらない笑顔を私に見せてくれた。陰口を言われていたことを知っても尚、そう簡単に友達を嫌いになれない私は、今までみたいに過ごしていけたらいいのにって平穏な日常を送ることを望んだ。
 そうなると私が決める道って、一つしかない。