意識



 それは、春原くんと約束していたクリスマスイブのことだった。


 東京都っていう大都会で暮らしているけれど、私の住んでいる地域は都心から離れた郊外だった。電車を乗り継げばあっという間に都心に行けるけど、あそこに比べたら、比べ物にならないほど落ち着いている場所だ。
 こういうのを田舎って言うんだと思ったけど、中学の時に長野から越してきた転校生が「ここは全く都会だよ!」って言っていて、前に住んでいた場所だっていうグーグルマップの航空写真を見せられた時は、緑の山に囲まれた場所が映し出されて呆気に取られたのを覚えている。駅は車で30分はかかって、本数は少ない。バスは1日1本。コンビニまでは車で15分。近所にスーパーはなく、農家をやっていた家で自給自足の生活をしている話は、まるで異世界の話のように思えて衝撃だった。
 そんな傍らで、電車一本の30分ちょっとで賑わう街に出られて、もう少し時間を掛けたら都心に簡単に行けてしまうことは、なんて平和なことか。

「結局、今日って本当にソライロタワー登りに行くんだっけ……?」
「いや、冗談だよ。 どこ行こっか。 なんにも決めてなかった」
「オレは、別に登りに行ってもいいけど……」
「私、タダで登れると思ってたんだけど、お金かかるみたいだし……」
「そうなの!?」
「そうみたい……」

 冬休みに入って、さっそくいつもの友達と遊びまわって、春原くんと約束していた24日はあっという間に巡ってきた。結局、どこに遊びに行くのかも決めていないまま約束の日を迎えてしまった。日中、親の買い物に付き添っていた時に「ソライロタワーってこっからどれくらいかかる?」と訊ねてみたところ、時間を聞かされる前に「そんなお金あるの?」と言われてしまった。
 昔、東京タワーやソライロタワーは家族に連れられて遊びに行ったことがあるくらいで、友達と一緒に行くことは一度もなかった。だから、そんなことを言われてしまって、お金がかかることを知った。今思えばそりゃ当たり前のことなんだろうけど、展望台デッキの入場料の話をされて驚く。だいたい2千円くらい。高校生にとって、ちょっと見る景色のためにそれくらいのお金を出すって悩んでしまう。おまけにクリスマスイブは混雑していると聞くし、あと、高いところが苦手だと言っていた春原くんを、わざわざお金を掛けてまで連れていくっていうのが微妙な気持ちにさせた。それならカラオケに行ってフリータイムする方がマシだ。

 日が傾きはじめた16時に、春原くんとは2人の家の中間地点にある最寄駅で合流した。さっそく「とりあえずどこに行く?」となり、東京駅方面へ向かうことをすぐに決めた。あそこまで行けば、基本どの方面にも行けるから、東京23区内に行くなり横浜に行くなり埼玉に行くなり遊ぶ場所はいくらでもある。門限はお互いに21時、時間はたくさんあった。計画性のない弾丸って形でもそれなりに楽しめる性格をしていたから、春原くんが「とりあえず東京駅に行こう!」と言い出してくれたので、私は頷いた。

「今日、クリスマスイブなんだね」

 電車の中はさすがクリスマスイブのせいもあってやけに人が多かった。2人並びで座れそうな場所もなく、電車の出入り口に立って、流れる景色を眺めながら私は春原くんに告げた。「そうみたいだね」と言われて、この日に遊びに行くことが決まったのは、たまたまだったのかはわからない。
 真正面に立っている、座席の手すりに寄りかかっている春原くんの首から下をじっと見つめた。こうやって遊びに行くことが初めてで、私服姿すら初めて見た。ダッフルコートにネックウォーマーって、ずいぶんと暖かそうな格好をしている。

「春原くん、あのさ」
「んー?」

 向かい合って立ったまま、窓の外に流れる景色を眺めていた春原くんに声をかけた。電車が一瞬揺れて、流れる景色のスピードが緩んで、もうすぐ東京駅に着く手前、立ち上がって反対側のドアの方へ向かっていく人を視界の端っこに入れながら、私は訊ねた。

「……これって、デートなの?」

 プシューっと反対側のドアが開いた。「東京駅ー、東京駅ー」というアナウンスが電車内に響き渡る。そうしたら、電車の中にいた人たちが流れるように外へ出ていく。

「降りよっか」

 春原くんからの答えはなかった。タイミングが悪かっただろうか、それとも訊いてはいけないことを訊いてしまったかなと、ちょっとだけ後悔する。ちょっとだけ。電車から降りるなり、春原くんが「お腹空いた!」と零してくれたので、その程度に収まった。
 待ち合わせの時間は16時で、街に出た頃には16時半を過ぎていた。夕ご飯にしてはちょっと早いような気もする。それに私がお昼ご飯を食べたのは13時でまだ3時間くらいしか経っていない。私はそこまでお腹が空いていなかったから、そう言われて苦笑いをこぼした。

「ハンバーガーでも食べに行く?」
「いいね、いいね! オレ、セット頼もっと!」
「めっちゃ食べるじゃん」
「育ち盛りだからね!」

 と言っていた春原くんは、さすが運動部というか、そのまま育ち盛りといえばいいのか。お昼ご飯だってお茶碗3杯は食べてきたって言っていたのに、春原くんの胃袋はブラックホールみたいだった。

「みょうじさんって、サンタさん信じてる?」
「うん」
「え、ほんとに!?」
「嘘に決まってんじゃん」

 どこにでもある安いハンバーガーチェーン店はこの時間ですら行列ができていた。少し歩いた先に、そこそこ値のするハンバーガーレストランのチェーン店があって、そこは空いていたのでここにしようと決めた。
 私はそこまでお腹が空いていなかったからドリンクとデザートだけを頼んで、春原くんはハンバーガーのセット。Lサイズ。こうやって一緒にご飯を食べることは初めてだったから、本当によく食べるんだなぁと思って、注文したものが届く前に席に着いたら春原くんは私に訊ねた。「サンタさん信じてる?」って、子供じゃあるまいし、だけど咄嗟に出した言葉に春原くんは食いついてくるから、私は笑いを堪えた。

「オレ、中学に上がるまで本気で信じてたんだよ」
「春原くんって、すごく純粋なところあるんだね」
「だって、毎年サンタさんから電話かかってきてたんだもん! 父ちゃんの同僚がサンタさん装って電話してきてくれてただけなんだけどさ。サンタさんなんかいないって気付き始めても、毎年、クリスマスになると電話きたりしたら、信じちゃうでしょ!?」
「あはは、その気持ちは、わからなくはないけど」

 意外と純粋無垢な春原くんを目の前にして、自分にはなかったことでも、簡単に想像できる光景についに笑いを堪えきれなかった。背後からはクリスマスソングのBGMが流れていた。きっと春原くんはこの音楽を耳にして、そのようなことを口走ったのだろう。

「オレの親、未だにオレに、クリスマスの前日に換気扇の掃除させんの」
「あ、だから夜なら暇だったんだ。 なんで?」
「サンタさんは換気扇から入ってくるんだって、子供の頃からずっと言われてて」
「ふふ、入れるわけないのにね」
「でもさ、子供の頃ってそういうのも信じちゃってたんだよ。サンタさんは身体の大きさを自由に変えられて、小さくなって換気扇から入ってくるんだって」

 嬉しそうに口にしている春原くんに笑いながら頷いていた。そうしているうちに「お待たせ致しましたー」と店員さんがトレイを持って傍に訪れる。注文していたセットやドリンク類とデザートをテーブルに並べて「以上でご注文、お間違いありませんか?」と訊ねられた言葉に、はいと返事をしたのは春原くんだった。

「ずっと掃除してない換気扇から入られたら、油でベタベタになるじゃん。小学校3年生の時に一回だけサボったら、もらったプレゼントがなんかベタついてたの。 笑えるよね。 マジだ!?って思って、そっから毎年掃除してた」

 店員さんがいなくなっても、春原くんは届いたハンバーガーの包みを開けながら会話を続けた。こんな純粋な話って全く聞かないから、やっぱり頬が緩んでしまう。「食べていいよ」って言われたポテトを遠慮なくつまんで、私はハンバーガーを頬張りだした春原くんに、笑ってしまって緩み続けた顔で訊ねる。

「今年は、なにかお願いしたの?」
「新しいスニーカーお願いしといた」
「届くといいね」
「うん」

 あんなに饒舌だった春原くんは、今は食べることに夢中らしい。ガサガサと音を鳴らして紙を捲りながらハンバーガーを頬張る春原くんを見ていたら、今度は春原くんから質問を投げかけられた。

「みょうじさんは、なんか頼んだの?」
「うちは、もうこないから」
「マジで? なんで?」
「なんでって、小4の時にいきなり、サンタさんってまだ信じてる?って訊かれて、もう信じてないって言ったら、それっきりだよ」
「そうなんだ」

 ハンバーガー片手にジンジャーエールを飲み始めた春原くんに釣られるように、私もウーロン茶に手をつけた。

「欲しいものとかもないの?」
「うん、ないね」
「じゃ、なんか好きなものとかは?」
「それもないかなー。 私、趣味とかも何もないんだよね」
「ふーん。 家で何してんの?」
「テレビ見たり、雑誌読んだり?」

 私って、好きなものもないし、趣味も特技も何もない。友達と遊んでいるかごろごろしているだけの時間を過ごしている自分に、私ってつまらない人間なんだなと自嘲してしまいそうになる。それを紛らわせるようにベイクドチーズにフォークを刺した。

「なんかオレ、みょうじさんのこと、なんも知らないなって思った」
「私も、春原くんのことほとんど知らないよ」

 ハンバーガーもポテトも食べ終えた春原くんはジンジャーエールを啜りながら私を見ていた。その視線を感じながら、甘いデザートを口に運んだら、頬が痛かった。


 結局どこに行くのか決めていないままお店を出たけど、駅に戻って通路に貼ってあったポスターに興味を示した春原くんが「お台場に行きたい!」と言いだしたので、目的はすぐにお台場になった。どうやらテレビ局の周辺でサッカー関連のイベントがあるらしく、春原くんはそれに興味を示したのだ。サッカーとか知らないし興味がないんだけど、好きなことが特にない私にとって、行きたくないとかつまらなそうっていう気持ちが浮かばないことは、ある意味それがあってよかったなとは思う。

「なんか、オレの趣味に付き合わせるみたいになってごめんね」
「え? 大丈夫、全然。気にしないで」
「あ、イルミネーションとか見に行く!?」
「近くにあるんじゃない? いいよ、サッカーのやつ見に行こうよ」
「……本当にいいの?」
「うん。 春原くんと一緒にいるのが楽しいから」

 って、私はなんでこんなことを言ってしまったんだ。他の友達に対してと同じように一緒にいるだけで楽しいという気持ちを告げただけなのに、自分の発言に胸がドキッとしてしまった。そっか、と照れくさそうに笑っていた春原くんの傍で、たいして縒れてもいないマフラーを巻きなおした。


 いざサッカーのイベントに行けば、そこには選手のユニフォームとか、サイン入りのサッカーボールとか、サッカーの歴史が並んだ、この日のために設営されたという感じの屋外会場があった。いつの間にか日が落ちて真っ暗な空の下でひときわ輝くテレビ局周辺や会場は、寒いっていうのに入場無料のせいもあってか人が多い。その人ごみの中で、春原くんは「オレが応援してるサッカーチームなんだ」とか「オレが好きな選手なんだ」とかを教えてくれた。
 まるで、春原くんのことを知らないと言った私に自分のことを教えてくれているようだった。サッカーになんて興味はないけど、春原くんが好きだって言っているものには自然と興味が湧いてくる。だから、何の知識もないままこの場所に立っていても、つまらないとか面白くないとは全く思えなかった。

「みょうじさん、あのさ」

 一通り見終えたところで会場の外を歩いていたら、海の見える広い広場に出た。少し行った先に、クリスマスツリーらしきイルミネーションされたものが目に入る。人混みの熱気が薄れてやたら寒く感じたけど「海の潮風が心地いいね」って言ってみたら、少し前を歩いていた春原くんが足を止めて私を振り返った。

「なに?」
「あの、あれ、本当につまんなくなかった?」
「え? つまんなくなかったよ。 春原くん、私に話しかけてくれてたし、春原くんがサッカーのこと本当に好きなんだなって思ったし」
「そっか……」

 春原くんは顎をさすりながら、居心地の悪そうな顔をしていた。その姿に釣られて顔を歪めた私は、苦いものを吐き出すように口を開く。

「ごめん、逆に私と一緒で、つまんなくなかった?」
「いや、そんなことないよ! オレだって、みょうじさんと一緒にいるの、楽しいし!」
「……そっか。 ありがと」

 本当なのかなって気持ちが少し混じってたけど、ほっとした私は笑ってみせた。じゃあ、次はどこに行こうか−−あそこでイルミネーションされているのがちょっと気になる。冗談だったとしても、本当は最初に行こうとしていた、ここからはっきりと見える真っ白に輝くソライロタワーとオレンジ色に輝く東京タワーを見つめて、ここから見る景色もいいなって思いながら口を開こうとした。そしたら、先に春原くんが口を開いた。

「……みょうじさんってさ、今、付き合ってる人っているの?」
「えっ、いないけど……」

 突然訪れた、唐突すぎる質問に驚いて思わず春原くんを見る。ネックウォーマーに顔をうずめながら呼吸を繰り返して、肩を動かしている春原くんの姿に緊張を覚えた。あれ、これって……と、思いながら返事をして、少し間が空いた瞬間にそんな予感がしてしまった。だけど、春原くんは何も言いださない。

「……彼氏いたら、来なかったし」
「じゃあ、今日誘ったのが、オレじゃなかったら?」
「春原くんじゃなかったら……行かなかったと、思う」
「オレも、みょうじさんじゃなかったら、誘わなかったよ」
「うん、そっか。 なんか、安心した」
「あの、みょうじさん」
「うん、なに?」
「オレ達、付き合ってみませんか!?」

 あれ、これって、来るやつだ。と、告白される気配を感じたあの感覚は、初めて覚える感覚だった。今の腹を探るようなやり取りをして感じていた気持ちだって、きっと、これから生きていく先で二度と感じることのない感覚だったと思う。寒さのせいか顔を赤く染めてた春原くんがネックウォーマーから顔を出して、付き合うってことをはっきりと口にされた。

「えっ……、うん」

 反射的に私は返事をして頷いた。告白された。春原くんに。気になっていた人に告白されるって、こんなに照れくさいものなのか。それを心の中で考えながら、みるみる驚いた表情を浮かべていく春原くんを見て、だけど見ていられなくて、視線を逸らしてしまった。

「え、え、マジでいいの?」
「え、うん……ふふっ」
「なんで笑うの!?」
「いや……ふふっ、恥ずかしいなって、思って」

 もう一度だけ春原くんを見るけれど、春原くんは真っ直ぐ私を見据えていた。一度目を合わせるものの、照れ笑いを隠しきれずに、やっぱり視線を合わせていられなくて顔を背けてしまった。


 高校2年生の12月24日のクリスマスイブに、私たちは付き合い始めた。