幸福な降伏(05)





「−−モモ、大丈夫?」

 ドアの向こう側からユキの心配そうな声が聞こえてきた。

 了さんの失敗料理を無理矢理完食させられてから一時間後に了さんとはお開きになって、案の定と言ってもいいけれどオレはユキと住んでいるアパートに帰るなり腹を壊した。トイレにこもり始めて30分、了さんにラビチャで怒りスタンプとトイレのスタンプを交互に送り続けているけれど速攻で既読が付くわりに一向に返信が来なくて、腹の痛みもあって顔をしかめ続けていた。

「この間言っていたツクモという男のところに行ったんだろう。まさか、何かされたのか!?」
「いや、大丈夫大丈夫! ちょっと美味しいもの食べすぎちゃって、食べ過ぎで腹壊してるだけだから!」
「……本当に?」
「ほんとほんと! ユキが心配してくれるなんて、モモちゃん幸せ者だよ! なんか、ユキの優しさに身体が喜んで治ってきた気がする」
「……ならいいけど」

 ああ、ユキに嘘を吐く日が来るだなんて。ユキは了さんと関わっていないけれど「胡散臭い奴だからモモが心配だ」と言われていて元から了さんのことを良く思っていないことは知っているし、了さんのところで有無をいわせず得体の知れない料理を食べさせられた結果こんなことになっているのだと知られたら手を切れと怒り出すに違いない。

 了さんは何を考えてるのかよく分からない人で極たまに度が過ぎる嫌がらせをしてくるような人だけれど、あの人はオレが今まで出会った人間の中でダントツで頭が切れる人だし権力も持ち合わせているから、この先オレにとってRe:valeにとって繋がりを持っていなくてはならない使える人材だ。
 了さんはそういう人だから、類は友を呼ぶという言葉があるように了さんに付く業界人は了さんみたいに今後のために役立つと確信できるほどの人間ばかりで、そういう人たちを名前も顔も知られていない無名のオレに紹介してきてくれるし、食べ物だって与えてくれて、Re:valeがツクモプロダクションと星影プロダクションと均等の釣り合いを保てていられるのは了さんの権力あってこそだ。この状態をまだ芸能界の中の有名枠に片足突っ込んだばかりのオレ達にとって絶対切り捨ててはいけないものだった。
 だからオレは、この腹部に走り続けている激痛を誤魔化して耐え続けなければいけない。

『やぁモモー お気の毒だねー! まぁ、今度のバイキング楽しみにしててよ。』

 しばらくして、了さんからラビチャの返信が来た。悪びれる様子もなく、画面の向こうで絶対面白がっているという字面がオレの目の前に飛び込んできて、スマホを割りそうになった。
 けれども、オレは大人だ。さっきまでスタンプを送りつけていたんだけど、その文面を見て機嫌を直したと思わせるように顔を歪ませながら、犬みたいに、機嫌の良い返事をする。できればバイキングよりも、今日出された失敗料理に入っていた肉をちゃんとした味で食べたいなぁなんて思いながら。

『わーい、やったー! 了さん、いつバイキングに連れてってくれんの?』

 了さんからの返事はなかった。



 了さんはよく連絡をぴたりと止めることがある。了さんにとって別に都合が悪いことを言っているわけでもないのに、話の途中でも速攻で付いていた既読が付かなくなったり、付いたとしても返信がないことがあったりする。なんで?と一度聞いたことがあった、すると了さんは「モモは僕を暇人だと思ってるみたいだけど、これでも貿易会社をやっていてね。モモなんかよりもうんと偉くて、賢くて、優秀で、僕にとってとーーっても役に立つ有益な人間が何人かといるんだ。なんの取り柄もなくて、役に立たないモモみたいな子を相手にしているよりも、そういう人間とやりとりしている方がいいだろう? そういう時間に費やしたいんだよ、わかる? わからないよねぇ、だってモモは有名人じゃないから、こんな気持ち、微塵も分かりはしないよ」と言ってきやがったので、あれから了さんの返事がないのはなんで?は無しになった。

『やあ、モモ。 今日の予定は?』

 了さんからあの時振りに連絡が来たのは一週間後だった。ちょうど立て込んでいた有難い仕事達がひと段落ついたオフの日、ユキと一緒に街まで出かけて買い物をしていた最中に来たからできるだけ気付かないフリをするべく既読を付けないでいたら、今日の了さんはなんだか積極的で、電話までかけてきた。なんか鳴ってる程度のラビチャの通知は知らん顔できたけど、さすがに電話の音は誤魔化せなくてユキの前で電話に出てしまった。

「誰? 何て?」
「了さん。会わせたい人がいるから、これから空いてないかって」

 分かっていたことだけど、やっぱりユキは表情を歪ませた。

「会わせたい人って?」
「うーん……わかんないけど……この前、あけぼのテレビの偉い人紹介してよって言ってみたんだ。たぶんそれ系の人だと思うから、ユキ、心配しなくていいよ」

 けれど、あまり良さそうな顔をしないユキに「もし本当にテレビ局の人間を捕まえられたら、オレめちゃくちゃ媚び売りまくってレギュラー番組の話とか持ちかける営業マンになってみせるから!」と付け足すと、渋々と言った形で「なら行っておいでよ」と言われた。

「あ、でも、ユキとの時間大切にしたいし! 夜に行くことにしたから、それまでユキとのハッピーな時間楽しんじゃう!」
「はは、またモモは……。まぁ、夜に一緒にいれない分、僕も今のうちに楽しい時間を楽しんでおくことにするよ」

 ユキと一緒にRe:valeを始めて1年半。この手の話題はユキにどういうことを言えば説得できるかだいたいわかるようになってきた。騙したつもりなかったけれど、ユキにまた嘘を吐いてしまった。

 以前、テレビ局の上の人間を紹介してくれと言ったのは本当なんだけれど、了さんは電話の先で「この前紹介してあげるって言った彼女も来るから」と言っていて、今日会う人はその人じゃない。なら、どうして了さんの誘いを受けたのかと言われたら、あんな子がどうして了さんなんかと一緒にいるのか不思議に思った興味と、この間出会った時に頭に過ぎらせたよくないことも、了さんがあの子のことを「可哀想な子」と言っていた意味もはっきりさせたかったからだ。

 理由はわからないけれど、きっとオレはこの頃から、名前の一文字だって知らないみょうじなまえのことをずっと気にかけていた。








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