幸福な降伏(03)





「え、なに、これ、了さんの手料理!?」

 次の日の夜、夕飯時に約束通り了さんの元に訪ねてみたけれど、食卓に並べられたのは今まで了さんの家では出されたことのない実に家庭的な手料理だった。贅沢なことにカツの乗ったカレーライス。……カレーライスだよな、これ?

「なんか黒くない? うわ、混ぜたら赤いの出てきた……了さん、カレーだよね、これ」
「モモには、それが何に見えるんだ?」
「オレにはカレーの皮を被った得体の知れない物体にしか見えないんだけど」

 なんで一人前、しかもオレの分しかないんだよ。テーブルの向かい側に腰を下ろした了さんの手元には何もなくて、強いて言うならアルコールくらい。了さんは前にテキーラが好きなんだと言っていたけれど、手元に置かれている瓶はおそらくそれで、ヘラ…ヘッラ……?……あいにく英語の知識が皆無なオレにはその文字が読めないのだけれど(そもそも英語なのかすらわからない)難しい名前といかにも高そうな形とラベルが貼られてある。
 そうやって気を紛らわしてみたけれど、オレの目の前にあるのはやっぱり一口でも食べたら腹を壊しそうな得体の知れないカレーライスのような物体だった。

「了さん、オレにもなんかちょうだい。こないだ飲んだやつ。ウイスキーだっけ?」
「モモ、お腹が空いてるだろう? 空腹にアルコールなんて摂取したら、腹が膨れるしすぐに酔いも回っちゃうよ」
「……わかったよ、早く食べろって言いたいんだろ」

 見た目からしてヤバさは伝わってくるのに、アルコールを含んで酔いが回った勢いでかき込もうとしたけれど了さん的には却下案件らしい。

「うっ……なんか、変な匂いがするんだけど」

 スプーンで一杯、謎の物体をすくい上げて口元に持ってきたけれどつんとした匂いが鼻に刺さった。腐ってんじゃないのこれ、と匂いに負けて口に出してみたけれど了さんは「ついさっき出来上がったものだから大丈夫だよ」と言い返してきた。

「ねぇ了さん、これ食べても大丈夫なやつ? 腹壊したりしない?」
「モモ。君は、人の手料理にあれこれ文句を言うの? 言える立場なの? この間あげた野菜はどうだった? 美味しかっただろう。あれと同じところで取り入れた野菜が入ってるし、肉は帝国ホテルで使われてるものと同じ神戸牛を使ってるんだ。モモもあそこの肉は食べただろう? もう忘れちゃった? もう覚えてないの?」
「覚えてる! 覚えてるよ! めっちゃめちゃ美味しかった! それ聞いたら食べれそうな気がしてきた!」

 よく漫画である話だ、見た目はえげつないものでも味はめちゃめちゃ美味しいっていうやつ。現実で目の当たりにしたことはないんだけれど、それが今オレ自身の身に起こっているんだと思えば食べられるような気がしてきた。

 けれど、結局、見た目も味も最低最悪のものだった。



 モモは料理はできるの? なんて問われたら弱点を突かれたように言い返す言葉が見当たらない。オレは料理ができない。さっきまで目の前に置かれていたカレーライスのようなものだって、オレは同じように作ったことがあるけれど、最終的に丸焦げにしてしまって貴重な食料を無駄にしてしまったことがある。

 ユキは料理が上手い人だったから、アパートにオレがいる時はいつだって手料理を作ってくれていた。ある日、ユキが千葉サロンと呼ばれる場所で知り合った大御所俳優やその周囲の人に遊びに誘われて外出した時に、帰ってきたユキを驚かせてみようと思ってオレが手料理を披露しようと思ったことがあった。カレールーの箱の裏面に記載してある説明通りに作ってみたけれど、煮込んでいるのを待っている時間に携帯を弄っていたら『隠し味にチョコレートを入れると美味しい』という書き込みを見てふんふんなるほどと目を離していたら、気付いたら丸焦げになっていたのだった。

 だからオレは他人の料理に不味いなんてこと言えるはずもない立場なんだけど、明らかにどうしたらこんなものが出来るんだレベルに失敗した手料理を拒否権も反発も無しに無理矢理食べさせてくる了さんは鬼畜で非道で凶悪人間すぎると心の中で毒づいた。

「本当にモモの食べっぷりは見ていて気持ちがいいよ。あはは、残飯処理お疲れ様ー、御褒美に今度は美味しいバイキングを食べに連れていってあげるよ」
「……了さん、あんたやっぱり料理失敗したのかよ。残飯処理とかオレさせないで捨てろよこんなの」

 了さん自身がこんなの食べきったらどうなるかわかっていただろ。最初の一口の御褒美だと注いでくれたウイスキーと交互に飲み進めて強引に完食させられた後、すごいすごいと拍手を送ってからネタばらしのように残飯処理なんてことを言い出した。

 今日の了さんの用事というのはこの失敗料理の残飯処理のため。了さんの家に行くといつも飛び交う対して面白くない話や業界人関連の話は何も無くて、今日の出来事はオレが一生根に持つレベルだったっていうことくらい。来るんじゃなかった。帰ってから腹を壊したなんて言うまでもない。






「……あれ? 了さん、これ全部食べてくれたの?」

 食器洗いと部屋の掃除を忘れずに、といった内容のラビチャが携帯に入っていたのはちょうどバイトが始まった頃だった。元から了さんのところに寄って、強制的に作らされて失敗した料理の処理をしようと思っていたのでこの内容に特別慌てることもなく了さんの住むマンションへ向かったけれど、それが転がっているはずのキッチンに足を運んでみると、米粒一つ残さず綺麗に食べられた食器がシンクに置かれていて驚いてしまった。

「そうだねぇ。一体どんな育ち方をしたらあんなものが作れるのか、不思議に思うくらいの出来栄えだったよ」
「だから捨ててくれていいですって、私、言いましたよ」
「食べ物を粗末にすると罰が当たるって言うだろう。なまえのせいで罰が当たるっていうのは、ここのベランダから飛び降りた方が何百倍もましだと思えるくらい、嫌だからね」
「………」

 了さんの元にお世話になり始めてから半年が経ちそうだけれど、なんの気まぐれからか4日前にいきなり手料理を振舞えと言われて、包丁すらまともに握ったことのなかった私は無理だと断った。誰かの世話になるならこういう時がいつか来るかもしれないとは思っていたけれど、がらりと変わった環境の中で過ごすのが精一杯でそんな時間を割けることができなかった。

 だから手料理を作れと言われた時、それならせめて一週間だけでもいいから練習させて下さいと言ってみたけれど、了さんは「僕が海外から戻るまでの時間で練習しておいてよ」と満面の笑みで告げた。明日も明後日も丸一日バイトで埋まっていて、明々後日は朝から了さんが私を連れて何処かへ出かけると言っていたし(その予定のために、前倒しで明日明後日は丸一日分のシフトを入れた)練習する時間が作れないのを分かりきっているうえで、了さんはそんなことを言い出したのだ。

「僕の言うことが聞けないなら、なまえとの関係、僕は切ってくれても全然構わないんだけどね」

 絶対に嫌だと突っぱねると、了さんは嘲笑いを交えながら脅迫じみた言葉を吐き出した。その言葉は今の私にとって絶対に言われたくない言葉で、その一言が私を孤独と苦悩の底に投げ込むことだと知りながら、了さんは小馬鹿にしたように平然とそれを口にしたのだ。一瞬で恐怖を感じた私は恐ろしさでぶわっと涙がこみ上げてきて、目を擦りながら「わかりました」と頷くことしかできなかった。

「わあ! 嬉しいなぁ、あはは! あっ、これから友達が遊びに来るんだった。だからもうなまえは帰ってくれていいよ」

 −−そしてすぐに家を追い出されて、泣きながら家路に着いた。これが4日前の出来事だった。

 他に縋ることのできる人間がいないから、唯一世話をしてくれる了さんに感謝しながら、けれどもたまに訪れる小さな恐怖心を抱きながらも了さんの元へ足を運ぶ日々が半年ほど続いているのだけれど、なんだかんだ嫌味を交えながらでも食べれるものではないものを完食してくれたという目に見えた結果だけが嬉しくて、頬を緩ませながら綺麗に平らげられた空っぽの食器に手をつけた。








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