幸福な降伏(02)





 了さんとの一件から3日後、なんの縁かわからないけれど了さんの部屋の前で出会したあの子に会った。

 音楽雑誌の『応援したい!新人アーティスト特集』と呼ばれる、最近気になっている音楽グループの読者アンケート企画で上位10組のうちの1組に見事ランクインしたRe:valeは、そのページに載せる用の写真撮影とインタビューのために現場に訪れ楽屋で出番を待っていたんだけどなかなか出番が回ってこず、ユキが「いい加減喉が渇いた」と零したためユキのために飲み物を買いにいくことにした。

「すみません、前の方々が時間押してるみたいで…」
「おかりんが謝ることじゃないって! 仕方ないよ! こういうのにランクインするとめちゃくちゃ嬉しいし、つい喋りたくなっちゃうもんね!」
「百くんはフォローがお上手ですね。さっき千くんに嫌味言われてしまったので、実は自分へこんでたんですよ」
「うう、確かにユキは周りが見えなくなることがあるから……。けど、飲み物届けてあげたら斜めになった機嫌も直してくれるって!」

 ユキは待つことが苦手なのか、はたまた約束されていた時間からだいぶ遅れている原因からかピリピリしていた。「なんでこんなことになってるんだ、マネージャーだろ」なんておかりんに八つ当たりし始めてしまったため、悪い空気を紛らわせるためにおかりんを連れ出して一緒に下の階にある自販機まで向かっていたのだけれど、その途中であの子に会った。

「あの。すみません、お手洗いってどこにありますか?」
「えっ、トイレ? えーっと……え、あ……君」
「……?」
「お手洗いなら、あそこの角を右に行ったところにあるみたいですよ。地図にそう書いてあります」
「あっ、ほんとだ。すみません、気付かなくて……ありがとうございました」
「いえ、お気になさらず。力になれて良かったです。……百くん?」

 おかりんが指差した先にある壁に貼られたビルとこの階数のマップにはちゃんとトイレの場所が記されていて、彼女は一つお辞儀をするとすぐにその方向へ向かっていった。もしかしたら別人かもしれないと思ったけれど、後ろ姿を目で追ってみたらあの時と同じ後ろ姿だった。普通だったら"あ、あの子見たことある"程度に済ませられたのに、先日の了さんのこともあったのでそれだけで済ますことができなかった。

 −−なんで了さんの部屋から出てきたあの子がここに? 芸能人だったのか? やっぱり二度目に見た感じでもオレよりも年下の子だ。了さんはツクモプロダクションの次男坊で、あの時の彼女は泣きながら部屋から出てきて……え、まさか。

「百くん? 大丈夫ですか? 体調悪いですか?」
「えっ、いや、体調悪くない! オレ体調崩すことなんか滅多にないし、元気元気!」
「そうですか……? それにしてもさっきの子」
「え! おかりん知ってんの!?」
「いえ、初めて見る子でした。ここにいるってことは無名のモデルさんや女優さんですかね? 可愛かったですね。あ、もしかして百くんあの子に見惚れ……」
「いや! そんなんじゃない! っつーかオレ、アイドルだし! 恋愛事はスキャンダルになっちゃう!」
「ははは、まぁそうかもしれないですけど、ある程度プライベートだって大事ですよ」

 そこからおかりんは、自分は大学の頃に彼女がいたんですけど振られてちゃって云々と自虐を交えながら話の種をばら撒いてくれていたんだけれど、ま、枕……なんてことを頭にチラつかせたオレは、おかりんの話に耳を傾けることも、おかりんにあの子を見たことがあるなんてことも言えやしなかった。



 数時間後、予定されていた時間よりもだいぶ遅れたけれど雑誌の撮影もインタビューも無事に終えることができた。あれから水を届けてあげればユキの斜めになった機嫌は多少元に戻ってくれたし、その後すぐにオレ達の出番が来たのでなんとかやってのけた。相変わらず、おかりんとユキの間には目に見えない壁が存在したままだったけれど。

 ユキは元々オレが入る前のRe:valeの時代におかりんが働く岡崎事務所でデビューを控えていたんだけれど、相方のバンさんの件があってデビューの話が白紙に戻りそこでいざこざがあったらしいという話はオレも聞いていて、居なくなってしまったバンさんの代わりにオレが入ったユキとモモのRe:valeでデビューするのはどうかと話を持ちかけた時、おかりんはオレ達に代わって社長である実兄に頭を下げてまでデビューをさせてあげて下さいと頼み込んでくれたらしい。おかりんあってこその形でデビューに至ったわけで、ユキもそれを知って感謝を口にはしていたけれど、ユキはまだあのバンさんの一件を根に持っているみたいで、ユキが一方的におかりんとの間に壁を作っていたので折り合いが悪かった。

「やあー、モモ!」
「うげ、了さん」

 帰り際にそんな二人を置き去りにするのも気が引けたけれど、今度はオレがトイレに行きたくなってしまって楽屋に戻る手前で一人別行動をして長い廊下を歩いていた。そうしたら不運なことに、こんな場所でぷらぷらしていた了さんに出会してしまった。

「うげって、ひどいなぁ。この間、野菜をお裾分けしてあげたじゃないか。おや? そんなに急いでどこに行くんだい」
「トイレだよ! さっきからずっと我慢してたんだ! ちょっとどいてくんない!?」

 通せんぼするようにわざわざオレの前に立ちはだかる了さんに邪魔だとつい暴言を吐き出しそうになった。さっき了さんとこで見た女の子を見ておかしな考えが頭の中にぐるぐる回り続けているところだったし、了さんと話しているところをユキに見られでもしたら面倒なことになりそうだし、なによりインタビューの最中から来ていた尿意に我慢ができなかった。

「わあ。連れションでもする?」
「気色悪いこと言ってんじゃねーよ! あっ、うそうそ! なんかこう、了さんと一緒に……とか、恥ずかしいじゃん……」
「あはは、モモ。モモが最初に言った言葉、そっくりそのまま返すよ」

 了さんと連れションなんて勘弁願いたいところだけど、本気なのか冗談なのか。了さんの横を無理矢理通り抜けトイレの限界も近いので逃げるように駆け足になる中、了さんはへらへら笑いながら後ろにぴったりくっ付いてきた。言葉のドッジボールをしながらだ。そんでもって、この人、脚が長いから余裕そうにオレに着いてくるもんだから軽く苛立ちを覚える。

 ……結局連れションというのは冗談のようで、了さんはオレが用を足してる間は外で待っていたみたいだけど。
 待っていた。オレが出てくるのを、この人は鼻歌を歌いながら待っていたんだ。

「はぁ、すっきりした。それで了さん、オレに何か用?」
「モモ、明日の夜は何か予定でもある?」
「明日は……ないけど。なになに、美味しいご馳走でも食べさせてくれんの?」
「まぁ、そんなところかな」

 了さんはよく話したいことが出来ると予めオレに予定を訪ねてきて、どこから取り入れてるかわからない美味い肉や魚を食べさせてくれる。ユキはどっちも食べない人だから、ユキと過ごす日々は幸せだけど、食べたいものが食べられないという食に飢えかけたオレにとってこういうのはちょっとしたご馳走で、その手の話に弱いことを了さんは知っているからそれを餌にオレを呼び寄せる。

 了さんの話は下らないことばかりだ。たまにタメになる話や使えそうな業界の人間を紹介してくれるから、オレはそっちの話目当てでその話に飛びついた。あとは、了さんと一緒に過ごしていく中で感じるようになった、あ、今日の誘いは断ったらやばいかも……という勘が密かに動いたので了さんの機嫌を損ねさせないためにも今回の話に乗った。

「そういえば、この間了さんが紹介してあげるって言ってた女の子にオレ会ったよ」
「へぇ。どこで?」
「ここのビルの中で。さっきトイレの場所訊かれた」
「モモといい彼女といい、君たちはトイレに縁でもあるのかな」

 今日は会った時から機嫌が良さそうだったけれど、オレが約束を受けたことに満足してくれたのかさっきよりも嬉しそうな弧を描いた口元を動かして、了さんは「尿と汗は同じ味がするらしいよ」と要らない情報を吹き込んできた。








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