シンパシー・シンドローム





1.

「ねえ、昨日のミューフェス見た!?」

 そうだそうだそれを一番に伝えたかったのだ、と言いたげな、思い出して驚いたように声を上げた友達の言葉に、わたしは首を傾げながら「見てないけど……」と返した。「どうして見てないの!」と言われても、昨日の夜はバイトがあったし、特別好きなアーティストが出演しているわけでもなかったし……とはいえ、もし好きなアーティストが出演していても、思い立ったら見る程度の番組なのだけれど。

「昨日のミューフェス、スペシャルだったんだけどね」

 そう言われてわたしはハッとする。友達はTRIGGERの九条天が推しの子で、わたしはよく彼が出演する番組を見ることを勧められていたから。わたしが忘れてしまっていただけで、もしかしたら昨日放送されていたミューフェスに出るから絶対見て、と言われていたのかもしれない。と、ちょっと冷や汗が流れる。
 けれど、友達はいつものような天くんのことを熱く語るテンションの口調ではなかった。もっと他に、何かすごいことがあったのだと興奮気味にわたしに語りかける。語りかけてきたのは、高校時代の話だ。

「2、3年の時に同じクラスだった和泉三月くんって覚えてる!?」

 まさかその名前が友達の口から出てくるとは思わなかった。それも、今さら。教室の隅っこで、2人でくすくす笑い合いながら目立たない高校生活を送っていたわたしたちに対して、同じクラスにいた和泉三月は、クラスの中でもひときわ目立っている4人組グループの一人だった。明るくて、元気で……そこまで思い出して、わたしは頷きながら「覚えてるよ」と今できる精一杯の笑顔を浮かべて彼女の質問に答えた。

「和泉くんがね、ミューフェスに出てたの!」
「……へ? あ、観客席に?」
「違う違う。出演してる方、歌ってた!」
「そっくりさんとかじゃないの」
「メンバー紹介の時に和泉三月って言ってたもん! えっとね、ア、アイ…アイド……アイドリッシュセブン! っていう、アイドルグループのメンバーみたいで」
「アイドル……」

 いや、まさか、そんな。和泉三月がアイドルをしている?はじめた?なんて、まったく理解ができなかった。彼がアイドルになることはおかしな話ではない。だって和泉三月は、子供の頃からずっとアイドルになることを夢見ていたから。だから今、アイドルでいることはおかしくないのに、どうしてもわたし自身が納得して理解することができなかった。

「テレビに出れるくらい有名な人になるなら、高校の頃もっと話して仲良くなっておけばよかった! なまえもそう思わない!?」
「えっ……。 わたしはミューフェス見てないし、どんな感じなのかもわからないから、なんとも言えない……」
「いいなぁ、和泉くんと仲良かった子たちが羨ましいっ」

 勿体無いことをしたと、過去の自分を咎めるように頭を抱えている友達に苦笑いが溢れた。そうだねと、同意したわたしがいる。彼女のことを考えて、気遣いのために思った言葉かもしれないけれど。でも、ちょっと胸に引っかかった。わたしも、わたし自身も、勿体無いことをしたなって思ってるの?


2.

 高校の友達は一生の友達、なんてよく耳にする言葉だ。人によるかもしれない言葉だけれど、実際わたしはそれで、高校の頃に仲良くなった友達とは、大学進学のために東京を出てしまった大学四年生になった今でも一緒に遊んでいるような仲だ。言いたいことはなんでも話せていた。お互いに親友みたいな関係。けれど彼女に言えない隠し事が一つだけ存在していた。

「−−みっちゃん!」

 物心というよりは、気付いたらずっと目の前にいた男の子のことがわたしは大好きだった。かけっこが好きで、虫が大好きで、木登りが得意で、いつもにこにこ笑っている格好良い男の子。結婚の約束を迫る女の子たちはたくさんいた、わたしもその中の一人だった。彼を取り合ってよく喧嘩をしていた。そのくらい大好きだった彼の後ろを追いかけているのがわたしで、それから。

 和泉三月のことを「みっちゃん」と呼ぶのがわたしだった。

 中学校に入って少し経ってから話さなくなって、今でもまったく話していない。高校は、同じ高校に進学してしまった。ただの偶然だった。高校に入ってから、学校に向かう道先で何度も彼の背中を見たけれど、わたしは追いかけることも、声を掛けることもしなかった。2年生のクラス替えで同じクラスになってしまったけれど、そこでも最低限の会話しかしなかったし、極力話さないようにしていた。赤の他人を装って。一緒にいる友達は、実はわたしたちが子供の頃はすごく仲が良かったことなど知る由もない。「和泉くんと仲良かった子たちが羨ましい」と言った友達の言葉の中に、わたしがいなかったことがすべてを表している。
 けれど今さら、仲良かったんだよと言える話でもない。じゃあ話しかけてきてよ、なんて言われてしまったら100パーセント困ってしまう。みっちゃんと話さなくなってしまったのは、わたしがそうさせてしまったからだ。だから今さら、仲良くなることだってごめんなさいも言えるはずない。

 わたしが一方的に突き放してしまったから、「今さらなんだよ」と追いかけた先で突き放されることが怖かったのだ。


3.

『−−はい! 今日も始まりました! キミと愛なNight!−−……』

 IDOLiSH7というアイドルグループの存在は、瞬く間にお茶の間にまで広がっていた。友達が言っていた話は別人なのかもしれないと思ったけれど、テレビの中に映っているのは、幼馴染で同級生だった和泉三月だ。昔と変わらない優しい笑みを浮かべて、お喋りが得意なみっちゃんは番組を仕切っている。本当にアイドルになってしまったというならば、もしかしたらわたしの知っているみっちゃんとは違った別人に生まれ変わっているかもしれないと思っていたけれど、声も、喋り方も、表情も、全部わたしが見続けていたものと何一つ変わっていなかった。

 みっちゃんと最後に会ったのは、一昨年の成人式の時だった。中学校と高校の同窓会に誘われてみっちゃんと話はしたものの、そこでも「久しぶり」程度の話しかしていない。いつだってみっちゃんの周りには元気な男の子たちが集っていて、輪に溶け込む勇気なんてないけれど、それはただの言い訳だ。できるだけ話したくなかった。今さら、と思われるのも嫌だったし、わたしの気持ちも許されなかった。

「あら。本当に三月くん、アイドルになったんだ」

 リビングでIDOLiSH7の冠番組を見ていると、お皿洗いを終えたお母さんが戻ってきた。わたしの分のココアを手に持って。ちょうど良い熱さのそれを口に運びながら、お母さんと隣り合って番組を見る。

「和泉さん、凄いわよねえ。弟の一織くんも一緒にアイドルになったらしいじゃない。……あ、ほら、この子。覚えてる?」

 わたしとみっちゃんが幼稚園の頃からのお友達で高校まで一緒だとなれば、親同士の付き合いも長く当たり前のようにお母さんもみっちゃんのことを知っている。弟の和泉一織くんのこともわたしたちは知っている。けれどわたしは、いつだってみっちゃんばかりだったから、一織くんとは特別仲が良かったわけじゃない。4つ年が離れていたから学校が被らなくて、最後に見たのは中学校の頃。みっちゃんと仲が良かった時期が最後だった。
 明るくて元気なみっちゃんとは対照的に、大人しかった一織くん。最後に見た一織くんは小学生だったけれど、高校生になったらしい一織くんは別人のようだった。みっちゃんよりも背が高くなって、落ち着いている。

 番組の中で、和泉兄弟が自分たちの家はケーキ屋を営んでいることを話していた。隣に座っていたお母さんは「ケーキが食べたくなってきたわ」とわたしに寄りかかりながら呟いてきて、わたしはココアを一口飲んで「うん」とそれだけを返した。


4.

 『fonte chocolat』

 みっちゃんの家のケーキ屋さんは今日も行列ができているようだ。閑静な住宅街で営まれたケーキ屋さんは昔は近所の人たちが買いに来る程度で、そこまで行列はなくとも近所の人たちが集まるから立ち話をしている人たちで賑わってはいた。
 久しぶりに訪れたそこは知らない顔をした人ばかりが並んでいて、若い人たちが多かった。雑誌の紹介だとか、みっちゃんが有名になって紹介してくれたから知ったくせに……と、みっちゃんの家族はきっと嬉しいことだと思うけれど、不満を抱いたわたしは心の中で呟いた。

 全部わたししか知らないと思っていたかった。
 突き放しておいて、今さらなにを言っているのだと思われるかもしれないけれど。追いかけてきてほしかった、と都合の良いことも考えていたわけじゃないけれど。待ち時間のせいと、見慣れない人たちに囲まれているせいで面倒なことばかりが思い浮かぶ。

「……あら、なまえちゃん!?」
「あ、こんにちは……」
「久しぶりねえ。元気そうでよかった。今は県外の大学に通っているんでしょう?」
「そうです。昨日から帰ってきてて……昨夜、お母さんがケーキを食べたいって言ってたから」
「昨日、うちの子たちがテレビで宣伝してくれたおかげかしら? 今日はいつも以上にお客さん多くて」
「それは、よかったですね」

 やっとお店の中に入れて自分の番が回ってきて、可愛い装飾の店内のカウンターでお父さんとお母さんの分のケーキを注文していたら、接客をしていたみっちゃんのお母さんに話しかけられた。気付かれてそうやって声を掛けてくれたことは嬉しかったけれど、みっちゃんたちの話を持ち出されると苦笑いしか浮かべられない。
 やっぱり昨日の番組でみっちゃんと一織くんが実家のケーキ屋さんのことを話した影響で、今日は一段と人が多いそうだ。いいことだ。みっちゃんのお母さんは忙しそうだけれど、とても嬉しそうだった。

「三月が帰ってきたら、またお話してあげてね」

 そう言われて脳裏に浮かんだのは笑顔を見せてくれているみっちゃんの姿だ。テレビの中で笑っているみっちゃんは、子供の頃にわたしがずっと見ていた笑顔がそのまま貼り付けてあった。テレビ越しだけれど目の前に大好きだった子がいるのに、近付くことができない。テレビだし当たり前だけれど、テレビじゃなくても、たとえ肉眼で見える距離にいても、近付くことはもうできないと思うのに、みっちゃんのお母さんにそう言われてしまったら静かに頷くしかない。


5.

「ねぇ! 三月くんがいた!」
「えっ、どこ!?」

 悲鳴に近いような声が路字から聞こえてきて、ビクリと肩を反応させてしまったのは帰り道でのことだ。血相を変えて、という言葉がよく当てはまるような、険しい表情で若い女の人たちがなにかを探し回っている。
 本来ならば車通りも人通りも少なく静かな町だというのに、続々と数人の大人たちが走り回って、道路には20キロも出ていない車がよたよたと走っている。みんなして、生の和泉三月を見つけようと必死なようだ。ぎょっとしたようにわたしはその異様な光景を見て怖気付いてしまって、ケーキ屋さんから一直線で帰るこの道を通って帰るのはやめようと、裏側の通りを歩いて帰ることを咄嗟に決めた。

 町を散策することは小学生以来で、それっきり歩いた覚えのない道。だけどその道や行先ははっきりと覚えている。記憶の中に染み付いた地図を広げて、よそ者には知られない細い道を通りながら家路についた。

「−−うわっ、吃驚した!」
「ご、ごめ、ごめんなさい!」

 人とぶつかったのは、わたしが追われているわけでもないのに、ここまで来ればああいう人たちはもう居ないよね、と背後を気にしながら民家の壁に沿って歩いていたとき。ちょうど角と角の先で人とぶつかり合って、まさかそんなところに人がいるだなんて思いもしなかったわたしも相手と同じように驚いてしまった。

「あ、あっ……み、みっちゃ……」
「あれ、おまえ、なまえ?」

 純粋に人がいることに驚いて心臓がドクドクと音を立てていたけれど、顔を上げた先でその心臓が口から飛び出てしまうかと思った。目の前にいるのは、みっちゃんこと、和泉三月。みんなが探している張本人だ。驚きのあまり言葉が出てくるはずもなく、しばらく目の前に突然現れたみっちゃんをじっと見つめながら静止してしまった。

「そっちの方、誰かいた?」
「え、うん……ケーキ屋の通りは人がいっぱいいて」
「じゃあ、こっち!」
「え!?」

 そっちの方とはわたしが来た道を指している。入り組んでいるわけでもなく一直線に繋がった道路の合間を縫ってここまで来たけれど、この周辺の町の地図はみっちゃんの頭の中にも染み付いているらしい。「こっち!」と言われて、手を引っ張られて、なぜだかわたしも一緒にみっちゃんと逃げることになってしまった。


6.

「みっちゃんっ、みっちゃん!」

 これはわたしの口癖のようなものだった。わたしの中の、たったひとりだけの王子様に振り向いてもらうための魔法の言葉。その名前を呼べば、出会った時から王子様みたいだと思って恋焦がれていた彼はいつだって振り返ってくれていた。

「みっちゃん、待って……っ!」

 今のわたしの片手にはケーキの入った箱が掴まれてあって、もう片方の手はみっちゃんに握られてしまっている。ケーキがぐちゃぐちゃにならないかという心配と、みっちゃんとの体力差のせいで脇腹にじくじくとした痛みが走って、思わずはっきりとその名前を呼んでしまった。
 わたしの記憶にあったみっちゃんは、そう呼べばいつも振り返ってくれていたけれど、今さら呼んでしまった名前を呼んでしまっても、みっちゃんは振り返って足を止めてくれた。

「あはは。なまえ、体力ねぇなー」
「ケーキが、あるからっ」
「あ、本当だ。買ってくれたんだ」

 はぁ、はぁ、と息を整えるわたしと違って、みっちゃんは余裕そうに笑っては、いつも見ていた笑顔を向けてくれていた。

「じゃあ、あっち!」
「みっちゃん、待ってよ」
「ほら、こっちだって」
「みっちゃん、待ってって……」

 あっちだと言ったみっちゃんはわたしが掴んでいたケーキの箱を掴んで、また走り出してしまった。待って、と口にする度に立ち止まって振り返ってくれるけれど、傍に行けばまた走り出されてしまう。

「ほーら、早くしろよ。誰かに見つかるかもしれないだろ」

 やがて訪れた場所はわたしたちが通っていた小学校だった。住宅街の中にどんと建っている小学校は、校舎の正面に広がるグラウンド側の道路に面した場所からも入ることもできるけれど、低木に囲まれている。「ほら、はやく」と言いながらみっちゃんは軽々と低木を跨いでわたしを振り返るけれど、走ったせいで足が重く上がらなかった。それを見ていたみっちゃんは笑いながらわたしを引っ張り上げてくれたけれど、そこに行き着くまでの短い時間は、小学生の頃に戻ったような気分だった。

「懐かしいよなぁ、こういうの。オレたち、ここでよく話してたもんな」
「そうだけど、ここ、狭い、苦しい……」

 人気のないグラウンドの後ろの方には、ターザンロープや鉄棒がひっそりと置かれてあるけれど、隅っこには富士山をイメージした山の形に土が盛られてある、服中に土管が刺さった遊具がある。土管のお山というものだ。その土管の中に早く入れと促されて、わたしは身体を土管の中に押し込めた。狭くて苦しい。後退できない猫が、狭い場所で身体の向きを苦しそうに変えているあの様子が実感できてしまった。身体が柔らかいのか、みっちゃんは何ともなさ気に笑っていたけれど。

「あの時は秘密基地みたいで、狭くて居心地よかったけど、今は身体が苦しいよな……」
「大きくなったもんね、わたしたち」

 土管の中だから、声や微かな音さえ響きわたる。みっちゃんが足を組み直した音とか、靴が擦れる音だとか。

 この中で遊んでいたことは、町の地図が頭の中に染み付いていたのと同じように、わたしの記憶の中にも染み付いていてくっきり残っている。仲の良かった頃、小学生の頃。この中に転がり込んで、草や枝で遊びながら話し込んでいた。それはみっちゃんと共通して頭の中に残している記憶だ。

「みっちゃ……三月、くん……」
「その呼び方はやめろよ。さっきまで呼んでくれてただろ」
「……みっちゃん」
「んー?」

 呼び直そうとした名前は、わたしが赤の他人を装って口にしていた呼び名だった。さっきまでは無我夢中でみっちゃんの名前を呼んでいたけれど、ここに籠って改めて会話をするとなれば距離感がわからなくなって、わたしはその名前を呼んでしまった。でも、拒まれた。それを言い直せば首を傾げられて、そしてごつんと硬いものがぶつかる音と「いてっ」という声が同時に響き渡る。みっちゃんが頭をぶつけてしまったらしい。それにくすりと笑いを落として、わたしは緊張の糸が解れたように口を開いた。

「……久しぶり」
「うん、久しぶり」
「みっちゃん、アイドルになれたんだね」
「あ、そうそう! オレさ、実は−−いでっ!」
「あっはは、怪我するよ。昔みたいに」

 今さらみっちゃんと話したところで、なにを話せばいいのかなんてわからなかったけれど。ぎこちない久しぶりの言葉と、久しぶりに会ったから言えた言葉。今の話を持ち出せばみっちゃんはぱっと身体を起こして一際明るい声を出してくれたけれど、また頭をぶつけていた。昔みたいに、怪我をしてしまいそうだ。
 走って転んだり、丸太から足を滑らせて落ちたり、木登りをして飛び降りて怪我をしたり……遊ぶのが大好きなみっちゃんだったから、その分怪我をすることも多かった。「いってぇー」と言いながら血が出た膝を手で払っていたりだとか、挫いた足を何度も地面に叩きつけたりだとか。みっちゃんは、怪我をしても泣かずに笑っているような子供だった。

「オレ、アイドルになれた! ずっと憧れてたゼロみたいに、ステージに立って、歌えてる!」

 小学校の頃からの夢だったから、みっちゃんがアイドルを目指していることは知っていた。中学生になってからオーディションを受けていることも知っていたし、歌やダンスの練習をしていることも知っていた。それを見れなくなったのは、中学生の頃だったけれど、わたしが見れなくなったみっちゃんは、夢を叶えていて、わたしの目の前で笑ってくれていた。


7.

 わたしは、みっちゃんのことが好きだったんだ。

 「みっちゃん」その口癖は、彼と初めて出会った幼稚園から変わらず、小学校や中学校に上がるまで続いていた。和泉三月という男の子のことを特別な呼び方で呼び、それに応えて振り向いてくれる彼との関係はいつまで経っても変わらなかった。距離が縮まるわけでも広がるわけでもない、本当にちょうどいい関係。
 でもそれは、思春期を迎えてから変わってしまった。その頃から周りの子たちから冷やかされるようになったのだ。「みっちゃん、だって」とへらへら笑われて馬鹿にされてしまえば、わたしは恥ずかしさを覚えて、みっちゃんという名前を口にしたり、傍に寄るだけでからかわれるんじゃないかと心配になった。わたしはそういう思いをしていたけれど、みっちゃんはそれを気にしてはいないようだった。

「みつきー、おまえ、なまえってやつに“みっちゃん”って呼ばれてんのー?」
「なんだよ。馬鹿にすんなよな」
「ヒューヒュー」
「やめろってー」

 冷やかされ始めた当時は、ずっとわたしだけが恥ずかしい思いをしていて、けれどもみっちゃんは気にしていなかったようだったから、わたしだって気にしないようにしていた。でもある日、みっちゃんが同級生に、わたしと同じように冷やかされているのを聞いてしまった。その時のことはよく覚えている。
 「バスケしようぜ」「やるやる!」……遠くなっていくみっちゃんと同級生の会話は、今思うとただのじゃれ合いの、些細なやりとりだったのかもしれない。それでも当時のわたしにとっては、恥ずかしさと、みっちゃんにも恥ずかしい思いをさせてしまうのかもしれないと思っていた。話さなくなったのは、せめてみっちゃんだけは馬鹿にされないようにと子供ながらに考えた結果の行いだった。

 わざとみっちゃんと距離を置いたのは、ただそれだけの出来事だった。幼くて純真で単純なままの子供でいないように。迷惑を掛けたくないと、それだけの一心で距離を置いた。
 最初は距離を置いたわたしにみっちゃんは積極的に話しかけてくれたけれど、他人のように振舞い始めればみっちゃんも距離を置くようになって、昔のように仲が良い関係ではなくなった。中学校もクラスが変わればめっきり話すこともなくなったし、新しい人たちの輪に染まれば距離はどんどん空いていく。そのうち仲が良かったのは過去の話になって、高校が同じになってクラスが同じになっても、赤の他人でいたから、クラスメイトはわたしたちが仲が良かったことも知らないまま、今になった。

「−−オレ、おまえが話しかけてくれんの、ずっと待ってたんだぜ」

 今思うと、本当に、些細なことで距離を空けていたなと思った。隣に座ってるみっちゃんにそう言われてしまったら、不意に涙がぽたりぽたりと落ちてきた。あんなことをしてしまったのはそれこそ子供じみた行いだったとか、今さらだと突き放されてしまうかもしれないと思っていたことだとか、5年以上の空白期間が勿体なかったとか、また話せることができて嬉しいだとか、どんな意味での涙なのか理由はわからないけれど、みっちゃんのその言葉が胸に突き刺さる。

「あはは、泣くなよ!」
「……わたしも、みっちゃんとずっと、話したかったから」
「そっか。そう思ってくれたの、すげー嬉しい!」

 急に頭をわしゃわしゃと撫でられて、啜り泣きを繰り返してしまうこの状況こそ昔に戻ったような気分だ。ずっと話したかったんだ、わたし。距離を空けてしまって、時間が経って、それを自分から埋める術を見つけられないままでいたけれど、ずっとそれを思っていた。

「なんであんなことしてたのかっていう理由は聞かないけどさ。 うちのケーキ買ってくれてありがとな! 母さんも喜んでるよ」

 反対側に置かれていたケーキの箱を手に持って、みっちゃんは笑ってくれていた。どうしてあんなことをしたのかという話は、さらっと流されてしまった。悪戯をしてみっちゃんを困らせてしまった時や怒らせてしまった時、ごめんなさいやそうしてしまった少しの理由を話しさえすれば、みっちゃんはそうやって許してくれていた昔の話が過ぎる。

「わたし、みっちゃんのことずっと好きだったよ」
「オレも好きだよ。だから、またこうやって話せてるのが嬉しいんだって」
「そっか……。今日、みっちゃんに会えてよかった」
「オレもだよ。なまえは今、県外の大学に通ってんだって? 帰ってくる時にはさ、連絡よこせよ。オレも一織連れて帰ってくるから。そしたら、また昔みたいに、公園とかで遊ぼうぜ」

 その言葉に「縄跳びがしたい」と子供みたいなことを言ってしまえば「一織は嫌がりそー」と笑った言葉が返ってきた。長いこと距離が空いていたくせに、こんなふうに、あっさりと昔のような関係に戻れてしまった。本当に些細なことだった。
 地元に帰って来るたびに、またみっちゃんたちと昔のように遊べるんだって思うことが嬉しい。楽しい思い出をまた作り直せたら、今度は、高校の同窓会を開いてもらって、さり気なく友達も輪の中に誘って、肩の荷が下りた空間で過ごしたい。








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