幸福な降伏(01)





『聞いたよモモ。野菜も好きなんだってねぇ。知り合いから美味しい有機野菜を貰ったんだ。時間があるなら取りにおいで。』

 昨夜、夜遅い時間に了さんからそんなラビチャが入っていたことに気付いたのは翌朝のことだった。今日はPVの撮影と雑誌のインタビューと来月に迫ったコンサートの打ち合わせがある。本日のスケジュールを確認がてら思い出して、有難いことに今日は一日中仕事で埋まっていた。そんなすぐ腐るものではなかろうし、けれど野菜はユキが好きだから喜んでくれる、きっと早いうちに取りに行けば夕飯は間違いなく美味しい有機野菜で作ったユキの手料理になるよなぁと頭を悩ませるものの、どうあがいても取りに行けるのは夜の七時を回ってしまって、結局夜に行く旨を伝えて了さんへのラビチャ返信を終えた。

 そんなオレが来ることを知ってかよくわからないけれど、その日の夜、了さんが住んでいるマンションの一室からオレよりも少し年下くらいの女の子が泣きながら?部屋から出てくる場面に遭遇してしまった。思わず彼女が出てきた部屋を二度見してしまったけれどその部屋は紛れもなく了さんが住んでいる部屋だったし、ただ事ではなさそうな彼女の様子に思わず声を掛けてしまいそうになったけれど、彼女はオレを見るなり焦ったように軽い会釈をして小走りで居なくなってしまったものだから声の一つも掛けられなかった。そのせいでおかしな胸騒ぎみたいなものを感じながら了さんに会うハメになったのだ。

「やぁモモ、待っていたよ。ここにあるの好きなだけ持って行っていいけど、モモが野菜も好きだなんて初めて知ったよ。モモはその見た目通り肉にしか興味がないと思っていたから」

 インターホンを鳴らして部屋に入るなり現れたのは相変わらずの笑みを貼り付けた了さんで、楽しげに言葉を発しながら玄関先に並べられたダンボールを視線で指して告げた。

「やだな、了さん。オレ、好き嫌いなんてないし野菜だって食べるよ。肉が一番好物だけどね。ていうか了さん一人でこんなに食べれないでしょ、お言葉に甘えて半分は貰ってくね」

 そう言ってダンボールを一箱持ち上げた、大根に白菜にカボチャに……等々、一個でもそこそこ重みのある野菜が何個も詰められているので「マジか」と不意に声を漏らしてしまうくらいには重く、よろけかけた足をどうにか踏ん張らせて箱を持ち上げる。
 今日は長居せず、これを取りに寄っただけですぐに帰るということを行動で示すためだった。

「重いだろう? 車で送っていこうか?」
「了さん優しいじゃん。じゃあ、最寄りの駅までお願いしちゃおうかな」

 ラッキー。こんな重いものを一人で家に持って帰るのは大変だから助かったというのが正直な気持ちだ。本当はもっと楽するためにユキと住んでいるアパートまで送ってほしいけれど、ユキは了さんのことをよく思っていないためそこの理性はぐっと堪えた。

 ツクモプロダクションという馬鹿でかい芸能事務所の次男坊の了さんはその身の丈に合った高級車を乗り回していて「モモ、その腰についた鍵でちょっとでも擦り傷を付けてみなさい。修理代はざっと3桁を超えちゃうだろうねぇ」と初めて了さんの車に乗り込もうとした時に脅しのような口ぶりで言われた。日本では滅多に見ないエンブレムを貼り付けて、車のことなんてほとんど無知なオレでも一目で見てわかる。こんなんで修理代を求められては血の気が引くどころの話じゃないから速攻で腰にぶら下げていた鍵を取り外して傷一つ付けないように慎重に乗り込んだオレを見た了さんは一言「はは、冗談だよ」と言っていたけれど、その日帰ってから一時間もかけてあの車を探し出していろいろ調べたらあれは冗談ではなかったし画面に出た車両価格を見て顔が引きつったのをよく覚えている。

 けれども慣れとは恐ろしいもので、一度や二度経験を重ねれば当たり前へと変化していく。野菜が積まれたダンボールを後部座席に放り込んで、自分もいつものように助手席へと乗り込んだ。電車の席よりも飲み帰りに使うタクシーよりもおかりんが送迎してくれるワゴン車よりも比べ物にならない乗り心地が仕事で疲れ果てた身体を包み込んだ。

「ていうかさぁ了さん、オレのこと送るよりも女の子を送った方がよかったんじゃないの?」

 触れてはいけない話だとわかっていたはずのことなのに、仕事からのスイッチがオフに切り替わった途端つい口にしてしまった。疲れ果てて話すことすらだるいと感じて少しの沈黙が流れた車内で、ふんふんと鼻歌を口ずさんでいる了さんを横目に見て口走ってしまったと思いたいところだったけれど、結局のところ今まで女性とは無縁そうに見えた了さんに対しての興味本位から出た言葉だった。

 例えば仮にあの子が了さんの恋人だったとして、もしそうなら話の種になることは山ほどある。へぇ、了さんカノジョいたんだ、意外だね。ああいう子が好みだったんだ。女の子連れ込んでるなら先に言ってよ、オレ遠慮して来なかったのに……そんな色恋話を持ち出すきっかけはいくらでもあったんだけど。

「ああ、あの子か。大丈夫、ただセックスしてただけだから」

 そんなのを期待していたオレが馬鹿だった。よくも大層下品な話をさらりと口にできるな。意外どころか引いたに等しいその返事に咄嗟の反応ができずにいると了さんはふふふと笑った。

「今度、モモにも紹介してあげるよ。とっても可哀想な子なんだ、きっとモモも気に入るよ」

 了さんは有言実行な人だ。きっと近々了さんが口にした通りあの子に会わされる日がやってくるに違いない。話したこともなくまだ名前だって中身だって全く知らないあの子に対してひどい印象を植え付けられてしまったけれど、これがこの後出会うみょうじなまえに対する第一印象だった。








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