更紗遊泳





「なまえ先輩、なまえ先輩! 今日も超超超、格好良かったです!!」
「ああ、百瀬くん。 見に来てくれてたんだ、ありがとう」

 まるで犬のように駆け寄ってきて興奮気味に声をかけてきた百瀬くんは拳を握りしめて何度も私のことを超格好良いと褒めながら、親から貰ったお小遣いで買ったのだとスポーツドリンクの差し入れを手渡した。

 先輩たちの引退試合が近い中で有難くも副将とエースの肩書きを持って活躍させてもらっている私はこの日、夏のインターハイを迎えていた。百瀬くんはそんな私の応援をしに来てくれたらしい。小学校の頃、水泳スクールで友達になった瑠璃の弟だ。もちろんここには瑠璃の姿もあるのだが、試合が終わってから百瀬くんはすぐに駆け出してきてくれたのか、そんな百瀬くんの後を追いかけてきた瑠璃はしんどそうに呼吸を繰り返して私に「お疲れ様!」と荒れた呼吸を交えた聞こえ辛い挨拶をしてくれた。

「特に後半戦で何回もスパイク決めてたのがめちゃくちゃ格好良かったです! 相手のリベロ、すごい人って聞いてたけど、そんな相手に打ち勝っちゃうだなんて、流石です!!」
「う、うん、ありがとう……」

 疲れ果てている瑠璃に「大丈夫?」と声をかけるものの、横からキャンキャン喜ぶ犬のようにやたら私を褒めてくれる百瀬くんに思わず苦笑いを向けてしまった。褒められるのも煽てられるのも嫌いなわけではないしむしろ嬉しいのだが、百瀬くんの褒め方は大袈裟なところもあって、私はついつい苦笑いを零してしまうのだ。

 瑠璃の2つ年下の弟の百瀬くんは、初めて見に訪れた中学の頃の試合で私の格好良さにやられてしまったらしく、今でも応援に来てくれていた。しかしこの日は準決勝で勝ち駒を進められたものの、翌日の決勝戦で敗れてしまい先輩たちとの全国行きの夢が途絶えてしまった。そんな百瀬くんは私の代わりに号泣しているほどだった。試合に敗れた後に先輩たちの前で悔し泣きをしてしまったけど、試合後に号泣している百瀬くんを見ていたら涙が引いてしまうほど、百瀬くんは凄まじい勢いで泣いてくれていた。

「−−ね、なまえ。 百、なまえのことが好きなんだって」
「ちょっと! 姉ちゃん! なに言ってんの!?」
「あんたがうるさいから」
「姉ちゃん、ひどいよ! それは言わない約束だっただろ!?」

 夏のインターハイが終わった次の週の日曜日、部活動もひと段落を終えたので部活がなかったこの日は瑠璃と百瀬くんと遊びに出かけた。チェーン店のハンバーガーショップでハンバーガーを頬張りながら、相変わらず私に格好良いと騒いでいた百瀬くんを黙らせるように瑠璃は言う。百瀬くんが私に好意を持っていることは隠しきれていない態度や言動からとっくに気付いていたのだが、まるでコントするような姉弟喧嘩を目の前で見せられて私は笑ってしまった。

「なまえ、彼氏いないんでしょ? どう、うちの百」
「私は……」
「無理だよ! なまえ先輩とお付き合いだなんて、恐れ多すぎます!」

 顔を真っ赤にして、恥ずかしがって顔を抑える百瀬くんはなんとも可愛らしい姿を見せてくれていると思いきや、どうしてか私が振られてしまう始末だ。

「なまえはどんな人がタイプなの?」
「えー、兄貴みたいな人?」
「なまえ先輩のお兄さん、めっちゃヤンキーじゃないですか! ああ、オレ、だめです、そんなガタイも良くないし、格好良くもないし!」

 と、瑠璃と話している傍で百瀬くんは野次を飛ばすように反応してはまた一人で騒ぎだした。
 こんなやりとりをしてもなお百瀬くんは変わらずに私のことを格好良いと言ってくれていたし、私のことをそう言ってくれる百瀬くんに対して「百瀬くんも、この間の試合格好良かったよ」と言ってみせれば百瀬くんは顔を赤くして「そんなことないです!」と謙虚な姿勢を見せていた、百瀬くんとはいつもそんな感じだった。私によく懐いてくれていた百瀬くんは、まるで弟のようだった。


 そんな百瀬くんに、過去に2回だけドキッとしたことがあった。百瀬くんは2つ年下で、高校生の私にとっては恋愛対象の許容範囲外だったし、百瀬くんに対して告げる格好良かったという言葉も瑠璃のように弟を可愛がるような目線でしか見られなくて、百瀬くんのことを恋愛の目でなんて一度も見たことがなかった。なのに、その時ばかりはドキッと胸を高鳴らせてしまった。まるで憧れている先輩の格好良い瞬間を見たときのような、不意打ちで訪れた感覚に心臓が跳ね上がった。

「こんばんはー。なに、部活帰り? お兄さんと遊びに行かない?」
「え!? あー、いや、家に帰るところなので」
「大丈夫だよー、家まで送るからさー」
「ちょ、ちょっと、何するんですか!」

 高校2年の秋、部活帰りにナンパに絡まれてしまったのだ。部活動が一緒の友達との帰り道、道端でさよならを交わしてすぐに家路に着いた道の先で、電信柱に背中を預けて携帯を弄っていたチャラそうな成人前後の男の人に声をかけられた。こんなふうに誰かに声をかけられたことは初めてだったので驚いてしまったが、丁重にお断りをしてナンパ男の目の前を通り過ぎたところ、腕を掴み上げられてしまった。
 私はバレーボールをしていることもあって身長は170センチと中々に高いコンプレックスを抱く身長をしていたのだが、絡んできたナンパ男は私よりも頭一つ分はあるほど背の高い人だったので恐怖を抱いた。

「なにやってんだよ! その手を離せ!」

 ヤバイ、怖い−−どうやって逃げようかとそんな思考は恐怖のせいで思い浮かぶこともなく、ただひたすら怖い思いをしていたところで遠くの方から誰かが駆け寄って助けに入ってくれた、百瀬くんだった。

「わ、はは。 なに、カレシ?」
「そうだよ! 人の女に手ぇ出してんじゃねーぞ!」
「なんだよウケる。ガキじゃん、お前」

 まるでヒーローのようにさっと現れた百瀬くんは、私の腕を掴んでいたナンパ男の腕を無理矢理解いた。ガキと呼ばれてしまったのは仕方がない、まだ成長期の途中で私よりも背の低い百瀬くんはナンパ男に煽られてしまっている。そんな小さな姿で歯向かってくる百瀬くんに苛立ちを覚えたのかはたまた面白がったのか、それとも大人っていう権力を見せつけたかったのか、ナンパ男は笑いながらグーの拳を振り上げた。

 ゾッとした。目の前で、友達の弟が殴られる瞬間を見てしまうことは身の毛がよだつほど恐ろしいことに感じてしまって、なにもできない私は咄嗟に目を瞑ってしまった。

「……っ、いってぇな!」

 だけど、そんな言葉を発したのはナンパ男の方だった。恐る恐る目を開ければ、ナンパ男よりも頭一つ以上小さな身体をしている百瀬くんが、あろうことかナンパ男の振り上げた手首を掴み上げていた。なにが起こったのかわからなかったけど、それはナンパ男の方も同じだったようで、ビビったナンパ男は「覚えてろよ!」なんてよく聞く捨て台詞を吐いて逃げるように走り去っていった。

「だ、大丈夫ですか、なまえ先輩!?」
「え、え? え、うん、平気。 百瀬くんは大丈……」
「ぎゃー! ていうかオレ、カレシだなんて言っちゃった! 本当にすみません!」
「いや、それも平気だけど……」

 あの、自分よりも大きな男の手首を掴んでいる瞬間は衝撃的な映画の1シーンみたいにずっと頭に張り付いていた。いつも犬のように無邪気な姿をしている百瀬くんの面影がないっていうほど、睨みを利かせた怖い顔をして、ギチギチと音が聞こえてしまうほど手首を握っていたのだ。

 あの瞬間の百瀬くんは格好良いと思った。今まで私のことを応援してくれていた百瀬くんに対して試合後に声を掛けていた格好良いという言葉とは違った、初めて胸が高鳴る格好良さだった。正直、同世代の男子や憧れている先輩の男子よりもうんと格好良いものに見えてしまって、私はこの瞬間の記憶を何年経った今でも鮮明に覚えている。


 2度目は、大学生になって就活を終えて夏休みに帰省をしていた時だった。いつの間にかアイドルの追っかけにハマっていた瑠璃と百瀬くんに連れられて行ったインディーズアイドルのライブ会場で、ステージに乗り込んだ数人の男と血が流れるほど殴り合いを制している姿を見た時だった。

 この時、私はあの高校生の頃の記憶が蘇った。あの時以上に凶暴な姿を目の当たりにしてしまったのだが、あの謎な胸の高鳴りはあの時と同じだった。
 ステージに乗り込んだ数人の男をコテンパンにして、蹲る男達を見て我に返った数人の男性客と、ライブを盛り上げていたアイドル2人が静止を掛ければ百瀬くんは頭を下げて2人に謝っていた。「ライブを台無しにしてしまってすみません!」百瀬くんが悪いわけではないのに必死に謝る姿に、私はもう百瀬くんのことを弟のように可愛がる目で見ることができなくなった。

 それから、私に対して「格好良いです!」と煽ててくれながら恥ずかしがって慌てていた姿を、このライブに訪れた先のアイドルグループ2人にもしていることを知ってしまえば、複雑な気持ちになってしまったのだ。




 月日が流れて、百瀬くんと最後に会ってから5年が経った。あんなに仲の良かった春原姉弟はあろうことか百瀬くんがアイドルの道を歩んでから拗れてしまったらしい。その話は私も驚いたのだが、およそ2年もの間、瑠璃がしつこく百瀬くんとは絶対に連絡を取るなと怒っていたので私は百瀬くんと連絡は取らないでいた。それはそれで、有難いことだったのかもしれない。だって私は、もう百瀬くんのことを可愛い弟として見ていられないような気がしていたから。

 百瀬くんに彼女がいるという話は週刊誌で読んだ、早朝の時間に流れている芸能関係のニュース記事にも取り上げられていた。去年話題になっていた百瀬くんよりも年下の若手演技派女優と、去年の冬から距離が縮まり先月にはお泊まり愛なんてことが報じられていたのだ。今までいろんなゴシップが報じられていたRe:valeだったが、今回はバッチリお写真まで撮りあげられていたので信憑性は高い。念のために瑠璃に連絡をしてみれば「ここだけの話だけど」とその記事が本当であることを教えてくれていた。家族に紹介をするほど百瀬くんは彼女を大切にしているらしい。

 今まで百瀬くんに彼女ができたという話は高校大学といった中でさりげなく瑠璃の口から聞いたこともあった程度だったが、これほどまではっきりと付き合っている人がいる話は初めて見たので、私はそんな感情を抱いてはいけないけど、なんともいえない気持ちになってしまった。

『週末、百が戻ってくるの。なまえもこっちにいるでしょ? 会おうよ!』

 そんな百瀬くんとの再会は突然のことで、ちょうど帰省をしていた時に瑠璃からそのような連絡をもらった。瑠璃とは定期的に地元に戻ってくる度に遊んではいたけれど、今回はSNSで帰省をすることを呟いたくらいでまだ会ってはいない。瑠璃は積極的な子だから私がそういうことを呟いたり伝えたりすると嬉しいことに会おうよと口にしてくれる。私はそこそこ長期間の有休をとって帰省している最中だったため暇な時間がたんまりあったので、仕事をしている瑠璃にはこちらから声が掛けづらく瑠璃の方から声が掛かることを待っていた。瑠璃からの会おうよという言葉は嬉しくすぐに飛びつきたかったのだが、電話の先での瑠璃の言葉に少しだけどうしようか迷ってしまった。

 百瀬くんとは5年前、インディーズのアイドルグループのライブに連れていかれた日を境に会ってはいなかったから、そういう気まずさがあった。それでも久しぶりに直接顔を合わせたいと思っていたのも事実で、少し間を空けた後に私は百瀬くんと再会することを望んだ。

「なまえ先輩! お久しぶりです!!」
「百瀬くん、久しぶりだね。でも私、この間コンビニの雑誌コーナーで見たんだよね」
「ぎゃー! 恥ずかしい! オレ、ちゃんと格好良く写れてました!?」
「大丈夫、大丈夫。ちゃんと格好良く写ってたよ」
「よかったー!」
「百瀬くん、相変わらずだね」

 瑠璃が予め予約しておいてくれた居酒屋に入ればそこには瑠璃と百瀬くんの姿があって、百瀬くんは真っ先に声をかけてきてくれた。はじめ私が迷っていたことがなんでもなかったと思えるほど百瀬くんは昔と変わっていなかった。今ではもう日本を代表するアイドルグループのRe:valeの片割れになっているというのに、そんなことを忘れてしまうくらいの変わらなさだった。

「なまえ先輩! え、その左手の薬指、なんですか!」
「え? あ、これ? そうそう、私、結婚が決まったの」
「マジですか!? おめでとうございます!!」
「ええ、マジで!? そんな話聞いてないけど!」
「今日、言おうと思ってて」

 掘り炬燵の席に着席してみせれば、真正面に座った百瀬くんがこれまた真っ先に反応をしてくれた。
 私は、会社の運動サークルで知り合った同い年の人との結婚が決まっていた。今回はそれもあって帰省していたのだが、彼から貰った婚約指輪を左手の薬指に嵌めるだけ嵌めていて、まだ家族や会社の人くらいにしか報告をしておらず、2人には今日会った時に伝えようとしていた。今まで瑠璃にまでなんの素振りも見せないでいたから、当たり前のことだけど驚いてくれた。

 そこからは、私の祝福と一緒に5年振りに揃った3人でわいわいとお酒を飲みながら会話に花を咲かせた。瑠璃も百瀬くんも喧嘩をしていたあの時期のことを笑い話にできるくらい姉弟仲は元通りになっていたようで安心したし、今まで仲の良い友人にすら話せなかった結婚の話をできることは嬉しかった。

 昔話や現在の話で盛り上がりをみせていれば、あっという間に時間は過ぎていく。喉が枯れそうになるほど話し込んでしまえば飲み放題のラストオーダーの時間、そろそろお開きかなというところで瑠璃の携帯が今流行りのJ-POPを流して鳴りだした。どうやら、彼氏からのお迎えの電話が入ったらしい。

「……百、今日うち帰るんだよね? 私、彼氏の家に行こうと思ってるけど」
「彼氏さん、迎えきてくれてんでしょ?」
「うん。だから、なまえのこと送ってくれない? タクシー乗り場まででもいいと思うけど」
「瑠璃、大丈夫だよ。一人で行けるから」
「危ないって! 最近この辺じゃ、通り魔とか流行ってるらしいんだから!」
「そうですよ、なまえ先輩! 変な人に声掛けられたりでもしたら大変です!」

 ここに来てから、百瀬くんの顔を見て話すことはちゃんとできていた。それなのにそういう話になった途端、私はどうしたらいいのかわからなくなってしまって遠慮がちになる。けれど2人の勢いにゴリ押しされてしまったので、私は百瀬くんと2人きりで最寄駅のタクシー乗り場まで向かうことになった。

 きっと百瀬くんは忘れているかもしれないけれど「変な人に声を掛けられたりでもしたら」と言われて、一瞬で高校時代のあの記憶が蘇りそうになる。

「……あれ。百瀬くん、身長何センチになった?」
「去年の健康診断で、173センチになってました!」
「へー、芸能人でも健康診断とかあるんだ」
「ありますよ! 当たり前です!」
「それもそうかぁ。 百瀬くん、いつの間にか私より大きくなったよね」

 掘り炬燵の席に座っていたこともあり、靴を履き直している時にそのことに気付いた。私が高校生の頃は百瀬くんの方が背が低かったけど、大学生の頃はヒールをよく履いていたこともありいつだって百瀬くんの方が目線が下だった。それなのに今、立ち上がって顔を合わせれば同じくらいの場所に目線があった、身長はいつの間にか私よりも3センチほど大きくなっていたようだ。

「瑠璃の彼氏って、すごく優しい人だね」
「そうです、めちゃくちゃ良い人なんですよ! オレのことも弟みたいに可愛がってくれてて」

 瑠璃と、瑠璃を迎えに来てくれた瑠璃の彼氏に挨拶をしてさよならをすれば飲み会も完全にお開きになった。
 瑠璃と別れて百瀬くんと2人きりになれば、決まった話題のように瑠璃とその彼氏の話を提供した。百瀬くん曰く瑠璃の彼氏は「オレが彼女だったら、めちゃくちゃ自慢したいって思うくらい優しい人です!」とのこと。確かに、わざわざ居酒屋の入り口まで瑠璃のことを迎えに来てくれて、初対面の私に律儀なご挨拶をしてくれて、百瀬くんには「この間の出張土産だよ」と地方ブランドの和菓子の詰め合わせをあげていたのを目にした。出張に言ったのは一ヶ月前だったそうだがそれを聞いた百瀬くんが「それなら姉ちゃんに渡してくれたらよかったのに」と言えば「こういうのは直接渡したいんだよね」と返していたので生真面目な人であることも伺えた。

「百瀬くんは弟って感じが強いから、ついつい可愛がりたくなっちゃうんだよ」
「それ、よく言われます! この間も年下の後輩に言われました。そういうオーラが出ててんのかな?」
「きっとそうだよ、私もそうだったから」

 タクシー乗り場のある駅の方向に歩きながら、そういう話をした。百瀬くんはやっぱり、どこでも可愛がられているらしい。後輩と呼ばれる人は最近よく一緒に出演をしているTRIGGERやIDOLiSH7のことを指しているようで、年下といってもだいぶ年下じゃないかと笑ってしまったんだけど。

「なまえ先輩の旦那さんになる人って、どんな人ですか?」
「うーん、まぁまぁ、そこそこ、優しい人かな。 瑠璃の彼氏が羨ましいなって思うくらい、頼りない人かも」
「ええ……でも、好きなんですよね?」
「うん、好きだね」

 あんまり結婚する相手を見下げるのは如何なものかと思ったが、瑠璃の彼氏を目の前にしてつい本音が出てしまった。百瀬くんは珍しく、ええ、と苦笑うことすらせずに眉を顰めて怪訝そうな顔を見せてくれた。そういう顔もすることがあるんだなと、私は苦笑いを浮かべて彼のことを話した。

「社会人サークルで知り合って、運動部だった繋がりで仲良くなったから趣味が合って一緒にいると楽しいよ。だけど野球部だったせいか、礼儀はあるけどやたらヘコヘコしている人っていうか……なんか頼りないことがあるかな。 きっと、昔の百瀬くんみたいに、変な人に絡まれても助けにこれない弱虫だよ」
「いやいや、オレもそうですよ!」
「そんなわけない、助けにきてくれたじゃん」
「あー、あれは、なんか、こう、守らなきゃ! って思ったんで!!」

 決して口を滑らせてしまったわけではないが、百瀬くんはきっと覚えていないことだと思ったのでなんでもないように口にしていた。百瀬くんといえば、思い出すように声を出して、恥じらうように大きな声を張り上げる。やっぱり忘れていたのだろう、掘り返してしまったことにさらりと感想を述べるだけ述べて、私はとんとんと会話を次に進めた。

「嬉しかったよ、守られてるって感じがした。 百瀬くん、彼女いるんでしょ? どういう子?」
「可愛い子ですよ。 そりゃ、守ってやりたいって思うくらい」
「いいね、いいね。 青春って感じがするね」
「青春って、オレもう25歳ですよ!? 初々しい感じも取っ払って、そりゃ今はセキュリティポリス並みに護衛しているっていうか」
「あはは、なにそれ。……あ、タクシー停まってる。 百瀬くん、ここまででいいよ」
「あ、わかりました! 気を付けて帰ってください、また飲み行きましょう!」

 楽しい話をしていれば時間はこれまたあっという間に過ぎていって、気がつけば駅のロータリーにたどり着いた。もう少し歩いた先にあるタクシー乗り場には2台のタクシーが停まっていたので、ここからはもう1人でも歩いていける。
 「また飲みに行きましょう」売れっ子アイドルという有名人になっても、そう言ってくれる百瀬くんに安心した。じゃあね、と言って手を振って1人で歩き出したら、後ろから「なまえ先輩、あの!」と私のことを呼び止める声が聞こえて後ろを振り返る。

 振り返った先では、百瀬くんがキリッとした表情を浮かべていた。

「あのっ、オレ、なまえ先輩のこと、ずっと好きでした!」
「どうしたの、急に。 知ってるよ」
「ぎゃー! バレてた、オレの恋心……」
「バレバレだったし、私、振られてたし」
「だって、なまえ先輩とお付き合いって、恐れ多すぎます!」

 まるであの時−−高校2年のインターハイを終えた後、瑠璃の手によって百瀬くんの好意が暴露されていたハンバーガーショップにいた時のような感覚に陥った。結局、私はまた振られてしまったみたいだけど。私の記憶が間違いでないのだとしたら全く同じ台詞を吐かれて、あの時の私と同じように何故か私の方が振られる始末だ。そこも変わらないなぁと思いながら、それでも初めて直球で受けた百瀬くんの好意に自然と笑みが溢れてしまった。

「でも、ありがとう、百瀬くん」
「なまえ先輩!」

 そう言ってまた前を向いて歩き出そうとすれば、百瀬くんはまた私のことを呼び止める。どこか緊張の混ざり合っているような声色を身に感じてしまって、今度は後ろを振り向くことができなかった。そのまま百瀬くんは呼吸を1つ終えたタイミングで大きな声を張り上げる。

「なまえ先輩、オレの分も、幸せになってください!!」

 ……とても驚いた。あのトップアイドルRe:valeの百がそんなことを言っているとか、あの弟みたいな百瀬くんがそんなことを言ってくれているとか、私に幸せを願う言葉を向けてくれた百瀬くんに驚いてしまったのだ。それと同時に、幸せを願われるほどこれ以上は近付けない離れた関係になってしまったということに気付いて心が痛んだ。

 私は、百瀬くんのことが好きだったんだ。きっともう弟のような目では見れないと気付き始めた頃から、密かに彼を想っていた。

「百瀬くん、あのさ、私……って、え、えっ? 百瀬くん、どうしたの!?」
「ず、ずみまぜん」
「なんで百瀬くん、泣いてるの!?」

 そのことをついに自覚してしまい、何かを伝えようとして振り向いた先では何故だか百瀬くんがボロボロ涙を流して泣いている姿が目に飛び込んできた。そのせいで私は自分で何を言いたかったのかが一瞬で頭の中から吹っ飛んでいって、突然泣きじゃくりはじめた百瀬くんに対してどのような対応を取るべきか混乱してしまった。
 とにかく慌てて鞄の中を漁り、持ち歩いているティッシュかハンカチかを探しながら百瀬くんの元へと歩み寄る。やっと探しだして手にとったそれを百瀬くんに差し出そうとすれば、嗚咽を交えながら百瀬くんは喋り出す。

「いやっ、なんか、嬉しくって……なまえ先輩、幸せになってください……」
「急にどうしたの、大丈夫、私はもう幸せだから」
「本当ですか!? やばい、めっちゃ嬉しい……」
「はは、百瀬くん、変なの」
「なまえ先輩、オレ、あのっ、ずっと好きだった人が、幸せになってくれるってことが、オレにとって世界で、一番幸せなことだってわかったら、なんか、泣けてきちゃって!」

 さっきまで飲んでいたアルコールを全て分泌するかのように、百瀬くんの涙はまるで滝のように溢れ出てきて止まってくれない。なに、アイドル業の傍でドラマや映画の役にも抜擢されている役者としても活躍できている百瀬くんは、仕事でもないプライベートでもそのようなことをしてくれるのかと、普通だったら目にすることのないこんな光景に苦笑いを浮かべてしまいそうになった。

「いやだな、百瀬くん。 百瀬くんだって、彼女のこと幸せにしてあげるんだよ」
「そ、そうですけど! いや、でも、オレ、嬉しくって!」

 嬉しいと同じことを何度も聞いて、鼻をすすり出した百瀬くんに「はい、これどうぞ」と渡すタイミングが掴めず手にしていたままのティッシュをやっと差し出せながら、私と同じ目線にいる百瀬くんの顔を覗き込んだ。既に跡となってこびり付いた涙の跡を辿って止まらなくボロボロと流れ出す大粒の涙を目の当たりにすると、呆気にとられて顔を歪めてしまうし、声を出すこともできなかった。

「落ち着いた?」
「す、少しだけ……なまえ先輩、本当にすみません……」
「私は平気。 百瀬くん、あのさ」
「っ、はい」

 ズズズっと鼻をかんで呼吸を整えている百瀬くんに声をかけると、百瀬くんは短く息を吸い込んで呼吸を繰り返しながら赤くなった目で私のことを見つめる。
 可愛い子だなと思った、百瀬くんに対して昔抱いていた弟を想う気持ちを数年経った今ようやく感じ始めることができた瞬間だった。涙でぐしゃぐしゃになりながらもとびきりのスマイルを見せてくれた百瀬くんに釣られて、私は笑う。

「百瀬くんも誰かを幸せにしてあげて、それと同じように幸せになってね。私に負けないくらい」
「オレはもう充分幸せもらったんで、もちろんですよ!」
「私のこと抜きにして、幸せになってってこと」
「ううーん、なれるかな……」
「なれるよ。 頑張ってよ」
「わかりました、頑張ります!!」

 百瀬くんの好意と幸せになってという懇願を受け入れながら、私は百瀬くんへの密かに抱いていた好意を告げないまま同じ幸福を願い、私は百瀬くんへの密かな想いを断ち切った。そして私は、自らの幸福をも願うのだ。








「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -