一歩踏み出す勇気





 最近、環くんに彼女ができたらしい。

 やけに機嫌が良い日が続いているなと思ってそのことに触れてみたら「実は、そーちゃんには黙ってたんだけどさ……」とその手の話をされた。それは大変おめでたいことで僕は素直に喜んだわけだけど、僕に隠して恋愛相談を大和さんにしていたということに軽いショックを受けてしまって、なんやかんやあって環くんと軽い揉め事を起こしてしまった。

 その揉め事は僕が謝ったことで事なきを得たけど、環くんは先日彼女が僕たちのコンサートライブのBlu-rayを買ってくれたと軽いノロケ話を口にした時、僕は無意識に「僕の彼女も買ってくれてたよ」と口走ってしまったようで、揉め事を起こして怒っていた環くんにも、環くんの相談相手になっていたということで修羅場に巻き込んでしまった大和さんにも、偶然大和さんと居合わせて仲裁に入ってくれていた三月さんにも、綺麗に声色を合わせられて「(お前)彼女いたのか!?」と、驚かれて問い詰められた。僕に対する呼び方は環くんと大和さん三月さんでは異なるけど、最後の一声は丸かぶりで僕も吃驚した。そのまま僕は「え? はい、そうです」と返したら3人は言葉を失っていた。

 実は彼女の存在があるということは、いつみんなに告げようか考えていた。だけどなかなか言うタイミングがなくて黙っていたけれど、ずっと憧れだったTRIGGERの十龍之介さんとMEZZO"で特別ユニットを組んだ時に「実は彼女がいるんです」と十さんに告白したのを機に、僕がIDOLiSH7のメンバーにそれを伝えようとしていた考えがなくなってしまった。なくなってしまったというより、それを告げることをすっかり忘れていたと言えばいいのか、聞かれなかったから言わなかっただけというか……。
 なぜならば、十さんにも実は高校時代から交際している同い年の彼女さんがいるようだった。彼女さんは沖縄に住んでいて今は遠距離恋愛中だという。それを話したら十さんはある日、僕にご飯を食べに行こうと誘ってくれて、ドキドキしながら一緒にご飯を食べに行ったらその席にRe:valeの百さんがいた。百さんが居たことに驚いてしまって、どうして僕がこの2人と一緒に食事を……!?と思っていたら、どうやら百さんにも高校時代に知り合った彼女さんがいるそうで、十さんと百さんはアイドルという職業柄公にはできないけど、同士ということもあって定期的に密かな食事会を開いていたらしい。そこに、僕もお呼ばれされた。あいにく、僕の彼女は年上の人だったから、同い年と交際していらっしゃる十さんと百さんと会話が上手く噛み合わないことがあったけど、今まで誰にも言えないでいたことをここだけでも公にできることは、僕にとって安心できた。

 そんなこんなで、僕は十さんと百さんと3人の密かな食事会オブ彼女トークに参加していくうちに、IDOLiSH7のメンバーに付き合っている人がいるという話は、聞かれでもしたら言おうという思考に変化していったのだった。だけど、いつの日かTRIGGERともRe:valeとも仲睦まじい関係になれたから、すっかりみんなに報告した気でいた。
 だから、僕だって無意識に言葉を発してしまったし、驚かれたことに驚いてしまったんだ。

「そーちゃんの彼女は、どういう奴?」
「えっと、年上の人かな」
「は? ソウ、お前、年上がタイプだったの?」
「年上といいますか、自立している人が好みで」
「ああ、なんかわかる。 甘えたいわけじゃないし、尻に敷かれたいわけじゃないけど、キャリアウーマンって感じの子がタイプなんだろ?」
「はい! そうです、そんな感じの人が好みで……」

 上から環くん、大和さん、三月さんが語尾に疑問符を付けながら問いかけてきて、僕はそれに淡々と答えていく。さすが、IDOLiSH7のムードメーカーである三月さんは、僕のことをちゃんと見てくれているのか僕の好みをよくわかっていらっしゃるなと感心してしまいそうになった。

「最近は仕事が忙しいようで、ほとんど連絡を取ってないんですが……」

 どこで知り合った子?とか、どういう子?と尋ねたいオーラを薄っすら感じ取ってしまいながら、十さんや百さんには気が引けて言えない話をポツリと呟いてしまった。あのお2人方は自分の方が仕事が忙しいから連絡をあまり取れないことを気にしていたけれど、僕は逆で、彼女の方が忙しい人だから連絡を取ることができないでいた。連絡を"してあげたい"けど忙しくて"してあげられない"ということと、連絡"したい"けど相手のことを考えて"できない"ということは、十さんと百さんとは僕が異なる部分だった。

「彼女は、大きな会社の代理店の管理職で、トレーナーをしてるんです。出張が多くて、いつも地方を飛び回っていて……」

 どうして連絡してやらないんだと言われたけれど、その旨を話してみれば3人はため息を吐いた。それなら仕方がないと僕を肯定してくれたかと思えばそれは一瞬で、僕のそういうところが僕の悪い部分だって思いっきり指摘されてしまったし、環くんには「あんたは人の顔色窺いすぎ。自覚してたじゃん。なんで直さねぇの」と容赦のない言葉を吐かれて、僕は環くんのその一言に凹んでしまった。

 結局、環くんと腹を割った関係になれたとしても、IDOLiSH7のみんなを信頼してるとしても、父さんに多少なりとも許されたとしても、人の顔色ばかりを窺って過ごしてきた事実も、それを直そうとけじめを付けたつもりだけど一番そんなことをしたくないと思っていた彼女に対して、一番そんなことをしているのだとわかってしまえば僕は言葉を失ってしまった。

「会いたいとか、好きとかさ、短くてもいいから伝えてあげろよ。 壮五、そういうことあんましなさそうだし、彼女さんも寂しがってるんじゃないか?」
「会いたいって言って忙しいから無理って言われたり、好きって言って重いなって思われたりでもしたら……」
「ほら、ソウ。 お前のそういうところ」
「勝手に相手のこと決めつけんの、良くねぇって」
「男ならガツーンと! 告白もプロポーズも! 振られたらそん時はそん時ってな!」
「ふ、振ら……。 ……いえ……わかりました、連絡してみます」

 数ヶ月前、大和さんが震える手でスマホを打ってお父さんに電話している時のことをふらっと思い出しながら、今度は僕がそうなる番なのだとスマホを開いた。




「……あの、みょうじさん。こんな僕が、何を言ってるんだと思われるかもしれないですが、聞いてください。 僕は、みょうじさんのことが好きです。ご自分に自信をお持ちで、いつも仕事を頑張っている姿を見て、僕はみょうじさんのことを好きになりました」

 大学1年の頃、同期に頼まれて穴埋め役という形で初めて合コンというものに参加した。相手は新社会人の女の子達で5対5の至って普通の合コン……だったと思う。

 父さんには合コンに行ってきますなんてことを言えなかったけど「友達と遊んできます」と告げれば「門限までに帰るのであれば問題はない」と言われていたから、僕はその合コンに参加できた。初めての合コンに緊張したものの、僕は穴埋め役で、僕は顔が良いからただ座ってるだけでいいと言われていたから本当にそんな感じで参加したけれど、家の事情は話さなかったにせよ良い大学ということもあったから女の子達はみんな楽しそうにしていた。ただ座ってるだけでいいということは無理に話をする必要もなかったから、気楽だった。

 その合コンの中で、真正面に座ったみょうじなまえさんという5つ年上の女の人がいて僕はその人を好きになってしまった。僕と同じで穴埋め役として参加したようで、あまり乗り気ではなさそうな雰囲気と、おそらく仕事絡みと思われる電話が来ると彼女は周りを気にせず平然と席を立ち上がった。「あの子、まだ1年目だっていうのに仕事のことしか頭にないんだよ」と同席していた同僚と思われる女の子が文句を零していたことは印象深い。「ああいうのは合コン的に悪印象でNG物件だから気をつけろよ」と僕は隣の席に座っていた合コン馴れしている同期に耳打ちされた。

 けど、僕にとっては一番にあの人みたいな人がいいなと思った。戻ってきたなまえさんと会話を交わして、話しているうちに彼女を好いてしまった。一目惚れ……というのには少し違うかもしれないけれど、話した印象からして僕が求めているような人だったから、すぐに好きになってしまった。

 父さんは、僕の恋愛に関しては何も言わない人だった。幼少の頃から「逢坂の血を継いでいる男なのだから」と英才教育は受けてきたものの恋愛の面に至っては、元々両親は政略でもなんでもなく恋愛結婚を通して僕の両親になった人だから、そこは尊重してくれたようだ。中学の頃は恋愛なんて興味を示さなかったからそれには遠い存在であったし、高校は男子校だったから女の子との縁はまずなかった。社交界で女性とは何度か話したことはあるけれど場所が場所なのでご縁もなく、大学に来て初めて女の子という存在を知ったわけだけど、男としての自我が芽生えたのはなまえさんに出会ったのが最初だった。

 僕の父さんはいわずもがなFSCの会長を務める資産家で、母さんは専業主婦をしながら父さんを支えていた。恋愛結婚だったという話は母さんや家政婦がよく話していたからそれは幼少の頃から知っていたことだったけれど、そんな母さんは父さんと一緒になるといつも父さんの顔色を伺いながら接している姿を子供ながらに見ていた。父さんは逢坂家の大黒柱なのはわかっている。だけど、和気藹々と他の一般家庭のような夫婦仲ではなかった。そんな母さんを見て僕は、恋人にするのなら母さんとは異なる人を求めた。誰の機嫌も伺わず自分で仕事を頑張りながら生きている人が僕は好きだった、というか、なまえさんと知り合ってそのことに気付かされた。

 仕事熱心で恋愛は二の次のなまえさんだったけれど、合コンを通して連絡先を交換して「二人だけで会ってみませんか」とメールで問いかけるとなまえさんは自分が空いていそうな日を提示して、約束をした。そこまでいきつくのに何度ドタキャンされたのか覚えていないけれど、僕は憤りなんて感情を抱かなかったし、いつだって頑張ってくださいと応援していた。

 なまえさんと定期的に2人だけで会うようになってやっぱり僕はこの人が好きなんだと思えば、僕はなまえさんに好意を告げた。仕事を頑張っている姿も、自分に自信が満ち溢れている姿も、そんなところを好きになったことを正直に告げるとなまえさんは驚いていた。

「壮五君には悪いけど、私、来月から地方に異動が決まったの。課長が、新入社員の中でも特に有望だから、今の時期から色々な地方を回って、経験を積んでほしいって言われて」
「えっ……」
「だから、付き合っても会えなくなるし、連絡だって取れないかもしれないから」
「それは、すごいことじゃないですか! だけど、それでもいいです。みょうじさんのことを、できるだけ近くで応援させて下さい」

 そこまで伝えると、なまえさんはまた驚いたように僕を見つめて「わかった」と言ってくれた。なまえさんは僕のことを物わかりのいい子だとしか思えていないようだったけど、彼女は彼女で僕のように仕事を理解してくれる人を求めてくれていたらしい。そんな形で交際に至って、会うことも連絡を取り合うことも同級生に比べたらうんと少ないものだったけど僕はなまえさんのことを変わらずに好きでいた。

「なまえさん、あの……。 僕、大学を辞めたんです」
「……何があったの、急にそんなこと」
「スカウトされたんです、それで」
「芸能人になるってこと?  そんな上手く行くようなものじゃないでしょう」
「わかっています。 成功するかわからないですが、でも、僕はずっと叔父が好きだった音楽を、仕事として始めたいと思いました」

 なまえさんとの交際は順調だった。けれど、僕は20歳になって大学を中退した。スカウトをされたことをきっかけに、ずっと僕が好きだった音楽に携わる仕事を密かに夢に見ていたから、僕は家族に勘当されながらもその道へ進んだことをなまえさんに伝えればなまえさんは不安げに僕を見ていた。

 僕がスカウトされた丁度同じ時期に、なまえさんは東京の本社に戻って管理職の責任者を任された、ということを話されたすぐ後のことだったから、夢を成功させているなまえさんと将来が見えない状況で新しいことを始める僕では、2人の間に差が開いて蟠りが生じるのは目に見えていたし、僕はなまえさんに振られてしまうのではないかと心の中で心配していた。それでも僕は仕事を頑張っていたなまえさんに憧れの感情も抱いていたことは確かで、僕もそうなりたいと思っていたのだ。

 なまえさんは最初、それについて反対した。将来が見えないとかそういうことを言われて、もしかしたら本当に振られるんじゃ……と思ったけれど、僕には僕なりにやっとやりたいことを掴めたから怯まずになまえさんに少しでも理解してほしい旨を話してみせれば、なまえさんは堪え切れなくなったように急に笑いだした。

「や、やっぱりおかしいですか、僕……」
「ふふふ。 いや、面白いなって思って」
「お、面白い、ですか……」
「だって私、壮五君から自分のやりたいことって聞いたことなかったから。 必死に訴えてくる姿が、面白いなって」

 憂わしげな表情を変えて笑い出したなまえさんの姿が目に焼きついた、ああ、受け入れてくれたのだと思うと僕はほっとした。

「ご家族は、反対しなかったの?」
「……勘当されました」

 と答えればなまえさんはまた笑う。決して笑い事ではないのだけど、そこまでして僕もやりたいことを見つけたのかと受け入れきってくれていたなまえさんの言葉と姿に僕はとても嬉しくなってしまって、笑い返してしまった。できるだけ迷惑を掛けないことを約束したけれど、家を勘当されて住む場所もないまま友達の家を転々としたり野宿していることを話してしまうと、なまえさんはしばらくはうちで過ごしたらいいと言ってくれた。

 ほんの短い間、僕がスカウトされてからオーディションを受けて合格を受けるまでの短い間だけなまえさんと一つ屋根の下で過ごした。その間、なまえさんは僕のことを気にかけてくれていたし応援してくれていた。今までの彼女はいつだってこんな気持ちで支えられていたのかと思えるほどにこの短い時間はとても幸福なものにすら思えた。それは、僕がオーディションに合格して寮に引っ越した今だって変わっていない。

 でも、毎日顔を合わせていたことと一転して寮暮らしになれば連絡は1週間に1度取るくらいになった。僕に与えられた時間は手のあく時間が多かったけれど、数日前まで世話になってこれ以上彼女の邪魔をすることはよくないと思った僕は連絡を控えるようになってしまったのだった。それでも同じ都内で暮らしている分、交際してからの1年ほどの距離に比べたら比較的よく会えるようにもなった。


 僕はMEZZO"としてデビューした、IDOLiSH7としてもデビューする。うまい具合に仕事がとんとんと進めば忙しくなって、彼女のことを思って連絡を控えていた身だけど、僕の空いた時間にしかメールでのやり取りができなくなってしまった。それでも、テレビで見たよとか雑誌で見たよと、僕のことを会えない時にも見てくれているなまえさんのことを想うと、僕は今彼女と同じ仕事を生きがいにしている立場にあって、同じように生きているのだと思えば嬉しかった。一生懸命に生きているなまえさんに少しでも釣り合える人間になれただろうか、なんてことを忙しくなったこの時期から考え始めた。

 でも結局のところ、僕の空いた時間はなまえさんにとってよくない時間なのかもしれないと思えばいつの日か僕の方から連絡をすることができなくなって、なまえさんもそれをしてこなくなり、最後に連絡を取ったのも会ったのも3ヶ月ほど前になる。今のこの状態は遠距離をしていた時よりも悪いものでしかない。それでも僕は、変わらずに今でも仕事を頑張っているのであろうなまえさんを応援している。

> なまえさん、お久し振りです。壮五です。 一度会って、話がしたいです。

 環くんと大和さんと三月さんの言葉を聞いて、それに後押しされるようにこのメールを送信した。連絡をすることに躊躇いを覚えていたのにいざなまえさんの連絡先を表示すると、なんて打とうかと迷いながらも矛盾するようにすらすらと文字が打てた。

 僕は昼頃にメールを送信したけれど、夜の遅い時間になまえさんからの返信が届く。『久しぶり。わかった』とその1文だけが送られてきて、いつなら大丈夫かと問いかけようとしたのは僕の方だった、なまえさんの仕事の都合に合わせて僕はそれに予定を合わせようと思った。『いつなら空いていますか?』だけどその文を打ち込んだ時に、ふと指を止めて書き途中のメッセージを消去した。

> 次のオフは○月×日なので、その日は時間が空いています。 どうですか?

> ごめんなさい。私は仕事なの。 夜でも問題ない?

> 大丈夫です。問題ありません。 それではまた当日になったら連絡します。

 僕は決して顔色を伺っているわけではない。もし仕事が忙しくて、僕の存在が負担であると捉えられてしまわないように気を利かせていただけだ。でも、環くん達はこういうことを言っているのだろうなと僕は頭に過ぎらせて、せめてでもという思いで初めて僕の方から空いている日を提供した。平日だからなまえさんは仕事だろうなということはわかっていたし断られてしまう可能性も十分にあったけど、なまえさんは夜に時間を空けてくれるという。その文に安堵しながら、僕の我儘に付き合わせてしまうのだからこれ以上仕事の邪魔をしてしまうのは申し訳ないと思って、最後のメッセージを送った。
 ほら、そういうところだよと、遠い場所で僕に向けて誰かが言うのだろう、そんな言葉に僕は気付かない。



 3ヶ月もの間顔を合わせていないなまえさんと会えたのは約束した日の夜のことだった。仕事を終えてからすぐに僕に会ってくれるなまえさんはきっとお腹が空いているだろうと思って、なまえさんの勤めている会社のすぐ近くのそこそこお高い喫茶店を待ち合わせ場所にした。広い店内には簾で仕切りがされており、個室のような状態で僕はほっとする。周囲の人間に顔を知られるかもしれないと思ったのも事実ではあるし、それよりもこの日に備えて準備したいろいろなものをなまえさんと2人きりになれる静かな空間で発表できることが一番にほっとした。

「壮五君、久しぶりだね」
「なまえさん、お久しぶりです!」

 僕が店に訪れてから10分も経たないうちに、なまえさんが店員さんに案内されてこの簾で囲われたテーブルへ来た。久しぶりに見るなまえさんは何も変わってはいないけれど、彼女の顔を見るなりどっと緊張が押し寄せてきた。

「今日はありがとうございます。 あの、突然ですが僕は、なまえさんに伝えたいことがあります」
「うん、なに?」
「レジュメを作ってきたので、目を通してもらえませんか?」
「レジュメ……? えっと? 『1、逢坂壮五がみょうじなまえを好きな理由』……なに、これ」
「言葉では上手く伝えられないと思ったので……前に、環く……メンバーの人にこれをしてみたら効果的だったので、この方がわかりやすいかなと思いまして」

 昨日、僕はみんなに言われた通りになまえさんに連絡をして会う約束をしたのだと一緒にキッチンに立っていた三月さんにひっそりと告げていた。そうすれば三月さんはよくやった!と褒めてくれたけれど、そのまま自分の気持ちを正直に伝えちまえと背中を押されてしまった。どうしてそんなことを今更……と思いつつ、三月さんのすこぶる嬉しそうな顔を見たら、僕は三月さんの言う通りに今の素直な気持ちを伝えようと思った。後から聞いた話、初めてなまえさんの話を持ち掛けたときの僕はどこか寂しそうに感じたし、何年も付き合っている彼女に連絡を取らないことは下手をするとなまえさんを勘違いさせているのではないかと思ったらしい。これを先に聞いていたのなら僕はそんなことはないと思っていたのだけど、なまえさんと久しぶりに会ったら、三月さんの言葉は真理だったことを知った。

 できるだけ詳しく伝えたいと思ったので一晩かけてなまえさんに向ける言葉の要点を丁寧に綴ったレジュメを作成したけれど、それをなまえさんに差し出せば1ページ目に目を通すなり首を傾げられてしまった。

「なまえさんには、僕の家族の話をしたと思います。父さんは大企業の会長を務めている人で、僕はずっと、跡取りとして教育されてきました。でも僕は、音楽をやっていた叔父の影響を受けて、音楽を好きになりました。 僕は、本当に好きでやりたいことがあったのに、自分自身の気持ちを尊重することができずに過ごしていた中で、なまえさんに出会ったんです。 自分の好きなことを、誇りに思って仕事として励んでいる姿を見て、僕はなまえさんに憧れの感情も抱いて、僕もそうなりたいと思っていました」

 一つ一つ、なまえさんと出会う前からの記憶となまえさんと出会ってからの記憶を辿るように僕は淡々と言葉を零した。最初こそは母さんの影響も受けてなまえさんを好きになったと思ったけれど、それだけではなかったのだ。だけどそれだけではないことをうまく言葉にできない。

「僕は、なまえさんのことが好きです。 だから僕はなまえさんの邪魔はしたくなくて……だけど、だけど、今だって、一人の男として仕事をしているなまえさんを応援していたいって思ってます」

 大学を辞めてアイドルになろうと決めた時、とっくになまえさんに憧れの気持ちをも抱いていたことはわかっていた、僕もそんなふうになりたいと思っていた。そしてその感情が最後に行き着く先は、僕はいつの日か、なまえさんに釣り合う男になりたいと思っているということだ。
 なまえさんのことを好きになったきっかけ、彼女に憧れていたこと、彼女を好きだからこそ邪魔をしたくなくて連絡が取れずにいたこと、それでもなまえさんのことを一人の男としていつまでも傍にいて応援し続けたいというそのようなレジュメ1の内容を吐き出してみせれば、なまえさんはそっとため息を吐いた。

「……話がしたいって言われたから、別れ話かなにかだと思ってた」
「別れ話!? いえ、僕はそんなこと、考えたことありません。 むしろ、僕の方が……」
「それなら、安心した」
「……え?」
「久しぶりに話したいことがありますって連絡が来たから、そろそろ愛想尽かされて別れ話を切り出されるんだと思ってた」
「そんなことないです! 僕は、なまえさんの頑張っている姿を見てるのがずっと好きだったから、連絡が取れなくても、そんなこと、全然!」

 なまえさんは静かに、呟くように言った。伏せかけた目蓋の下から覗いた双眼には今まで見たことのないなまえさんの哀愁が漂ってきて、逆に僕が焦りをみせてしまうほどだ。

「ずっと前から、全く連絡取っていないのに、テレビや雑誌で目に入る壮五君のことを見て、あなたがどんどん人気者になっていく度に、この関係が自然消滅していくのかなとか思ったりしてたんだ」

 雰囲気のある静かな喫茶店を約束の場所ととして提供したせいもあるのか、どちらのものかわからないお冷の入ったグラスの氷がカランと音を立てる音さえも大きな音に感じられた。僕が一晩かけて作成したレジュメをペラペラと捲りながらなまえさんは静かに息を零した。僕はそんななまえさんの姿を見て、まさかなまえさんがそんなことを思っていたのかと驚きを隠せず、言葉が出てこなかった。

「……格好悪いなぁ、私。 あんなに仕事に必死だったのに、同じように壮五君が忙しくなっていく度、寂しいって感じるようになって。 連絡が来ないのだって、忙しいからに決まってるのに。だけど、忙しいんだろうなって思えば、それを邪魔したくないから自分から連絡入れられなくなって」
「それは……僕も、同じでした。 なので、そのお気持ちわかります」
「うん、わかるよ。わかるからこそ、壮五君に連絡を入れられなかったの、私」

 なまえさんの言葉は、僕にとって嬉しいものなのか悲しいものなのかわからなかった。
 なまえさんは僕のことを好きでいてくれている、だからこそ邪魔をさせたくないと思って連絡ができなかったということは、僕も同じだった。変わらずに好きでいてもらえていることはもちろん嬉しかった、だけど、僕は気付かないうちになまえさんに寂しい思いをさせていたのだということは悲しいことでしかない。

 なまえさんは今、僕と同じ経験をしている。だけれど感じている部分は異なるものだった。僕はなまえさんの邪魔だけにはなりたくなくて、それを大前提になまえさんのことを応援しながら、たまに来る連絡やたまに会える時間が嬉しいと思えていて、頑張ってほしいという気持ちが強すぎたあまり寂しいと感じたことは一度もなかったように思う。それなのに、なまえさんの話を聞いていたら、自分でも気付かなかった抑えていたものがひしひしと湧き上がってくるように感じた。

「僕は、なまえさんの邪魔はしたくなかった。連絡もそれのせいで入れられなくなって……でも僕は、連絡をもらえることは嬉しいし、なまえさんが邪魔だなんて、思ったりしません」
「それは、私も同じよ。 でも仕事が忙しいと、イライラしたりした時とか、八つ当たりしちゃいそうで怖かった。だからできるだけ私の気持ちが落ち着いてから返信していたんだけど」
「そ、そんなことまで……でも僕は、なまえさんの話を聞きます。愚痴だって、文句だって、もちろん僕に対して思うこともなんだって聞きます、聞かせてください。些細なことでもいいので、連絡をしてきてください。僕も仕事が忙しい時は携帯を持っていられなかったりしますが、気付けば早いうちに返事しますから」
「……なんか、壮五君、変わったね」
「え、そうですか?」
「うん。 それで、それは、壮五君もしてくれるの?」
「え!? いえ、僕は、あんまり迷惑はかけたくないので……」
「そこはいつまでも変わらないんだ」

 なまえさんは笑った、僕は驚くことしかできなかった。

「……していいんですか?」
「当たり前だよ」

 その驚きに乗せながら、僕が躊躇って言えなかったことをよくやく口に出せた。僕の躊躇いは間違いだったのだと思えるほどなまえさんは笑いながら平然と口にしてくれる。嬉しいと思った、この嬉しさは過去に抱いていたなまえさんの傍に居れたこと以上に、だけれどそれとは違った嬉しさのようなものだった。

「わかりました。 忙しくて心が折れそうになった時、僕はちゃんとすぐにでも返事しますから、そういうことがあったら、僕を頼ってもらいたいです」
「じゃあ、壮五君も私のこと頼ってくれるの?」
「……頼っていいんですか?」
「この話、リピートしてる。 当たり前だよ」

 本当はずっと連絡を取りたかった、なまえさんの話を聞きたかった。僕の話だってしたかった。彼女が忙しい人だからを理由に、知らぬ間に抑え込んでいたものが許しを得た瞬間からどんどんと湧き上がってきてしまった。同時に、心が晴れていくような気さえする。

「僕は、なまえさんのことが好きです。この気持ちはきっと、一生変わらないです」

 それを再び気持ちを乗せて言葉に吐き出した。僕には環くんのように不器用ながら真っ直ぐな言葉を向けることができないし、大和さんみたいにさらりと気遣いができる方でもないし、三月さんのように明るくはっきりと言葉をぶつけることができなくて、十さんや百さんみたいに優しい言葉を上手く投げかけられない、八乙女さんみたいに格好良いセリフは思い浮かばないし、それでも僕なりの気持ちを乗せて吐き出した。言った後に、もしかして重苦しい発言だったかもしれないと、少し後悔してしまいそうになった。

「ありがとう、私も壮五君のことが好きだよ。 自分の夢を話していた姿も、今ある仕事を必死でこなしている姿も、どこかで頑張っている壮五君のことを私だって応援していたよ」
「恐縮です……」
「私、壮五君が人気者になっていくことが嬉しい。 本当は、好きな人が夢を追いかけている姿を傍で見ているのが夢だったのかもしれないね。私、壮五くんと出会って、それに気付かされたの」

 こんなふうにストレートな気持ちをぶつけられたことが今まであっただろうか、こんなふうに顔をしわくちゃにして嬉しそうに笑うなまえさんの笑顔を見たことがあっただろうか。なまえさんが、僕のことをそんなふうに生き甲斐のように感じていることがたまらなく嬉しかった。
 なまえさんと同等の立場でありたい。いつの日かそんなことを思っていた願いはすっかり叶えられていたようで、こんな幸福なことはない。そうか、この募りに募った嬉しさは、幸福と呼べるものなのか。








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