あなたが頭から離れない理由





「あら、月雲さんじゃないですか。 お久しぶりです、今日はどうされました?」
「やあ、みょうじくん、久しぶりだねぇ。 今日は、君にお願いがあってきたんだ」

 ムシムシと暑い日が続いている快晴の日、平日ともあって静かな不動産営業所に月雲了さんが久しぶりに顔を出した。家が芸能事務所をしている一応御曹司であるというのに、不動産と顧客という関係からでもわかる、いい歳しているのにふらふらしている月雲さんとはもう4、5年ほどの顔見知りの関係である。

 初めて出会ったのは私がまだ入社して間もない頃、研修を終えて営業担当に着任してすぐの頃に、条件の合うマンションを探してほしいと訪ねてきたお客様だった。
 駅から徒歩3分、マンションの入り口は路地は嫌だけど静かな場所がよく、駐車場付きで階数は低めだけど部屋が広々としていて、日当たりもよく近場の建物と近隣していない設備が整っていて自分好みの……と細かい条件を口にしていた月雲さんはどうやら引越しを考えていたらしい。学生向けのアパートから家族向けのマンションまで広い分野で活動している営業所だったため、その手のものは数回だけ経験をしたけれど、独り身でマンション購入を検討しているお客様を対応するのは初めてで、そんなに細かい条件がぴたりと当てはまる物件もそう簡単には見つからず、右も左もわからないまま1ヶ月ほど月雲さんの気に入るマンション探しに何度も付き合ったのがはじまりだ。

 学生向けであれば親御さんがここにしようとすんなり1日2日で決めてくれるし、家族向けだって1週間もあれば決まっていたけれど、月雲さんはそう簡単には決めてくれなかった。自分の中でピンとくるものがなければ「ここは嫌だね」と即却下で、次へ次へと進めた物件で、やっと彼に合う場所を見つけて最終的に行き着いたのは新築の分譲マンションだった。はじめは独り身だしと思い、比較的安めの場所を提供していたけれど、結局は四捨五入すれば億にいってしまう数千万とする部屋を選んだ姿に私は素直に驚いたし、何より価格を伝えても微動だにせず、なんと一括でマンションを購入していたので私は度肝を抜いた。

 やがて、契約内容を確認しつつ書類にサインをお願いした時にこっそり勤務先を見たけれど『〇×貿易株式会社』と書かれてあって納得をした。と思っていたら、私は勤務先欄をじっと見すぎていたのか、月雲さんはやんわりと自分は貿易会社に勤めているけれど、実家は芸能事務所をしているのだとそこまで話をしてくれていた。
 そういう、きっかけがあったのかはわからないけれど、それから月雲さんは定期的に、家が芸能事務所をしているという伝からかタレントのためのマンションを肩代わりのように契約を結びに訪れる姿が数年前から何度かあって、この店の固定客のような人になった。たまに、過去に2回くらいだったか、恋人のためのマンションの契約にも訪れていたけれど、最近はそのような姿すら見ていなかったので、今日会うのは本当に久しぶりだった。

「条件の合うマンションを4部屋、探してほしいんだ」
「え、4部屋もですか!?」
「そうだよ。 一人一人、好みや生活環境が異なる子たちだから、条件は細かいんだけどね」
「えーっと、芸能人向けのマンションですか?」
「いや、なるべく一般人向けの部屋がいいかな。 いい条件がなかったら、最終的にはその部屋を借りることになるかもしれないけれどね」

 そう言っていた月雲さんはどこか楽しげで、機嫌がとても良さそうだった。さり気なく、また新しい彼女のための部屋なのか、家系関係の部屋なのかを問いかけてみたけれど、月雲さんの反応は前者に近かった。私の記憶が正しければ彼はもうアラサーで、良い環境の人間なのだから愛人を何人か持っていても怪しくはない……と深読みしつつ、とりあえず1人1人の条件を訊ねた。

「まずは1人目、作曲と、ピアノが好きな子なんだ。 ピアノを置いても狭くないダイニングキッチンがあってね、それを除いて部屋の数は3部屋くらいあるといいなって言っていたかな。ああ、キッチンカウンターがあったら嬉しいかもね」
「3部屋、ピアノを置いても狭くないダイニングキッチンでキッチンカウンター……」
「2人目は、賃貸にして。 人がよく遊びに来ると思うから、部屋は広い方がいい。だけど広々としすぎず、部屋も少なくて構わない。流石にワンルームは可哀想だから、そこそこ広い1K辺りにしておいて」
「賃貸で、部屋数は少ないけどリビングが広くて、でも広々としすぎていない……1Kでもよし……」
「3人目は、そうだね、部屋の広さや多さは最後に決めるとして、きっと密会に多く使うと思うから、できるだけ人目を避けられる場所で」
「み、密会……!?」
「4人目は、ロフト付きでお願い。これも1Kか1DKで構わないよ、和室付きでね。 でも、学生だからね、必要最低限の家具家電が揃っていたらなお嬉しい」
「学生……!?」

 月雲さんの提示する言葉を復唱しながらメモに書き残すけれど、後半、条件の内容が耳を疑うものが紛れていて思わず手を止めてしまった。だけど、月雲さんは私を待たずにペラペラと次へ次へと条件を出すのだから頭と指先が追いつかない。

「ああ、そうだった、4人の部屋に共通させることといえば、防音性が高いこと」
「防音……ですか……」

 ピアノが好きな彼女と、友達が多い彼女と、密会するレベルの彼女と、学生の彼女……そして共通するのは防音が高い部屋ということ。それってつまり、やっぱり、それだよなあと頭の中に浮かべつつ、月雲さんは「壁が厚ければ構造はなんだって構わないよ」と口にした。
 このような部屋の条件であればぴったり当てはまるのは限られてくるのだけど、防音であれば構造を構わないということは少し幅は広くなる。だって月雲さんは自分の部屋探しの時に鉄骨鉄筋コンクリート造でとそこまで条件を入れてきたくらいだったから。それでも月雲さんのことだ、またピンとくる部屋がなければ次々と新しい場所を求めると思うので、あえて構造を無視した条件に合う物件を探しだす。

「……月雲さん、お待たせしました。 4人分の条件に合う部屋をいくつか探しましたが……」
「図面だけじゃ、わかりづらいね」
「今から見に行けるところもありますけど……探した部屋の中には、2週間後に退室される方の部屋も含まれてます」
「じゃあ、それ以外を見にいくとしよう。 あとは、僕が適当に決めておくよ」
「わかりました。 では私、車出しますので、少し待っていてください」

 月雲さんの提示する条件と合う物件を探して30分、印刷した書類を持って月雲さんの元へと向かった。頭がよさそうに見えるわりに、月雲さんは差し出した図面の描かれた書類をぺらりと捲って面倒臭そうに口にする。そりゃ、直接目で見た方がわかりやすいものねと、そういえば月雲さんは初めての時もそんな感じだったなぁと思い出す。

「−−ええ、軽自動車なの?」
「え? そうですよ、だって月雲さんしか乗らないですよね? お連れ様いらっしゃいました?」
「いや、僕一人だよ。 だけど、僕は足が長いからね。軽自動車じゃ、ちょっと窮屈すぎて、息苦しいよ」
「……わかりました。 鍵持ってきますので、また待っていてください」

 いざ、物件を見に行こうとすれば月雲さんが駄々をこね始めた。2人だけしか乗らないので軽自動車を用意したけど、月雲さんはあっちの車がいいと、軽自動車をよそ目に告げたれた言葉に私はすうっと息を吸い込んだ。彼はお客様だ、一気に4部屋分を契約してくれようとしている他に見ないいいお客様である。だからため息など絶対に吐いてはいけないし、できるだけ彼の要望に従おうと、持っていた軽自動車の鍵をオフィスへ返しに戻って、普通車の鍵と変える。ホワイトボードに記された営業車の外出状況の軽自動車使用の欄を消して、普通自動車に変更することを忘れずに。その時に、上司に呼び止められた。

「月雲さん、すみません、お待たせしました」
「今日は、暑いね。 こんな場所に放ったらかしにされてしまったら、日に焼けてしまうし、脱水症状を起こして死んでしまうよ」
「喉が乾いたって言われそうだと思ったので、裏にあったお茶持ってきました」
「わあ! 流石、気が利くねぇ」

 本当なら裏に戻って出るときに、上司に「今週から配布するようにしたお客様への飲料、ちゃんと渡した?」と言われてしまって、すっかり忘れていたものを今更手渡したのだけど、月雲さんはそれで機嫌を良くしてくれたらしい。

 うちには軽自動車と2台の普通乗用車が置かれているのだけど、月雲さんがあれがいいと興味を示した普通車はコンパクトではないミニバンの方で、私は軽い緊張を覚えた。普段自家用車として運転しているのは軽自動車で、仕事で頻繁に使うのは同じ軽自動車かコンパクトサイズの普通車だから、このような大きな車を運転することは久しぶりである。物件選びの多くなる繁忙期の2月に、お子さんの部屋選びにとそこそこ多くの家族で見にくる時に運転する程度だから、ざっと、半年くらいは久しぶりだ。

「先に、賃貸の方から行きます。次に密会用の方で、学生の方とピアノの方は条件がやや厳しいこともあって、決めるのに時間がかかると思うので後回しで。 いいですか?」

 と、発進する直前に、シートを後ろに倒してくつろぎ始める月雲さんに向けて告げれば「かまわないよ」と言葉が返ってきた。



 贅沢にもくつろいでいる月雲さんを連れて1件目の賃貸物件に案内をした。4つのうち1番漠然としている条件でありながら決めやすい物件でもあったので、部屋の雰囲気や日当たりや設備とかその辺りはわからないままだったけれど、ふんふんと腕を組みながら物色する月雲さんに一通り備えられている設備を説明する。

「いいよ、ここにしよう。 これがあれば便利だね」

 まあ、月雲さんのことだから風通しもよく湯沸かし式の給湯器と乾燥機付きの浴室があればいいかなと思っていたけれど、月雲さん的にそれがピンと来たようで迷いもせずにここに決めると言い出した。1件目で決めてくれたことに驚きつつも、あと3部屋分あるのだと思えばそれはそれで有難い。

「収納スペースは個室だけになるのが難点ですが」
「賃貸なら、こんなものじゃない。 さあ、次に行こう」
「え? はい」

 今日の月雲さんは意外とあっさりしているようで、とんとんと進んだ次に向かうのは密会用の物件である。マンションの入り口が路地にあり、他の建物と近隣していないマンションで、入居者以外の出入りが厳しめのところ自体はちらほら見つけ出せので、その一つのマンションを選び抜いて、いくつか存在している空室の中から決めてもらおうと考えた。

「ここは密会向けのマンションです。 SRC造なので、騒音トラブルはまず起こらないと思います。部屋はどの階も似たような間取りですが、空室が何部屋かあるようなので、部屋の数や広さがもう少しほしいのであれば上の階も紹介しますよ。 ただ、造りが造りなだけあって価格は高いです」

 このようなマンションは東京ならばいくつか存在する。住んでいる人も、月雲さんの言う密会そのものに使っている人が多いので、これも比較的決めやすい物件だった。

「へぇ、密会によく使われているところなんだ。 たとえば、誰か、スキャンダルになりうる人間も住んでたりするの?」
「それは、プライバシーもあるのでお答えできません」
「その口ぶりだと、いるんだね。 いいね、ここ。 ここにしよう」
「え、この部屋でいいですか?」
「もっと上の方は、窓から見える景色も綺麗なのかな?」
「綺麗だとは思いますよ。 近隣に高い建物がないので、最上階付近だと都内を一望できるのではないでしょうか」
「それなら、空いている一番上の部屋にしておいて」
「見に行かなくていいですか?」
「なんだか、面倒くさくなっちゃって」
「上だと、最上階は埋まっているので、その下の階になりますね。 お値段は、億になりますけれど」
「ああ、価格の面は気にしなくていいよ。 お金のある家の子だからね」
「そ、そうなんですね……」

 密会に使うお相手はどこかのご令嬢のようだ、なるほどなあ。そんな人が相手なら、景色も綺麗に見える部屋の方がいいものね、と思いながらさっさと帰り支度を始める月雲さんの背中を慌てて追いかけて、書類に殴り書きで決定の文字を記した。

「次、ロフトと和室の物件なんですけれど、条件が厳しくて探すのに苦労しましたが1件だけありました。前の方が洋室に畳を敷いていたものがそのまま残っている様子ですが、状態はいいです」
「じゃあ、そこにしておいて」
「え? 見に行かなくていいですか?」
「なんだか、疲れちゃって」
「それでは、残りの2部屋は後日に回しますか?」
「それも手間がかかるね。 決めるのなら今日だ」
「……それなら、口頭で説明しますね。 えっと、1DKの洋室ですが、ロフトの部屋には前の方が畳を敷いて和室と似たような形になっています。状態は綺麗です。残念ながら家具は付いていないですが、前の方がエアコンと電気を残してくれています」
「うん、まあ、いいかな」
「ではここに決めておきますね」

 3部屋目もとんとんと進み無事に残り1部屋までたどり着いた。昼過ぎに営業所に訪れた月雲さんのお相手をして、物件を回っていればあっという間に時間は過ぎていって、もう日が傾く時間帯になっていた。ざっと4時間以上もこのような物件選びに時間をかけてしまっては疲れが起こるのも仕方のないことだ。

 気を利かせて「大丈夫ですか?」と問いかけてみたけれど、倒されたままのシートに凭れる月雲さんは「平気だよ」と言っていた。残りの1部屋も口頭でいいと言われたけれど、とても口頭では説明しづらい間取りでもあったため図面が描かれた書類を手渡すけれど、とりあえず外装だけでもと、次の目的のマンションへ向かうべく車を発進させた。
 すると、プルルルっという電子音が車内に響いた。

「僕だね。 失礼、電話にでるよ」
「はい、どうぞ」

 どうやら、月雲さんの携帯の音らしい。ご丁寧に失礼と声を掛けてきたところも、倒したシートでくつろいでいたというのに携帯を手に取ればシートを起こして電話に出る辺り、真面目な人なんだなあと伺える仕草を横目で見つつ運転に集中する。

「もしもし、僕だけど……ああ、悠か。今、君の住む部屋を決めたところだよ。 大丈夫、ロフトも和室も付いてる。 え? 僕? さあ、何時になるかな。今は、巳波の部屋を決めているところだ。 あ、掃除しておいて。あと、部屋は好きに使ってくれて構わないから……」

 −−ハルカ? ミナミ? 女!?
 ちょうど今決めた物件に住むと思われるハルカという女の子に部屋は好きに使ってくれていていいって、ああ、なるほど、やっぱり……と確信したように月雲さんの電話の向こうにいる女の子の会話を盗み聞きする。共通の友人なのかわからないけれど、ミナミという子も出てきて、頭がパニックになって、つい急ブレーキを踏んでしまった。「おっと、気をつけてよ」と月雲さんが電話を他所に声を掛けてきてしまって、私は焦りながらすみませんと謝罪をした。

「悪かったね。 丁度、今決めた部屋に住む予定の子からの電話だった」
「は、はい……ロフトと和室があることは喜んでくれましたか?」
「嬉しそうにしていたよ。 田舎の平屋に住んでいた子でね、和風が好きだって言っていたのに、ロフトの存在も憧れだったんだってさ」
「それなら、ピンポイントですね」

 契約してくれる人のお相手の子が喜んでくれるのであれば、その部屋を見つけ出せた私だって嬉しい。なのにどういうことか、喜びどころかほっとした感覚さえも訪れなかった。それでもそれを悟られないように微笑んで、嬉しいフリをする。

「あ、月雲さん。 あれが、4つ目の部屋のあるマンションなんですけれど……」

 最後に決める部屋のマンションが車から見える場所まで来たところで、月雲さんにその場所を指差して告げた。へぇ、という言葉すら返ってこなくて、月雲さんの方へ視線を向ければペラペラと書類を捲って間取りを見ている最中のようだった。

 マンションの隣にある契約駐車場に車を停めると、やっとマンションに目を向けてくれた月雲さんがしっくりこないと言った様子で口を開く。

「……なんだかこのマンションは、今までのとは雰囲気が違っているね」
「はい。 ここの入居者は、女性限定なんです」
「却下。 他のところにしよう。 図面だけで決めなくてよかったよ」
「あ、いえ、入居者が限られているだけですので、男性の出入りはできますよ」
「巳波、彼は男だよ。 条件に合っていないだろう?」
「え!? 男!?」 
「あれ、言っていなかったっけ?」
「いえ、聞いてないです。 ピアノが好きだっていうので、女の子らしい女の子なんだと……あと、月雲さんのことだから、また彼女の部屋を探しているんだと……」
「失礼な人だな、君は」
「す、すみません!」

 月雲さんの言葉通り、図面だけで決められなくてよかったと思った。もしこんな形で契約を結んでしまったらとんでもないことになる。というか、マンション概要の欄に『女性のみ入居可能』とはっきり書かれているのだけど、月雲さんはそこに目を通していなかったのか。疲れているのか、本当に面倒だったからなのかはわからないけれど、そこには触れず女性入居限定マンション以外にも用意していた資料を持ち出して、場所を確認し直した。

「探している部屋に住む人間は、みんな男の子だよ。 だから、女性限定の場所は却下。他を探してね」
「え、え、みんな男ですか!? わ、わかりました。 本当にすみません……」

 やらかしたと思った。どうやら私はとんでもない勘違いをしていたらしく、とんでもない誤解を受けていた挙句、月雲さんに言われた通りとんでもない失礼なことを口走ってしまった。
 とても焦ってしまった、もしこれで気分を害されて契約が無しになってしまったら……と思いながらも、……あれ、なんでか私、ホッとしている……?




 無事に4部屋全てを見て回って部屋決めが終了し、「お疲れ様でした」という言葉と共にやっと営業所に戻れる時間になった頃には日も落ちていた。仕事終わりで帰宅を迎える人の多いこの時間は交通量が多く、何度も渋滞に引っかかったり、何度も信号に引っかかりながらもあと少しで戻れると思っている中で、月雲さんは仕切り直しのように言葉を挟んだ。

「みょうじくん。 君に一つ、聞きたいことがあるんだけれど」
「はい、なんでしょう?」
「君の口ぶりから、何を履き違えていたのか、僕が探している物件に住まわせる人間を、君は全員女だと勘違いしていたみたいだね」
「それは、本当に、すみません、私の早とちりです」
「早とちりすぎるでしょう。 どうして僕が、一斉に4人の女を住まわせようと思ったりしたのかな?」
「……怒ったりしないですか?」
「怒りはしないけど、機嫌を悪くするかもね」
「……」
「はは、冗談だよ」
「その冗談、わかりづらすぎますよ。 愛人かなにかだと思ったんです」
「君には、僕がそんな男に見えているのか……」
「いや、だって、いい会社に勤めていて経済力もありますし、お若いですし、愛人の1人や2人作っててもおかしくないって思いますよ」
「僕は一途な男だよ。 だから、恋愛だって、長続きしないんだ」
「それ、矛盾してません?」

 あ、これは営業でもなんでもない他愛のない話の一環だ。契約もほとんど終わりに近づいている頃だし、私も営業としての身のスイッチを切って、信号待ちをしつつ月雲さんとの間に会話の花を咲かせようとする。

「君、名前なんだっけ。 下の名前」
「なまえです」
「なまえには、恋人はいるの?」
「えっ、いえ、いないですけど」

 いきなり呼び捨て!?と身体中に緊張が走った。仕事柄なこともありいつでも苗字で呼ばれていたのに、仕事の最中、しかもお客様から下の名前で呼ばれて更には呼び捨て、私は感嘆符疑問符を貼り付けて心の中で仰天してしまった。

 恋人がいるのかと問われて、正直に現状を口にすれば月雲さんは「へぇ、いないんだ」と物珍しそうな様子で呟いた。この場合、私はなんて返事をしたらいいのだろうか。なかなかご縁がなくてと言うべきか、月雲さんはどうなんですかと訊くべきか。少しの間、頭の中で会話の続きを考えていれば、先に月雲さんが喋り出した。

「僕は、いいなぁって思っていた子と付き合っていると、ある日突然、飽きが回ってくるんだ」
「それ、最低すぎませんか?」
「なまえにはないの、そういうこと」
「ある日突然飽きるなんてことはないですよ、そもそも飽きるっていうのもおかしな話ですし。 少しずつ、合わないなとか、好きじゃなくなっていくというか、将来を考えて不安を感じたりして、それが積み重なると最終的に別れていくという感じで……」

 過去の恋愛事情を思い返せば自然とハンドルを握る手とアクセルを踏む足に力が入った。月雲さんの言うようにある日突然飽きることは経験したことはないし、そもそも飽きるなんて感情を抱いたことすらない。ただそれに近い感覚で思い返せば、店員に対する態度だったりクチャラーであることを知った瞬間だとか、さりげない態度で引いてしまった結果この人とはやっていけないと思うことならある。

「僕は、容姿もよくて、お金もある。 だから、いろんな女性が寄ってきてくれる」
「はい、まぁ、そうですね。 わかります」
「その中で、いいなぁって思う子と付き合い始めるんだけど、結局、彼女たちは僕のことを顔とお金と権力に惹かれてるだけなんだって確信してしまうと、好きだった気持ちも綺麗に消え失せるんだ」
「それは、わからなくもないかもしれないです」
「だけど、本当は他にずっと好きな人がいて、その人が頭にチラつくと、彼女たちでは駄目なんだなって思っちゃうんだけどね」
「ああー、だから一途だって言うんですね。 いいですね。そうやって、付き合っている彼女たちよりも、ずっと好きでいてもらえる人が羨ましいって思います」
「ま、君のことなんだけどね」
「−−はい!?」

 またゆっくりと走り出した先で、目の前の信号が赤に切り替わった瞬間、突然の発言に思わず月雲さんの方を向いてガタンと車が揺れ動くほどの急ブレーキを踏んでしまった。

「危ないなぁ、大丈夫? 運転、代わろうか?」
「いいいい、いえ、大丈夫です、すみません、ビックリして」

 本日2度目の危険運転をしたということと、突然訪れた月雲さんの発言に心臓がバクバクと音を立て始める。そんな私を余所目に、月雲さんはふふふっと笑っていた。

「いや、あの、冗談ですよね?」
「君は、他人の好意を冗談と受け取るほど、失礼な人なのかな」
「い、いえ、すみません、だって私、え、なんで私!?」

 そうだ、こんなに心臓がバクバク鳴ってしまうほど驚いている根本的な理由といえば、どうして私なんだという、そういうことからだ。月雲さんの言葉を冗談でもなく本心と受け止めるとするならば、他の女性と付き合っても忘れられないほど好きでいてくれることがまず信じられなかった。だって私はただの営業をしている身で、月雲さんはお客さんだ。お金もあって女性には困っていなさそうな月雲さんが私のことをそこまで好きになってもらえる理由が見当たらなかった。

「5年前、君と初めて出会って、僕のために必死で物件を探してくれている姿がいいなって思ったんだ」
「そ、それは、仕事だったので」
「そう、仕事だ。 右も左もわからない不慣れな状態で、それでも必死に探してくれていた君の姿に、尽くされている気分になったんだ」
「い、いや、あの」
「それに僕に寄ってくる女性は、家が芸能事務所をしているんだっていうと、僕の機嫌を常に取ってくれる人たちだったけど、君はそんなことをしなかった。その時点で好感度が高かったよ」
「でも、それは、あの」
「ほら、青だよ」
「あ、はい」

 私は今、ドストレートに告白を受けているのかもしれない。今まで恋愛は紹介だったり友人関係だったり、お互い、この人と付き合うのかもしれないと思う感覚でしてきたことだったから、こんなふうに突然好意を告げられることは初めてのことで、それも募ってどうしたらいいのかわからずハンドルを握る手に更に力がこもる。

 月雲さんは、格好いい人だとは思う。今までふらふらしているように見えていたわりに、根は真面目な人だということは今日に限らずとも薄っすらと感じていた。そんな彼に対する好意が私にあるのかはっきりしないけれど、今日の物件探しの途中で、てっきり女性のために探していると思っていたことが実は女性ではなく男性だったと知った時にホッとしてしまったのは確かなことだ。だから余計に、私はわけがわからなくなった。

「いや、でも、あの、私、あれです」
「あはは、なに?」
「仮に、月雲さんとお付き合いしたとして、私にはメリットがあると思いますが、月雲さんにとってメリットってなくないですか?」
「メリット? たとえば?」
「た、例えば……? 失礼なことかもしれないですけど、簡単にいえば、月雲さんはお金もあるし、格好いいと思うし、そういう人と付き合えることが私のメリットです。 ですが、そんな月雲さんが、生き方も違って、お金も持ってない、おそらく月雲さんが過去にお相手してきたご令嬢とは全く違う、ごく普通のOLと付き合っても、メリットなんてどこにもなくないですか?」
「僕のことを好きになって、尽くしてくれれば、それだけで十分だよ。 僕は、君のことが好きだからね。生まれた環境も、育ちも、僕は気にしない」

 かあっと顔が赤くなっていくのが自分でもわかる。私は月雲さんには釣り合う人間ではないと一度断りを交えかけたことを告げるも、月雲さんはそれすら呑み込んで、私が必要としていた言葉を平然と口にしてくれた。

「あの、ちょっと、コンビニ寄っていいですか?」
「構わないよ。 段差に気をつけて」
「は、はい」
「ミラー、ちゃんと見てる?」
「み、見てます、大丈夫です!」

 どうして私はこうも素直な心と身体をしてしまっているのだろう。この気持ちと空気に耐えられなくなって、逃げるように外の空気を吸おうと思い目に付いたコンビニの駐車場に入ろうとするけれど、車幅がわからず慌てそうになってしまった。助手席側のミラーを見たくとも、そちらに顔を向ければ必然的に月雲さんの姿も視界に入ってしまうので、私は余計に慌てそうになる。
 そんな私のことを月雲さんはとっくに理解していたのか、やたら楽しげに私の運転する姿を楽しんでいた。

 コンビニの駐車場に車を停車させて、逃げるように「飲み物買ってきます! 月雲さんは何か飲みますか?」と問いながらドアを開ければ、見事腕を引っ張られてしまった。私の心も行動もお見通しのように、月雲さんは口元に弧を描きながら「待ってよ」と待ったをかけてきた。だから私は諦めたようにドアを閉めて、まともに見れない月雲さんと向き合う。そうすれば、熱く体温が伝わってくる手首に触れていた月雲さんの腕がゆるやかに解かれた。

「なまえは今、どんな気持ち?」
「は、恥ずかしいです……」
「あっはは、君のその素直なところ、好きだよ」

 と、月雲さんは観念している私に平気でそんなことをいう。さっきから何度か好きと言われて、こんな場面ですら平気で告げられた好きの言葉に私の顔はどんどん赤く染まっていった。

「−−なまえ」
「えっ!? ちょっと、月雲さん待ってください、だめですよ!」
「ええー、どうして?」
「いや私、仕事中なので、あの、ちょっと、だめですって……!」

 まだ私は月雲さんの好意に対する返事をしていないというのに、月雲さんは私の身体を抱き寄せて顔を近付ける。なんとなくこういう雰囲気でそういうことをされる気はしていたけれど、私は一応仕事中の身だからお客様とこんなことをしていいはずがない。わかっているのに、ちょっと強引な月雲さんに根負けして、それを受け入れてしまった。

「少しずつ、僕のことを好きになってくれたらいいさ」
「わ、わかりました、誠心誠意、努めてまいります……」

 真っ直ぐ目を合わせられて、そんなことを言われてしまったら私は緊張と恥ずかしさで震える声でそう言い返すことしかできなかったけれど、私の返事に月雲さんは嬉しそうに笑う。また一瞬だけ触れ合った唇は、抱き寄せられた身体から伝わる体温よりもうんと熱いものに感じられて、唇が離れても私の唇には熱が残っていた。








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