花嵐が吹くころに





「ヤマさん。俺、好きな子が、できたかもしんない……」

 二階堂大和、22歳、水瓶座。この年になるまで彼女が出来たことは何度かあったけど、自分から好きになって付き合った試しはない。そんな俺が今、青春真っ只中で初々しい恋心を芽生えさせたタマの恋愛相談相手になっている。

 仕事を終えて、風呂をあがって、ビールの蓋を開けて、次に出演するドラマの参考になるかもと千さんに勧められた映画を見ながら大人の時間を楽しもうとした矢先、タマが部屋を訪ねてきたかと思えばかなり珍しいことに恋愛相談なんてものを持ちかけてきたんだけれど、生憎まともな恋愛をしてこなかった俺に恋愛相談はまずやめておいた方がいいと先に伝えたのだが、タマは「ヤマさん、お兄さんなんだろ?恋愛くらいしたことあるだろ?」と小学生みたいな質問を投げかけてきてしつこいのでひとまず話だけを聞くことにした。

「同じクラスの女子なんだけど……俺、学校出られない時とか、いっつもノートとか見せてくれたりすんの。あ、こないだ王様プリン貰った」
「あ、そりゃ両思いだわ。告っちゃえ」
「ヤマさん、真面目に」
「お兄さんこういうの柄じゃないんだよなぁ」

 本当の話、こういう話は柄じゃないし、他人の恋愛事情に口を出すと良いことないというのは22年生きてきた中で何度か学んだ。友達の恋愛相談に乗って協力してみたらそいつの好きな相手が俺でなぜかとばっちりでそいつに絶交を告げられたりとか、実は好きな相手とはセフレ関係にある人だったとか、そういう汚い話も綺麗な「恋愛事情」に収められて相談に持ち込まれるためこの手の話題は爆弾持ちが多い。
 まあ、純粋に恋をはじめたタマにはその心配はないと思うがそれ以前に甘酸っぱい青春を目の当たりにして、自分がその相談相手になっているというのは逆にこっちが恥ずかしくなって、言い方は悪いが背筋が凍るのと同じようなゾクゾクとしたものが身体に走って居た堪れない気持ちにさえなる。

 逃げるようにサラリとタマの背中を押すような言葉を投げかけてみるものの、タマはこのことに対して真剣なようで(当然だけど)逃げ場を失った俺はこめかみを押さえながらどうしたものかと悩んだ。もちろん、タマの恋愛相談に対してもなんだけど、この居た堪れない気持ちをどうしようかとする意味でもだ。

「あー……その子、彼氏はいんの? 可愛い?」
「彼氏は居ないっつってた。可愛い、と思う」
「可愛いの? マジで? ちょっとお兄さんに写真見せてごらん」
「はあ!? 写真!? なんで? 絶対嫌だ」
「ほら、お兄さん相手の子がどういう子なのかわかんないと、ちゃんとしたアドバイスできるかわかんないじゃん?」
「え。そういうの関係あんの……?」
「あるよ。めちゃくちゃある」

 そう言うとタマはううっと唸った後にガサガサと尻ポケットからスマホを取り出して、画面をタッチして、その子の写真を探し始めた。写真持ってんのかよ、と渋い顔をしながらスクロールを続けるタマを見ながら思った。

「ほら、この子……」
「可愛いじゃん。つか、なんでツーショットなの? そこんとこ詳しく聞かせて」
「一緒に撮ろうって言われたから」
「あー、なるほどね。両思いだよこれ」
「ヤマさん、真面目に」

 タマに見せられた写真は、教室で撮ったと思われるいかにも青春!という感じのツーショット写真だった。あいかわらずぶっきらぼうな表情をしているタマの隣に写っている女の子は確かに可愛い子で、嬉しそうに写っている姿がますます恥ずかしいとさえ思わせてくる。真面目に、と言われたけれど二度目のそれは真面目な話だっていうのに。

「ヤマさんはさ、なんかこう、めちゃくちゃ好きになった人とかいないの?」
「いやー、お兄さん今までまともな恋愛してこなかったからな。……いないかな」
「うわ、サイテー」
「タマ。それ、普通に傷付くんだけど」




 −−嘘だ。

 前にも述べたが俺は彼女が出来たことは何度かあったけど、自分から好きになって付き合った試しはなかった。悪い話だけど、付き合っていくうちにその子のことを好きになるということもなかった。まあ、付き合っているんだからそれなりに大切にしようとは思っていたけど、本当に昔の俺は最低な男で、彼女に時間を費やすのが勿体無いと思うことが多くて、いつも何かしらの理由を付けて一緒に過ごす時間を断ることをよくしていた。そのせいでいつも振られてばかり、最後に付き合った彼女にだって結局浮気に走られて振られた。当たり前の仕打ちなんだけれど、別に好きじゃなかったし、そうなることは目に見えていたから振られることに傷付くこともなかったし、浮気されたことにショックを受けることもなかった。ああまたかと、まるで他人事のように思っていた。何がそれなりに大切にしていたというんだろうか。当時を思い返せば全くそんなことをしていなかったことに乾いた声が上がりそうになる。

 だけど、そうやって一番傍に居てくれた人の事を考えずにいつも自分ばかりを優先していた付けが回って来たんだと思う。そんなことが一度だけあった。

「なまえさん」

 大学に入ってすぐに、初めて自分から人を好きになったことがあった。彼女の名前を呼ぶ事に恥じらいを覚えるほど、自分の大切な時間を裂いてしまうほど、傍に居たいと思えるくらいに人を好きになった。生まれて初めての恋というやつだった、青春っていうやつ。高校生の俺にはなかったけど、まぁまだ18歳の俺にはぴったりの、それはそれは甘酸っぱい恋が俺にも訪れた。

 なまえさんは俺より二つ年上の大学三年生で、学部は違ってなんの接点もなかったけれど、大学入学当時から頻繁に足を運んでいた図書館で知り合った。俺は周りの人間とそんなに深い付き合いをしたくない人間だったから、図書館では同級生になるべく声をかけられないように図書館の一番隅の席をいつも使っていたんだけど、彼女もまたその場所を使っているようで同じ机に座ることが何度もあった。俺の横を一つ空けた、隣の隣の席。

「……あ」
「あ、」

 今日もまた名前も学年も学部も知らない彼女が間を空けて隣の席に座っていた。いつもいるよなぁ、もしかして、この席が彼女の場所だったのかもしれない−−なんて思いながら、チラッと彼女の方を見てみたら目が合った。何事もないように視線を逸らしてしまえばよかったのに、不意に声が出てしまって「あ、すみません」と一言彼女に告げてしまった。

「いえ。……あの、いつもここにいますよね?」
「え? ああ、はい。そうですね」
「もしかして私が座ってる場所、いつも座ってる場所だったりします?」
「いや全然。いつもここが俺の定位置です。俺の方こそ、ここがあなたの席だったりします?」
「いえ。私も、この席がいつも座っている場所なんです」
「ならよかった」
「はい」

 これが初めて交わした会話で、これが彼女と話をするきっかけになった。俺が彼女を認識していたと同じように彼女もまた俺を認識していたようで、話したことなんて一度もなかったのに、このことがあってからというものよく話をするようになった。

 なまえさんは法学部に所属していて勉強や課題でいつもこの席を使っていること、趣味は読書で空いた時間に訪れてこの席を使って時間を潰していること、忙しい中で喫茶店でバイトしながら生活費と学費を自分で払っていること等々、彼女は自分のことを紹介するように話てくれた。俺も勉強や暇つぶしの時はいつもこの席を使っていたし、学費は家が出してくれているが生活費は自分で稼いでいるからどこか近親感を沸かせていて、そうしていくうちに、気付いたら彼女を好きになっていた。

 ああ、恋って、こういうふうに簡単に落ちるもんなんだな。

 好きになってしまったなまえさんの姿を見るだけで頬が緩んで、廊下で顔を合わせて挨拶を交わすだけで浮かれて、彼女と図書館に入り浸って一緒に本を読んだり勉強をするだけで胸を弾ませる。そのうち、彼女のことを欲しくて欲しくてたまらなくなった。

 −−告白しよう。

 過去にも告白は何回かしたことがあった。いや、告白というよりは気が合う女の子に「じゃあ付き合う?」と軽いノリで口にしてお付き合いに発展したくらいで、面と向かって告白したことはなかった。だからそれを決心した時はめちゃくちゃ緊張していたのをよく覚えている。何かのノリで、なまえさんに対しても今までみたいにさりげなくお付き合いに進める手段はいくつか頭の中に思い浮かんだけれど、彼女に対してはそうしたくなかった。正直に自分が好意を抱いていることを伝えなければ気が済まなかったのだ。

「どうも、なまえさん。 って、どうしたんですか、その顔」
「え? なに?」
「目、腫れて……何かありました?」
「え、あ、あ、いや、べつに。なんでもないよ。昨夜、映画見てて、それで」
「へぇ。なんの映画ですか」
「え……タイタニック?」
「なんで疑問系なんですか。でもあの映画泣けますよね、俺も昔見て大泣きしましたよ」
「大和くんも映画見て泣いたりするんだね」
「あはは、俺、以外とそういう系に弱いんで」

 先に図書館に来ていたなまえさんを見つけるなり、ついさっき借りたばかりの本を抱えて彼女の元へと向かう。前までは一つ間を空けて座っていた彼女との距離もいつの間にか縮まって、なまえさんのすぐ隣が自分の特等席に変わっていた。

 椅子を引いてすぐになまえさんの異変に気付いてしまった。思わずそれについて言葉にしてしまったけれど、なまえさんが俺に対して嘘を吐いたことはすぐに分かった。嘘を吐いて本当のことを話してくれない彼女に少しだけ苛立ちを覚えてしまいそうになったけれどそれをぐっと抑えて平穏を装う。泣きはらして腫れた瞼を嘘で誤魔化す理由なんて、今の俺に思い当たることは一つしかなかった。

「大和くん、ごめんね。本当は彼氏と喧嘩しちゃったんだ」

 何もなかったように他愛のない話を進めながら、いつしか駅までの道を二人だけで歩けるようになった図書館からの帰り道、別れ際になまえさんにそう言われた。ほら、やっぱり。そんな気はしていた。俺が今、自分自身が恋愛事に足を突っ込んでいる最中だからその手の話に敏感に思えてしまっただけでどうか違っていますようにと思っていたけれど、こういうことばかりには運が無い俺で、知りたくもなかった事実を知る羽目になった。告白しようと決めたはずなのに、その一言で全部泡となって消えた。

 俺はこの人のことを好意を持って接するようになっていたけれど、俺と知り合う前から彼氏がいたなまえさんは最初から俺のことを好きになるはずもなくて、俺はただの友達でしかなかった。そんなこと分かってるのに、彼女が嘘を吐いた理由が実は彼氏がいるんだけど、いつも一緒に居てくれる俺を好きになってしまって、だから俺にはその存在を知られたくなかったことから訪れて出た嘘だったら良いのに、とか大変都合の良いことを妄想してしまうくらいにはなまえさんに彼氏がいたことがショックでたまらなかった。



 失恋をした。告白はしていないけれど、好きになった人には彼氏がいて「好きです」と口にすることさえ許されなくなった。

「……また泣いてたんですか。ハンカチ要ります?」

 初恋と言うものはそう簡単に叶うもんじゃない。そういう台詞も言葉も何度も見てきたけれどそれは本当のことのようで、近くにいてくれたなまえさんがとても遠い場所にいる人に思えて、俺みたいな人間が簡単に手に入れられる存在ではなかったと自覚するのにそう時間はかからなかった。彼氏がいると知ったあの日から徐々に彼女に対する想いを消し去ろうとしたけれど、これもそう簡単にいかないものでなまえさんの好意を引きずったまま何も変わることなくなまえさんと会い続けていた。

 なまえさんは、彼氏がいると告白したあの日から、変わりなく接する俺に甘えるようによく泣くようになった。

 目に涙を浮かべたなまえさんの姿を見つめながら、なんとも言えない気持ちを抱えて彼女が隠そうとしているそれを正直に口にしてハンカチを差し出せば、なまえさんは驚いた表情を一瞬浮かべ、ハンカチを受け取って「ごめんね、大和くん。ありがとう」と悲しげに笑ってみせた。
 もう何も隠すことなく目の前で涙を拭うようになったなまえさんを見ていたら、心臓が握り締められたようにひどく痛々しい気持ちになった。彼女が傷付いているということが何よりも辛かったのだ、それと同時に、やっぱり俺の想いは彼女に届かないのだと言いようのない絶望に胸が苛まれた。

「今日はどうしたんですか。俺でよかったら、話くらい聞いてやりますよ」

 俺のためにも、本当は聞くべきことじゃないんだろうけど。どうせいつもと同じ話をされるに違いない。そんなことわかりきっていたのに、傷付いているなまえさんを見ている方が何よりも辛いと感じていた俺は、少しでもなまえさんが楽になるならばとその言葉を口にした。俺の気持ちには全然振り向いてくれないくせに、俺のそういう言葉には振り向いてくれる。苦しそうな表情を浮かべている中で一瞬嬉しそうな表情を見せたなまえさんは、俺が今どんな気持ちを抱えているのか分かっているんだろうか。本音をぶつけてやりたいと思いつつも、言わない限り気付いてすらもらえないことを同時に理解していたので押さえ込んだ。

 あれから何度か、泣いているなまえさんの口から溢れる彼氏の話を聞いた。彼氏は一回り年上の人で、バイトをしている喫茶店のバイヤーで顔を合わせるうちに交際に発展して、忙しい身なのであまり会うこともできず、最近は会っても喧嘩ばかりしているということ、それから。

「なまえさん、なんでそんな男と付き合ってんですか」

 話を聞いていた時、一度だけつい本音を出してしまったことがあった。「なんでかわかんないけど、好きなんだよ」と返されて返す言葉が見当たらなかった。ブーメランすぎるだろ、そんなこと。好きな人に彼氏がいることを知っていて、そのくせ自虐のようにその人の彼氏の話を聞いて、それなのに好意を消せずにいる。好きだから諦めらないこと、好きだから離れられないことを俺自身がよく理解しているくせに、自分のことを棚の上に上げて問うた言葉の返事が俺の心にずしんと重くのしかかった。

「もう、そんな気ないってわかってるのにね。私のために離婚してくれるって言葉ずっと信じちゃってるんだよ、私」

 不倫だなんてそんな行為すら、二階堂大和が生まれ育った環境の中で一番侮蔑していて大嫌いなことなのに、どうしてもなまえさんのことを嫌いにすらなることができなかった。




 結論から言ってしまえば、なまえさんへの好意を口にすることさえできないまま月日は巡り、彼女とは卒業してから会うこともなくなった。

 なまえさんは大学四年になって就活を始めながら変わらず図書館に通い続けてて、ある時「卒業したら彼氏のこと吹っ切ろうと思って。九州とか、北海道とか、とにかく遠い場所に行こうと決めたんだよね」と笑いながら話していた。「なら俺とも会えなくなりますね」と軽いノリで言ってみると「確かにそうだね」とそれを思い出したように笑っていたけれど、結局俺の一言で彼女の意思は変わることのないまま遠い場所に就職を決めたらしい。


「タマ。こういう話、柄じゃ無いって言ったけど、好きって言えるなら後悔しないように言える時に言っといた方がいいぜ」
「振られたら、後悔しない?」
「後悔は……まぁ、するだろうけど。そん時はそん時でしょ」
「ええーっ 俺、気まずくなるのとか超ヤダ」
「確かにそうかもしんないけど……でもまぁ、言いたかったのに言えないままっていうのが一生後悔するもんだ。タマなら大丈夫だって」

 本当はこんな話、思い出したくなかったんだけど。いつまでも消えていない後悔を抱えているお兄さんの実体験から来ている精一杯のアドバイスだ、なんてことは口が裂けても言えないのでこの話は墓場まで持っていくことにする。








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