幸福な降伏(19)





 昨夜の記憶がほとんどない。

 目が覚めたのはカーテンの日差しが顔にかかった時で、眩しさにううっと意識を取り戻して瞼を起こした。頭がガンガンするし、上手く身体が起こせなくてとりあえずどうして自分がここにいるのかを考えた。昨日は確か、レコード会社の視察があって、ユキとおかりんになまえのことを話して、夜に了さんの家に遊びに行った。ああそうだ、オレは仕事で失敗して落ち込んで酒に逃れようとしていたんだ、そこにちょうどなまえも来るからと言われて了さんの家に遊びに行った。そこで酒を飲んで……って、記憶があやふやだけど、そんなところで記憶が途絶えて今に至る。どうせ、了さんにそそのかれでもして酒を流し込んで泥酔して寝落ちしてしまったんだろう。こんなことオツムが弱い人間と思いたくはないんだけど、過去に何度かあった。了さんは得体のしれないけど度数が高くて美味しいお酒を飲ませてくれるから、途中気分が良くなって最終形態まで陥ることは了さんの出会った期間のうちに何度もある。

「……んん??」

 何度かあったんだけど、こんなことは始めてだった。怠い身体を起こせないけど、仰向けで寝転がっていると内臓が重力に沿って落ちていく圧迫感に思わず身体を横に向けてしまったら、女の子が寝ていた。うつ伏せで自分の腕を枕代わりに寝ていたから顔ははっきりと見えなかったんだけど、衣服越しでもわかる細い身体付きは女の子だって真っ先に理解できたし、それが昨夜一緒に過ごしていたであろうなまえであることは瞬時に理解できたんだけど、なんでオレはなまえと同じ布団で寝ているんだと血の気が引きそうになった。

 数秒、数分、硬直するがままなまえの姿を視界に入れていると丁度良いのか悪いのかなまえはむくっと身体を起こして目を覚まして、そしてオレと目があった。

「……お、おはよう……」
「おはようございます」

 瞼をごしごしと擦りながら寝起きでぱっちり二重になっているなまえと、朝日に目を向けるその横顔を動けない身体で眺めていた。「朝ですね」と言われて「そうだね」としか返せなかった。平然を装うオレの心境はただ一つ「何もなかったよな?」。

「……大丈夫ですか?」
「な、何が?」
「体調です。 モモさん昨日、すごく飲んでたみたいだから」
「ああーうん、そっちね! いや、どっちなんだって話なんだけど、とりあえず頭がガンガンする……」
「お水持ってきます」

 なまえは普段のオレみたいに寝起きがいいのか、のそっと起き上がってベッドを降りていった。寝室に取り残されたオレはぼんやり天井を見つめながら昨夜のことを思い出そうとするけど、やっぱりいくら記憶を辿ったところでなまえが来る直前のことまでしか覚えていない。思い出そうとすればするほど頭が痛くなってくるから、すぐに思い出すのは止めた。

 なまえが戻ってくる暫くの間、変わらず天井を眺めていたんだけど、目を閉じて五感を研ぎ澄ませば自然と聴力に意識が向いた。少しだけ隙間が空いたドアの向こう側で、了さんとなまえの会話が密かに聞こえてるんだけど、何を話しているのかは耳に入ってこなかった。

「モモさん。 私、了さんのお見送りしてきます」
「了さん、どっか行くの? 仕事?」
「お友達と遊びに行くそうです」
「へー、了さんにも友達いるんだ」

 なんて話をしていることを了さんに聞かれでもしたら、ぶん殴られるか窓から放り出されるかのどっちかだ。グラス1杯に水を注いできてくれたなまえからグラスを受け取って、ちょっと身体を起こして水を飲み干せば、アルコールで水分が飛んでいたのか食道に伝わる水の流れが伝わってきて気持ちが良かった。

 なまえは、オレのそんな姿を見て「もう一回お水持ってきますね」と気を利かせてくれる。酔い潰れた矢先の二日酔いのこんな格好を見せてしまっては格好が付かないよなぁって思うけど、オレがいくらそんなことを思ったところで身体は言うことをきかないから「ありがとう」とだけ付けて空っぽになったグラスをなまえに手渡した。


「−−モモさん、あの」

 なまえが寝室を出て戻ってきたのはすぐだった。こんな具合で時間の流れが早く感じているのかもしれないし、本当にすぐのことだったのかはわからない。新しい水を汲んできてくれたなまえはドアを開けると一段と落ち着いた口調でオレに声を掛けてきた。グラスを受け取りながら、うん?と首を傾げてみせると、なまえはか細い声を出して言う。

「この間は、すみませんでした」

 って、オレが先に謝らなきゃいけないことをなまえが先に口に出した。表情からして、思い詰めたような感じだったから少し焦ってしまいそうになる。この間というのは言わずもがななまえと連絡を取らなくなったあの出来事のことしかなくて、なんでなまえが謝るのかわからないほど、あれはオレが悪かったのに、なまえは申し訳なさそうに口にする。

「大丈夫、大丈夫! オレの方こそごめん、なまえちゃんのこと考えずにおかしなことばっかり言っちゃって」
「いえ、私もモモさんのこと、勝手に決め付けていろいろ言っちゃったから。 昨日のモモさんの話聞いてたら、本当に、私……」
「−−え、オレ? オレ、なんか言ってた?」
「えっ? ええっと、グループの活動は5年しかないとか……あとは、家族の話を少しだけ」
「んまじで!? オレ、そんなこと喋ってた!?」
「え、は、はい……え? モモさん、昨夜のこと、覚えてないんですか?」

 一瞬、頭が真っ白になりかけた。なまえに告げた覚えがないどころか、今まで曖昧にしか話したことのないRe:valeの話を持ち出したなまえにオレは金槌で殴られたような衝撃を受けてしまった。ドスンって感じで。そりゃ、時代劇のワンシーンで大袈裟に切りつけるザシュって音が脳裏に響くほどとんでもない音が聞こえたような気がした。

 オレ、何を話したんだ? 絶対に、誰かに知られたくないことを口にしてしまったようで衝撃と同時に冷や汗も流れてくる。何も覚えていないのかというなまえの問いかけに、何を思い返したって酒飲んでた記憶しかないから、オレの心臓はドクドクと大きな音を立て始めた。

「……じゃあ、了さんの話も?」
「了さん? あの人、なんか言ってた?」

 なまえが驚いたように了さんの話を持ち出した。オレは本当に何も覚えていないから頭の中にクエスチョンマークがたくさん浮かび上がるんだけど、なまえは一瞬だけ顔を曇らせたまま「なんでもないです」と笑ってみせた。
 なんでもないなんて、顔に出てんだからないはずないのに。って思ったけど、なまえのそんな顔と台詞を目の当たりにしてしまえば、問い詰めることなんてできはしなかった。

「私、モモさんに聞きたいことがあって」
「聞きたいこと? オレに? なに?」
「モモさんの家族の話……なんですけれど」
「……オレの家族の話? なんでまた?」
「モモさん、家族と絶縁状態だって聞いたから」
「誰に!? 昨日のオレ、そんなことまで喋ってた!?」
「えっ、いや、あの、はい、ええっと、そう、です」

 一番話してはいけないことを、オレは昨夜げろっていたみたいだ。そっからはもう無我夢中でなまえに自分がげろった会話を口止めするので精一杯だった。




 モモさんに嘘を吐いてしまった。

 嘘を吐いてしまったというより、モモさんの慌てた勢いに飲まれて、モモさんの口から直接聞いたわけでもないことを酔ったモモさんのせいにするように「そうです」と嘘を口走ってしまった。

 モモさんは、了さんとの約束を覚えていないらしい。だけれどモモさんはそんな了さんのことよりも自分の家族のことについてひどく焦っていて、具合が悪そうで動けなさそうだったのに、前屈みになって今にも土下座してしまいそうな勢いで言い出した。そんなことをされてしまっては、私は違いますの一言も告げれずに頷くことしかできない。「その話だけは絶対、誰にもしちゃだめだからね!」と言われて、1度、2度とそれは勢いよく首を上下に振った。

「ご、ごめんなさい、モモさん。 こんな話聞きたいなんて言ってしまって……」

 モモさんの慌てた様子に私は胸が苦しくなって、慌てたモモさんの前でそれを口にする。こういう話は自分が聞かれて嫌なことだと言うのに、私は平然とそれを聞こうとしてしまったということに自己嫌悪を抱いた。

「いや、いいよ。 喋っちゃってんなら、隠す必要もないんだし」
「……モモさんは、どうして家族と仲が悪くなったんですか?」
「昨夜のオレ、なんかげろってたんじゃない? それか、了さんに聞いてたりしない?」
「家族の話は特に、絶縁状態だってことしか……。 だけど、こういう話はモモさんの口から直接聞きたいなって、思って」
「……なんで?」
「えっ、ええっと」

 家族と仲が悪いっていう、仲間や自分に近い人を見つけたから嬉しいなんて微塵も思ってない。誰かの不幸話に首を突っ込みたいと微塵も思ってない。
 だけれどなんの脈絡もなく突然それを聞きたいと言い出した私のことを、モモさんはそう捉えでもしているのか怪訝そうな表情を浮かべて、態度もちょっと、素っ気ないというか、嫌がっているような感じに見えてしまって、私は怖気づいてしまった。

 それでも、今ここで黙り込むということや、やっぱりこの話は聞かなかったことにしますということは一番してはいけないことだと自分に言い聞かせて、正直にモモさんの目を見て言葉にはっきり出した。

「私、モモさんのこと、もっと知りたいって思ったから……」
 
 興味本位で知りたいと思ったわけじゃなくて、ちゃんと私の中には、モモさんのことをただ純粋に知りたいと思っているからという理由がはっきり存在している。この強張った空気も、理解されないかもしれないという不安も、たじたじになってまで震える声で絞り出した。

 そうすればモモさんは、驚いた顔を一つ浮かべて「そっか……」と小さく呟いた。








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