幸福な降伏(18)





 了さんがモモさんを家に呼んでいるから遊びにおいでと言ってきたのは、了さんにモモさんと揉めたことを話してすぐのことだった。バイトが終わった21時、一件のラビチャに目を通すと一瞬躊躇いながらも謝るのなら今日しかないのだと自分に言い聞かせて了さんとモモさんがいる了さんのマンションへと足を運んだ。

「あ゛ーー、了さん、これ何度なの? めちゃくちゃ酔いが回ってくる」
「45度くらいじゃない? ストレートで飲むだなんて、流石、モモだね! そのまま意識を保ち続けられていたら、僕は感激のあまり、モモが大失敗させちゃった人気番組のオファーを尻拭いしてあげたいくらいだ!」

 モモさんに何て謝ろうと直前まで気を引き締めていたというのに、了さんの部屋のドアをくぐった瞬間に見たものといえば、泥酔して机に伏しながらダイニングで向かい合わせに座った了さんに煽られているモモさんの姿だった。完全に、謝るタイミングを失っている状態で通された場面に私はすぐにでも帰りたくなってしまった。だって、こんな状態で謝って許されたってモモさんがその場のノリで接してくれているか翌日には覚えていないかのどちらかの状態であることはわかりきったことだったから。だけれど、了さんが言っていた泥酔したモモさんをゲストにというのはこのことかと、さすが有言実行してくれるとも思ってしまった。

「ほら、モモ。 なまえが遊びに来てくれたよ」
「あー、なまえちゃん、いらっしゃい……あれ、2人いる? 友達も連れてきたの?」
「あはは、モモ、大丈夫? ここで吐きでもしたら、家から放り出すよ」
「やだなぁ、了さん。 吐くならトイレで吐くから大丈夫、何年こんな状況掻い潜ってきたと思ってんの」
「……あの、私、帰っていいですか? 出直してきます」
「駄目だよなまえ、モモに謝りたいって言ったのは君じゃないか」
「そうですけど、こんな状態のモモさんに謝ったって……」
「大丈夫だよ。 ちゃんと意識はあるし、受け答えもできるから」

 そういう問題じゃないと思うんだけれど……と口にしそうになったけれどぐっと抑えた。

 そのまま部屋に足を踏み込んで2人の傍に寄れば、椅子に座った了さんが隣の席を空けてくれたので私はそこに腰を掛ける。真正面からモモさんを見るのは、久しぶりのような気がした。

 東京に来てから、夜の繁華街を歩いていると泥酔して千鳥足で歩くおじさんを見てきたことはあったけど、こんなふうに目の前で酔い潰れている人は初めて見た。そのくらいモモさんは顔を真っ赤にしていて、いつ吐かれてもおかしくない状況だった。アルコールのことはわからないけれど、相当強いお酒を飲んでいたのか声も潰れているような気がする。

「……モモさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫! なまえちゃん、こないだはごめんね、オレ、なんもわかんなくて余計なこと口走っちゃって」
「そんなことないです。 私の方こそごめんなさい、モモさんの家族の話、私何も知らなかったから、私も勝手なこと言いました」

 モモさんはそんなガラガラ声で、私が謝るよりも先に謝罪の言葉を告げた。先に謝らなきゃと思ったのだけれど、タイミングを逃しまったのならどうしようもない。モモさんの言葉に私も謝罪の言葉で返した。

 この数日の間、モモさんに嫌われてしまったのではないかと思っていたけれど、上機嫌なモモさんはこの間のことは何とも思ってなさ気で、私は安心した反面、やっぱりちゃんとした状態のモモさんに謝れば良かったと思った。

「なまえ、何か食べる? まぁ、モモがほとんど食べちゃったから、残りものしかないんだけどね」
「残りものでいいです。 あまりお腹空いてないので」

 バイト前に小腹満たしでコンビニのパンを買って食べていたし、バイトの最中で新しいメニューの試食を食べさせてもらっていたからそんなにお腹は空いていない。

 前にバイキングで一緒にご飯を食べた時、モモさんがかなりの量を食べているのを見ていたから、よく食べる人なんだということはわかっていたけど、案の定、大量にあったのだろう大きなお皿に置かれてた肉は1/3程度しか残されていなかった。
 了さんが差し出してくれた取り皿を手に持って、残っているお肉を突く。これ、なんだろうと箸で摘まんで首を傾げてみせたら、了さんは丁寧に腹身であると教えてくれた。

「やばい、眠くなってきた……」
「飲んだり、酔ったり、眠くなったり、忙しいねぇ、モモは。 さっきの話の続きがまだだよ」
「冷やかしはごめんだね。 なまえちゃん来たんだから、もっと違う話しようよ」
「じゃあ、この話はなかったことにしよっか」
「オレが意識保ち続けてたら尻拭いしてくれるんでしょ、ちゃんと覚えてるよ。 了さん、オレのために一肌脱いでよ」
「考えておくよ。 でも、ざっと、あと30分でモモは寝るだろうけどね」

 何の話をしているのかわからないのだけれど、モモさんの様子を見る限りだと、モモさんは了さんに何かお願いをしていたのだろうか。話についていけない私は黙ってお肉を口に運んでいた。バイト先のレストランはそれなりに高いものを振舞っているからお肉だって美味しいものが出されるのだけれど、了さんの家で出されるお肉はそれ以上に美味しい。
 過去の私には想像もできなかった、こんなものを食べられるようになるだなんて。

「なまえちゃん、美味しい?」
「えっ、は、はい……とっても」

 ただ単に、黙々とお肉を頬張る私を見て言ったのだと思うけど、心の中を読み取られていたのかと思えるほどタイミングよくモモさんがにこにこ笑って問い掛けてきた。

「……モモさんって、こういうお肉食べ慣れているんですか?」
「こんなの了さんと一緒にいる時だけに決まってんじゃん! ね、了さん。 オレにこんなの食べさせてくれてめちゃくちゃ感謝してるよ」
「そうだね、モモ。 貧相な時代から面倒見てあげてるんだから、当たり前だよ」
「了さんとモモさんって、どれくらいの付き合いなんですか?」
「2年くらいかな」

 なんとなくずっと気になっていたことを聞いてみた、了さんとモモさんは2年くらいの付き合いらしい。てっきりもっと長い付き合いなのかなとも思っていたけれど、モモさんが芸能界に入ってきた時期から知り合ったそうだ。私からしてみたら2年なんて学校生活をしていればあっという間に過ぎていく年月だから短い付き合いに取れてしまったけど、社会人という大人であること、芸能人という業界からしてみればそこそこ長い付き合いなのかもしれない。

 へぇ、そうなんですか……と、ただ気になったから訊いただけで先のことを考えていなかった私はそれだけの言葉しか出てこない。勝手に一人、この先の空気を気にしていた私は冷水の入ったグラスに手を伸ばして口付けた。

「2年って、ほんと、あっという間だよ」
「おっと、モモ。 グラスを倒すのもアウトだよ」

 モモさんはテーブルに項垂れながら、なかなか慣れないガラガラの声で言葉を絞り出すように口にした。思いっきり肘がグラスに当たって落としそうになっていたから慌ててグラスを引き寄せてしまったけれど、それを見逃さなかった了さんはちょっと驚きを交えた声で笑っていた。

 本当に、今日のモモさんは大丈夫なのだろうか。モモさんがお酒を飲んでいるところは初めて見たけれど、こんなふうに酔い潰れてしまっては、私が平然と夕食をとることは気が気じゃない。お水を……と思って席を立とうとすると、泣いているのか、いつになく細い声でモモさんは呟いた。

「……オレは、5年で期限切れなんだ。 もう2年経つから、あと3年しかない」

 えっ?と、席を立とうとしていた私はモモさんの言葉に引き寄せられるまま席から離れられなかった。モモさん、本当に泣いてるの……?と思ったのも束の間、私が行動を起こすよりも先にモモさんは呟く。

「了さんも、なまえちゃんも、3年後のことなんて考えたことないでしょ。 オレはそっから先がないから、そっから先はどうしようかなぁって考えてるんだ」
「モモ?」「モモさん?」

 珍しく了さんと声が被った。急にどうしちゃったんだろう?と思ったのは私だけでなく了さんも同じらしい。突然の出来事に私は身動きを取ることすらできずにいて、慰める術を知らない私はただじっとモモさんの姿を見つめているしかできなかった。

「ユキさんとは5年間だけ一緒にやってくって約束したんだ。オレは5年で期限切れだから、残されたあと3年の間に、めちゃくちゃ有名になって、ユキさんをテレビに出して日本中の誰もが知る有名人にしてやりたいって思ってんのに……」

 ぐすりと鼻を啜る音が聞こえた、やっぱりモモさんは泣いているみたいだ。一緒に活動している相方のユキさんという人との5年間の契約期間、それでいて今のモモさんには家族がいないという話が過って、私はモモさんを可哀想だと思った。私以上にしんどい思いを抱えながら毎日を生きているということに、私は同情を寄せてもらい泣きしてしまいそうになった。

「−−じゃあ、モモ」

 そんな中で話を切り出したのは了さんだった。初めて出会ってからの1ヶ月の間、私のことを親身に面倒を見てくれていたあの時の了さんと同じように、優しく穏やかに了さんは告げた。

「僕が、モモを助けてあげるよ。テレビに映れるように手助けしてあげる。 だから3年後、モモが相方のユキさんとの5年間の契約が切れたら、僕と一緒に何かしようよ」
「オレは、ユキさんと自分の力で有名になりたいって思ってたんだけどなぁ……猫の力も借りたいってこういうことなんだね。 あー、了さん、オレと何してくれんの。 悪いけどオレ、犯罪に手を染めるようなことはやんないよ」
「起業でもする? 新しいアイドルグループでも始める? 僕は歌も上手いよ、らららー。 オプションでなまえもグループに入れてあげよう」
「え? 私、歌も踊りもできないですよ」
「んじゃあ、起業にしよ。 営業ならオレ、得意だよ」
「あはは、決まりだね」
「いいよ。 3年後の先が、見えてきた……」

 テーブルに伏したまま夢心地で「いいよ」と返したモモさんはどこか楽しげだったけれど、それよりも了さんの方がうんと楽しそうにしていた。そのままモモさんは意識を失くしたのか、すぐにすやすやと寝息の音を立て始める。

 そんな姿のモモさんを見つめながら、私は、モモさんのことをもっと知りたいと思ってしまった。








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