幸福な降伏(16)





「やぁ、なまえ! いらっしゃい。 ……あれ? 顔が暗いねぇ、どうしたの? 」

 この数日、溜息ばかり零れるようになってしまった。モモさんに八つ当たりをしたのを機にモモさんと会うことも連絡を取ることもできずにずっと気分が落ち込んでいたけれど、それは顔にも出ているのか了さんの家に行ったらまずそれに触れられてしまった。ヘラヘラ嫌味ばかりぶつけてきたりするくせにそういうところはきちんと見てくれている了さんに、目の前でわかりやすい溜息を吐いてしまったのだった。

「熱はもう下がったの? 風邪を移されたら困るよ」
「もう下がりました。風邪も治ってます」

 モモさんに八つ当たりしたあの日、どうやら私は熱が出ていたらしい。帰ってから熱を計ると39度を超えていて、あの気分の沈みもモモさんに無性に腹を立ててしまったのもそれのせいだったのだろう。熱があることを知ってすぐに了さんに連絡したのだけれど「仕事が忙しいから看病してあげられないんだ」と言われてしまって、他に頼れる人もいないので自力で治した。病院に行くのはなんだか躊躇いがあったから行かなかったし、飲食の調達も自力だったので本気で死ぬんじゃないかと思えるほど、しんどい数日を送っていた。

 きっと、頼れる相手ならモモさんがいたのだけれど連絡する気も起きずに頼らずにいて、熱が下がった日の朝に私はモモさんに対する行為に後悔していた。正直に「あの時はすみませんでした」とメールの1文でもいいから送ればよかったのに、結局日が空いたことと、当たり前だけどモモさんから連絡が来なかったので嫌われてしまったのではないかと思うと謝罪の一つすらできずにいた。

 だからモモさんとは揉めた感じのことがあったきり連絡を取れずにいて、それでいて嫌われたのではと思うと気分が沈んでいった、だから私は顔が暗くなるほど元気がないのである。

「あの、了さん」
「なんだい?」
「モモさんから私のこと何か言われたりしました?」
「モモから? さぁ、覚えがないな」

 モモさんに謝りたいのだけれど自分から行くことができない、そんな小心者の私にとって頼みの綱になるのは了さんしかいない。恐る恐る了さんに訊いてみたけれど、覚えがないということはモモさんからは何も言われていないということで、それはそれで安心したし、ちょっとだけヘコんだ。モモさんから何かしらアクションがあればどうにかなったのかもしれないのに……と、悪いのは私だというのに自分を棚に上げた考えがふっと頭に浮かぶと首を横に振った。

「実は私、モモさんとちょっと揉めちゃって……」
「わぁ! それは面白そうな話だ! どんなふうに揉めちゃったの?」
「……。 いえ、やっぱりなんでもないです」
「ええ!? どうして? 話してみてよーー、なまえ。 どうせ、自分から仲直りができないから、僕に何とかしてって言いたいんだろう?」

 そこまでわかってくれているなら、どうして面白い話だと言うのだ。モモさんが言っていた了さんは他人の不幸話が好きという言葉を全くもってその通りだと、また了さんの前で溜息を吐いてしまった。
 モモさんと揉めたことを本当に面白おかしく感じているのか最初はやけにテンションの高い口調で話していたというのに、私の核心を突く面ではわざとらしく語尾を低くする。了さんは私の心をお見通しだと言わんばかりに鼻歌を交えながら、最近了さんがよく好んでいるアルコールをグラスに注いでいた。

「なまえも飲む? ポティーンって言うんだ、覚えておくといいよ」
「あの、私、未成年なんですけれど……それにお酒は、一生飲まないと思います」
「あっはは、そう。 これ、密造酒なんだ。この間、仕事の取引で知り合ったマフィアに貰っちゃってね。 これがすこぶる美味しいから、なまえにも飲ませたいなって思ったんだけど」

 ポティーンという聞きなれない単語に加え、密造酒?マフィア?という聞き捨てならない言葉に若干の恐怖を感じながら、やたら透明な液体がグラスに注がれる様を眺めていた。

「……了さんって、何の仕事をしているんですか?」
「僕? ただの、貿易会社だよ」
「貿易って、どういうのですか?」
「なぁに、なまえ? 僕に興味が湧いてきたの? モモの話をしたいんじゃないの?」

 結局のところ、そういう話に落ちる。了さんは意地でもこの話を聞きたいらしい。どこか窮屈に感じてしまって諦めて帰ろうと思ったけれど、私だって結局頼る相手が了さんしかいないから一度掘った穴からは抜け出すことができない。

「なまえ、教えてよ。どうしてモモと揉めちゃったの?」
「……家に帰った方がいいんじゃないかとか、家族が心配しているんじゃないかって言われて、それでカッとなって、モモさんは幸せな家庭で育ってきた人だから私の気持ちなんてわかるはずないとか言っちゃって……」

 先日のモモさんとのやり取りを思い返すと、胃に穴が空きそうだった。なんであんなことを口走ってしまったんだろう、あの時早いうちに体調の悪さに気付けてさえいたらこんなことにならなかったのにと、それを頭の片隅に浮かべてしまうと口にした言葉は語尾がどんどん小さくなっていってしまう。

 話すのを止めたいと、そう考えてしまった時だった。沈んでいく気分と小さくなっていく声と一緒に俯いてしまった顔をそっと上げたら、了さんはあははと一つ笑って手にしていたグラスをテーブルに置いて口を開いた。

「モモは、お人好しな子だからねぇ。 自分のことを、いつでも棚に上げちゃうんだ」
「棚に上げる……?」
「そうだよ。 モモ、今は家族と絶縁状態なんだって。 モモは僕と初めて会った時から、ずっと犬みたいに付き纏ってきてね。 なんとなく、しつこい子だなぁって思いながら、人体実験を行うような興味本位で大量の酒を飲ませてみたんだけど、そしたらモモ、泥酔しながらボロボロ吐き出してくれていたよ」
「絶縁状態……?」

 了さんが何を言っているのか理解できなかった。正確には私がよく知っているはずの絶縁という言葉の意味が、あまりの衝撃で頭から抜け落ちて理解することができなかった。

「だから、今のモモに家族はいないよ。 いるのは、ずっと働きもせずに、モモの稼いできた金で生活をしながら、誰にも見てもらえない音楽を作っている、死神みたいな相方だけかな」

 了さんの言葉の何が本当なのか何が嘘なのかがわからない。強いて言うならばモモさんは、優しい人だということしかわからなかった。だってモモさんは、自分には普通に家族がいて好きなことをやらせてもらっていたと言っていた、相方のことはほとんど知らないけれど相方のために必死にアイドルをしているのだと言っていた。本当は家族がいないということも、相方が(言い方が悪いけれど)ヒモ状態でモモさんに縋って生きているということも考えもできない話なのに、優しいモモさんのことを考えてしまえば私に悟られないために嘘を重ねていたのだろうか−−と思ってしまうと、了さんの言葉が嘘だとはとても思えなかった。

「いいよ、なまえ。 今度、モモを招待してまた一緒に食事でもしよう。 勇気のない君のことだ、僕からのサービスで、酔っ払ったモモを先にゲストとして招いておいてあげるよ」

 了さんは口元に孤を描いて笑っていた。そこに同情や悪意や好意が混じっているかなど、了さんの本心すらまだまともにわかっていない私は知る由もない。

 −−なんで、モモさん。どうして私にあんなことを言ったの。

 大きな衝撃を受ける中で、少しだけ余裕のある頭の中ではそればかりが浮かんでいた。モモさんに早く会いたいと、誰かに会うことを必死で求めたのは、お父さんがいなくなってしまったあの時以来だった。








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