幸福な降伏(15)





 −−なまえを怒らせてしまった。

 「モモはお人好しな部分があって、自己を抑えきれず食い入るところがあるよね」と過去に2回も言われたんだってことをなまえの手伝いをしていた日に、それもなまえの目の前で思い出したはずなのに、結局自己を抑えきれなくてオレの考えをなまえにぶつけてしまったら、なまえは怒ってしまった。

 「もう帰ります」と言われて慌てて引き止めたけれど、オレの引き止めも虚しくなまえは帰ってしまって、了さんの部屋に残されたオレはやってしまったと自責の念にかられた。完全に地雷を踏んでしまって嫌われたかもしれないという気持ちで最初は落ち込んでいた、だけど時間が経つとあんな夜遅い時間に女の子を一人で帰らせてしまったということにも、しかも外に出て初めて雨が降っていることに気付いて、底の知れない後悔を抱いてしまった。

 今まで誰かに嫌われるという経験はなかったわけではないのだけれど、仲良くなりかけの信頼を少しでも抱いてもらえてた子に嫌われてしまったかもしれないという不安は大きかった。前にユキが音楽を辞めようとしていたのを引き留めた時、耳が痛くなることを言われたけど、あの時のオレはいろんな覚悟があったからどうってことなかったんだけど、今回はそれとは違った。だから落ち込んでしまった、それも仕事に支障をきたすくらい。

「百くん。今日は調子が悪いようでしたけれど、体調でも悪いですか?」
「モモ、何かあったのか?」
「おかりん、ユキ……。 今日、ミスばっかで、本当、ごめんなさい!」

 嫌なことっていうのは、良いきっかけがある時に巻き起こってしまうものだと何度か経験した。高校の頃、プロサッカー選手のオファーが話に上がった時に期待されていた全国大会の手前で怪我をして、大会に出ることができなくてその話が無くなってしまったこと。バンさんとユキさんのRe:valeがデビューを控えて喜んでいた時に、不慮の事故が巻き起こってバンさんがいなくなってしまったこと。それで今回は、毎年恒例の大人気歌番組、年末年始カウントダウン番組への参加出場権という大きな話がやっと持ち上がっていたっていうのに、レコード会社の顔ぶれが見ている前で振りもダンスも歌も失敗したこと。
 こういう、良い話があった矢先に何かが起こって駄目になることはもうしたくないと思っていたはずなのに、結局こうなるのかと、それでまた落ち込んでしまった。

「体調は万全! 良好! 大丈夫、次はちゃんとやるから!」
「モモ。 僕の質問の答えは?」
「そんな怖い顔しないでよ、ユキ! なんにもないから!」
「嘘だ」
「嘘ですね」

 二人して、お見通しだって言いたそうな視線でオレを見ていた。

「モモは最近、僕によく嘘をついてる」
「ユキに嘘なんて吐くわけないでしょ!?」
「じゃあ、隠し事をしてる」
「隠し事は、なんもしてないよ」
「人間は嘘をつくと視線を逸らすんだって、この間おかりんが言ってた。 モモ、僕の目を見て同じことをもう一度言ってみてよ」
「ユ、ユキの目を見て話すなんて、モモちゃん恥ずかし……って、ちょっと!」
「−−モモ」

 ユキにがしっと顔を掴まれて無理矢理視線を合わされた。ユキの格好良くて綺麗な顔がオレの目の前にあって、こんな間近で見ることはほとんどないから、たとえ嘘を吐いていなくてもいつまでもユキに憧れを抱いているオレには到底直視できない。心臓が口から飛び出てしまいそうだ。
 思わず、おかりんに助けを求めるためにそっちに視線を向けるけれど、どうやらおかりんはユキの味方をしているようで、ユキみたいに真剣な眼差しでオレのことを見ていた。

「じ、実は……」

 そうなると、オレは自白することしかできない。



 なまえの存在は誰にも話したことはなかった。

 たとえば同じ現場で仕事をした共演者とかなら「この間一緒に仕事した××ってバンドの◯◯さんと遊びに行ってさー」と気軽に話が挙げられるけど、なまえはそう簡単にはいかない。家出をしてきた17歳の女の子っていうのがまずパワーワードだった。一体どこから話せばいいのか一瞬悩んでしまったけれど、とりあえず単刀直入なことを口にした。

「実は、女の子怒らせちゃって……」
「女? モモ、彼女いたんだ」
「彼女!? 違う! ただの友達みたいな感じなんだけど!」

 一体どういうことで怒らせたのかをまず問われるかと思いきや、ユキはそこまで顔に出していたわけではないけれど意外そうな顔をしてくれていた。だけれど、次に怒らせた理由を話すことはいろいろあったことを話さなければいけないから、ユキが「どこで知り合った子なの」と怒らせた理由よりもオレに興味を抱いてくれたことでなんとかそんな面倒臭さを切り抜けた。この話の流れでは必然的になまえのことについて淡々と話していくことができるから有り難かった。

「ええっと、了さんとこで知り合って……」
「モモ。 その女の子って、普通の子?」
「え? めっちゃ普通の子だよ!」
「大丈夫なの?」
「大丈夫だよ! いい子だし! なんで?」
「ツクモって、テレビ局で何回か見た奴だろ。見た目からしてヤバそうな奴だったけど、そんな奴の連れがまともな奴だとは、僕は思えない」
「ユキ、辛辣すぎない!? 了さんいい人だし、その子もいい子だよ!」

 ユキは隠し事をしていたオレに怒ってるのか、はたまたただ単に了さんのことを好きじゃないのかわかんないけどその言い方はバッサリとしたものだった。一応、デビューして間もなかった去年の夏にユキが星影に引き抜かれそうになったのを助けてくれたのは了さんなんだけどなぁと思っていたけれど、あまり機嫌がよろしくなさそうなユキにそんなことは言えなかった。

「その子、いくつ?」
「17って言ってた」
「17歳ですか!?」

 はぁっと溜息を吐いたユキはなまえに興味を示しているのかそういうことを訊いてきたけれど、オレが年を口にすれば傍で黙って聞いていたおかりんが反応した。けれどまぁ、おかりんは常識のある人だから(ユキもある人ではあるけれど、ちょっとズレてる)そういう反応が来ることは察せたとまではいかないけれど、そうなるよなとは思った。
 その流れで「家出をしてきたらしくて」と口にすると、おかりんは物珍しそうに目を見開いて、眼鏡を持ち上げながら「そういうことをする子って本当にいるんですね」と口にする。

「……その子、本当に家出してきたのか?」
「え?? うん、そうだと思うよ。 家族が嫌だったんじゃないかな……オレ、それで怒らせちゃって」
「なんて?」
「家に帰ったほうがいいんじゃないとか、家族は心配してるんじゃないとか……」

 昨日のなまえとのやり取りを思い返すと胃に穴が空きそうだった。口にした言葉は語尾がどんどん小さくなっていって、あんなこと口にしなければなまえは怒ることなく仲良くできていたのかもしれないとまた後悔の念にかられる。

 もごもごと口を動かして次に何を話そうか考えた。だってユキは、オレの言葉に怪訝そうな顔をしているだけで反応する言葉を見せないでいたから、オレが何かの会話を繋ぐことしかできなかった。そこで、なまえのことは了さんが面倒を見ていて、了さんと仲良くしていたらなまえを紹介されたという経緯まで話した。

「−−その子、誘拐されてきた可能性は?」
「ゆ、誘拐!? なに言ってんの、そんなことあるわけ!」

 ユキはよく斜め上の反応をする時があるんだけど、それがやってきた。誘拐なんてこと考えたことなかったから思わず大きな声をあげてしまった。

「モモ、よく考えてみろ。 金持ちが、自立もできていない未成年を養っていくなんて普通するか?」
「いやっ、それは」
「それとも、元々ツクモの知り合いだったのか?」
「こっちにきて知り合ったって言ってたけど……」

 ほら、やっぱりおかしい話だとユキはわかりやすく溜息を吐いた。オレが話したいのはそういうことじゃないんだけれど、実際了さんが知り合って間も無い家出少女の面倒を貢いでまで世話をしているというのはおかしな話で、それはオレだってずっと疑問だった。

(誘拐、されてきたのか? 了さんならやりかねないよなぁ。 でも、なまえは了さんのことすごく信用してるみたいだし……)

 なまえには了さんへの信頼がある。どこかに閉じ込められてるわけでなく普通に外を出歩いたりバイトだってしている。だから誘拐されたって話はほぼありえないからオレはきっぱりと「やっぱり誘拐って線はありえないかな」と口にした。

 だからこの話はこれで終わりにして、怒らせたなまえへの対処はどうしたらいいか、オレは二人にそのことを尋ねたかったんだけど、傍で黙って話を聞いていたおかりんが眼鏡をあげて良からぬことを口にした。

「お二人とも。 ストックホルム症候群って、ご存知ですか?」
「なに、それ」

 オレの中で誘拐なんて可能性は無いに等しいと思っていたから、この話を終わりにしようと思ったのに。ユキが物珍しそうに声を上げた。
 おかりん、オレは平和な世界で生きていたいよ……。








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