幸福な降伏(13)





『やぁ、なまえ。 元気にしてる? モモが今日、僕の家に忘れ物を取りにくるんだって。 相手してあげてよ』

 バイトが終わった21時、スマホを見たら了さんからラビチャが入っていた。今日は普通に家に帰ろうとしていたけど、明日は休みで帰っても何もすることがないのでモモさんが来るなら了さんのマンションへ寄ろうと思った。了さんは今朝からまたどこかに行ってしまったらしく、今日は帰ることができないらしいということは、わざわざ私を了さんの部屋に呼び寄せていることから薄っすら察した。

『わかりました』

 と、返事を返したら無意識に手の甲で額を触っていた。気のせいだろうか、身体の調子が悪いような気がする。バイト先で空いたお皿を片付けている時に指先が密かに痙攣しているような気がしたのが最初、徐々に身体の怠さを感じてしまってバイト中は上の空というか、頭がぼんやりとしていてバイトを上がるまでの間の記憶があんまり残っていなかった。



 新しいマンションに引っ越して、寂しいと思って了さんの部屋に行くことは何度かあったけれど、それ抜きで週に3回くらいのペースで了さんの部屋の掃除をする生活はアパート暮らしの時と変わっていなかった。了さんは頻繁に家を空ける人だけど、その間自由に出入りしていいと言われて合鍵を受け取っていたから、勝手に上がりこんで部屋に入って掃除をする。ちょっとでも埃が溜まってると了さんは家具に指を這わせて「埃があるね?」とお姑さんみたいなことをするから一応念入りに、友達はいないしやることもないので休日やバイトが終わった後に家に帰りたくないと思った時、時間潰しのように了さんの部屋に来ているけれど、本当は了さんの留守中に部屋に入ることは少し躊躇いがあった。
 もし、誰かが先に了さんの家に上がりこんでいて、誰かと出会してしまったらどうしようというそんな不安だ。

「−−東北では初雪が観測されました。例年よりやや遅い初雪の観測ですが−−」

 掃除を一通り終えて休憩がてらソファに座ってテレビを点けると、そんなニュースが流れていた。12月に入ろうとしていた11月下旬、北の地域では雪が降り始めたらしい。去年の私は今の時期にどういうふうに過ごしていたんだっけ、そんなことを考えながらよく見慣れたテレビの画面をぼんやりと眺めていた。

 ピンポーン、とチャイムが鳴ったのは気分が沈みかけたその頃で、その音に思わず肩をビクッとさせるほど驚いてしまった。エントランスで誰かが了さんの部屋を呼んだらしい、了さんではないことは明確だったのでじゃあ誰が来たんだ?と恐る恐るテレビドアホンを覗いてみると、そこにはモモさんの姿が映り込んでいた。
 なんでモモさんが来たんだろう?と思ったのも束の間、この部屋の声を聞かないまま自動ドアを潜り抜けるところを見て、そういえば今日はモモさんが来るから了さんの部屋に来たのだということを思い出した。そのことを忘れてしまうくらいに、私は疲れているらしい。

「了さーん、こんばんはー!」
「えっ、モモさん!?」
「んえ!? なまえちゃん!? なんでいんの!?」

 モモさんは了さんがいると思い込んでいたのか、部屋にいた私の姿を見て驚いていたようだけど、私は部屋のインターホンが再度鳴らされた時に行こうと思っていたから、鍵を閉めたままのはずなのにモモさんが上がりこんできたことに驚いてしまった。
 どうやらモモさんも了さんの部屋の合鍵を持っていたらしい、やっぱり二人は親密な関係なようだ。

「了さんは?」
「え? 了さんは、家を空けてます」
「どっか遊びに行っちゃったの?」
「仕事だと思います。私、モモさんが来るから相手してくれって了さんに言われたんですけど」
「了さんいないの!? 了さん不在は聞いてないからめちゃくちゃビックリしたよ」
「私も、モモさんに教えていないっていうのにびっくりしてます」

 お互いに吃驚しながらも、モモさんは忘れ物を取りに来ただけなんだけど、と一つ呟いた。了さんがモモさんの相手をしてくれって言ってたけれど、すぐにおいとまするモモさんにまた驚きそうになってしまった。
 だけどモモさんは、了さんではなく私が1人で居たことに気でも遣ってくれたのかすぐに帰ることもせず、ソファに座っている私の間をとった隣に腰掛けた。

「何見てんの? ニュース?」
「はい。たまたま点けたらやっていたんですけど、東北では雪が降ったらしいです」
「へぇー。 オレ、冬の時期に東北は行ったことないんだよね。いいよね、雪! 羨ましいな」
「雪があると、いろいろ不便だったりしますよ」
「でも、憧れってあるじゃん! スキーとかスノボーとかやったことないからさ。 なまえちゃん、もしかして雪国の出身だったりする?」
「はい。雪は積もらないところでしたけど」
「へぇ、どこ?」
「仙台です」
「杜の都じゃん!」

 モモさんは明るくて活発で話の勢いがすごい人だと再度感じた。きっと、了さんみたいに先のことまで考えて、腹を探るというのか、そうやって話していくうちに答え辛い空気にされる心配もないから話していて安心する。
 ソファの上で胡座をかいて寛ぎながら陽気に喋ってくれるモモさんは、自分のことをよく話してくれた。この間、私のテレビ台の組み立ての手伝いをお願いされる前は仕事で九州に行ったという話や、今年に入ってテレビ関係の仕事が増えるようになったから雪が積もった頃には北海道とかで雪に関係した撮影をするかもしれないと、仕事の話も交えてくれながら。

「私、まだモモさんがテレビに映ってるの見たことないんですよね」
「ちょろちょろっと映ってたりはするよ。夜中にやってる音楽番組とかさ。ミューフェスみたいなでかい番組はまだなんだけど、来年はそこに出演するのが夢なんだ」
「ミューフェス、金曜日のゴールデンタイムの番組ですよね? たまに見てます」
「そそ。 一応デビューしてる身なんだけどさ、事務所が小さいことと、これといった活躍が全然できなくて今年も声がかからなかったんだ」
「そうなんですか……デビューしたら、一気にテレビに出るものだと思ってました」
「オレもそう思ってた! 調べが甘いなーって思いながら毎日必死だよ」

 モモさんがアイドルをしているという話は聞いていたけれど、今はまだ下積み時代というものらしい。てっきりデビューが決まったらどんどんブレイクしていくのが芸能界というものだと思っていたけれど、それは間違った知識らしかった。

「モモさんって、どうしてアイドルになったんですか?」

 歌手とかシンガーソングライターとかバンドとか、そういう分類がたくさんある中で"アイドル"という枠でデビューをしたモモさんのことが、純粋に疑問に思ったので聞いてみた。モモさんはううーんと一つ言葉を濁した後に、今の現状を口にする。

「オレの相方がさ、人を探してるんだよ。その探している相手を見つけるために、一緒にアイドル始めたの」
「すごい、意外な理由ですね」
「でしょ? オレ、歌もダンスもやったことなかったんだけどさ、相方のために必死に勉強して今をやってんの。 格好良くない?」
「格好いいです!」
「にゃはは、ありがと!」

 満面の笑みでお礼をされたら、釣られるように私も笑ってしまった。将来なりたいものを諦めて、大学を辞めて、後先考えずに突発的にアイドルを始めたのだと、笑顔を絶やさずに話していたモモさんを見て、正直に凄い人だなと思った。誰かのために必死に今を突き進んでいるなんてこと、私にはとても考えられない。

「オレさ、なまえちゃんのこと格好良いと思うよ。高校時代のオレからしたら考えらんない。なまえちゃんのこと全然わかってないけどさ、その年で家出してきて、こっちで普通に暮らせてるの、凄いなって思ってる」
「モモさん?」
「だからさ、もっと自分に自信持った方がいいと思うんだよ」

 突然褒められるようなことを言われて自然と背筋が伸びてしまった。モモさんは私のことを全然わかっていないと口にしたけれど、モモさんの言い方は私のことをよくわかっているような言い方だった。自分に自信がないというのは全くもってその通りで、モモさんの言葉にうんと静かに頷くことくらいしかできなかったけれど、その言葉に後押しされてしまったような気がする。
 素直に嬉しいと思った、私のことをわかってくれている人がここにいるということは。

「なまえちゃん、家に帰りたいって思ったこと、ないの?」
「ないです」

 だけれどそれは一瞬思ったことで、突然モモさんに問われたその言葉に暗い気持ちにされてしまった。でも、それだけははっきり言えた答えだったから即答した。

 家出をしてきたという話は、どこでもバイトをしていく上で、未成年だから親のサインが必要になる承諾書を親ではない別の人に頼んでもいいかと質問するたびに決まって理由を訊かれてしまうから答えなければならない話だった。家出のことに対して問題児扱いされてバイトを落とされることはいくつかあって、その時に親不孝ものだとかいろいろ言われてしまったことが私がどんどん自信を無くしていく原因でもあった。

 私が家出してきたということ問題を抱えていても、それを受け入れてくれたのは初めて働いたコンビニと今働いているレストランだけだった。
 コンビニは郊外の落ち着いている場所にあって、オーナーと奥さん含め年頃や成人した子供がいる人たちばかりだったからいつも私に親身になってくれていて、ストーカーの一件があって辞めることを伝えると泣いてもらえるくらいにはとてもいい人たちだった。
 今働いているところは、店長はそういうことは気にしないタイプのような人だけれど、東京23区内の駅にほど近い場所にあるから年配のパートさん達は、誰かの噂話を聞いて話題にする人たちが多いところだった。私のことは、いつだって話題になっている。興味本位で「どうして家出してきたの?」「お家に帰りたいとは思わないの?」と訊いてくるくらい、あんまり居心地は良くなかった。
 まぁこれは、家出をしてきた私に原因があるのだから耐えなければならないのだけれど、そういうことを言われることは好きじゃなかった。

「−−でも、なまえちゃんがいなくなったこと、家族は心配してるんじゃない?」

 モモさんはきっと、私のことを想ってそういうことを言ってくれたのだと思う。どちらかといえばモモさんは以前働いていたコンビニの人逹のように優しくしてくれて、親身になってくれる方だった。だけれど、そういうことを言われてしまっては、モモさんも今働いているレストランの人逹と同じような人なのかもしれないと思い始めてしまった。

 なんでモモさんに対してこんなことを思わなきゃいけないんだろう、と信頼を寄せていただけあって、言われたくなかったことを言われてしまって悲しくなってしまった。どうして今日の私はこんなに気分が沈んでいるの。

「モモさんは、とても幸せな家庭で育ってきたんですね」

 そういうことを頭の隅っこで考えていて、気付いたら私はモモさんに八つ当たりしていた。モモさんの困った顔は、初めて見た。








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