背中あわせの恋





 生まれて初めて、女の子を自分のせいで泣かせた。ファンみたいに感動して泣いてくれたとかそういうのじゃない、俺がイラついてて「あっち行けよ」と怒ったら泣かれた。だけど泣かせたとき、俺はあいつに対してすげぇ苛立ってて、泣かせたことに対しても泣いているあいつを見たときだってどうも思わなかった。

 泣かせた相手はなまえという俺の斜め前の席に座っているクラスの女子で、俺が仕事で授業に出られないときには決まっていつもノートを見せてくれていた。昨日はここまでやったよ、次のテスト範囲はここからここまでで、この部分がテストに出るから、とわかりやすく赤いマーカーまで引かれた綺麗に纏まったノートを見せてくれる。
 いおりんだって頭は良いし字も綺麗でわかりやすいっちゃわかりやすいんだけど、細かいところまでメモしているから見せられたノートも何がなんだかわかんなくてちんぷんかんぷんだし、いおりんは基本的な事柄を理解しているという前提で話したりするから、まずそこから理解ができてない俺にとっては、いちいち言うことが難しくて逆にわからなかった。という話をするとなまえは自分のノートを見せてくれるようになって、いおりんとは違って必要な部分だけしかメモしてないし、全体的に単純でわかりやすい。勉強は好きじゃないけど、なまえに教えられたことを覚えておけば赤点は取らないでいられるから、俺はなまえにノートを見せてもらうようになった。

 なまえを泣かせてしまったのは、クラスにŹOOĻの亥清悠が転校してきた頃だった。いすみんも俺と同じでアイドルをやっているから授業に出られない時があって、デビューしてから一気に有名になったやつだから俺よりも学校に出て来られないでいた。
 なんでそうなったのかわかんないけど、なまえはいすみんにまでノートを見せるようになった。毎朝いすみんところに挨拶をしにいったり、まだ学校のことをよくわかっていないいすみんにあれはどこにあってこれはどこにあってと丁寧に教えていた。いすみんといえば、クラスに来た当初から友達はいらないと言い張っていて、最初はなまえのことだって「あいつ、面倒臭い……」と言っていたのに、そんな日が毎日続いているといすみんはなまえとよく話すようになっていることに気付いて、そのうちいすみんの方からなまえに挨拶しに行ったり、わかんないことを聞きに行くようになってて、それが嫌だと思った。わかんないことがあるなら同じ男子かいおりんに聞けよ。なんであいつに聞きに行くの。と、俺の斜め前に座っているなまえの脇をちょろちょろ動き回るいすみんが視界に入ると、机に伏せてふて寝するくらいには見ていられなかった。

 そのうちなまえは、俺にしかしていなかったノートを見せるっていうことに付け足して、たまに「これ、この間駅前で買ったの」と期間限定のいちご味の王様プリンをくれたりしていたのに、それすらもいすみんにするようになった。

 はぁ?なんなんだよ、あいつ。 と思ったのは、いすみんに対してじゃなくなまえに対してで、そのうちなまえのことがどんどん嫌いになって、傍に寄られるのが鬱陶しくなった。だからなまえが廊下で俺のことを呼び止めたとき、我慢ができなくて怒鳴ってしまった。

「しつけーんだよ! 迷惑なんだよ、あっち行けよ!」

 そうやって怒鳴ったら、なまえは息をすっと吸い込んで、みるみる目が赤らんでいった。そういう顔すら見ているのがムカついて、鼻をすすって泣き出したなまえに背中を向けて教室に戻った。



「いおりん。ノート見して」
「どうしたんですか。いつもみょうじさんに見せてもらっていたでしょう」
「あいつにはもう頼んねぇ。見して」
「はぁ、喧嘩でもしたんですか?」

 昨日はMEZZO"の仕事で学校に来れなかったけど、いおりんは普通に学校だったから、もうなまえに頼みたくなかった俺は真っ先にいおりんの元に向かった。本当は授業の1個くらいノートがなくても平気だと思ったけど、担当の先生が「昨日の続きからだ」と知らない話をたくさん持ち出してくるから、昨日のことがわからなかった俺はノートを見せてもらうしかない。
 いおりんは俺がなまえにノートを見せてもらってることは知ってたから、その話を切り出されたけど、なまえの話をされることは嫌なことだった。

「あいつ見てると、すげーイライラするんだよ」
「何かあったんですか?」
「なんもないけど。でもあいつ、俺にだけ見せてくれたノートも、王様プリンも、同じこと、全部いすみんにもやるんだよ。意味わかんねー」

 今まで一度も口には出さなかったけど、溜まりに溜まった文句をいおりんにぶち撒けた。そうするといおりんは、ちょっと驚いた顔を一つして「四葉さん、それって……」と眉毛を八の字に曲げて言い出した、だから「何?」と返事をした。

「−−みょうじさんのこと好きだから、嫉妬してるんじゃないですか?」

 それが図星なのか、よくわかんなかったけど、そう言われたとき言葉が出てこなかった、はっとしたと言った方がいいのかもしれない。嫉妬、やきもち、俺はそれを知らないところで感じるようになっていたということ。

 俺は、なまえのことが好きなのかもしれない−−そう自覚したのは、いすみんのことと、いおりんの言葉があったからだ。好きな子を泣かせるのはいけないことだと、孤児院暮らしのときに世話をしてくれた先生や院長先生が言ってたから、だったら俺は、最低な男じゃんと思った。
 悪いことをして怒られた子供や犬ってこんな気持ちなのか、と思ってしまうくらいその真実と行いにみるみる背中が丸くなっていってしまうのが自分でもわかった。

「……いおりん、俺、どうしたらいい?」
「わ、私に聞かれても恋愛相談とかそういうのは……。二階堂さんに相談してみてはどうでしょう、あの人は恋愛経験豊富だと、前に八乙女さんが言っていましたよ」

 いおりんがヤマさんを勧めてきたから、俺はこのことをヤマさんに相談することにした。




 悪いことだってわかってんなら、それだってちゃんと言わなきゃいけないのに、どうしてもなまえを泣かせたことをヤマさんに相談することはできなかった。ヤマさんには好きな子ができたかもしれないということを言ってみたけど、俺が話に行ったときには酔っていたのかあんまりまともな返事は貰えなかったけど、ただ一つ、言えないまま後悔するなよと言われた。

 あれからなまえにノートを見せてもらうこともなくなって、挨拶すらすることもなくなって、高校生活だってあと半年くらいしかない。このままなまえと話せないまま、俺が勝手に嫉妬しちゃって八つ当たりしたことだって謝れないままなまえとさよならするのは考えたくないほど嫌だったし、それがヤマさんの言う一生後悔するぞという意味だとしたなら、言わなきゃいけないことだと思った。

「はいこれ、やるよ」
「なにこれ?」
「バウムクーヘンだって。社長がくれて美味しかったから、なまえにも分けてやるよ」
「これ、銀座の高いやつじゃん! いいの? ありがとう」

 なまえに謝ることと言えたら好きだってことを言おうと思って登校したけど、教室に入ってまず目に入った光景といえば、このタイミングでかよと言いたいくらいなまえといすみんが仲良くお喋りしてる姿と、いすみんがなまえに手渡していた高そうで美味いもんが入っていそうな紙袋だった。

 前にいすみんは「一人暮らしをしていてつまらなくなった時は社長の住んでるマンションで寝泊まりしてる」と言ってて、おっきな事務所の社長に可愛がってもらってんならどうせ美味しいものたくさん食べさせてもらってんだろうな、日の丸弁当に始まりから揚げ弁当、そしてやっと幕の内弁当が食べられるようになった俺にとって、今の生活は楽しいけどいすみんがちょっとだけ羨ましいなと思った。で、今その格の違い的なものを目の前で見せつけられてて、なまえのニコニコニコニコ、笑った顔をいすみんに向けてる姿を思い出して、なんでだよ、とまで思ってしまって、言おうとした言葉を言う元気が抜けて、俺はクラスメイトの挨拶に返事をするだけで大人しく席についてすぐに腕を組んで机にうつ伏せになった。そしたら、すぐに頭の上に人の気配を感じて、顔をあげた。

「四葉環、お前にも分けてやるよ」
「なに、くれんの?」
「お前の事務所は貧乏だって言うから、こんなの食えないだろ。有難いと思えよな」
「あんたは、一言余計すぎ」

 いすみんは意地悪なやつかわかんないけど、なまえ曰く高いバウムクーヘンをくれたからいい奴なんだとは思う。昼休みにいおりんと食べようと思いながら、一言ありがとうを返してその紙袋を受け取って、なんとなく、自然と向いてしまった視線の先でなまえと視線がぶつかったけど、さっと顔を背けられてしまった。
 それがちょっとムッときて、思わず席を立ち上がって斜め前に座っているなまえに声をかけた。

「あのさ。放課後、時間ある? 話したいことあんだけど」
「え!? あるけどあたし、今日日誌当番だから終わったらでいい?」
「いいよ、待ってっから」
「うん、わかった」

 軽く二度頷かれて、なんとか朝のうちになまえと約束することができた。約束できたということより、なまえと話せてよかったとかそういうことにほっとしたし、その日1日はどうしても斜め前に座っているなまえの方に視線が向いてしまうしで授業にあんまり集中できなくて、放課後を迎えることは、ライブの前のプレッシャーを感じるあの時間に似ているような気がした。



 時刻は15時30分。授業が終わってすぐに教室にはいられない気分になったから日誌の準備をするなまえに屋上にいるとだけ伝えてその場所に来た。教室を出るときにいおりんに「帰りましょう」と呼び止められたけど、今日は用事があるからと断るといおりんは驚いていた。だけど「18時から歌番組の収録がありますけど、間に合うんですか?」と言われて今度は俺が驚いた。今日、これからのことに頭がいっぱいで夜に仕事があることがすっかり抜け落ちていたみたいだ。声を掛けといて良かったです、と言われていおりんを先に帰らせて、一足先に屋上に着いた俺は少なくともあと1時間後には学校を出ないとヤバいと思って、ちょっと焦った。俺は、日誌は面倒だからちゃっちゃと終わらせるけど、なまえは真面目にやる奴だからそのくらいの時間が掛かると思ったからだ。

「環くん、ごめんね! 遅くなっちゃった」
「はえーじゃん。もっとかかるんだと思ってた」
「待たせてるって思ったから、急いで終わらせてきたの」

 でもなまえは15分くらいで屋上に来てくれて、急いで来たのか肩を上下に揺らしていた。思ってたより早いことと、急いで来てくれたってことに嬉しいと思った。

「それで、話ってなに?」
「この間のこと、謝んなきゃって思った。泣かせたことと、酷いこと言ったこと。ごめん」
「気にしてないから平気だよ、あたしの方こそごめんね」
「なんでなまえが謝んの?」
「あたしもしつこかったかなって。嫌がってるの気付かなくてごめんね」
「別に嫌がってない。なんか、なまえの顔見てたら無性に腹が立っただけ」
「そ、そっか。でも、気にしないでいいよ。あたしからはもう話しかけたりしないから」
「は? なんで?」
「なんでって、環くんに迷惑かけたくないし」
「だから、なんで? 俺、迷惑だなんて一言も言ってねーじゃん」
「この間、言ってたよ!?」
「だから俺、謝ったじゃん。なんでなまえが怒んの」
「別に怒ってないけど……環くんがこの間言ったこと、あたし気にしなくていいの?」
「……いいよ、もっかい言うから。 この間は、すみませんでした」

 もう一度なまえに対して謝ると、なまえはほっと胸をなで下ろしていた。前に、そーちゃんに「環くんはよく怒ったような口調になるから、話してると急かされた気持ちになる時がある」と言われたことを途中で思い出したから、たぶん、なまえもそういう気持ちになってしまったんだろう。

 俺はあの時、すげぇムカついてたからなまえのことを全然考えてやれていなかったけど、俺が謝るとなまえは「本当に嫌われてたんだって思ってたから、よかった」と言ってて、今さらになって悪かったという気持ちがどんどん押し寄せてくる。傷付けてしまったとか可哀想なことをしたとか、上手く言葉にできないけれどそればかりが思い浮かんで、本当にごめんと頭を下げて謝った。
 もういいよ、大丈夫だよ、そういう声が頭の上から落ちてきて、頭を上げると、意識っていうのは不思議なもので、朝から考えてきたことをどうやったら上手く伝えられるだろうかという気持ちよりも先に言葉が出てきた。

「俺、なまえがいすみんと仲良くやってんの見てて、すげームカついてて、ノート見せたりすんのだって、王様プリンだって、なんで?俺にだけじゃねーの?って思ったし、いっつもいすみんににこにこしてて、最近ずっと、なまえのこと見てると頭にくるんだよ」
「え、そ、そうだったんだ……なんで?」
「なんでって、そりゃ、俺が、なまえのこと、えっと……なまえのこと……」

 なのに、「好きなのに」っていう言葉だけが出てこなかった。断られて、振られるかもしれないとか、そういう不安があったのは確かだけど、そういう恐怖よりもなまえに向けて「好き」を伝えることが恥ずかしくてたまらなかった。好きな女の子に向かって、好きとか、恥ずかしいじゃん。

「なまえのこと、す……す、好き……だから……」

 言ってしまった、と思った。だけど、このまま曖昧なまま終わらせるのは絶対いやだ、そんな気持ちが打ち勝った瞬間だった。生まれて初めて好きになった女子に対して、好きという気持ちを伝えてしまったことがヤマさんの言う後悔になったんじゃないかって思うほど恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がない。
 あんなにムカついて、腹が立って、顔を見ているのだって嫌だったのに、自分の気持ちに気付いた瞬間どうしようもなくなって、恥ずかしくなって、好きを伝えると今度は別の意味でなまえの顔を見ていられなくなって顔を背けた。

 でもやっぱり、様子は気になるから、顔を背けながら視線だけでなまえの顔を見た。

「−−っは!? おい、なに泣いてんだよ!? 俺が好きっつったのそんな嫌だったのかよ!?」

 俺がなまえの顔を見ると、なまえはボロボロと涙を流していて、思わず声を上げてしまった。この間見たような、少しずつ目が赤くなって泣くっていうのとは違う、勢いのある涙の流し方だった。俺の一言がそんなに嫌で、また傷付けてしまったかもしれないと思うと黙っていられなくて、なまえの目の前に立ってブレザーの袖でその顔から流れる涙をゴシゴシと拭き取ってやった。痛いよ、と小さな声が聞こえたけど、これ以上なまえの泣いてる顔を見てられなくて、早く止まれよと思いながら拭うのを続けているとなまえが俺の袖を掴んで制止した。

「痛いってば……」
「だって、泣き止まねぇじゃん、嫌なら嫌だって言えよ」
「嫌じゃないよ、う、嬉しくって。ね、環くん、さっき言ってくれたこと、本当?」
「ホント。こんなこと、嘘も、冗談も、言えるわけないじゃん……って、嫌じゃねぇの?」
「嫌なわけない! あたしも、その、環くんのこと、好きだから」
「……ま、マジで?」
「マジだよ、大マジだよ」

 嫌がられたと思っていたら、なまえも「好きだ」って言ってくれた。嬉しくて泣いてるんだって言いながら自分の袖で涙を拭ってるなまえの顔を見ていたら、急に、口の中がものを食べているみたいに落ち着かなくなった。身体に触られているわけでもないのに身体中がこそばゆく感じて、思わず首の後ろを掻いた。

 「好き」を伝えたら「好き」が返ってきた、これがいわゆる"両想い"というやつで、これは好きなヤツが目の前にいて、そいつの顔を見ていたいのに姿すらまともに見れなくなるほど恥ずかしいものだっていうことを知ってしまった。

「亥清くんは転校生だし、環くんみたいに仕事で授業に出られないっていうから善意で貸してあげてたんだけど、環くんがわたしのノート見やすいって言ってくれたから、あたし浮かれてたんだ。王様プリンは、環くんに喜んでもらおうと思って渡してたけど、あんまりしつこいと好きなのわかっちゃうかなって思って、最近仲良くしてる亥清くんにもあげてたの。おかげで高いお返しもらえたんだけどね」
「知ってる、見てた。俺もおんなじのもらったけど、それ見てたらやっぱ落ち着かなくなって、声かけた」
「でもあたしは久しぶりに話しできて嬉しかったよ。 本当はもっと言いたいことたくさんあるんだけど……」
「何? 言って」
「だけど、環くんこれから仕事なんでしょ?」
「やっべ、忘れてた! なんで知ってんの? 教えてくれてありがと」
「さっき和泉くんに言われたから。あんまり長引かせないでほしいって」

 日のかた向きを忘れるくらいなまえと話していたようで、時計を見ると時刻は16時30分を過ぎていた。本当はもう少しだけなまえと話していたいと思ったけど、これ以上遅くなると寮からの出発時間に間に合わなくなってしまう。昔の俺だったらちょっとくらい、と思っていたけど、以前そーちゃんとの仕事をすっぽかしたことがあるし、IDOLiSH7が1周年を迎えるまでの間にいろいろ迷惑をかけたから、これ以上迷惑をかけることができなかった。

 お互い「付き合おう」とは言わなかった、だけどなまえとは自然と彼氏と彼女っていう関係になったんだと思う。すごく嬉しそうに階段を下りていくなまえの後ろ姿を見ていたらそんな気がしたし、好きな子を優先させてあげられなくてごめんと思いながら、だけどちゃんと仕事を優先できる俺は偉いんじゃないかって思えた。
 そういうことを、誰かに褒めてもらいたかったんだけど。誰かを好きになって、好きを伝えて、両想いになったことが恥ずかしいし、今の状態で冷やかされるのも恥ずかしいから当分黙っておこうと思った。話せた相手といえば、察しがいいいおりんくらいで「間に合って良かったですね。みょうじさんとは上手くいきましたか?」と言われたからうっすとだけ返した。

「ね、環くん。 明日から、学校が楽しくなるね」

 と、帰り際になまえが照れ臭そうに笑って言っていた言葉をいおりんと話している最中に思い出してしまって、オレだって明日からの学校が楽しみだって思えたし、なまえの笑った顔を見れるってことを考えるとこれからの仕事が頑張れそうな気がした。








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