幸福な降伏(08)





 了さんに紹介してあげると言われて初めて対面したモモさんという人は普通の人でビックリした、これが私のモモさんに対する第一印象だった。モモさんは了さんと普通に仲良くお話をしていて、たまに冗談混じりのことを言ったりしていたから正真正銘のお友達なんだと思う。それ以前に、あんな高いお店にプライベートで連れてきて、私に紹介してきたくらいだから親友みたいなものなんだろうかとさえ思った。

「了さん、あの。 私、一人暮らししようかなって思ってるんですけど」
「どうしたの、急に。 この部屋はもう飽きちゃった?」
「そういうわけじゃないんですけど……」

 了さんと出会ってから1ヶ月弱の間は、世話焼きなのか私の面倒を見てくれている了さんの部屋で暮らしていた。働き先を探しながら了さんから部屋の掃除を頼まれる家政婦のような生活をしながら美味しいものを食べる生活をしていたけれど「家にいても暇だろう?」と買い与えられたスマートフォンでネットサーフィンをしていたら、ふとよくない記事を読んでしまったことが一人暮らしを始めようとしたきっかけだった。

 私の目に入った記事はニュース記事で、家出した女子高生がSNSで知り合った男の人の家に転がり込んだら、その男の人が誘拐罪で捕まったというニュースだった。あ、この女子高生って私と同じような子だ……と思って、何も知らずに了さんの家で暮らしていた私はとても焦ってしまった。いくら同意の上であるとしても、警察沙汰になると一方的に大人が悪くなって罪に問われるらしい。家族が私の捜索願なんてものを出していたとしたならば、了さんだって危ないかもしれないと思ってしまった。

「好きにしたらいいさ。 そうだね、事務所のタレント達が世話になっている物件を紹介してあげるし、契約も済ませてあげるよ」

 中学はなんとか卒業した私だったけれど、契約とかそういうことは全くなにもわからない状態だったので全部了さんにお任せしておいた。そうしたら了さんは、私にマンションを買い与えようとしていたことを知ったのだけど、その時は慌てて止めた。流石にマンションなんて買ってもらったら申し訳ないことこの上なくて、最初は郊外の安い賃貸アパートを提案した。
 了さんはそれを易々と受け入れてくれて、引っ越し代とか家具家電とか最低限必要なものを買ってくれたけど、できるだけそれを最小限に留めて、バイトをして自分で家賃を払って、買ってもらった分のお金は全部返そうと思っていた、それは今も変わっていない。

 ワンルームだけど、気を利かせてくれたのかトイレとバスは別々の家賃は一ヶ月バイトを頑張れば払えるような場所を紹介してくれて、暫くはそこで生活していた。たまの休日や暇な時は了さんの元に言って家政婦紛いの手伝いをするとか、援助を受けながらの生活をしてたんだけど。

「なまえちゃん、最近引っ越してきたの?」
「そうなんです。最初はA市でアパート借りてたんですけど1ヶ月前にここに。でもバイトばっかりだったので、なかなか部屋が片付けられなくて」
「っつっても量少ないじゃん。オレ、これから予定なんもないし手伝おうか?」
「え、本当ですか?」

 このマンションに引っ越しをしてきたのは1ヶ月前だった。部屋には必要最低限の家具家電だけを出して、衣服や実家から持ってきた私物はダンボールに入ったままにしていたんだけど、なかなか時間が割けずにそのままの状態にしていたから、モモさんのお言葉に甘えつつ、せっかくだから荷物を整理しようと思った。本当は面倒臭いとも思っていてなかなか手をつけていない状態だったんだけど、そんなことモモさんに言えるはずなかった。

「−−なんで引っ越したの?」

 モモさんと片付けをしながら絶対来るだろうなぁと思っていた質問を投げかけられた。話したくなかったわけではないけれど、自分から話すには気が引ける理由だったから、話すタイミング的にはちょうど良かったのかもしれない。

「前住んでいたアパートで、ストーカーに遭っちゃって……」
「マジで!? 大丈夫だったの!?」
「それが、大丈夫じゃなかったので引っ越しすることになったんですよね」
「ああ、まあ、そうだよね」

 了さんの家を出て、中卒でも働けるコンビニバイトを始めたらストーカーに遭ってしまった。

 オーナーに家出をしてきたことを話すと、オーナーもその奥さんも事情を分かってくれたのかバイト先からもらった契約書にある親の承諾欄は了さんが受け持ったことに何も言わなくて、晴れて私は初めてのバイトをするようになった。右も左もわからない状態だったけど、コンビニで働いている人達はみんな私に優しくしてくれて、了さんだって「誰かに直接教わるよりも、他人を見て覚えたらいいよ」とさりげないアドバイスをしてくれたので言われるがまま仕事をしていたら、物覚えが良いと褒められるくらいにはちゃんと真面目に働けたのだと思う。

 時給は最低賃金だったけど、長時間勤務ができたし、アパートの近くのコンビニだったから交通費はかからず一ヶ月働けば家賃も光熱費も生活費だって余裕に払えてしまうくらいのお給料を貰った。何かを欲しいと思ったこともなかったから生活と了さんに返すためのお金の貯金のために、こうやって毎日バイト尽くしの日々を送るんだろうなあと思っていたら、まさかストーカーに遭うはめになるだなんて考えもしなかった。

 ある男性客に連絡先の交換を求められて断ったのを機に、住んでいたアパートにおかしな手紙が投函されるようになった。

「了さんにはたくさんお世話になってたし、これ以上迷惑かけたくなかったからストーカーに遭ってることはずっと黙ってて。知られた時は、自分でなんとかするって言ったんですけど」
「避難用にマンション買われちゃったってこと?」
「いえ、テレビ買われちゃいました」
「……テレビ?」
「引っ越し勧められてたの嫌だって言ったら、あのテレビ買われて……うちテレビ無かったのでちょうど良かったんですけど、あんな大きなテレビが狭いアパートに入ってきたらとんでもなくて……」

 あの時の了さんは、想像できないことをやらかす人だと思った。

 おそらくポストに直接投函されたと思われる、送り名どころか切手すら貼られていない手紙の入った封筒をポストから先に抜き取ったのは了さんで「なまえ、これはなーに?」と笑顔で問いかけられてストーカーに遭っていることがバレた。最近こういう切手の貼られていない封筒が投函されて、手紙の中身は「バイトお疲れ様^^」とか「今日もかわいかったね^^」と男の汚い字で綴られていて気持ちが悪くて全部捨てていたのだけど、それすらも全て打ち明けたら今すぐ引っ越しをしようと言われてしまった。バイトだって辞めろとまで言われた。

 一度、高いお金を出してもらって引っ越してしまったからそんなすぐにまた迷惑をかけるわけにはいかない。だから、引っ越しは嫌だと跳ね除けたら、翌日今部屋に置いてあるテレビが宅急便で届いた。わけがわからなかった。だって私の住んでいた部屋は6畳しかないワンルームで、届いたテレビは65インチの大きさだった。置く場所も限られてしまっているからベッドと平行になるように壁際に置いたけど、まるで映画館の最前列で画面を見続けているような状態が続いて、部屋が狭いから「テレビから離れて見てね」というアニメの注意書きすら守れなかった。

「了さん、私、視力下がっちゃいそうです」
「あはは。じゃあ、広い部屋に引っ越しちゃおうか。あんなテレビがあっても窮屈じゃない、いい物件を紹介してあげるよ」

 テレビが大きすぎると遠回しに了さんに告げたら、了さんは笑いながら再三引っ越しを勧めてきて、私はここで漸く理解できた、了さんの言うことを聞かなかったから、了さんの悪質な嫌がらせを受けてるんだってことに。了さんは意地でも引っ越しをさせたかったらしい。

 了さんはきっとこのまま有無を言わせず高い部屋に引っ越しをさせるかもしれないとすぐさま感じた私は、おかしな物件を提供される前にワンルームがいいと言ったけれど、契約に行ってきた了さんに連れられてきたのはこんな広々としたマンションだった。

「防犯もバッチリだから、これでもう心配ないよねぇ? 買っておいたから、あとはなまえの好きに使ってくれていいよ」
「……買った?」
「そうだよ、なまえのためにこの部屋買っておいたんだ」

 そんなことを笑顔で言いだした了さんに正直、恐怖を感じてしまった。恐怖というより、引いたと言った方が正しい。だって、引っ越しの日に立ち会ってくれた不動産屋さんこっそり尋ねたこの部屋の価格は、今の私が一生掛けても買えそうにない金額をしていて、了さんはお金がある人だからこういう場所だって簡単に買えてしまうのだろうけど、私みたいな人間がこんな場所で暮らすのだということを簡単に受け入れられないほど衝撃的だった。

 了さんが買ってくれた大きなテレビは、この一ヶ月の間はダンボール箱をいくつも繋げた仮のテレビ台に乗せて使っていたけれど、とうとうダンボールは耐えきれなくなったのか傾いてきた。だから、テレビ台を買おうとした。
 初めて了さんに頼らず、自分で稼いだお金で大きなものを買おうとした。テレビが大きすぎるせいでテレビ台は予算を大幅にオーバーしたけれど、それを買おうと決めたことを了さんに伝えると、好きにすればいいと言われた。このことを了さんに話したのは、モモさんと初めて会った日、解散した後だった。

「僕は手伝わないよ、暫く仕事で忙しいんだ」
「……宅配の人って、組み立てまでしてくれたりするんでしょうか」
「なまえ、見ず知らずの人間を部屋にあげる気?」
「え、だって私一人じゃ部屋まで持っていけないです」
「知らない男に強姦でもされたらどうするの? よくあるよね、女の子が部屋にあげたら宅配業者の男に襲われるって話。 怖いだろう?」
「了さん、買ってほしくないんですね」
「なまえの好きにしたらいいよ」
「……。 なら、誰にお願いしたらいいですか? 了さん、どうしても手伝ってくれないんでしょ?」

 生憎私には友達がいないから頼れる人間は了さんくらいしかいない。バイト先の人を提案したところで、了さんは面識がないことを理由にまた強姦されたらと言い出すから私は途方に暮れそうになってしまった。

「そうだね、モモなら手伝ってくれるんじゃない?」
「モモさん?」

 珍しく、了さんが他所の人間の名前を挙げた。了さん的にモモさんならいいって言うから、モモさんにお願いすることにした。ダンボールが壊れそうだからできるだけ早いうちに買いたかったけれど、次モモさんとはいつ会えるのかと問いかけたら知らないという返事が返ってきたので、それならば連絡先を教えてくれとお願いしたら了さんはすんなりとモモさんの連絡先を教えてくれた。
 了さんにとって、モモさんは信頼のある人だということはここでわかった。

 ダンボールに詰め込まれたままの荷物はほとんど衣服であると告げると、モモさんはわかりやすく顔を真っ赤にしてそれに手をつけることはできないと言っていたので、テレビ全般をモモさんにお任せして、私はせっせと自分の荷物を片付けた。
 モモさんは私よりずっと年上だけど了さんみたいに面倒を見てくれて、了さんが信頼できるような人だから私もこの人なら信用することができるかもしれないと、黙々とテレビ台を組み立てるモモさんの後ろ姿を見ながらぼんやりと思った。

 だけどやっぱり、そんなモモさんにさえ、家を出てきた理由や私自身のことを話すことはできなかった。








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