幸福な降伏(06)





 みょうじなまえという女の子とちゃんと対面して自己紹介を交えることになったのは、了さんに誘われた超が付く高級レストランのバイキングの席だった。オレは一応2回会っていて、2度目の時は会話もしたんだけれどなまえはどちらもオレのことを認識はしていなかった。彼女はオレの存在を知らないでいたんだから、それは当たり前だ。2回目、とまでは言わなかったけどこの間トイレの場所を聞かれたことを話してみるとちょっと驚いたように「わからなかったです」と苦笑いされた。これだって当たり前のことなんだけど、隣でそれを聞いていた了さんはケラケラ笑って「モモは印象が薄いんだね」と言ってきたからその一言で少しだけヘコんだ。

 了さん的には至って普通の場所なんだろうけど、超が付くほどの高級レストランともあって、いかにもなほどお金のありそうな人間やマダムばかりで、その家族と思われるオレと同年代の人たちはドレスやスーツを身にまとっていてこの場所はオレにとっては不釣り合いすぎた。そんなことを思いながら食べたいものを取り放題した皿をテーブルに置いて着席すると、先に座っていたなまえが全く同じことを言い出した。「なんか私、不釣り合いすぎないですか?」と。

「なまえちゃんはさ、こういう金持ちしか入れなそうなレストランとか来たことあるの?」
「一応……了さんが連れてきてくれる場所はいつもこういうところだから」
「あの人、ああ見えて御曹司だからこれが普通だと思ってんだよ。美味しいもの食べさせてくれるのは嬉しいんだけど、オレは定食屋とかの方が居心地がいいんだけどね」
「わかります。私も了さんと会ってからこういう場所に入ったけど、息苦しいというかなんというか」

 ちょっとだけ探りを入れてみたことになまえは気付きはしないのだろう。どこかのご令嬢かもしれないという可能性も捨てきれなかったからそういう話題をしてみたけど、どうやらなまえはオレみたいに普通の家庭で育って来たらしく、こういう場所に訪れるようになったのは了さんがきっかけのようだ。じゃ、なんでこんな子が了さんと一緒にいるの?とやっぱりオレが思うのはそんなことしかない。

「なまえちゃんっていくつ?」
「17です」
「じゅっ…じゅうなな!?」
「え? はい」
「高校生じゃん!? なんで君みたいな子が了さんと一緒にいんの? 芸能関係者だったりする?」
「いやそういうのとは無縁で……あはは。モモさんはおいくつなんですか?」
「オレはもうすぐ22になるけど……」

 てっきりオレと同い年くらいか、年下だとしても二十歳そこらの子だと思っていたのでまさかの高校生ということに呆気にとられた。
 だけどなまえは苦い笑みを零しながら言い辛そうに「高校は行ってなくて……」と細い声を上げる。どこかで正社員として働いているというわけでもなく、毎日バイトをしながら生活費その他諸々を稼いでいると言っていた。芸能界とは無縁の人間で、了さんの親戚とかそういうのでもないらしく、彼女について不思議なことばかり思い浮かぶから訊きたいことは山ほどにあった。

「っていうかさ、大丈夫? 了さん」
「? なにがですか?」
「いや、なんつーか、あの人変わり者だから変なこととかされたりしてない?」
「変なこと……?」

 なまえについて訊こうとすることはできるだけしない方がいいのだろうということは、初対面である立場はもちろんあまり喋りたがらなそうな雰囲気で察したので、二人の共通の人物である了さんについて話題を提供してみるとなまえは怪訝そうな顔でオレを見た。

 なまえの存在を初めて知った日、了さんに言われたふしだらな発言がいつまでも頭の中に引っ掛かっていたままだったから遠回しにそれについて問いかけてみたけれど、わけがわからないと言った様子だった。初対面の、しかも女の子に対してはっきり言えるネタではないので「ほら、了さんもわけのわかんない人だけど一応あの人も男だからさ……」と口籠りながら伝えるとなまえはいよいよ顔を歪めた。

「あの、もしかして私、今モモさんにセクハラされてます……?」
「セクハラ!? いや、違う! そんなんじゃないんだけど! でも気になるじゃん!? 了さん、あの人良い人なんだけど結構ヤバい人だから……あ! いや、なんでもない!」

 了さんはたぶん根は良い人なんだろうけど、めちゃくちゃ癖の強い人でたまに意地悪なことや性格の悪いことを言ってくるからその手のことをつい口滑らせてしまった。もしかしたら、なまえは了さんのことを良い人でしかないと思っているかもしれなかったから、セクハラ扱いされてしまったうえこれ以上余計なことを言って不快な思いをさせてしまったらオレの立場は無くなってしまいそうだと思った。

「楽しそうに話をしているね、何の話?」
「あ、了さん」

 絶対、今なまえはオレのことを不審に思っている。少しだけギクシャクした空気になったところで了さんが戻ってきた。皿に綺麗に盛り付けられた野菜や肉は、オレが適当に放り込んできたものと比べると同じものでも見栄えがよくて了さんの育ちの良さに肩が竦む。

「自己紹介の話の延長で盛り上がってただけだよ。ね、了さん、今度了さんちの駅前にある定食屋に行こうよ」
「え、どうして? 庶民が肩を竦ませて佇んでいる姿を見るのは気分が良いから、僕はこういうところの方が好きだなぁ」

 ほら見ろ、思ったそばからこれだ。受け流すにしては自分の立場を馬鹿にされた言葉に思わずムッとしてしまって眉を顰めてしまった。チラッとなまえを見たら、彼女も引いてるじゃんと思うほどうわぁ、とまで言いたそうな表情をして目を細めて了さんを見ていた。

「なまえちゃん引いてんじゃん」
「私も定食屋さんとか行ってみたいです。一人じゃ行けないから」
「ああ、そう。なら、二人で行ってきなよ」
「了さん、定食屋とか入ったことないからどうしたらいいのかわかんなくて行きたくないだけでしょー。オレが了さんの分までちゃんと注文してあげるから行こうよ」
「へぇ、味の保証はしてくれるの?」

 なまえとのギクシャクした空気を払いたくて三人で楽しめるような話に輪を広げたけれど、了さんは何がなんでも定食屋には行きたくないらしい。味の保証と言われてしまったら、生まれてからずっとこんな場所で食事をしている人間相手にすこぶる美味しいなんてこと、店の人には悪いけれど保証ができなくて言葉に詰まってしまった。

「あははは……。了さんが言うみたいにオレ庶民だからさ、こういうところ慣れないんだよ。オレの姉ちゃんなら、こういうところいつまでも喜んで付いてくると思うけど」
「モモさん、お姉さんがいるんだ」
「そうだよ、二人姉弟。 なまえちゃんは? 兄弟いんの?」
「私は……」

 なまえは、あー……っとした顔を見せて目を泳がせた。やっぱり、何か訳ありそうななまえだけど、家族の話はあんまりよくないことなんだとどこかで悟った。自分のことを喋りたがらなそうな子だから地雷を踏んでしまったのかもしれない。だけど、自然と話を繋げたつもりの話題をそういう風にされちゃうと、オレだってどう弁解したらいいのかわからなくて一瞬だけおかしな空気が漂った。

「モモの家族の話には興味無いんだけど、モモが去年別れた彼女の話、僕は好きだからその話をしてよ」
「なんであんた、忘れようとした話を今ここで掘り返してくるんだよ」

 そんなおかしな空気を払い除けたのは了さんだった。意地悪くオレが一番触れてほしくなかった過去を掘り返すようにへらへら笑いながらその話を口にして、まるでオレを犠牲にするように話を切り替えた不自然さにオレが気付かないはずはない。

「なまえ、モモの話を聞いてあげて。去年、すっごい好きだった彼女に浮気されて、別れちゃったんだって。あの時のモモったら、僕の家に……」
「了さん! ストップ! ストップ! オレが悪かったから! その話はやめよ!」

 了さんの止まらないお喋りに大声を上げてまで止めたのはオレの方だった。触れられてほしくなかった話はもちろんのこと、なまえのことはまだどういう子なのかよくわかってないけど、浮気された云々の話は、頑張ったら自虐ネタとして笑わせられる面白い話になるっていう保証なんかもどこにもなくて、それもあってオレは必死で止めてしまった。この人ばっかじゃねーの!と内心思うくらい、了さんは容赦ない。
 だけど、なまえはくすくすと笑っていた。

「了さんとモモさんって本当に仲が良いんですね」

 なまえの笑った顔にはまだ幼さが残っていて、言われてみれば確かに17歳っていうのも納得できるなぁと思いながら、笑ってくれたことに安心したオレは見栄えを気にせずバンバン放り込んだ肉や魚や野菜がぐしゃぐしゃに乗った皿に手をつけた。








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