「やっちゃん、南を甲子園につれてって!」 「ウッゼ」 「ひどーい。中学の時はノってくれてたのに……」 ぶう、と頬を膨らませればブサイクになってんぞと笑われる。 高校二年生が終わって訪れた短い春休みに、自転車部の休みに合わせて二人で地元に帰って来た。冬休み以来の帰郷に私のテンションは上がっていたのだ。 だから中学の時に私とやっちゃんの間でしか流行らなかったタッチごっこを思い出したように始めてしまったんだと思う。 最初はやっちゃん家で飼っているアキちゃんと遊んでいたのだが、自分を構えと部屋まで拉致してきたやっちゃんを構ってあげようとした途端にこの仕打ちだ。 「笑わなくてもいいじゃん」 「いや、マジ面白い顔になってるカラ。それに、お前南ちゃんじゃネェし」 そう言ってやっちゃんはまた笑う。その顔が好きだからこれ以上文句は言わないけど。 大体、南ちゃんと程遠いことは私が一番分かっている。 私は、やっちゃんの幼馴染みでもなければ出会いは中学の時だし、野球部のマネージャーだったわけでもない。実家だって喫茶店ではなく両親はただの会社員である。 共通点と言えば野球が好きということくらいだろう。 「それにサ、タッチネタはもう古ィだろ」 「そうだね……」 南ちゃん要素は皆無な私だけど、それでも当時のやっちゃんはちゃんと乗ってくれた。和也を演じてくれた。 付き合いたての頃、やっちゃんは和也みたいに約束してくれた。私を甲子園に連れてってくれるって。 でもやっちゃんは肘を壊して野球を辞めて、回りの失望に耐えきれず最後にはグレてしまった。 物語の途中で死んでしまった和也と全く同じだ。やっちゃんは生きているけど、野球をしているやっちゃんは死んだのだ。私を甲子園に連れてってくれるって約束してくれた荒北靖友はあの時死んでしまったのだ。 私たちの関係に達也は存在しないから、私とやっちゃんの野球人生はバトンタッチせずに打ち切り。甲子園出場というハッピーエンドは一生来ない。 ベッドに寄りかかっているやっちゃんにくっついて、中学時代強肩と言われていたそこに頭を預ける。 「……自転車部、楽しい?」 「何、いきなり。……まァ、それなりに楽しいヨ」 「やっちゃんが楽しいなら、良かった」 自転車のことはよく分からないけど、やっちゃんが野球よりも夢中になれるものが見つかって安心した。 高一の時なんて時代遅れのリーゼントに単車を乗り回していた位に荒れていた。触るもの皆傷つけていた。お陰で一緒にいる私も不良扱いされていたほどだ。 今でこそ自転車と言うやりがいを見つけたから良いもの、あのまま不良を続けていたらどうなっていたことか。 きっと私ではやっちゃんの心を動かすことは出来なかっただろう。本当に、福富くんには感謝してもしきれない。 投げ出された右手に、自分のそれを絡ませる。白球を握っていた時の癖はもうすっかり消えている。 不意に、その手に力が籠ったので見上げれば、真剣な表情のやっちゃん。思わず息を飲む。 「やっちゃ……」 「……名前チャン、ずっと側にいてくれてあんがとネ」 「……」 「野球が駄目になって、荒れまくったあげく、お前にも酷いこと言いまくっちまってヨ……スゲー今さらだけど、」 自暴自棄になって全てを捨てて逃げ出したオレを見捨てないでいてくれて、ずっとオレの味方でいてくれて、ありがとう。 やっちゃんの言葉が終わるより早く、私の涙腺は限界を迎えていた。 驚いた表情のままぼろぼろと涙を流す私に、やっちゃんは細い目をこれでもかと開いて、狼狽する。 「え、チョット、何で名前チャンが泣くワケェ!?」 「だってぇ……」 だって今のは、野球を辞めてから初めて聞いたやっちゃんの本気の本音だから。それが嬉しくて、私は子供みたいに泣きじゃくった。 「でも、わた、わたじ、やっちゃんの為に、何も、して、あげられなかっだよぉ……!」 「ンなワケねーだろ!」 いきなりの大声にびっくりして涙が少し引っ込んだ。けれどそんなのはほんの一時で、紡がれたやっちゃんの言葉でまた涙は溢れてくる。 「名前チャンがオレの側に……いや、隣に居てくれたダケでオレは救われたんだって」 「っ……嘘だぁ〜!」 「嘘じゃねぇって。名前チャンがいなかったら多分、今のオレはいねェ、と思う」 「うぅ〜」 やっちゃんのその言葉で、今までの不安や心配が全て溶けて涙と一緒に外へ出ていってしまった。私の中の水分が全部出ていってしまうのではないかと思えるほどの量。 やっちゃんが私に救われていたと言ってくれたように、私もやっちゃんに救われているのだ。 「泣き止んだァ?」 「うん、一応……」 「どれどれ……」 大量のティッシュを消費して涙と鼻水を処理し終えたばかりの顔を、やっちゃんが覗きこんできた。 不意の出来事に咄嗟に顔を隠すも時既に遅し。不様に腫れた目元や赤くなった鼻をやっちゃんの眼前に晒してしまった。何の罰ゲームだ。 「ハッ。ひでー顔」 案の定返ってきたのはくつくつと笑う声で、私の好きな顔だからあまり強く文句は言えない。 酷い顔をしているのは私自身が一番分かっているんだから、わざわざ言うことないでしょうが。 「やっちゃんのせいなんだからぁ〜」 「ハイハイ、ゴメンネゴメンネ」 誠意の籠っていない謝辞も、やっちゃんだから許してしまう私も大概。だけど、恋人に甘いのは人間の摂理だろう。 ようやく落ち着いた私は、やっちゃんが持って来てくれた濡れタオルで目元を冷やしながら、再びやっちゃんの肩に頭を預ける。やっと一息つけた。 「甲子園には連れてけないケド、インターハイには連れてってやんヨ」 「うん……絶対レギュラーとってね」 「名前チャンの夢はオレの夢ダヨ」 「……!」 嬉しさのあまりやっちゃんに抱きく。油断していたらまた泣いちゃいそう。 私は今日という日を絶対に忘れないだろう。私が、野球への未練を完全に捨てられた日。やっちゃんとの出逢いに感謝した日。 「そだ。ベイスのチケット取れたから一緒に行く?」 「まじで!? 行くっ。やっちゃん大好きっ!」 「知ってるっつーの」 フリック入力に慣れるために書いたやつ。タッチ好きです。 |