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- ナノ -

「名前さん、ちょっといいですか?」
「なぁに? 黒田君」

 先ほど新たに渡された練習メニューについて詳しく聞きたくて掛けた言葉も、その後の受け答えとして俺の口から出る言葉も、全て敬語。

「このコースのことなんですけど、」
「ああ、この道ね。今まで使ってた道路が近いうちに工事が入るらしくて……」

 それに対して、名前さんは俺に敬語を使わない。友達と話す時のような砕けた口調を使い、呼び方も名字に君付け。
 かと言って馴れ馴れしいとは思わない程度の、好感の持てる話し方だ。

 理由は至って簡単、名前さんが俺の先輩であり、俺が彼女の後輩だから。
 体育会系の部活に所属する者にとって年功序列は言わずもがなの絶対的ヒエラルキーである。
 年齢がたった一歳しか違わなくとも年上には変わりないし、先輩後輩に性別も関係ない。例え懇意な間柄であっても、同じ部活動に所属する選手とマネージャーという立場である限り崩れることはないのだ。
 別段、皆が皆そのヒエラルキーに従っている訳ではなく、後輩でも彼女と親しげに話す奴もいる。頑なに守り続けているのは俺だけだろう。
 俺、黒田雪成と、彼女、名字名前は、部活動という条件下では先輩と後輩であることを尊重し合っているのである。

「……分かりました。わざわざすみませんでした」
「いや、私も説明が足りなかったから」

 故に、俺が彼女に対して敬語を使うのは当たり前であり自然なことなのだ。
 ただし、部活動外においてはその限りではないことを先に断っておく。
 俺が彼女に対して敬語を使うのは部活中だけ、という取り決めが俺と名前さんの間に生まれたのは随分と昔の、三年前の話である。

「いえ……それじゃあ、俺、外走ってきます」
「うん。無理はしないでね」

 これ以上続ければ心中を読まれ咎められてしまうだろうと、話を切り上げる。
 行ってらっしゃい、と言う柔らかい声を聞きながら俺は練習メニューの書かれた紙を丁寧に折り畳み、サイクルジャージのポケットに仕舞った。



 昼休み。俺と名前が中庭の隅に設置されたベンチで、彼女の作ってくれた弁当を二人で食べ終えた頃。
 思い出したように名前が口を開いた。

「そうだ、雪成。ちょっといい?」

 二人分の昼食が入っていた弁当箱をランチバッグに戻した彼女の表情は、食事中の穏やかなそれとは違う。
 これから俺を咎めようとしているのが手に取るようにわかる。
 唇を尖らせ眉間にしわを寄せており、目も若干座っているのだがこれはこれで可愛い。

「改まって、どうした?」
「今朝のあれ、わざとでしょ?」
「ん、何のことだ?」

 思っていた通り、彼女の口から出てきたのは朝練中に話し掛けた意図を問いただすもので。
 今朝のあれ、とは朝練中に話し掛けたことを指しているのだろう。彼女の質問に答えるならば、答えはイエス、完全にわざとだ。
 少しでも名前との時間を共有したくて、練習メニューについて尋ねるのを口実にした。
 けれども、わざわざ言わなくてもそんなこと名前にはお見通しなんだろう。
 だからこそ俺は素知らぬふりを決め込んだ。彼女の眉間に指を当ててしわを伸ばすと、今度は頬を膨らませたので両手で挟んで空気を抜く。

「はぐらかはないでー」
「……ぷぷっ、変な顔」
「もー、はなひてよっ」

 先に述べた通り部活外での会話は至って恋人同士のそれと変わりない。俺は彼女に敬語を使わず名前も呼び捨てにする、彼女も俺を名前で呼ぶ。
 なにせ名前は俺の彼女であり、この場合の“彼女”とは、男と女の立場としてお付き合いさせていただいている、所謂恋人という意味のそれであるのだから。

 言われた通りに手を離してやるが、その手はそのまま彼女の背中に回る。華奢だけどそれなりに筋肉あり、かといって女子特有の柔らかさはきちんと持っている俺好みの体を抱きしめた。
 肩に顔を押し付けて、名前の匂いを肺いっぱいに吸い込んで、ゆっくりと吐く。

「はー、落ち着く」
「もう……まあいいや。今朝は私も雪成と話がしたい気分だったし」

 気分を良くしたのか名前の手が俺の背中に回ってきて、抱き返される。
 名前の匂いが制汗剤の匂いと混ざって、脳みそを刺激する。彼女自身の匂いも好きだが、この匂いも嫌いじゃない。

「今日の雪成は甘えただね〜」
「そういう名前もな」

 ベンチの上で向かい合ってじゃれ合う俺たちは世間で言う所のバカップルなんだろうが気にしない。例えバカップルと揶揄されようと俺たちは幸せだ。
 しかし、その幸せな一時を意図的ではないにしろ邪魔する者がいた。
 不意に芝生を踏む音が聞こえたので、そっと顔を上げると目の前には細い目をこれでもかと見開いて驚愕する荒北さんの姿が。思わず俺も目を見開いてしまった。

「雪成? どうかし……荒北が中庭にいるのって、珍しいね」
「……校舎裏の自販機のベプシが売切れてたんダヨ」

 俺の腕から力が抜けたことを心配した名前が俺の視線の先をたどり、荒北さんの存在に気付いたようだ。
 どうやら荒北さんは中庭にある自販機にベプシを買いに来たらしい荒北さんは近道であるこのベンチの近くを通った時に俺たちを発見したらしい。
 正しく座りなおした俺たちを、荒北さんは気まずそうに、でも興味ありげといった顔で見てくる。

「フーン……お前らってそういう関係なワケ?」

 確かに、俺と名前は荒北さんの言うとおりの関係である。
 しかし、荒北さんが疑うのも無理もない。部活動中は公私混同を避け、先輩後輩であることを優先しているのだ。
 かと言って別に隠している訳ではなく、現に俺の幼なじみである塔一郎や、彼女の友人数名には知れ渡っている関係だ。
 たいそう驚いただろう。普段はあんなに他人行儀な俺たちが仲睦まじく抱き合っている姿を見たのだから、無理もない。
 見て驚かない自転車競技部員は塔一郎くらいなもんだ。

「名前とは三年前から付き合ってます」
「私たち同じ中学出身なの」
「にしては部活ンときは余所余所しくね?」

 俺は元々名前の後輩だったので公私共に言葉遣いは敬語であり、付き合い始めてから部活動以外のプライベートでのみ敬語を無くしている。
 故に部活動中は当時の延長であり、何も変わっていないに等しく、多少余所余所しくても不自然ではない。
 それもこれも先輩後輩という関係から一線を越えることが決まった日に、同じ学校の同じ部活動に所属している場合、部活動中は今ままでと変わらずに接し合おうと決めたのだ。

「だって、部活中は誰も贔屓したくないし、誰にも贔屓されたくないの」
「俺も、ロードは真剣にやっているんで、贔屓されるとかされないとか好きじゃないんです」

 ことロードバイクにおいてはストイックな関係を貫いている俺たちの発言に、荒北さんは面倒臭さを隠すことなく顔で表現した。
 ややこしいを通り越して面倒臭い関係であるのは俺たちが一番自覚しているし、それでも辞めないのはそれ以上の感情があるからで。
 部活において誰も贔屓しない名前だから好きになったし、好きでいられるのだ。

「ソーナンダ。オシアワセニ」

 完全にバカップルを見る目で、それだけ言うと荒北さんは早々に立ち去った。あそこまで心の籠もっていない言葉も初めてだ。

 昼休みももう残り少ない。今日の放課後にはまた彼女に敬語を使う時間がやってきて、それが終わればいつもの二人に戻る。
 慣れに慣れてしまったこの生活も、あと半年もせず終わりが来るのだ。インターハイが終わればマネージャーである名前も自転車競技部を引退する。
 同じ大学に進学し同じサークルに所属するならば話は別だが、たぶん無いだろう。晴れて、一ミリたりとも上下関係の存在しない恋人たちの完成だ。
 しかし、この奇妙な関係も終わってしまうのだと、彼女に敬語を使う機会が無くなってしまうのだと思うとうら寂しい。

「なーに考えてるの? ここにしわ出来てるよ」

 そんな俺の気持ちに気づいたのか、名前の指が俺の眉間に触れる。少し指の力を入れて、いつの間にか出来ていたしわを伸ばしていた。

「んー、名前のこと。……離れたくねぇなって」
「……ばーか。もうすぐ予鈴鳴っちゃうよ」


もう少しこのままでいさせて


年上彼女に敬語とタメ口を使い分ける黒田雪成って良いよねっていう話



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