これの続き 門をくぐり幕末の京都に到着した第一部隊は、辺りを警戒しつつその薄暗さに目が慣れるのを待っていた。 しかし、髭切という男だけは違った。ここが本当に京の都であることを確認した次の瞬間には何処かへ走り出していた。 「髭切!?」 「単独行動はご法度なのに!」 馬も連れていけない程狭い路地での戦いに、単独行動は決して許されるものではない。審神者に再三言われたことだ。 言いつけを破ったこともそうだが、何よりこの暗さで目が効いていることに驚きを隠せなかった。 本来太刀という刀種は夜間目があまり効かない、故に三日月と髭切は常に其々の担当刀剣と離れないよう指示を受けていた。審神者なりの気遣いを見せたつもりなのだろう、三日月には骨喰を、髭切には今剣を担当させたくらいに、太刀にとって夜は危うい。 にも関わらず彼が何故迷いなく、そして迷うことなく走り進めているのが他の刀剣には謎だった。現に彼を追うように走り出した三日月なんて壁にぶつかりそうになり骨喰に介助されている始末。 それでも何とか髭切を見失わぬよう他の隊員たちも三日月を介助しつつ必死に走った。 一方髭切を任された今剣は、天狗と直喩される身軽さを活かして髭切と並走しているのだが彼を止める様子は一向にない。 「髭切、どこへむかっているのです?」 「……止めないのか」 「ふほんいですが、つきあいはながいですからね。あなたががんこであることはしっています」 「頑固とは人聞きの悪い、意志が硬いと言ってくれ。……すまないな。お前俺のことが相当憎いだろう」 「……もうすぎたことです。うらんでいないといえばうそになりますが、ほんとうにうらむべきは頼朝公であって、髭切に……名前につみはありません」 「また、その名で呼んでくれるのか」 跳ねるように走っていた今剣はタイミング良く地面を蹴りつけるとひょいと、自然な動作で彼の肩に乗った。 髭切もそれを受容し今剣を肩車する。まさに阿吽の呼吸とも言えるその流れは、彼らが如何に親しい間柄であったかが伺える。 「いくらでもよんであげます。あなたのほんとうのなまえ」 「……その名で呼ばれると自分が自分でいられる気がするよ」 先程までの暗い雰囲気はどこへやら。二人の顔は晴れやかであった。 彼の辿り着いた先は一条戻り橋。かつて髭切がその名を鬼切と改めるきっかけとなった宇治の橋姫の腕を斬り落とした場所である。 橋の中央には夜中だというの誰かが立っていて、目を凝らさなくても彼にはそれが誰であるか分かっていた。 そこにいたのは金髪碧眼の少女で、異国を思わせる服装に身を包んだ彼女は一条戻り橋の中央部で欄干に寄りかかり川の流れを見つめていた。 この時代には似つかわしくない容姿をしている少女は髭切たちの気配を感じ、ゆっくりと彼らに目線を向ける。 そしてその碧眼が髭切を捉えるとその色を憎悪に変え、醜いくらいに歪ませる。 「貴方、あの時の……」 「腕を落としたくらいでは死なねぇよな」 「またしても私の前に現れるのね。しかも人の姿になってまで……あぁ妬ましい」 親指の爪を噛み彼を睨みつける姿は憎悪に溢れ、先程までの儚さを打ち消し恐ろしささえある。 その邪気に当てられた今剣は髭切の肩から降り彼の後ろに隠れて怯えきってしまった。 「会いたかったぜ、橋姫」 髭切は少女の形相に慄く様子など一切見せず、寧ろ待ってましたと言わんばかりに嬉しそうな表情だ。 そこでようやく遅れていた三日月たちも橋に到着し、今剣が髭切から三日月の背後に移動する。 「……あの童女がお前が斬ったという鬼か」 空気を読めずか読まずか、三日月が言う。他の刀剣たちはそんな水をさした天然爺に顔を蒼くするが髭切当人はさして気にしていない。 往年の仲だからこそ許されることなのだろう。 「ああ。あの時とちっとも変わっちゃいねぇ」 「はっはっは。お前と並ぶとさながら源氏物語よの」 「ハッ。俺たちの関係はそんな甘ったるいもんじゃねぇよ」 なぁ、と細めた視線の先には更に機嫌を悪くした少女。 「私と話している時に他の奴と呑気に話すなんて……妬ましくて堪らない」 人間の嫉妬心が集まって人の形を成した結果生まれたのがパルスィという少女なのだ。 嫉妬心を操る程度の能力を有し、人々を狂わせてきた結果いつしか鬼と呼ばれるまでになっていた。 「三日月よ、一つ頼まれちゃくれねぇか?」 「……」 「主殿に謝っといてくれ。俺の我儘に付き合わせちまってすまなかったと」 「相分かった」 「恩に切る」 嫉妬という性質故に他人を妬まずにはいられない。幸せに満ちている人間が恨めしくて溜まらない。ただそれだけのために生きている。 他人に嫉妬することでしか自分を保てない哀れな鬼。 「さあ、鬼退治と洒落込むか」 くつくつと笑いながら歩を進める髭切に、パルスィは身構えるでもなくただ嫉妬の眼差しを送るだけ。 じわじわと二人の距離が縮まり、ついには手を伸ばせば互いに届く距離になった。 髭切が自身である刀に手を添え今にも抜かんばかりの気迫があたりを静まらせ、見守っていた刀剣たちにも緊張が走る。ぴりぴりと皮膚を走るそれは鋭いまでの殺気。 「……私にもパルスィっていう立派な名前があるのよ」 「鬼のくせに一丁前に人間の真似事か? 鬼に名前なんぞ必要ねぇさ。どうせ俺に斬られるんだ」 言い終わると同時に抜刀された髭切の刀身は迷いなくパルスィへ向かう、がしかし彼女もただで斬られてやるほど優しくない。 先程まで彼女がいた場所には誰もおらず、代わりに斬られた毛先がはらりと風に舞っている。 躱されたと気付けば瞬時に手首を返し深く踏み込む。風を切る鋭い音と共に橋の軋む音が風に溶け込む。 本体には届かなかったがスカートに切り込みは入った。本意ではない結果に舌打ちをしてすぐに次の一太刀を入れる。 一進一退の攻防に、パルスィはとうとう橋の終わりに辿り着いてしまった。じゃり、踵が砂を踏む。 「宇治の橋姫もここまでと言ったところだな」 「ふん。じゃあこれならどうかしら?」 にやりと妖しく笑うと軽く地面を蹴る。先ほどの今剣よろしくふわりと風に乗ったが、今剣と違う点はそのまま降りてこないのだ。 刀剣たちは彼女を見上げると同時にその目をこれでもかと見開き、事実を整理することに脳を働かせた。 羽根のように風に乗っているのではそこまで驚くものでもないが、それとは違い降下する気配がない。滞空しているという表現が合う通り、正しく宙に浮いているのだ。 そのまま右掌を髭切にかざすとそこから小さな光の玉が現れた。真夜中の京都を唯一照らす小さな輝きは後に弾幕と総称される攻撃手段の一つであるが、今この場にいる誰も知る由もない。 謎の光る玉は弾幕としての威力は不十分であり銃兵にすら劣るものだがこの場で相手を怯ませるには十二分ではあった。 現に自身である刀を使ってこれを切って良いのかも分からず髭切はただそれを避けることしか出来なかった。 「ハッ、小賢しい真似しやがる……!」 避け続けること数分、ついにしびれを切らした髭切は刀を鞘に収めてしまった。 その行為にパルスィは諦めたのだと思い弾幕を放出する手を緩める。実を言うと彼女自身この光の玉が出せると知ったのはここ最近でかなりの集中力を要するのだ。 だが髭切名前という男が如何にしぶとく、一途な性質であるかをパルスィはまだ理解しきれていなかった。 その慢心が彼女の命運を分けることになるとは露にも思っていなかったであろう。次の瞬間までは。 弾幕の弱まった隙をついて地面を蹴った髭切はそのまま欄干に乗り上げ少女を目指して跳び上がった。その動きは宛ら源義経公が如く、刀剣たちが息を呑む傍らで今剣は最愛の主の姿を見た。 不意を突かれたパルスィは対応することが出来ず彼の腕の中にすっぽりと収まってしまった。抱きしめられたと気付くのは少し遅かった。 彼女のように宙に浮いていることの出来ない髭切は重力に従って一条戻り橋の中央、彼女が元いた場所に降り立つ。当然彼の腕の中にいるパルスィも地上へと降りる。 「ちょっと、何よ……! 離しなさいよっ!」 しかし彼女も大人しく抱き締められてやるほど優しくない。力の限り抵抗するも男女の差は厳しく、弾幕を出そうにも頭が混乱して集中出来ない。 「おー、暴れろ暴れろ」 どうせ無駄だと言いたげに口角を上げた髭切は更に力を籠め、終いには左腕だけで彼女の動きを封じると空いた右手で自身の柄を握る。 「やめ……!」 そのまま鋭い切っ先までを一気に抜刀するとこれを彼女の背に突き刺したではないか。躊躇なく、恐ろしい程に強い力でこれを押し込んだ。 切れ味の良い刃は抵抗なく少女の皮膚を裂き骨を避けるように肉を貫いていく。 「うぐっ。は、なせ……!」 「もう、嫉妬なんてしなくていいんだ」 「! そう……」 髭切の囁くような言葉が耳朶に触れた刹那、パルスィの身体から力が抜けた。抵抗するのを諦めたのか、どこで絆されたのかその手を彼の背中に回したのだ。 千数百年の間に二人の中に在った感情がどう変化してしまったのかは誰にも分からない。 やがてその切っ先がもう一度皮膚を裂くと彼女を抱きしめていた髭切の身体に到達した。 しかし、これまた躊躇なく、刀を握る力を緩めることなくそのまま押し込み続け己の肉に穴を開け始めた。するするとまるで見えない第三者が二人を突き刺しているかのようで、実に奇妙な惨状。 髭切が己の肉体をも貫いた頃には足元の血溜まりも彼らの動きに合わせて波を作るほどの量になっていた。 二度と離さないと言わんばかりに髭切という太刀は二つの身体を繋ぎ合わせて見せたのだ。 「ふふふ……私も貴方も、これで終わり、ね……」 パルスィは鮮血が流れ出る口を彼のそれにそっと近づける。 美しい弧を描いたそこから新たに流れ出た血液は、彼女の足元の血溜まりに吸い込まれた。 京都へ送った部隊が帰還いたしましたが、やはり、そこに髭切の姿はありませんでした。 こうなることは何となく分っていたつもりでしたが、やはり現実を突きつけられるとひどく後悔してしまいました。と同時に政府へ何と言い訳をしたら良いのかを考えていました。 事のあらましは今剣と三日月から伺いました。 その場に居合わせなかったので彼と、橋姫の最期が如何様だったか考えも及びませんが、看取った三日月の話によると二人とも幸せそうな死に顔だったそうです。 「主殿に奴から言伝があるぞ」 「何でしょうか……?」 「ありがとう、と」 「……はいっ!」 以来、正式に実装されるその日まで髭切を顕現させた審神者はいないと聞きます。 実装数日後、私の許に顕現された髭切はまるで別人でした。あの時と容姿も声も性格もまるっきり変わっていたのです。当然のようにあの時のことなどすっかり忘れている様子でした。 政府からは未実装時のただのバグだと言われましたが私も、三日月も、今剣もそうは思っていません。現に三日月らとは以前からの面識があったようでしたし。 あの彼が何故私を選んだのか、今となっては文字通り神のみぞ知ることなのでしょう。 私の話は以上でございます。 拙い話でありましたが最後までお付き合いいただきありがとうございました。一人でも多くの人に彼の存在を知ってもらいたかったのです。 (とある審神者の独白・了) |