その刀は、自らを髭切名前と名乗りました。 思えば、髭切という刀が我が本丸に来たのが異変の発端だったのです。 三日月宗近率いる第一部隊が出陣先の墨俣で一振りの太刀を拾ってきたのですが、その刀の付喪神を降ろした時、酷く驚きました。あの鶴丸国永でさえ目を丸めて感嘆の声をこぼす程の出来事でした。 「髭切名前だ。罪人で試し切りした際、髭まで切れたというのが由来だ。経歴は諸説あるが……まぁ、一つだけ事実を述べるならば、一条戻橋で橋姫の腕を斬ったことだな」 他の刀剣男士と同じように口上を述べた男士は初めて見る者で、審神者の間で話題になっているどの刀剣にも当てはまらない名前でした。 「髭切でも名前でも好きなように呼んでくれ」 名前、というのは彼を造った工名なのか、それとも変わりゆく中で呼ばれた一つなのでしょうか。 やはり、刀帳を確認しても髭切名前という名の刀は載っていません。 今思えばこの時の私は、未登録刀剣の発見に浮かれていた気持ちでいっぱいでした。世紀の大発見であるとさえ思っていたし、実際大発見であることには変わりありませんでしたが。 直ぐ様政府へと報告いたしました。刀帳に登録されていない刀剣を発見し、顕現させたと。 すると、いつもならば通信端末か審神者側が政府機関へ直接足を運ぶことでしか連絡が取れず、滅多に個々の本丸に顔を出すことのない政府の方々が我が本丸に訪れたのです。 目的は勿論髭切の調査。 顕現されたばかりの髭切を囲みあれやこれやと取り調べると、この件は一度本部に持ち帰ると言い残しそそくさと帰って行きました。 そんな嵐のように慌ただしい時間は、人の体を手に入れたばかりの髭切には酷であったようです。 「……政府とやらは強引な奴が多いんだな」 「何と言いますか……すみません」 「俺のような奴が急に現れたのだから無理もない。主殿が謝ることではないさ」 「そう言って頂けると助かります」 そうは言うものの見るからに疲れ切った顔色をしていたのでせめてもの詫びにお団子を食べていただきました。 人の体で初めて食を体験した彼は甚く感動している様子で疲弊しきった表情が一瞬で綻んでいました。あ、桜舞った。 その数日後、政府から髭切の処遇が指示されました。内容は至ってシンプルなもので、私の本丸預かりとし定期報告を怠らないこと。 また、他の本丸では確認されていないためくれぐれも扱いは慎重にとも書かれていましたが、そんなことは言われなくても分っています。 私が書面を読んでいると、緊張のきの字も感じされないくらいに堂々とした髭切が話しかけてきました。 「お、俺の処遇が決まったのか」 「はい。しばらくは私の本丸にて他の刀剣たち同様に働いてもらいます」 「分かった。では改めて、世話になる。よろしく頼む」 「いえ、こちらこそ。お力添えいただきます」 かくして新たな刀剣男士の髭切名前が我が本丸に加わった訳であります。 髭切。平安時代に造られた刃渡り二尺七寸程の太刀。名の由来は本人が述べた通りです。長年源氏の人間を転々とし、その際名前も変わっていたようですが最終的には元の髭切に戻ったと、後から本人に聞きました。 眉目が整っており、かと言って絶世の美男というわけでもありません。平均以上三日月未満といった顔立ち。 彼の実力を知るために戦には出すようにとも政府から通達されたので、まずはレベルが低く検非違使の出現情報のない戦場へ送り出すことにしました。 予定より少し早い時刻に帰城したので負傷者が出たのかと慌てて迎えにいくと、そこには中傷を負いつつも誉を取っている髭切。 練度は低いはずにも関わらず、現に中傷を負っているのに初陣で誉を取ってくるなど、髭切の潜在能力は計り知れないものであると同時に恐ろしくもありました。 大抵の刀は主なき月日を過ごしてきた上に慣れない体で、誉を取るのは相当なこと。部隊長を任せた燭台切が言うには彼の眼は未だに戦いを忘れていない、狩る者の眼であったらしいのです。それだけで、この時の私はこの刀が恐ろしく思えたのです。 「膝丸はどうしたのだ? お前の兄弟刀であろう」 「さぁな。兄弟と言っても一緒にいた時間は短かったからな……まぁ、あいつはあいつで達者にやっているだろうよ」 「あいつが来た時は盛大に驚かせてやろうではないか!」 「俺のときに阿呆ほど驚いていた奴が何を言う」 「あ、あの時は余りにも唐突だったからだな……!」 「はっはっは。鶴よ、一本取られたな」 出陣も遠征もない休日の髭切の様子は至って穏やかで、縁側にて三日月や鶴丸と世間話をする姿は他の刀剣と何ら変わりありません。 平安時代に造られた刀故に同じく平安生まれの三日月宗近や鶴丸国永と一緒にいることが多く見受けられます。 膝丸という所謂彼の兄弟刀もいずれ誰かが発見し顕現されるのでしょうか。 誰にでも気さくに話しかけ、内番も進んで熟してくれているのでとても頼りになります。特に一期がここを離れている時なんかは積極的に短刀たちの世話を焼いてくれているので大変助かっています。 手合わせや内番にも積極的で、鍛刀や刀装の手伝いも快く引き受けてくれます。 「刀装はこれくらいで足りるか?」 「はい。内番の後で疲れているのにわざわざすみません」 「なぁに、これくらい訳ないさ。それに手が空いていたのが俺くらいだったのだからな」 「しかも見事に特上ばかりで……重ね重ねすみません」 「いや、なに……」 「(あ、まただ)」 しかし時折、今みたいに心ここに在らずといった具合にぼんやりと遠くを見ている時があります。最初こそ以前の主に思い馳せているのかと思いましがそれはどうやら違ったのです。 まるで花壇の花を愛でるような、とても優しい瞳をしているのです。今の私ならばその相手が誰なのか分かりますが、その時分はてんで見当が付きませんでした。 「髭切?」 「ああ、すまない。少しぼんやりしてしまっていた」 「やっぱり疲れているんでしょう? 付き合わせちゃってすみません」 「はぁ……主殿、こういう時は謝罪より礼の方が嬉しいんだがな」 「あっ、そうでしたね。ありがとう髭切」 刀装部屋に私の声が木霊する。 刀装造りには得手不得手があるようで、その中でも髭切は八割を金色で仕上げてくれました。戦闘面だけではなく手先も器用なようです。 「……髭切」 「何だ? 主殿」 髭切は多くを語りません。特に歴代の主のことは酒の席でもあまり話してくれません。 簡易的な経歴などは話してくれますが調べたらわかるような事ばかりで、前の主の話などはあまり話したがりません。何か思うところあるのだろうと無理に聞こうとしなかった私も私ですが。 それでも、今日という今日は聞いておかねばならない気がしたのです。 「貴方には、前の主の思い出はあるの?」 「……」 「……ううん、何でもない。忘れて下さい」 やはり教えてはくれないのでしょう。踵を返し刀装部屋を出ようとしたその時、髭切が私を引き留めました。 「前の主……渡辺綱は、とても勘の鋭い男だった。夜更けが怖いから送ってほしいと馬に乗った女の正体が鬼であることを即座に見抜いたんだ。鬼退治を頼まれていたとはいえ、鬼を見破る心眼は本物だった」 あまりに唐突に話し始めたので私は声が出ませんでした。 「だからこそ、仕留め損ねた鬼が憎くて仕方がない」 その時気づいたのです。彼が、時折見せるあの表情をしていたことに。 ありがとう。もしかしたら話したくないことだったのかもしれない、そう思うと自然とその言葉が出てきていたんです。 私の言葉に満足したのか一つ確かに頷くと刀装部屋を後にしました。 刀装部屋での一件より数日後、政府から新たな出陣先の連絡を受け執務室で一人書面とにらめっこして熟考していました。 京都の記憶が開放され、池田屋並びに三条大橋等、全て夜戦という特殊条件下での出陣に誰を行かせるか。 「主殿、少し良いか?」 障子の向こうから髭切の声がして、特に断る理由もなく、ついでに意見でも貰おうかと思い彼を招き入れました。 柔らかい笑みを浮かべながら私の前に座った彼の手には、お茶と茶菓子が乗ったお盆。 それが休憩を促しているものであることは一目瞭然で、私はそそくさと机上に散らばった紙類を整えました。 「根を詰めすぎては浮かぶものも浮かばんぞ」 「わざわざありがとう」 「いや何、山姥切殿が心配していたのでな」 そこで近侍の名前が出てきて自然と笑みがこぼれました。今朝方、手紙を届けてくれた彼の前でぼやいてしまったから心配してくれているのでしょう。彼は優しいから。 その様子なら大丈夫そうだと、髭切はいつも短刀たちにしているように私の頭を撫でてくれました。 一人っ子なのでよく分りませんが兄がいたらこのような感じなのだろうとぼんやり考えてしまいました。 「で、次の出陣先はどこなんだ?」 「京都ですよ」 「……」 「市中の、しかも夜中なので太刀は本丸待機になりますけど……」 「行かせてくれ」 「?」 「頼む。行かせてくれ」 太刀に夜戦は厳しいので何時もならば通例通り髭切にも本丸待機を命じようと思った矢先の出来事に私は目を丸くしました。 その時の彼の顔は今でも鮮明に覚えています。あまりに摯実で、忘れることが出来ないのです。最初は何かの間違いなのではと我が目を疑いました。 それと同時に、戦事に積極性を見せめきめきと練度を上げていたのはこの日の為なのだと気付きました。 彼の意志を動かすことは私には出来無いと、その眼を見て悟ったのです。 「分かりました。その代わり必ず帰ってくることを約束して下さい」 私の言葉に彼はその身を固まらせ、言葉に詰まる様子を見せました。ほんの一瞬でいつもの飄々とした彼に戻っていたので瞬きをしていなくて良かったと思いました。 その一瞬の出来事で私なりに何となく分かったつもりになってしまいました。彼には少し意地悪なことを言ってしまいました。 「……善処しよう」 それから出陣メンバーを決めるのに半刻とかかりませんでした。彼を連れ帰った時同様に三日月を入れ、夜戦に強い短刀と脇差しを中心とした部隊を編成。 太刀を二人も入れるのは不安でしたが髭切が何か起こしたときに止められるのは三日月しかいないと判断した結果です。 出陣当日。隊長である骨喰を中心とした第一軍を送り出す為に門の前で最終確認をします。勿論、顕現したあの時と同じ戦闘服に身を包んだ髭切もいます。 長谷部には夜戦に太刀は危険だと言われましたが彼の意志を尊重すると決めたので、この決定を覆すつもりはありませんでした。 この時の私は分っていたのかもしれません。髭切という男が帰ってくることは無いと。 未練がないと言えば嘘になります。しかしここで彼の意志を否定してしまえば私は絶対後悔する。 そんな、妄想とも言える単なる憶測から、彼らを京都へと送り出してしまったのです。 →とある審神者の独白・下 |