▼百万回生きた彼(真波/pdl/パロ) |
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一番最初は猫だった。とある国の王が膝に乗せて体を撫でる為だけに飼われた猫だ。 二回目は犬だ。ただの野良犬はやがて拾われ、飼い犬となり、天命を全うする。 三回目はまた猫、四回目は鶏、五回目は……といった具合に死んでは生まれるのを随分と繰り返して、気付けばもう百万回生きていた。 何れも飼い主が大嫌いだったから、飼い主の死で泣いたことも無ければ伴侶や子供の死で泣いたことも無かった。 そんなんだから順風満帆な死を迎えられたことも無に等しい。否、一度たりとも無い。正直、さすがにうんざりしている。 丁度百万回目となる今回は、真波山岳という人間だった。人間になるのはこれが初めてだったから勝手が分からなかったが、それも最初のうちだけですぐに慣れた。 記念すべき百万回目だからか、今までの中で一番しっくりくる容姿と名前であると自負できる。ただ一つ難点を挙げるとすれば、如何せん体が弱かった。 今までも弱い体で生まれたことはあったし、それが原因で死んだこともあった。動ける体があるのに自由に動かすことが出来ないというのはこんなに不便なのかと、思わず舌打ちをしたくなる。 小さい頃からずっと病院か自宅のベッドで空を見上げるだけの、今までで一番生きている心地がしない人生だ。 自由に外を出歩けるようになっても、やはり生きている実感は湧かない。百万回目と言えど所詮はこんなものだと、十万回目の時にも考えていたなと思い出す。 このまま抜け殻みたいな百万回目が終わるのを待つだけ。人間なんてこんなものなのか。次回の、百万一回目に期待だ。 そんな折ロードバイクと出会い、このクソみたいな人生はがらりと変わった。 坂を登れば登るほど破れそうになる心臓、呼吸もままならず脳に十分な酸素が供給されずに意識がブラックアウトするかしないかのぎりぎりのところ。これが生きているという感覚なのだと知る。 動物だった時には味わえなかった感覚。俺はこの喜びを知るために百万回もの生と死を繰り返していたのではないかという錯覚さえ覚える。 こればかりはサイクリングに誘ってくれた委員長に感謝だ。そんな委員長とも腐れ縁で、小学校から高校まで一緒だった。 高校は箱根学園、ロードバイクの名門。この乗り物を続けていれば俺は生きていられる。 自分で言うのもあれだが、俺は容姿も良い方だし、愛嬌も多少ある。ロードバイクだって一年生ながらにレギュラーに成れる程速い。 そんな俺を誰しも放っておかなかった。動物だった時から周りには常に誰かがいて、俺に関心を持たない人間なんて一人もいないと、そう思っていたのに。 「扉の前で突っ立ってたら邪魔なんだけど」 「え……あ、ごめん」 会話と呼ぶにはあまりに短く、挨拶と呼ぶにはあまりに不躾なそれが、彼女と初めて交わした言葉だ。 あからさまに不機嫌であると眉を寄せ、絶対零度とも言える冷たい目をした彼女、名字名前に興味を抱いた。 俺に興味を持たない彼女に興味を持った、という言い方が正しいか。それからは毎日のように話しかけては軽くあしらわれるの繰り返し。 「名字さんって綺麗な髪してるね、名前って呼んでいい?」 そんな俺の健気さに根負けしたのか、俺に興味を持ってくれたのか、彼女は徐々にだが俺に心を開いてくれた。 「……勝手にすれば」 俺は一人の女の子に恋をした。きっかけは今となっては分らない。どこにでもいるような普通の女の子なのに、何故だかキラキラと輝いて見えた。 「名前さんおはよう!」 「今日もうるさい位に元気ね」 ただハッキリ言えることは、彼女は今までの誰よりも違っていたということ。俺に興味のきの字さえ示そうとせずただ俺の言葉に対して短く返事を返すだけ。 「俺さ、今年のインターハイに出られることになったんだよ!」 「そう、おめでとう」 そっけないその一言だけでも俺の心は温かくなる。それだけで頑張ろうと思えてくるのは、恋の不思議なところだ。 それから少しずつ距離は縮まっていき、高校の卒業式の日。俺はついに彼女に言った。 「ずっとそばにいてほしい」 「……私でいいの?」 「名前がいいんだ」 その日、俺たちの関係は友人から恋人に昇格した。 それから二人で同じ大学へ進学し、実のある四年間を過ごし、俺はプロのロードレーサーとして、名前はカフェの店員として、イタリアで暮らし始めた。 すごく豪華とは言えないが決して貧しくはない、幸せな生活。 ある日、ふと彼女が思い出したように俺に言った。 「山岳」 「ん?」 「私ね、友達とか要らないって思ってた。ましてや恋人なんて、いても仕方ないって思ってた」 友達や女の子に囲まれてちやほやされるのが当たり前だった俺とは対極にいた名前。 「だけど、今では貴方と結婚して、幸せな毎日を送ってる」 「うん」 「不思議ね」 そう言って笑った彼女の顔が未だに脳裏に焼き付いて離れない。離したくない。 この笑顔がずっと続くと思ってたのに、世界はいつも残酷だ。 「……山岳、泣きそうな顔してる」 「だって……」 「山岳、笑って。最期に見た貴方の顔が泣き顔なんて、私いやよ」 名前がそう言うのならと、今出来得る限りの笑顔を浮かべる。 それでもきっと彼女にはこの心の内がバレているのだろう。泣きたくてたまらない、この心が。 「こんなに誰かを愛おしいと思ったのは初めて」 「……俺もだよ」 力なく微笑む彼女を力一杯に抱きしめれば、彼女の細い腕が俺の背中に回る。 初めて会ったあの時よりも細くなってしまった身体を、いっぱいいっぱい抱きしめた。 「名前、好きだよ。愛してる」 何万回生きようとこの一回の人生には代えられない。この一回のための九十九万九千九百九十九回だったのだとはっきり言える。 「私も好きよ、山岳」 なのに、何で。 「山岳、愛してくれてありがとう」 そう言ってそっと瞳を閉じた彼女が、目が覚めることは終ぞなかった。 俺の肩に手を置いた医者が、言い聞かせるように彼女の死を告げる。 ゆっくりと冷めていく彼女の体温が、妙にリアルで、言葉では言い表わせないくらい。 鼻の奥がつんとして、視界がぼやけていくから目の前の名前の顔がよく見れない、つらい。 「あれ、何だこれ、止まんないや」 生暖かい液体が頬を伝って顎から落ちてゆく。しゃっくりみたいに息が小刻みに上ってきて呼吸がままならない。 「……そっか、おれ、泣い、てる、のかぁ」 そう認識してしまえばあとは声を荒らげて泣くだけだ。 九十九万九千九百九十九回もの人生のうち、伴侶が出来たのは何十万回あったのか。そのうちの何十万回俺より先に伴侶が逝っていたが、一回たりとも泣いたことがなかった。 思えばそれほど愛していなかったのだろう。動物の生殖本能で繋がっていただけの関係に過ぎなかったのだ。 俺は、百万回も生きていて、これほどまでに他人を愛したことがなかったのだ。 愛した人を失って愛していたことを知るなんて、こんなんじゃあ彼女に笑われちゃうなぁ。 (百万回目の正直) |
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