保健室の匂いがわたしを責める。でも誰が何と言おうと、わたしはどうしても、花巻貴大という男が苦手だった。あれに比べたらまだ及川の方がましだ。潔く性格がひん曲がっているのは、いっそ清々しい。

 胡散臭い笑顔を貼り付けた、なにを考えてるのか分からないようなひとは、苦手だ。




「でも俺は結構好きだよ、お前のこと」

 甘ったるい声で甘ったるいことを囁く花巻には、他校にかわいらしい彼女がいるはずだ。わたしはそんな噂を聞いたことがあると記憶している。
 保健室で眠っているとわたしのベッドにいきなり花巻が潜り込んでくるという、一般常識から外れたこの異常な状況には、もう随分前に慣れてしまった。

「……ねえ、ほんとに眠いんだけど」
「寝ればいいじゃん」

 このやり取りはいつも欠かさず行われて、わたしは花巻と向かい合わせに寝そべるその体勢から、ため息を合図にごそごそと寝返りをうって背中を向ける。普通より体格のいい男とふたりで寝転がるには狭すぎるこのベッドは、いつも軋んでいる気がする。花巻はそのまま何事もなかったみたいに、狭い狭いベッドの上で穏やかに眠る。わたしはなんとなくどこかへ行ってしまった睡魔をたぐり寄せてやり過ごす。
 保健室の壁に掛けられたカレンダーがわたしを見てわらっている。1月27日。わたしには縁がなくて、わたしの隣にいる奴にとっては最も大事な日だ。同じ空間にいるのに、なんて別世界。




 何分くらい経ったのか、ようやくうとうととし始めたとき。花巻のたくましい腕がするりとお腹に回されたので、わたしの意識はあっさりと呼び戻されてしまった。わたしたちは所詮はオトコノコとオンナノコであるのだから、どうしても、心臓も脳もすべて、その行動ひとつを放ったらかしにできないのだ。

「………はなまき」
「ん」
「離してよ」
「えー。どうすっかなあ」

 いつもよりぶっきらぼうにそう答えた花巻は、がばりと起き上がってわたしの上に覆いかぶさった。一緒にくるまっていた布団はそこらへ退けられて、わたしと花巻を隔てるものはますますなにもない。こういうところが、嫌いなんだ。

「相談があんだけど。聞いてくれる?」
「………」
「ずっと片思いしてるオンナノコがいるんだけど、その子の前だとうまく冗談とかも言えなくてさ」

 花巻はわたしを組み敷いたままで、いつもより饒舌に話し続ける。そのくちびるを跨いで零れる言葉はわたしの胸のどこかをじわじわと締め付けた。でもわたしは声を出すことも、抵抗することもしなかった。


「だけどたまたま、保健室でふたりになったときがあって。どうにか意識してもらいたくて、出来心で同じ布団にお邪魔したわけ」
「…は…?」
「普通はなんかこう、まあ、嫌がるだろ。でも、全くそんなそぶり見せなくて、そのまま寝ようとすんだよ」
「………」
「緊張してあんまり喋らなかったら何考えてるか分からないって言われるし、必死で笑顔作ったら胡散臭いって言われるし、好きとか言ってみても軽く流されるのに、押し倒しても抵抗のひとつもされないんだけどさ。これって脈アリだと思う?」


 最後の一言を言い終わると同時に、わたしの前髪をそっと撫でつけたその優しい手は、するりと下くちびるをなぞった。
 わたしはといえば、頭の中でパズルを解くのに忙しい。だけど時間は止まらないので、花巻はわたしのくちびるをなぞるのをやめない。

「他校に彼女、いるんじゃないの」
「だいぶ前に別れた」
「……どいて」
「……はいはい」


 花巻はわたしの頭をなでてから、ベッドから降りた。雑に畳まれていたブレザーを羽織りながら、「やっぱ今の相談、忘れていい」なんてさらりと言う。上体だけを起こして花巻をみると、意地悪く頬を吊り上げていてぞわりとした。

「ところでさ、今日って何の日か知ってる?」

 わたしには関係のない、花巻にとってはそれなりの意味を持つイベントがある日だ。喉まで出かかった言葉をぎりぎり引っ込めたのは、花巻の表情がそれはそれは意地が悪くて、まるでわたしの考えていることを見透かしているような目をしていたからだ。シワになったブラウスを手で伸ばしながら、わたしは「知ってるよ」と呟く。
 花巻は珍しく、細めの三白眼をゆるゆると見開いた。わたしはそのネクタイをぐっと引っ張って、乾燥しているかもしれない、女らしさの足りないないくちびるを、近づけたおでこに掠めた。

「お誕生日おめでとう」

 わたしはブレザーを力任せに掴んで、プリーツのへんてこな皺の数々を少しも伸ばすことなく、ローファーの踵を踏むのも構わず、保健室を後にした。お互いさまなのだ。花巻がずいぶん思わせぶりなことをしたから、わたしもお返ししてやっただけ。顔が熱くて鬱陶しい。あいつの、ああいうところが、きらいなんだ。
 指でくちびるをなぞれば、やっぱりすこしかさついていた。花巻のおでこに触れた部分がじくじくと熱を持っているのが悔しくて、リップクリームを塗りたくった。もし今日もう一度会ったらさっきと同じ場所に、今度は力いっぱいのデコピンをかましてやろうと、心に決めた。
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