最初はただ疑問しか沸かなかった。だって、どちらかといえば平々凡々で一般人の枠から出ない私と、それなり学内では有名な彼とではそもそもの接点が薄い。あるとすれば、クラスメイトということくらいしかない。しかも授業の課題で同じ班になった時に数回言葉を交わす程度の関わりしかなかったのに、どうして私なんかが放課後誰も居ない教室でたったふたりきりで渦中の彼、花巻貴大と向かい合っているんだろう。予想外の出来事といいたいのは山々だが、今こうしてこの場にいるのは偶然でも何でもなく、私が花巻に呼び出されているからに他ならなかった。予想できなかったとこの状況でさえ思い続けるのは、こんな如何にもな雰囲気でそれでも告白だけは有り得ないと高を括っていたからだ。
 夕陽が射し込む教室内は既に薄暗くて、そこにいる花巻の表情だって陰っているからはっきりとわからなくて少しだけ緊張していた。雰囲気に飲まれただけであって、まさかまさかと頭の中で何度も自分の予想外の予想を否定する声が響く。スカートのプリーツが歪むくらいきつく拳を握りしめた所で、花巻が沈黙を破るように息を吐いた。「みょうじ なまえさん、好きです。付き合ってください」そのまま溜め息に交えて告げられた言葉に、これまたほんの少しだけ目眩を感じ足元がぐらつく。呼吸の一部として吐き出された言葉に花巻はどこか満足そうで、私は面食らっていた。言うだけでこの人は安心してしまうのか。完全に気が抜けた。花巻のその様子に私は呆然と頷いていた。それが肯定だったのか何なのか私にもわからないし、花巻ももしかしたらそれをわかっていたのかもしれない。花巻は静かに目を細めて、ありがとうもごめんも口にしていた。
 この人は本当はものすごく綺麗な人なんじゃないだろうか。いい意味で芯の部分が子どものようで、純粋なんじゃないのか。それは元々花巻に持つ印象とは近いようで全く違って見える。「今日、一緒に帰ろ」「え…」俯いていた所に投げかけられた言葉に顔を上げると同時にそれまでスカートごと手のひらに食い込ませてしまった指先を解かれた。

「爪の痕ついてる」
「…痛くないよ」
「緊張したの…今もしてるか」

 両手ともそれぞれ花巻の手に重ねられて、その親指が手のひらの赤い線をなぞった。くすぐったいようで、ふと現実に意識が追いつくとやはり確実に痛むそこは徐々に室内に広がり始めた冷気を伴ってじんじんと震える。そこをまた一撫でする手に、ぎゅっと握り込まれた。

「 かえろ 」

 片手だけそのままに荷物を引っ付かんでやけに焦ったように教室を飛び出した花巻に引き摺られるまま、私も足をもつれさせないようそれに伴った。花巻の手は思った以上に熱かった。知らなかった。まだ何ひとつお互いのことを知らない。こちらを振り向かない花巻の横顔を見上げながら、私は先程無理矢理に押しつけられたマフラーに口を埋めた。花巻の匂いがする。不思議な気持ちだった、これもまた雰囲気に飲まれたといえるのかもしれない。緩みかかった手を握りしめると、小さく花巻の肩が揺れた気がした。






△▼△





 あの告白から数日が経ち、改めて花巻との関係性がただのクラスメイトではなくなった実感があった。あれからというもの花巻は部活の練習が遅くまであるし、私もそれまで暇があった筈の委員会の仕事がいきなり忙しくなって慌ただしい日々を送っていた。つまり、あまり付き合いだした実感がなかったのだ。そうして一息ついた時に思い返せばそんな事実もあったんだと覚束ない現実があって、しっくり来ないものの、それは確かにあの日あの瞬間にあったことだった。
 そして、今日はバレー部の週一回ある休みの日らしくあの日以来初めての放課後のお誘いがあった。2限目の休み時間に連れ立って廊下に出たときに言われた。一緒に帰ろうという誘いに特に断る理由もないし二つ返事で了承する。てっきり喜ぶというかそれなりの反応を返してくれると思っていたのに、花巻の表情は如何にも腑に落ちないという様子だった。これは断った方が良かったのかと見当違いなことを考えている間に、今度は何故か苦笑された。

「随分あっさりしてるよな」
「…花巻が?」
「いやいやー、みょうじちゃんが」

 からかうような口調のままに花巻が視線を逸らす。「もうちょっと渋るかと思ってたけど」ぽつりと呟いた言葉の端っこにはほんの少しだけではあるがつまらないとか期待外れの意味が込められている気がした。

「まだ実感がない」
「なんの?」
「こういうの…付き合ってとか」

 「あぁ」花巻が一瞬だけ目を見開いて、すぐに眩しそうに目を細めた。窓の外はそんなに日差しが強い訳でもないが、時々花巻はそんな表情を見せる。

「実はオレもね…あんまり実感ない」
「はぁ?」
「だってさぁ、まさかみょうじからOKもらえるとは思ってなかったワケですよ。それがあっさり応えられたもんだから、何つーか拍子抜けだったんだよね」

 しかもその後の忙しさでお互い登校と下校時の挨拶を交わすだけだったから、と続けられた言葉には私も同じ意見だ。ある意味お互いに予想外の出来事が起こって現実として受け止めるには必要な時間がなかった。まるで夢から覚めたように過ぎていった数日に飲まれて、感覚も鈍くなっていた。だからどうしてと本当に今更に思うことがある。本来はあの告白の時点で考えなくてはいけなかったかもしれない。

「花巻は、そのー…」
「ん?」
「なん…わ、私のどこを好きになってくれたのかなぁと」

 流石に自分からこの質問は恥ずかしい。極力視線を合わせず言うと、花巻は首を捻った。

「みょうじの好きなとこ?」
「いっ言いにくいならいいんだけど!何で私のことを好きになってくれたのか、ちょっと…気になって」
「はは、ちょっとなんだ」

 普通気になるだろう。きっと花巻も気付いていて聞き返したに違いない。こういう所は元々のイメージ通り意地悪な気がする。

「め、ちゃくちゃ気になります…っ」
「ふーん?」
「だって!自分でいうのも何だけど普通っていうか平凡だし。顔だって性格だって花巻に好かれる要素なさそうだし」
「うーん」
「………」

 何だか告白された時より緊張してしまう。じっと花巻を見ていたら、見すぎって吹き出された上に何故かさりげなく後ろを向かされてしまった。花巻の行動に思考が追い付かない。振り返ろうと身を捩ると、それを制するように花巻が肩に手を置いた。ぐっと、軽く押されて同じように息が詰まる。

「何にでも無駄に一生懸命なとこかな…すごく頑張ってるなぁって思ったことがあって、そこからいちいち行動が目につくようになって。まぁそんな感じで見てたら可愛く思えちゃって惚れてたかな」

 目につくとか無駄とか所々誉めてるとは思えない言葉が入っているのは気になったけど、そんなもの払拭されるくらい花巻の声が穏やかだった。だからその言葉を信じたい。

「花巻」
「ん?」
「好きになってくれてありがとう」

 もしかしたら私もこの人を好きになれるんじゃないないか。じわじわと胸に馴染む言葉をいつか花巻に伝えられる日がくると良いと思った。




△▼△








 付き合いが長くなるにつれて今更ながらよく耳に入ってくることが多い。いわゆる噂話。それまでも噂自体は広まっていただろうが、自分には全く縁のない関係のないことであればあるほど、我関せずを貫けた。けれど、現状でそれが当てはまることはない。それが恋人関係にある相手のことであれば、嫌でもその噂話は聞こえてくるようになってしまった。耳を塞ぎたくなるとまではいかないものの、気分の良いものではない。例えば、今まで何人もの女の子を手酷く振ったとか、その割には手当たり次第手を出すとか、何故か当てつけのように聞こえてくることも多い。なるべく気にしないようにしているが、それでもキリがないような気がした。

「あ、みょうじ」
「ん?彼女さんか」

 教室まで向かう途中、花巻と確か花巻の友人の1人である松川くんが話してる所に出会した。松川くんは一言二言何かを伝えるとすぐにその場から立ち去っていった。もしかして邪魔してしまったのかもしれない。

「みょうじ、どしたの?何か落ち込んでない?」
「いや、話の途中だったのにごめんね」
「大した話してないよ。部活のこととかだし」

 まだ付き合って間もないせいもあるけれど、こうしてみると私は花巻のこと何も知らないんだった。

「ホントにどうした?元気ないよな」
「え?そうかな…」

 首を傾げると同時に、ぽんと頭の上に重みが加わってそのまま何度か軽く撫でられる。最近はこうやって触れられることも珍しくなくなってきたものの、まだ慣れない。こういうことに耐性がないから、思わず肩に力が入ってしまう。普段から嫌ではないと弁解しているせいか、花巻はあまり気にしないようだった。たまに強引なこともあるが、花巻は私が嫌がることは極力避けてくれる。ものすごく優しい。自分が彼に甘やかされてるんだということは充分わかっていた。だからこそ噂話で聞こえてくる花巻と、目の前の花巻が同一視出来ずひどくもどかしい。何で、そんな酷い噂が広まるんだろう。そんなことを思い出してしまったのがいけなかった。浮き立った筈の気分が一気に沈む。それは恐らく、表情にも出てしまったらしい。

「みょうじ」
「う、ん」
「最近、オレのことで何か聞いた?」
「……っ」
「やっぱり聞いてるよな」

 さらさらと髪を撫でていた手がゆっくり下ろされて、そのまま後頭部へと移動するのと同じペースで花巻の近づく。お互いの鼻先が擦れそうな位置でその動作が止まった。

「噂はあくまでウワサでしょ」

 普段より低い声が響いて怒ってしまったかと思ったが、その割に花巻は笑っていた。それが、余計に怖い。

「…とは言っても今更尾ひれつきまくった噂が落ち着くとは思えないし、はっきり言ってどうでもいいんだけどさ」
「花巻?」
「でもさ、それならオレがたった1人をずっと好きでいたら証明になるかな」
「……」
「だから、みょうじは噂話なんて信じないでオレのこと知るために、ちゃんとオレを見てなさい」

 ぐっと、更に後頭部を押さえ込まれたらもう距離がゼロに近い。有無を言わせないとばかりの笑顔と厚みのある唇から覗く赤い舌に、心臓がばくばくと音を立てて軋んだ。逆らえない。ぎこちなく頷いた所で、満足したらしい花巻はいつも通りの雰囲気に戻っていた。

「まぁ証明とかってみょうじの為なんだけど」
「はぁ」
「それなしでも、みょうじはオレのこと信じてくれるって思えるんですよねー、これが」
「…自信満々だねぇ」
「だってオレはそれだけで充分なんだよ」

 真っ直ぐな声だ。誰に誤解されてもいいと、独りでもいいと、たった1人に信じていてもらえるなら。呟いて、花巻は背中を向けた。








独りぼっち は

寂しくない








 この日は今までの人生の中で大誤算やら損害やらと色んなものがマイナスに進んでいる気がした。朝から昼食までは何事もなく、それこと普段と何ら変わりなく過ごしていた。今朝だって、普通に挨拶して、お昼も一緒に食べて雑談しかしなくて、いつも以上に笑ってたのに何で気づけなかったんだろう。
 今日が、花巻の誕生日だったのに。


「は、なまき…!!」

 全力疾走なんて、体育以外でするとは思わなかった。校門を過ぎた所で見慣れた背中を見つけ、慌ててコートの裾を掴む。驚きつつも、嫌そうに振り向いた花巻を思いきり睨み付ける。

「…ちょっと、なに。走ってきたの?」
「はぁ……っ、ぜぇ!」
「大丈夫か?」

 大丈夫な訳があるか。運動不足な帰宅部には走るだけで辛いものがある。息は切れるし、冷たい空気の中走り抜けたせいか、頬はじんじんと痛むし、肺も凍りそうだった。けれど息を整える間も惜しい。握りしめていたコンビニの袋を花巻に差し出すと、花巻はひどく驚いた顔のまま袋を受け取った。ものすごく歪に膨らんで見えるそれの中身を見て、花巻が「あっ」と小さく叫ぶ。

「うわ、すげー。シュークリームの詰め合わせ初めて見た!」
「っ、引くかもだ、けど!コンビニとかケーキ屋さんとか回って…!!」
「オレのため?」
「う…うん」

 まさか誕生日を知らなくて、当日に準備をする羽目になるとは思わなかった。教えてくれたらよかったのに…、そんなことを言いかけて、でも何も言えなくなる。花巻は先ほどから固まってしまっていた。表情が崩れたままの花巻が珍しくて、食い入るようにそれを見ていたらいきなりコートを掴んだままの手を引かれる。完全な不意打ちにバランスを崩すことになってしまった。気づいた時には花巻の胸にぶつかる形で抱き締められていて、でも私は足元に転がったであろうシュークリーム入りの袋に意識が向いていて、何個か潰れちゃったなぁと見当違いなことを考えて苦笑していた。「…何がおかしいの」「ふふ、何でもないよ」花巻は拗ねた声を出した。結局、照れる所なんて見せてくれないんだ。ちゃんと見てろと言った癖に。治まらない笑いを抑えながら、花巻の背中に手を回す。その背中が一瞬だけ揺れて、すぐにまた腕に力を込められた。

「…こういうとこ、好きだよ」
「うん」
「ありがとな、なまえ」



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