ちらちらと、涙の音がする。あちこちで、色んな泣き顔が咲いている。わたしの瞳はおおよそ渇いていて、頬は、ほんのすこし濡れたままだ。
「先輩」
ちゃんと変声期は過ぎているのに、及川や岩泉らと比べるとやっぱりどこか幼い、自分を呼ぶ声。身長は遜色ないのに、松川や花巻らに比べるとすこし制服に“着られている”ようにも感じる、その姿。数ヵ月前は毎日のように見ていた顔は、やけに懐かしい。それでいていつものポーカーフェイスは意外にも僅かに歪められており、その表情はわたしの周りにいた、泣くのを堪える彼ら彼女らに、どこか似ていた。
「卒業、おめでとうございます」
はっきりと言葉になったそれを聞いてやっと、本当に卒業したんだという実感が沸いてきた。そんなことを言えば英は不機嫌になるだろうから、代わりに「ありがとう」と言った。なにげなく胸ポケットに刺さる造花を指で遊んで、また元の場所に戻す。きちんと前を向いていた薄いピンクの花は、不恰好に下を向いてしまった。
「そうだ、ボタンあげよっか」
「は?」
「第2ボタン」
式の間はきっちりと着ていたこの制服は、さっき着崩したばかりだ。前を開けたブレザーの、そのボタンをひとつ指で摘まむ。安っぽいとも高級感があるとも言えない、ごくごく普通のそれが、この日だけは大いに意味を持つのだから不思議だ。一部のロマンチストな女の子限定なのかもしれないけれど。
「要らないです」
「えー。及川は確実にないけど、他の3人だって残ってるか分かんないよ」
「………ほんとイイ性格してますね。そんな意味じゃないって解ってるんでしょう」
目の前で不機嫌さを隠そうともしない彼は、その長い脚で一歩だけ、距離を詰めた。わたしは動かないので、ふたりはその分だけ近くなる。滑稽だと思った。今ここで手を繋ごうが、抱き締め合おうが、キスをしようが。春になるまでに、ずいぶんと遠く、離れてしまうのに。
東京の大学に行くと決まったとき、及川や岩泉、や花巻、感情の起伏が乏しい松川までも、それなりにびっくりしていた。県外への進学はものすごく珍しいことではないけれど、わたしはそんなそぶりを見せたことはなかったからだろう。だけど英は、「なんとなくそんな気がしてました」と言って、くすりと笑った。時折見せるその大人っぽいカオは、逆にわたしたちに二年間の隔たりを思い知らせる。
細い指に、耳元をくすぐられた。促されるまま顎が上がる。緩慢な動きがやけに様になるから、わたしはいつも、それを強く拒めない。
「あきら。やだ」
「何でですか?誰もいませんよ」
「………イイ性格してんのはどっちだろうね」
あいにくの曇り空は、どこか湿っぽい空気を運んでくる。今日という日をあまり祝福していないようで、すこしだけ嬉しくなった。英の顔が近づく。そうして、迷いなくくちびるがくっつけられた。ほんの一瞬。熱なんか残らない、感触なんか覚えられない、一瞬きの出来事。
「東京行っても浮気しないでくださいよ」
「………こんなキスで英を忘れられなくなるって?」
「そういう誘い方しないでください。一応聞きますけど、今日で最後なその制服を脱がすのは、俺の役目ですよね?」
お友達とのアレコレが終わったらちゃんと来てくださいね、家で待ってるんで。そんなことを堂々とのたまったこいつには、可愛げというものが随分欠けているように感じる。そして、それに照れたりしないわたしも、世間一般の感情論からはすこし外れているみたいだ。
この制服を着るのは今日で最後で、これを着ている間は正真正銘のコドモでいられる。この町を離れるのはまだもうちょっとだけ先の話だけれど、たぶんあっという間のお別れだ。その前に、これを脱ぎ捨てるちいさなサヨナラを、彼の手によって彼の腕の中で、迎えるのだ。
わたくしが
祈った
瞬間
- - - - - - - - - -
曰わく、さまへ提出
20130831 giggi / 芦夜