本編(館ルート




「明日からあなたにはお屋敷へ向かってもらうことになりました。支度なさい」
「はあ」

家族三人揃っての朝食を済ませ、客間に置いておく救急箱の補填を母親としているときにそう言われた。
ここも私にとっては結構なお屋敷だと思うけれども、と口を出しても母に叱られそうで、なんの薬だか分からない缶を隙間に詰める作業に集中する。箱の蓋を閉めて横に流せば隠の人がせかせかと各部屋へと配達してくれる、流れ作業というのは頭を整理するのにもってこいだというのにさらに考えなければいけなそうな言葉が追加だ。困った。

「産屋敷さまからお声が掛かるなんて本当に名誉なことよ。何日掛かるか……ああ、柱の方々とも顔を合わせるかもしれないんだから去年買った着物を出しましょう、帯は私のと、髪も結いましょうね」
「洋装ではだ……」
「いけませんはしたない」
「はい……」

動きやすいんだけどなあ、という意見は飲み込んで、何日ほどになるのか分からないけど荷物をまとめる予定を頭の中で立てる。まあ『私』の私物なので、申し訳なくて最低限を意識してリストアップした。夢の中で「お互い様だし好きに使っていいですともー」と許可をもらっていても、なんとなく他人のものという意識が強くて遠慮してしまうのだ。あっちの『私』は遠慮せず私の本を読み漁り私のブクマも読み漁り面白可笑しく生きていらっしゃるようだけれども。いやそれは語れる相手としては最高なので利点しかないけども。

そうして慌ただしく仕度を済ませて待ち合わせ場所まで両親に見送られ、その後隠の方に渡された水筒の何かしらでぐっすり眠り。その間に無事運ばれたようで食料だとか日用品に囲まれた馬車の中で目が覚めて、起きたからにはついでに荷物の搬入を手伝う。隠の人が多いのはもちろんのこと、小さなおかっぱの双子の女の子も手を貸してくれるので作業は素早く終わった。というよりも「お客様なのだから」と手伝うのを止められそうになったけれどもいたたまれなく、そんな待遇される身分でもないので全力で手伝わせていただいた。

「さーて、だいたい運んだし……貴女のお荷物は?」
「あ、これだけです。自分で運びます。それと、あの箱の饅頭は皆さんで食べていただければ」
「おー、ありがとうございます。……暇なやつ呼ぶんで、一緒に食べましょうか。お館様がお見えになるのはもう少しかかるでしょうし」
「そうですか」

ただ居るだけなんてできるはずもないので、隠の方々に混じって皿の配置だとかも頭に叩き入れる。前の私なら苦手だったであろうこういう作業もこの体なら得意分野だ。というかきっちりみっちり教育されていたっぽくて体に染み付いている。
饅頭とお茶でほんわかしていれば隠の人達とも打ち解け、あの女の子達は屋敷のお嬢様だからしゃんとしとけだとか変に歩いていると柱の誰かに脅されるぞだとか生活の知恵的なものを教えてもらった。何日くらいの滞在になるのかと問われて笑って誤魔化せば、まあ、がんばれよとしんみりした。なんだか私が奉公に出されたみたいな扱いだけれども……いや、実際そうかもしれない。ただ行くようにと言われただけだったから分からなかったけれど、帰ってくるなとかそういう意味合いがあったのかもしれない。中身は彼らの知る娘ではなくなってしまったのだし。
そもそも、体をもらったけれども帰るところなんてなかったのだし。唯一の理解者は夢の中にいる。
言い表せない感情で口を閉じれば、気を使われて饅頭をもう一つよそわれる。まあ私の家が持ってきたやつだけど。
よっしゃやるかと空気を変えるためにか大声で宣言した隠の方に従い湯呑を洗い、客間へ通され手荷物を意味もなく広げては仕舞い、早朝に家を立ったわりにほぼ正午あたりになって声が掛かった。襖を取り払った広間へと案内され、下げた頭を上げて息を飲み込む。こんなに大きな屋敷の主だから相応のお歳だろうかなんて考えていたけれども、目の前に座るお館様はとても若く、素人目にも病気で具合が悪そうだった。

「お疲れ様、待たせてしまったね」
「いえ、そんな、とんでもないです、こちらこそ私なんぞを」

母親に仕込まれた口上も吹っ飛んでしまい、謎の緊張感におろおろ視線を飛ばすしかない。あまり凝視しすぎるのも失礼にあたりそうで怖い。広い室内に思いの外人数がいることにもさらに緊張していれば、お館様の両脇に控える子どもたちが先程手伝ってくれた子達だと気付けてちょっと気持ちが落ち着く。知り合いが全くいないのとちょっとでも話した人がいるのとではだいぶ心持ちが違う、うん、やっぱり心臓痛い。

「私はこの通り目が悪くなってきていてね、手紙も本も妻や子供に読んでもらっているから助かっているけれど、それでも少し勝手が違う。慣れるためにラジオを聴いていたりしていたらね、義勇が聴いたこともない歌ばかり歌う知り合いが居ると教えてくれたんだ」
「義勇さん?ですか」

誰だそれと首を傾げれば、背後からものすごい重たい視線を感じてちょっと振り向く。トミオカさんがいつもの無表情で膝を付いて、けれどもめっちゃ不満げに私を睨んでいたので慌てて前へと顔を向けた。そういえばトミオカ様の下の名前は義勇だとかだったような気がする、うん、後でお饅頭を持っていこう。母の言うとおり多めに買って良かった。
息をほぼ止めてのやり取りだったけれどもお館様には筒抜けだったようで、ほんわりとした笑みを深めた彼が再び口を開く。どうしてかそれだけのことにやたらと緊張してしまって、一字一句逃さないようにとまた息を詰めて聞き入った。

「よければ君の歌声を聴かせてもらえないかな。盲の暇つぶしに付き合わせるようで悪いけれど。この子達もあまり外を出歩かないから、少し教えてもらえると助かるよ」
「はい、私なんかで良ければ。あ、でもお気に召されなければ仰ってください。あの、耳馴染みのないものでしょうから」
「うん」

伴奏もなにもなしにこの場で歌えと言うことだろうな、と思えば怖い状況だ。後ろからはほんとに刺さりそうな視線を感じるし、前に座しているお人はきっと身分制度が生きているこの時代で私なんかが顔を見れていい人ではないし、この場もまさしく場違いなんだろう。
それでも歌っていれば落ち着く。こっちに来てからも、あちらにきっと変えれないことが分かってからも、歌っている間は私は『私』でいられる。声が違くなってもそれは変わりなかった。
止めなれないことに調子に乗って一番を歌いきり。お粗末様です、と頭を下げて固まる。上げるの怖い。聴かせるのはもちろん楽しんでいたけれども、今までこういうふうに歌ったことはなかった。自分のために歌っているだけのものを、人に聴かせていいものだったろうか、音程外してなかったろうか、民謡とかみたいな歌い方じゃなくて幻滅されたろうかとネガティブなことしか考えられない。拍手も悪態もないのが怖い。もしかして打首とかあるかもなぁ、そこまで考えなかった。『私』になんて謝ろうか、せめて強く生きろよとだけ伝えたい……。一緒に同時に死んでしまったりしたらだいぶ申し訳ない。いやだなぁ。

「顔を上げて」

言われるままに顔をそろそろと上げると、ほんのり笑みを深めた彼が静かに言葉を紡ぐ。

「本当に聴いたことのないものだったよ。素晴らしい。民謡かな、それにしては訛りもなかったけれど……うん、ありがとう。明日も頼んでもいいかな」

呆けた頭でなんとか「はい」、とだけ返答して、頭を下げた。生き残ったことはわかった、わかったけれど、明日もこうなのだろうか。腹を切る前に緊張で死にそうだ。
ふわふわした意識のまま「このまま会議に入ります」とお嬢様に退出の案内をしてもらい、客間に戻って座布団に倒れ込んだ。
しばらくそうしてフリーズして、ほんのりと屋敷が賑やかになった頃合いで身を起こす。そういえばお饅頭という名の賄賂を配らなければ。
そろりと襖を開けて顔を覗かせれば、ぎろりとえげつなく睨む傷だらけの顔と目があった。先程見かけた気もするし、帯刀しているし柱だろう。通りかかったといった風情で私を見下ろし、ガン飛ばすように睨まれる。

「何だ、下手くそぉ」

にこりと笑って返して、そっと閉めた。
挨拶は明日にしようそうしよう。ごとりと蹴られたように揺れる襖を見ながら、ちょっと震えて決意した。



20.12.28
誰○の願いが叶う頃
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