⇒カイガク4ed





「俺しか聴いていない歌を歌え」
「あ、はいわかりました」
「…………」

「聴いたことないやつだ」
「はい」
「…………」

「おい」
「カイガク様しか聴いたことのない曲ですか」
「いや、誰にも聴かせてないやつにしろ」
「あー、わかりました」
「…………」

「おい」
「はい。初出しの曲でよろしいですか?」
「…………」
「……えーと」
「まだあるのか」
「はい。どうしましょうか?」
「……聴いたことのないやつにしろ」
「はい」



幾日か経って軟禁と監禁と飼育を混ぜたような生活にも慣れ、口煩くつけられる注文にも慣れ、物騒な反転した目玉にも愛嬌のない同居人もとい犯人の態度にも慣れ。
数日に一度届けられる野菜と白米で、どうにか食事を作り生きている。量が多すぎたりするのは男性だからか鬼だからか。
夜はあの鬼はいない。食べなければ、とうわ言のように呟いているからまあ人間を食べに出ているのだろう。鬼、なんて言うくらいだから面白可笑しく愉快に食べているものだと思っていたけれどもカイガクは妙に苦しげだ。他に鬼なんて二次元でしか知らないから比較のしようもない。
なんの血なのか分からないもので全身汚れて、顔色を悪くして帰ってきて、家を締め切ってからようやく一息つく。私の歌を聴いて眠るまでが日課で、最近では上のような注文がついてくるようになったし、言われたとおりにしてもなんでか不服そうだ。そろそろ私も食べられてしまうかもしれない、と少し恐ろしく思いながら小屋全部を掃除する日々だ。ここまでしっかりとは実家でもしたことない、むしろ毎日しすぎてやることがなくなりそう。
いつもなら思い思いのことをしながら過ごすのだけれども、今日のカイガクは違うらしい。ずるずると私が敷いて整えた布団を居間まで運び、ぐしゃりと崩したままその上に転がる。見張られているのかと思えばそれにしては距離が空いていて、寂しいのだろうかと当てずっぽうに考える。寂しいとは違うかもしれないけれど、私には彼と話した回数が少なすぎてそんな言葉でしか当てはめられない。一方的に聴かせているだけの歌は、それでも、交流に一番近いもので、こうして軟禁されている状態で求められるのはそれだけで。
傍目には私は被害者だろうけれど、そうそう彼を嫌っていない。面倒くさいし言葉が足りないやつだなと思えども、求められれば嬉しい。ただ歌うだけの女に求められるものが何かなんて分からないのに心地いい。現代では考えられないほどシンプルな生活は楽だった。

「お前……」
「はい、なんでしょう」

背を向け、丸まったまま話しかけられて、体ごとそちらに向けるけれども彼の姿勢は変わらず、言葉も続かない。言いよどむというよりも最初から何を言うのか決めていなかったみたいな声色だ。ぐぅとますます丸まる背中を見届けただけで、洗濯物を畳むのに戻る。今の敷布は洗わなければ駄目だろう、風呂に入る前に布団に乗っかってしまっているから血だとか泥だとかで汚れてしまっている。注意ができる立場でもないしちょっと困ってそれで終わりだ。
触れ合いはしないだろうけれども、声は確実に届く距離だ。

「何か歌いましょうか」
「…………」
「五月蝿いなら静かにしてますが」
「……、なんでもいいから歌ってろ」
「はい」

なんでもいいが一番困るんだよなぁ、なんて思ってから、まるで夫婦みたいなやり取りについ笑ってしまった。なんだよと不機嫌で具体の悪そうな声が飛んできたので息ごと飲み込んで、小さくけれども聴こえるくらいの声で歌を歌う。彼の生活に合わせなければいけない不自由さが愛おしくて、献立すらろくに決められない、曲くらいしか選べない、彼が苦しまないことだけを考えて生きている、そんな自分がなんだか好ましい。
もぞもぞと苦しんでいた背が落ち着いて、寝息のような息が聴こえても歌い続けた。締め切った暗い部屋で黒い服は本当に目立たない。それでもそこに彼が居るので、それが楽しくて歌った。



20.09.17
朝焼け 倉橋○エコ
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