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食べられる、と思ったのに。
なんでか生きていて、何処かの小屋へと突っ込まれて入浴を強要されている。
臭い臭いと言っていたからだろうか、と、教科書で読んだ『人間を食べる目的で歓迎して風呂でセルフに洗ってもらい下味まで付けちゃう料理店』の話を思い出しつつ、素直に石鹸を使って丁寧に洗っている。香油と塩がないからすぐにぱくりとは食べられないと思うけれど。いや、そもそも鬼は踊り食いをするのだろうか。三杯酢とか塩胡椒とか必要だろうか。しめて解体して食べるのなら痛くないだろうけれどどうなのだろう。
まあ、全て今更か。
一応は丁寧に体を洗い、少し熱めのお湯に浸かって深ぁく息を吐く。命令されるままに動くのは思いの外緊張したらしい。こんなときでも入浴は体がほぐれた。もしかしたらこれで食べやすくなるかもしれない、そうだとしたら思うつぼだ。どうせ逃げられる気もしないので諦めているけれど。
気が抜けたついでに、湿った喉で小さく歌を歌う。浴室といってもこの時代気密性が低いみたいでエコーはかからないけれど、気分としては歌いたくなるものだ。

「おい、今のやつ聴いたことないぞ」
「そうでしたっけ」

気密性がなければ音漏れもするし、私を逃がすつもりもないカイガクは戸をひとつ挟んだすぐ向こうで待っている。それでなくとも耳がいいのだと以前言っていたし、まあ、丸聞こえだろう。今から食べられてしまうのだから恥とか考えず、ひとに聴かせられなかった練習中の曲を遠慮なく歌う。音がずれても気にしない。原曲を知っているひとはだれも聴いていないのだし、歌詞だって適当でも別に……。

「はっきり発音しろよ。何言ってんのかわかんねぇだろうが」
「ええ……すみません」

思っていた以上にしっかり聴かれていた。
照れ臭いような面倒くさいような話が通じそうで安心したような、現状が変わりないことに困るような落ち込むような。
歌詞を確認したくとも今すぐ眠って『私』に訊くわけにもいかずにまた少し困り、ならばと聴きたい歌はないだろうかと訊ねてみる。ご機嫌伺いと思われて不快にならないだろうかと訊いてから思い至ったが杞憂に終わったようで、少し黙ったカイガクが「子守唄」ととてもシンプルなリクエストを寄越してきた。
が、子守唄。いくつかは知っているけれどメロディも歌詞も自信がない。はっきりと発音しないと食べられるかもしれないし、親が聴かせてくれた歌はJポップばかりだ。なら寝るまえによく聴いていた曲だとかで代用になるだろうか?せっかくリクエストをもらったのだから、趣旨に合った曲を歌いたいけどもどういうのがいいのか。
そういえば彼が訪れる時は、大抵荒れている様子だったから穏やかな曲を選んで歌うようにしていた。子守唄というか、そもそもそういった落ち着いたような歌が好きなのだろうか。

「……ええと、私が寝る前によく聴いていた曲でいいですか?」
「何でもいい」
「お気に召さなかったら食べられるんでしょう?」
「まだ食わねぇよ。まだ」
「そうですか」

鬼の言うことなんて、そうそう素直に信じられはしないけれど、まあ顔見知りの言う事なら信じてもいいのではないだろうか。それもまだ私のことを食料としてみていなければの話だが。
ぬるくなってきた湯船から出て、もともと着ていた洋服を着直す。あちこちに血や泥が付いていて気になったがまあ、鬼の前を裸で彷徨くほうが危険だろう。おそらく。踊り食いタイプだったとしたら意味がないかもしれないけど。
戸に近付けば人影が退くのが見えて、素直に手をかけて引く。見張るというよりは待っていたというていの彼が顔を上げて眉を潜めた。入れ墨のような紋様や目玉のカラーリングの反転はあれどもそれくらいの表情の変化ならなんとか分かるものである。
尖った爪の生えた手が私の腕を掴み、そのまま引きずるように移動する。臭いと言われないことに少し安堵した。そののち、土間でも台所でもない普通の寝室に着き安心してから不安に戻る。そろそろ心臓の負担が凄まじい。

「あの、食べるってそういう」
「はあ?んな訳あるか。俺が許すまで歌ってろ」
「あ、はい」

純粋に座布団の代わりに敷かれた布団に座らされ、ここまでくれば普段の『お慰め』と変わらないのでいつもどおりに過ごせばいいのだなとまた気持ちが安心に傾く。そもそもが、私は歌えればいいのだから何も問題はない気がしてきた。
息を吸う。隣の男が壁に寄りかかって寛ぐ。
怖かったり不安だったりしたはずなのに、これでいいのではないかと妙な肯定感が生まれる。歌い終わったら食べられるかもしれないけれど。
囁くように歌い続けて、夜が明ける頃に許されて気絶するように眠った。ちょっと布団で良かったと思った。



20.05.30
さよな〇の向こう側
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